2002年 山口100萩往還マラニック250km完踏記

スタート・ゴール地点を時計回りに走ります

 

この大会のことを知ったのは4年くらい前になります。
中年太りが始まってきたので以前から興味のあったマラソンでも始めようかとシティランナー誌(現在休刊中)を買った時に、大会報告のコーナーに出ていたのを見たのが最初です。
初心者の自分にとってはフルマラソンを最大目標にしようかという時に、ウルトラはもちろん250kmなんて距離は想像を絶するものでした。
しかしその後、フルマラソンを1年目で完走、翌年100kmも完走して3年目での参加となりました。
初参加の時は走力不足はもちろん作戦不足もあって川尻岬で関門アウトを確信してリタイヤ。
この時の反省を活かして準備したうえに走力も充分に上げて臨んだ翌年は、沢山の方から「完走確実」とありがたい太鼓判を押してもらったが、不運にも1週間前に風邪を引いてしまった影響を引きづって92kmでリタイヤ。前年よりも少ない走行距離に強いショックを受けてしまう。
その時のショックが影響してかスランプになり、出る大会全てに不本意な結果が続いてしまうが、萩の申込みが始まった9月頃から調子が戻ってくる。
それからの半年間は強いランナーになることを念頭において練習してきた(この3年間の記録はまた後日まとめてアップします)。
以前からもそうでしたが、私の練習は月間走行距離を重視したトレーニングをしていて、それまで400〜500kmくらいだった距離が12月以降は500後半〜740kmまで延ばす事が出来た。
その成果の確認をする為にまず1月に宮古島100kmを2日続けて参加した(遠足+ワイドー)。しかしただ走るだけでは練習にならないということで、1日目の遠足は9時間弱(自己ベスト1時間短縮)で走って重いダメージを背負ったまま、2日目のワイドーを完走するというもの。結果は遠足は中間点で潰れて11時間弱。潰れたお陰かワイドーでは予想以上のダメージで走れたものの65kmリタイヤだった(しかし重いダメージでも距離を稼ぐ走法が身についたので後から考えると大変大きな収穫だった)。
超距離走法が身についたお陰で大村湾一周マラニック156km、済州島200kmをトップでゴールする事が出来、また4月にも琵琶湖一周マラニックを一部ショートカットながら完走出来た。
今回はトラブル無く走れれば35時間は切る自信はあったが、このハードで特殊な大会は何が起こるか分からないので、完踏狙いで走りチャンスがあれば虎ヶ崎以降で順位を狙う事にする。


前日
今回も前泊する。スタートは夕方からなので、当日は昼間まで寝貯めしておいた方が有利なのに意外と当日入りする人が多いのはなぜ?
部屋は数人で雑魚寝スタイルだが、同部屋には偶然にも2連覇中の森下さんや7連続完踏中のクニさん、大ベテランの雲峰さんがいて何とも縁起が良い。
街ぶらしながら帰ってくるとクニさんがこれからセミナーを開く所だった。今回は森下さんも講師をしていたそうだが聞くことが出来ず残念だった。


説明会会場の武道館にてUMMLのメンバーと


スタート
今回も最終ウェーブ4番目。他の人達がスタートしている間、五重塔を見ながら「必ず帰ってくるぞ」と完踏を誓う。
中村さんは第二ウェーブ、武内さん、岡村さんは第三ウェーブ、INAIさんは姿が見えなかった。

スタートしてしばらくは団子状態。今のうちからあせっていても仕方ないので、のんびり行ってると横を森下さんが飛び出していった。去年は30時間台だったから今年は当然夢の30時間切りを狙っているのだろう。荷物もメチャ軽そう。でもいきなりそんなペースで大丈夫?
上郷駅まではいつものように控えめに走る積もりだったが、緊張しているせいかいつもよりもペースが速い。抑えようと思っても変わらないので無理やりペースを下げている状態だった(でも実際はいつものペースで走ってました。緊張感で体感スピードが鈍っていた?

