不自然な静けさについて


 あれは台湾だったろうか。香港だったかな。忘れた。

 電車で移動している最中、となりに座っていたお姉さんが、携帯でおしゃべりをしていた。すごく元気な声だった。

 携帯でしゃべっていたのは、そのお姉さんだけじゃなくて、斜め前に座っていたオバサンもそうだし、後ろに座っていたお兄さんもそうだった。
 なんかボクはそこに当たり前の活気を感じた。
 当たり前の活気をすごく魅力的に感じた。

 そこの空間で、「車内での携帯電話のご利用はご遠慮ください。」っていうルールがあったのかどうかは知らない。
 だけど、日本では、そういうルールがあって、そういうマナーがあって、大概の人が守っている。

 でも、決して電車は図書館ではないし、映画館でもない。みんなが普通に生活する場所だ。だったら当たり前の会話があって、当たり前の雑音があってしかるべきだと思う。

 そりゃ、車内でトランペットの練習をするやつがもしいたら怒ったらいい。大声で延々と長電話する女子高生がいたら注意したらいい。だけど、必要以上の静けさを求めるのはどうかと思う。

 ナンセンスなルールが、なんだか当たり前に作られて、そして当たり前に守られたりする。
 不思議なことにナンセンスなルールでも、守らなかったら冷たい目で見られる。

 ルールやマナーもやはりハイセンスでナチュラルなものであるべきだと思うのだけど。

 なんだか不自然な静けさは体にとても悪い気がする。

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