人間椅子






人間椅子

かつてのオーディションTV番組「いかすバンド天国」(通称:いか天)からデビューした青森県出身のバンド。
現在のメンバー編成は、和嶋慎治(ギター,ボーカル)、鈴木研一(ベース,ボーカル)、後藤マスヒロ(ドラムス,ボーカル)の3人組である。
現代のHR/HM(注1)というジャンルの起源とも言えるブリティッシュ・ハードロックのサウンドと、日本の民謡のメロディーを融合させることによって、オリジナルの世界を創り上げている。具体的に言えば、ハードロックで多用されるマイナー・ペンタトニック・スケール(注2)と、彼らの郷里の音楽である津軽三味線の音階 が全く同じであり、それ故に、見事なまでのHM/HRと日本音楽の融合が可能になったと言えるのではないだろうか。
また、彼らは文学への理解が深く、江戸川乱歩などの作家に傾倒している。そこから生み出される日本語にこだわった歌詞には、世の中のありとあらゆる表面・表装を深くえぐり取り、本質を曝け出すに十分な鋭さが宿されている。



 以上、堅苦しくザッと解説してみましたが、じつは私自身、ファンになってそんなに日が長くないのです。それに、まだ聴いていないアルバムも数枚あります。まぁ、そんなに急いで聴くのも勿体ないですしね。
 初めて人間椅子の作品を聴いたとき、ハッキリ言って「なんじゃこの古そうなサウンドと、奇怪極まりない歌詞&歌唱は???」って思いました。(笑) でも、何回か聴いていくうちに、すっかりとその妖しい世界に魅せられてしまったんですよね。和嶋氏の掻きむしるかの様にアタックの強いギターの音、鈴木氏の抑制を知らない悪漢さながらのベース音、和嶋氏の狂言のような節回しのヴォーカル、鈴木氏の男気溢れる豪傑なヴォーカル・・・。みんな一癖も二癖もあって、中毒性をはらんでいたのでしょう。
 しかしばがら、「ちょっと変わっていて面白い」という理由だけで人間椅子を聴いていたならば、きっとすぐに飽きてしまっただろうと思います。やはり、彼らはしっかりとした演奏力を用いて、かつ、魂を込めながらサウンドを創りあげているのだという事を感覚的に理解しないと、人間椅子の魅力も半減してしまう事でしょう。そうは言っても、人間椅子は只ただ頑固に曲作りをしているという訳でもありません。ナンセンスで人を喰ったような曲を、サラリとやってのけたりもします。
 人間椅子の曲を歌詞の側面から分類してみると、大きく三つくらいに分かれるかと思います。まず第一は、怪奇小説風の曲で、妖怪や虫、または猟奇的な事件などを扱ったりします。二つ目は、時代劇風の曲で、サウンドに日本民謡を取り入れた人間椅子ならではの世界ですね。三つ目は、近・現代の我々の世界に潜む危うさ・悲劇・苦悩について詠われたもので、聴く者の心に黒い影をを落としてきます。
 この様に、かなり変わったバンドではありますが、少なくとも私にとっては、演歌以上に聴いていて日本人を意識させてくれる作品を提供してくれるバンドです。それに加えて、ここまで初期のHR/HMサウンドを創れるバンドは、世界的に見ても本当に希少でしょう。こういったメタルのルーツを強く意識しながらも新しいもの(メタルにとっては、歴史ある日本民謡・文学も新しいものに違いないのです!)を採り入れて創り上げられるサウンド、そう日本でなければ育たない音楽を、私は世界に対しても誇りたいと思います。







曲のレビューなど



桜の森の満開の下 (アルバム「人間失格」収録)

 人間椅子の作品の中で、私が一番好きなのはこれかもしれません。坂口安吾の短編に同名の作品があり、そこでは桜の華やかさよりも、むしろ、その美しさが醸造する虚空が人間を狂わせてしまうという、桜の恐さ、おぞましさについて書かれていますよね。この曲の歌詞も次のように始まります・・・

「桜のトンネル夜歩く旅人 ひたと止まって笑い叫び狂う」

やはりこの詩にも、我々がなるべく目を逸らしたくなるような狂気の世界が描かれています。
 楽曲の方も歌詞と同様にスロー・テンポでおどろおどろしく、鈴木氏の歌唱は鼻濁音をたくみに含んでいて荘厳とも言えるかもしれません。さらに、録音機材がよくない為か、濁ったような音質なんですけれど、幸か不幸か、不気味さを増幅させていていますね。(笑) この曲はギター・ソロも秀逸でして、ワウの効いたしぶ〜〜いプレイは、和嶋氏の天性のセンスを物語っていると思います。



太陽黒点(アルバム「桜の森の満開の下」収録)

 重厚なギターとベースの音色に、自分の頭が押え付けられているのかと錯覚するほどに重くて印象的なリフ(バック演奏)を持つ曲です。私が聴いた人間椅子の曲の中では、この曲が最もHeavyだと思います。これは単に私個人の感覚的な判断でして、絶対的な低音域の音圧と云うことでしたら、他にいくらでも上げられると思います。例えば、同じアルバムに収録されている「憂鬱時代」などは、常時、耳を圧迫せんばかりのベース音です。
 では何故にこの曲がヘヴィに感じるかというと、理由は色々あると思います。リフのアレンジが上手いというのもありますし、ギターとベースの音質的・音量的バランスというのも絶妙なんでしょうね。とくに、和嶋氏のギター音は“爛熟した”という言葉がピッタリのワウ・サウンドでして、 そうですね気持ちの悪い表現ですが、まるで腫上がった肉体のような音です。また、その音でゴツゴツと刻むように演奏されているさまは、骨がぶつかりあって共鳴しているようなイメージです。詰まるところ、非常に有機的なサウンド(私自身は“肉々しいサウンド”と呼んでいるのですが)という印象です。
 この歌詞もまた、歌い出しに強烈なインパクトを持っています。