上郷駅(13.4km)
上郷に着くと武内さん、クニさんがいた。エードでオレンジとスポドリを補給。
地下道をくぐると中村さんに追いつく。練習不足とのことでやっぱり調子悪そう。
すっかり暗くなってきてたので、ヘッドライトを装着。
ここから油谷湾までは真っ暗で坂が多い道が続く為、苦手にしているポイント。この辺をいかにダメージなく走り抜けるかが後半に活きてくる。
しばらく走るとINAIさんに追いつく。結構飛ばしているようですが、さすが去年140kmを完踏されているだけのことはありますね。走ってる時はいつものINAI節が聞こえないのは残念。
調子が悪く無いこともありましたが、さすが3度目ともあって単調なコースでも難なく走れた。

西寺交差点(43.9km)5月 2日(木)23時14分 5時間5分

西寺交差点のエードにて(私の左にいるのが鮎川さんです)。この和やかな雰囲気が毎年楽しみです。


スタッフの鮎川さんに1年ぶりに再会。鮎川さんには一昨年ランナーズに私のリタイヤ記が載って以来、エールを戴いている。今年こそ完踏したい。
キロ6分ちょっとで走ってる積もりだったが後から確認すると結構遅れているようだった(今回も時計をしないで走ったので、ここから記載されている時間は携帯から掲示板に書き込まれた時刻やメール・電話でやりとりしたやつを参考にしました(事務局から発表される通過時刻はまた後日追加します))。
ここに3連ちゃんの岡村さんが先着していたのには驚いた。
ヘッドライトのゴムバンドがきついので最大限に緩めようとしたらフックから外れて付け直すのに時間をとられる。岡村さんと併走したかったが残念。

豊田湖(57.4km)5月 3日(金)00時43分着 6時間34分
去年まではここに着いた頃は食欲がなくて、去年なんかは炭酸ジュースで無理矢理オニギリを流し込んでいましたが、今年はこれまで食べるものに気を付けていたせいか美味しく食べられた。
脚が固まるのがイヤなので行儀悪く立ったまま食べる。
天気予報は降水確率80%との事だったが、結局降らずに蒸し暑い夜となった。

俵山温泉(66.0km)
又ズレ防止にワセリンを塗る。いつもはスタート前に塗っているのに、緊張感からかずっと忘れていた。
この先の砂利ヶ峠は傾斜がきつくこれまで苦しんでいたが、今年は難なくいけた。

大坊ダム(75.8km)5月 3日(金)03時03分 8時間54分
味噌汁を食べていると「鯖街道でお会いしましたね」と広島の中村さんというスタッフの女性から声を掛けられた。あんなべっぴんさん忘れたりしないんですが…、ホントごめんなさい。その後も各所でお会いする。
去年はこの先の新大坊交差点を過ぎたあたりで突然右足かかとが痛みだして走れなくなりリタイヤの要因となったので、今回は痛みが出ないように祈りながら走る。
交差点を過ぎると消防署から救急車が出発するとこだった。俵島方面へ右折していったが、ランナーの事故で大会が中止にならなければ良いと考えるのは自己中心的でしょうか。
ここから農協までは左手に海が見える景色の良い場所なんですが、なぜか単調に感じて毎年辛いんですが今年は順調にいけてる分、半分くらいの距離に感じた。

小田・海湧食堂(86.2km) 5月 3日(金)04時13分着 10時間04分
名物のおかゆを選択。ここでも行儀悪く立ったまま食べる。
去年のようにかかと痛が無かったのでひと安心する。
食べ終わって食堂を出てもまだ外は真っ暗だった(ちなみに去年は雨が降る中、走れず凍えながら歩いてたので、泣きながらの出発でした)。
農協を過ぎた頃に野良犬が1匹後ろから吠えてきた。無視していたが段々と鳴き声が増えてきて5匹くらいになって追っている。大声で怒鳴ってやったら諦めてくれたが、その直後にトップの森下さんが折り返してきた。彼は大丈夫だったのか?その差10km強といった所か。
夜が明けてきたのはこの辺でした。
折り返しまでに擦れ違った人は10名前後といったところ。

俵島(97.3km)
ここに来るまでのアップダウンはホントにきつい。いつまで続くのか、もう無駄な悪あがきはやめて歩き通そうかと思わせるポイントです。
今回で一番リタイヤを意識した所でした。
復路も当然きつい坂の連続です (^^;
農協を過ぎて数キロ走ると一昨年リタイヤしたポイントを通過。これからはこのコース最長距離になります。

