善の行方



<9.潔癖という病1>

前期試験を終え、夏休みに入った娘は
この先もレッスンやコンサート、イベントの練習、集中講義、バイトなどで忙しく
なかなか家でゆっくりする余裕がない
これだけ忙しいと、充実感もあるし
余計なことを考えている暇がないのもかえって良いと思う一方で
やはりたまに休みがあるとホッとするのも事実だ

そんな彼女の目下の悩みは、最近体重がオーバー気味だということ
とはいっても、せいぜい1〜2キロ程度なのだが
試験用のロングスカートがきつくてこっそりホックを外して歌うはめになり
このままじゃあヤバいと少々あせっている
だけど、食欲は落ちないので食べる
わたしの夏バテをわけてやりたいなんて冗談では言うけれど
現実には今夏バテなんてことになったらこの先の予定がこなしていけないわけで
「この大事な時にダイエットはしない方がいい」
「きちきち食事制限するとそれがストレスの元になるし」と
目先の見かけよりも先を見越して体力維持を図ることを勧めている
実際のところ、今までも同じようなところを通りつつ
結局はいつの間にか元の体重に戻っているので
今は体がエネルギーを求めていると思った方がいいのだと思う
甘いものも心のゆとりになるし
今まで頑張ってきた自分へのご褒美も必要だ
というわけで、スカートも総ゴムのものを新調することにした
何しろ今まで使ってきたロングスカートは
わたしが神学校時代に買ったものなのだからもう十分だろう

ところが、娘の心の中には
それでも「もったいない」という気持ちがある
だから自分をスカートに合わせれば良いとも思うわけだが
現実には、そんなことにエネルギーを使うことこそもったいなく
試験に、そして舞台に集中することに焦点を合わせていかなければ
たくさんの奨学金を借りてまで勉強しているというのに
結果が出せなければそれこそもったいないのだ

若い時代の時間は限られている
また、体力も気力も同じく限られていて
それらを上手く配分できるかどうかが上達の重要なポイントだ
だからこそ、いくら頑張ってみても上手くならないピアノの練習には
今はもう最低限の時間しか使わず
それによって先生に叱られても仕方がないと割り切るようになった
あちらこちらに気を使って良い顔をしようとする性格のままでは
この局面は乗り切ってはいけない

娘は、幼い頃から「良い子」の気質を持っている
かつてわたしがそうであったように
本来は明るく快活な子どもでありながらも
わがままを言わず、欲しいものも我慢して
叱られないように気を使う様子からは
明らかに無理をしている感じが見て取れたが
それが習慣になっていると
本人は別に苦痛とは思っていないところがかえって怖いと思う
特に、お金を使うことに罪悪感を覚え
必要なものであっても買うことがためらわれる
そんなことが過去に何度もあった

物を大切にするのも
無駄なお金を使わないのも良いことだ
このように本来は良いことであるはずの「節約」は
時として人の心を支配し
そこから一歩も出られないようにがんじがらめにしてしまう
それが悪い事なら気づきもするが
良い事となればいくらでもエスカレートするところが恐ろしい

”不潔なものや不正なことを極度に嫌う性質”
”限りのない善を追及する姿”を「潔癖」と呼ぶ
自分で決めた正しさのルールから絶対に出ないように
自らを律していくのは
ちょうど良い(気持ちよい)範囲であるまでは良いとしても
行き過ぎて修行になると、これはもう「潔癖症」であり
自分も周りも辛い事になってしまう

義務教育期間中は学校で徹底して平等や平和を教え込まれた世代の娘も
今や
オーディションを受ければ友人とも競うことになり
受ける試験のレベルも各々違うなど
世の中は決して、お手手つないで仲良しこよし〜ではなく
それぞれが自分の持っている資質をどう伸ばしていくかが重要なのだと分かっている
そこにはもちろん助け合いや励ましあいもあるけれど
最後は本人が立ち上がらなくては前へ進めないのが現実だ


(2012.8.14)



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