血液型信仰者と初めて知り合ったのは、僕が大学生の頃。彼いわく、AB型がもっとも優秀な血液型なんだって。
もちろん彼はAB型でもっとも優秀。で、その次がB型。その次がA型だったか、O型だったか。
おい、勝手にボクを無能にしないでくれよって思った。
ちなみにボクはO型で、ボクはボクでそういうことに反応する学生だったんだ。
一緒に本屋に立ち寄ると、彼はいつも血液型の本を読みあさり、そしてAB型を褒めるページをみつけると、「ほらね、AB型ってすごいでしょ。」って、ボクに見せてくれた。
最初の頃、血液型で人を判断したらいけないよって、ボクはむきになっていた。ABO式血液型っていうのは糖鎖の配列パターンであって、性格形成とは無関係なんだとか、血液型性格判断なんてフリーサイズのTシャツのごとく誰にでも当てはまるもんなんだとか、僅かな知識をもって、彼の偏見を否定した。
だけど無駄だった。人は反対されればされるほど頑なになるもんだし、そしてボクはボクで、人の信じることをやみくもに否定するのも、大人気ないなって思うようになっていった。
その後、ボクは何人もの血液型信仰者と知り合った。同じ血液型同士で妙な連帯意識をもっている人たち、何型は何型に強いって力関係に不思議な理論をもっている人たち、いろんなタイプの人がいた。
人を分類する方法なんていくらでもある。
仮に血液型で人を判断するなら、それによる性格判断を信じる人と信じない人、それから、そもそもそれに無関心な人の3パターンくらいかな。でも、それはそれで、血液型に関する独自のモノサシなんだろうなとは思うけど。
人を分類するやり方はもちろん血液型に限ったことではなく、ボクを含めて、人間って昔から他人をカテゴライズしたがる生き物なんだなと、しばしば思う。
第一次世界大戦で活躍したドイツの軍人ゼークトは、「怠け者」か「働き者」か、「有能」か「無能」かだけで、軍人を4分類した。
そして、有能な怠け者は司令官に、有能な働き者は参謀に、それから、無能な怠け者を連絡将校に、無能な働き者は処刑するしかあるまいとした。
ボクたちが人をカテゴライズしたがるのは、そのほうが仕事を有利に進められたり、自身を守ることにつながるからなんだろうと思う。
とあるボクの昔の上司は、人間を「酒飲み」と「そうでない人」に分類した。そして、「酒を飲まんやつは信用できん。」って豪語していた。かなり理不尽だが、そう信じていたんだから仕方がない。
とは言え、「酒を飲むボク」が同じく「酒を飲むその人」を信用していなかったのだから、彼のモノサシも汎用性はなく、やっぱりモノサシ的にマスターベーションだったのだろう。
そういうことってきっと多い。
サルにマスターベーションを覚えさせたら死ぬまで射精し続けるって言うけど、人間が身に着けた、モノサシ的なマスターベーションもある意味同じようなものだと思う。
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