川尻岬(107.2km) 5月 3日(金)06時48分着 12時間39分
名物のカレーを注文。今回は各食事ポイントでは控えめに食べて内臓の負担を減らす積もりだったが、みなさんの対応が温かくて残すのが申し訳なく思い結局全てたいらげてしまった。
この先の下り坂がきついとのことを聞いていたので、ペースを落として対応するが、「きつい」というのは傾斜だけじゃなかったんですね。「いつまでたっても終わらない」「きつい傾斜」の下り坂。他にもっと楽なルートあるんちゃうん?私ら250kmも走らなあかんのになんでこんなコースばかり走らせるんかなぁ… (^^;;;
下る前より明らかに脚のダメージが重くなったなと思う頃にようやく下り坂が終わり。下り坂は結構好きな方なんですが、もうごちそうさんです。
漁港の横を抜けて喫茶店「シーブリーズ」へ到着。

シーブリーズ(112.8km) 5月 3日(金)07時45分頃? 13時間36分?
窓から見える海の景色が見事。なぜ喫茶店をポイントに選んだかは、きっとこの景色を見せたかったんだろうなと主催者・小野さんの心意気が嬉しくなる。
8時以前に着くと開いてないという話だったが、横のTVを見ると7時45分(だったか…。正確な時間は忘れました)。店主に聞いてみるとここ数年は6時からやってるとのことでした。
今頃の時間帯は去年は50人くらい通ったけど今年は少ないなぁと漏らしてました。みんな夜間の蒸し暑さにやられたか。
コーヒーはさっき飲んだので紅茶を注文。お代わりOKとのことで、アップルジュースも戴く。
携帯で掲示板に書込みしようと思ったがドコモじゃないと通じないとのこと。結局電波が届いたのは千畳敷頂上に上がってからでした。

立石観音
チェックのマジックは建物の近くにあるとの事だったが、建物の陰になってて近くまで行かないと分からない所にあった。立石を登って探す人もいるというが分かる気がする。
ここからはコース中で1、2を争う難所の千畳敷への上り坂。
しかし心の準備が出来ていたせいか思った程ではなかった。

千畳敷(124.6km) 5月 3日(金)09時20分 15時間11分
以前参加したランナーで千畳敷の頂上から「小野幹夫のバカヤロ〜!こんな坂道をコースに入れやがって〜!」と叫んでいた方がいたそうな (^^;
頂上に着いた頃にようやく携帯のアンテナが復活。
頂上でチェックのパンチを押して下の自販機でジュース休憩してる頃に西本さんからイタ電。順調に走れている事に驚いていた。
長いこと上ったぶん下りで楽させてもらおうと思ってたが意外にあっさり終わってがっかり。

西坂本エード(128.6km)  5月 3日(金)09時45分着 15時間36分
川尻岬以降誰にも会えなかったが久しぶりにランナーにお会いするも何と谷川さんだった。
近眼なので折り返しの時も確認してなかったが、途中森下さんと併走してトップを走ってたらしい。
ここはカップ麺が食べられるエードなので、食べた事がないどん兵の肉うどんを選ぶ。
食事しながら谷川さんとウルトラ談義を楽しむ。
食べ終わって出発しようかという頃、ボランティアの女の子達が歌いながらエールを送ってくれて感激する。
しばらく谷川さんとお話ししながら走っていたが、長門市が近付く頃に谷川さんが自販機休憩したのでお先に失礼する。
もうすぐ仙崎という所で、深川さん、西村さんと一緒になる。

仙崎T字路・往路(142.3km) 5月 3日(金)11時27分着 17時間18分
ここではカルピスと一口ゼリーを補給。
一緒に休んだ西村さんから「一番快調に走れてますよ、凄いですね」と誉めてもらう(嬉しい (*^_^*)
スパルタスロンを何度も完走されている方から言われて夢みたいでした。
後着した深川さんもスパルタスロン完走者(なんか凄いとこにいるなぁ (^^;  深川さんのTシャツの胸のあたりが血で真っ赤になってたので、擦れ防止テープをあげると喜んでくれた。
ここから鯨墓までの折り返しにはアップダウンがあると聞いていたがきつかった。
風もきつくて海からの波しぶきが道路まできていて車道はびしょぬれだった。
静ヶ浦キャンプ場手前でトップグループと擦れ違う。その差10kmほどだった。余裕を持って走れているので後半勝負になったら面白いかもと期待して走る。

静ヶ浦キャンプ場(148.6km)
仙崎でいろいろ食べてきたので復路に寄る積もりだったが、道路表示が左に曲がっていたので素直に従うとキャンプ場になった(コースはそのまま真っ直ぐだったみたい)。
お腹はすいてなかったので、食券は缶コーヒーに変わった。
通過者名簿を見ると4番目だったので他の人は復路に寄る積もりなのかと思ったが、鯨墓までに擦れ違ったのは一人だけだった。

鯨墓(152.8km) 5月 3日(金)12時41分着 18時間32分
あと残り100km弱。1月に宮古島で連続100kmをやった時の2日目スタート時より、脚の状態は良いので完踏出来そう。順位争いするなら虎ヶ崎あたりから、と決めていたのでその時まで持ってくれれば良いが。
仙崎まで同じコースを帰るので、きつい傾斜は当然変わらず(でも往路よりきつく感じるのはなぜ?)。

仙崎T字路・復路(163.3km) 5月 3日(金)13時59分着 19時間50分
エードを出てすぐに雨が降り始めて本降りになった。
西本さんからイタ電が来て、ここから宗頭までの12kmは長くて単調な道だよと言われるが、坂道はさっきの往復で満腹になるくらい楽しませてもらったので、単調な道が嬉しかった。
雨はひどくなる一方で雷まで出て来た。軽い雨なら耐えられるW/Bを着て走ったが、着ている意味がないくらいに染みこんできた。

宗頭文化センター(174.9km) 5月 3日(金)15時33分着 21時間24分
隣のお店でカップラーメンを購入して中へ入る。
中へ入ると柳さんがボランティアをされていた。連続完踏を目指されていたが、残念な結果になったようだ。
その柳さんから悪天候の為、中止するかもしれないので一旦待機して欲しいとのこと。
あと残り75km、完踏の手応えは充分につかめているので、万が一中止になっても良いかなと開き直れるのは自信がついた証拠か。
中へ入ると森下さん以外の先着していた方が休んでいた。どうやらここで止めるらしい。
その後、柳詰さんや西村さんも到着。
天候が回復するまでしばらく掛かるだろうなと思いながら、さきほど買ってきたものを食べているとマッちゃんから電話。
状況を説明すると大笑いしていた。去年・今年と天候に恵まれない私の不運がおかしいらしい
(ぐ、ぐやじい・・・ (>_<)
少し身体も冷えてきたので入る予定になかった風呂に入ってのんびりする。
身体もこすらずテーピングしたまま入ると汚くなってしまった(後着のみなさん、ごめんなさい)。
ぬるいお風呂に入ってしまったのを少し後悔して広間に戻るとレース再開のお知らせ。一旦再開するが雷が再度起きたら強制回収するとのこと。
西村さんは夜の往還道を走りたいと張り切って再スタート。私も着替え・歯磨き、軽い仮眠をとってから再スタートする(この時点で3位に上がりました v(^^) たなぼた式のものでしたが←後日調べたら入浴中に谷川さんも先発されてたみたいです)
まだ土砂降りだろうと思い、ゴアテックスの下にビニール袋まで着て防寒対策までしましたが、一旦外へ出てみると雨はやんでいた。
出発時間:5月 3日(金)16時55分 22時間46分 ロスタイム:1時間22分


この先の交差点をどちらに曲がるべきか分からずガソリンスタンドの店員に聞いてみる。この辺は事前にmapfanでもルートを確認していたが、結局迷ってしまった。
藤井酒店の曲がり角をきちんと左折。三見駅からのアップダウンがきついと聞いていたけど、ここからの上りもたいしたもの。ここで最初のミス。三見への分岐はずっと先なのに坂を上りきった所が分岐と思い左折してしまった。幸い数百メートルで地元のドライバーに教えてもらったが(逆方向を走ってました (^^;
引き返して左折ポイントを探すも数キロ行ってもそれらしいところが無いので、また引き返して見落としが無いか探すが見つからない。下りきって見に行くのも良いが違ってた時の心理的なショックが大きいのは目に見えている。しかたがないのでこの道へ入って来たポイントへ引き返して次のランナー教えてもらう。やはりずっと下りきった所に左折ポイントがあるらしい。自分の距離感覚も相当鈍っているようだ。
迷子になっているうちにエネルギーが切れてきたようなので、自販機にコーンスープかぜんざいの缶が無いか探すが季節的外れのせいか売ってないので三見駅のエードを期待する。
三見への左折ポイントを見つけて三見駅へ向かっている間に暗くなってきた。
三見駅手前に新道が出来てたみたいでmapfanで見たのと違う方向に三見駅への案内があるが、そちらには行かず地図の通り進む。

三見駅(187.1km)
クニさんの完踏記によると確かエードが設営されている筈だが…、まだ通過時間が早いのか設営されてなかった(実際は去年から廃止されていたらしい)。
この先2つ目の踏み切りを渡るとあったので、線路沿いの小道を走るが走るべき道が違っていたようで、線路廻りの道をいったりきたりして、数キロ走った所で規定のコースに復帰。
しかしこの辺でエネルギーが完全に切れたので走れなくなる。自販機のジュースでごまかそうにも自販機すらなかった。
フラフラしてどうしようもなくなり、民家を訪ねて食べ物を売ってもらうべきか、そんなことをして小野さんに迷惑が掛からないか迷っていると、庭先で飲み会を開いている人達がいた。
一見怖そうな人達だったが(トラックの運ちゃんの集まりらしい)、事情を説明すると肉うどんを分けてくれた。
お土産にチョコレートまで戴いて、涙が出るような気持ちだった。外見で判断して申し訳ないことをしました。
歩いていたからなのかもしれないが、この辺のアップダウンはたいしたことなかった。
エネルギーも回復するとあっけなく玉江駅に到着。

玉江駅(193.9km)
ここにエードがあったのは知らなかったので嬉しかった。通過者の時間を見るとどうやら森下さんはエード開設前に通過したらしい。
地図を見るとここから先は左手に海を見ながら走るコースのようだったので、もう迷う事は無いだろうと安心する。
しばらく走ると左折の表示があった。この辺は真っ直ぐ行くべきでは?と思っていたが、自分の距離感覚が鈍っていたこともあり、素直に左折することにする。
しかし焼き物体験教室?の建物で行き止まりとなる。左に海を見ながら走るコースなので、小道を左折して海沿いの道へたどりついて、そのまま走るとまた行き止まり。しかも対岸がすぐ近くに見えるのはおかしいので、引き返して通りすがりの人に道を聞くと萩城跡の周りを走ってたらしい。
先ほどの左折表示は他のイベントで使ったやつの消し忘れなのか。他のランナーも間違えなければ良いが(実際は70kmコースのランナー用の表示らしい(右側の歩道にはその旨書いてあったらしいが、左側は矢印のみだった)。
またまたミスコースをやらかしたので気持ちも切れかけていた。萩焼き会館を超えてコンビニに入る。気持ちだけでなくエネルギーがまた切れ掛けていたが食欲がない。
再スタートするも全く走れないようになっていて眠気が急加速。どうしようもなくなり、事務所らしい建物の軒先で仮眠を取る。
仮眠を終えて笠山目指すもコンビニでの補給が不充分だったせいか走れずほぼ歩き通した。

笠山(204.4km)
笠山までの上りがまたきつい。走れればたいしたことない上り坂だったが、延々と続く坂を歩きしか出来ずに精神的に追い込まれてしまう。
虎ヶ崎までの道も結局歩き通した。

虎ヶ崎食堂(207.1km) 5月 4日(土)00時45分着 30時間36分
延々と続く道のりに気持ちが切れそうな頃にようやく到着。もう順位なんてどうでも良くなっていて、完踏だけが目標になっていた。
温かい笑顔でおばちゃん達が出迎えてくれるのが嬉しかった。
応援してくれる方達に申し訳ないが、携帯の電池がやばくなってきたので電源を切らせてもらう。
美味しいウドンを食べた後、仮眠させてもらうことにする。
親切に「何分仮眠しますか?」と聞いてきたので悩んだ末「30分」と答えるが結局何度起こされても起きなかった(おばちゃん達には申し訳無いことをしました)。
朝まで眠ってても良いとさえ思ってましたが、1時間くらい?で目が覚めた。仮眠がバッチリ効いたので走って再スタート。暗いうちに往還道を走ることに目標を切替えて東光寺へ向かう。

東光寺(215.3km) 5月 4日(土)04時46分 34時間37分
最後のチェックポイント。ポイントごとに掲示板に書込みしてたので、これまでチェック忘れしないか気になっていたが全てチェック出来た。あとは往還道と通って帰るだけ。
萩駅方面の直線を走ってる頃に夜が明けた。夜中に走る往還道ってどんな感じなんだろう。次回へ持ち越しとなった。

往還道入口
往還道へ入ると140kmの部のトップランナーと擦れ違う(手を振ってあげるが無視された (^^; さすが先頭ランナーだね。
この辺は一昨年走ってるんで迷う事もないだろうし、いよいよだなぁと思ったとたん嬉し涙が出て来た。ゴールするまで泣かないぞと決めていたので、堪えようとするも時々気が緩んで泣けてきて、立ち止まらなければいけないくらい涙が出て来た。
有料道路入口にエードがあった筈だったが、まだ開設前だった。
山道に入ると急にペースが悪くなってきたのが目に見えて分かった。普段から楽なコースで練習してたらアカンね、やっぱ (^^;
明木市に近付いた頃に三見への分岐を教えてくれた新潟のランナーに追いつく。向こうは私が後ろを走ってたことにびっくりしていた。

明木市(226.4km) 5月 4日(土)06時30分頃 36時間21分
エードの手前で見たことある女性が立っている。かのんさんだった。NAMIさんやさけもっとさんも来ている。
みんなの為に遠くから応援に来てくれて感謝感激でした。
ここのエードも開設前だったが、飲み物は置いてあったらしい。

佐々並(235.6km)
今度のエードは開いていた。早いうちに通過したら名物の手作り豆腐が食べられないかなと心配していたが、食べられる時間帯に通過出来たのは喜ぶべきかどうか。
ここからは往還道最高地点までの上りできついポイントだけど、舗装道路を走れるので、きついのはキャンプ場付近の上りだけだった。
私設エードで隠れた名物の草餅を戴く。個人的にはこれが一番美味しかった。
先ほど抜いていった人が休憩してたので、順位を上げるチャンスとばかりにお先に失礼する。元気に走り去っていったら諦めてくれるかなと思ったが、山道で抜き返された (^^;
ここからさらに山道を2回上ったらあとは下るだけ。しかしこの下りが曲者でした。
雨で石畳が濡れているので怖くて走れない。さきほど抜いていったランナーは難なく下っていったのは余力の差なのか。

山道が終わり一の坂ダムを越えると残りはたったの2.1km。山の間から山口市街が見えている。
ここで久しぶりに携帯で時計を確認すると10時前だった。9分遅れのウェーブだったので余裕で40時間切れそうだったので急いで走る。

ゴール

完踏証の写真です。


瑠璃光寺への最後の上り坂。往還道で泣いた分、笑顔でゴール出来た。
39時間53分・7位…若干不満も残るが後半のトラブル続きのことを考えたら満足すべきかな。


長時間少ない仮眠時間でサポートしてくれたスタッフのみなさん、ボランティアのみなさん、ありがとうございました。
みなさんの温かくて素敵な笑顔のサポートは大変励みになりました。今後ともチャレンジャーの為に心のこもったサポートをよろしくお願いします。
萩往還250kmはおそらく寿命が1月は縮まるだろうなと思うコースですが(ちょっと大げさかも?)、近いうちにまた参加しようと思います。
次回の参加を楽しみにまた走り続けます。

それから道中私へ応援メールや電話を頂いたみなさん、大感謝です!!
初参加から3年、みなさんの応援が無ければ完踏まで何年掛かったか分かりません。本当にありがとうございました。

長文に付き合って頂いて、どうもありがとうございました。