「眠れぬ夜の押入れには 腹話術師の人形潜んでるという」

寝つきの悪い夜に、ふとこの一文が頭に浮かぶことがあります。たしかに、壁の裏に何か居そうですよね。



怪人二十面相(アルバム「怪人二十面相」収録)

 鈴木氏がメイン・ヴォーカルを担当する曲です。エネルギッシュで少々キャッチなミドル・テンポのパートと、人間椅子らしい怪しさを放つスロー・テンポのパートを織り交ぜて構成されているので、凝った作りの楽曲になっています。この曲はアルバムのオープニングで、しかもタイトルチューンだと云う事を考慮すると、上述の「キャッチだけれど人間椅子らしい」という相反する要素のバランスとりが見事に成功していると云えるでしょう。
 この作品で特にお気に入りの部分はBメロで、メンバーの3人が交互にデス・メタル調の声で叩き付けるかのように唄われていて、爽快感さえ覚えます。さらに、和嶋氏のボトルネック(注3)を使った滑らかなソロも、変幻自在の怪人のイメージに重なりますね。これも名プレイのひとつではないかと思います。
 じつは、この曲はプロモーション・ビデオにもなっているので、そちらのほうの感想も書きたいと思います。初めて見る人間椅子のビデオだったので、大変、楽しみにしていたのですが、期待を裏切らない妖しいデキでした。(笑) 白粉を塗った鈴木氏はとても妖怪的でインパクト度が激高でしたわ・・・。
 ほとんどの画像が白黒で、昔の映画の映写機風にノイズを入れるという凝りよう。演奏シーンと、メンバーが出演している劇が平行して編集されていて、曲の雰囲気が分かり易く醸し出されています。ストーリーは鈴木氏が扮する怪人二十面相を、探偵役の和嶋氏と後藤氏が追い詰めていくといった感じです。でも、人間椅子のプレイをめったに目にできない私としましては、ストーリーよりも演奏シーンをじっくり見たかったんですけれどねぇ。



幽霊列車(アルバム「二十世紀葬送曲」収録)

 こちらもアルバムのトップ・バッターの曲になります。導入部はスロー・テンポ、メイン部はミドル・テンポ、エンディングはややアップ・テンポという構成。導入部は極めてシンプルですけれど、凄まじいエネルギーが発散されていて圧倒されます。(朝の目覚めの曲に最適ですね・・・ちと心臓に悪いですけれど) そして、エンディングでは素晴らしいベースの演奏が聞けます。具体的に表現すると、列車の「ガタンゴトン」の響きを見事にベースラインへ取り込んでいて、爆走する列車の怖ろしさが伝わってくるのです。(←これは本当にマーベラスです!)
 この他にも、ギターで遮断機の音を思わせるようなハーモニーを使われていて、列車のイメージが膨らみます。曲全体に共通して云えるのは、リズムが実に単調に刻み込まれていること。これもまた、列車の走る様を意識した為かと思われます。
 作詞・作曲・歌唱いずれも和嶋氏の作品にです。歌詞はタイトルそのままに、死者を現世から黄泉の国へと運ぶ列車を描いています。黄泉の国のどことなく終局的で、滑稽で、物懐かしくも暗澹たる様子が伝わってくる内容です。また、和嶋氏の粘度のある歌唱は、よくこの詩に合っているんですよね。
 結局、この曲を総じて批評するならば、作品の構成要素のすべてが、「幽霊列車」というテーマの下に整然と統制されている曲だと言えるでしょう。そのぶん、分かりやすく愛着のもてる作品なので、人間椅子をご存知ない方にもオススメです。実際、私の兄は人間椅子ファンではありませんが、何故かこの曲だけは異常な程に気に入っています。(笑)

「幽霊列車がもうすぐ 誰そ彼(たそがれ)の駅に着くから
 懐かしの人を尋ねに行こうよ・・・・・」


血塗られたひな祭り(アルバム「頽廃芸術展」収録)

 あの童謡の「たのしいひなまつり」を、人間椅子風に妖しくアレンジしたかのような作品です。インパクト度273%で、思わず厭らしい笑いに口が歪んできてしまうような曲・・。尤も、最初に聞いたときは抱腹絶倒でしたけれどね。
 人形というのは、良い意味に於いてもそうでない場合でも、実に人間の空想を掻き立てるオブジェクトである事には間違いないでしょう。ですから、人間の目の届かない所で、どんなに人間臭い生活を営んでいるのだろうと思いを馳せる事もしばしばあります。同様に、雛人形についてに考えるとき、あの様に閉鎖的な人形関係では僅かなズレが大惨事へと繋がってしまうのでは、と危惧を抱く方もいらっしゃるでしょう。このように、雅やかな人形たちの裏の姿に、暗黒のスポットライトを当てたのがこの曲なのだと思います。
 常識的に考えたら、こんな空想はおかしさを喚起させるものではなく、むしろ嫌悪の念を抱かせるものの様に感じるのですが、冒頭で私は抱腹絶倒の曲だと書いてしまいました。やはり、これはブラックユーモアの一つなのでしょう。現実に発生したらおぞましい事件でも、仮想だという前提があれば、そこにおかしさを見出すと云うとても不思議な人間の情操です。あるいは、恐怖と滑稽という一見対照的な感情は、どこかに密接な繋がりを持っているのかも知れません。こういったブラックユーモアたっぷりの曲を演奏するのも、人間椅子の特色だと思います。
 さて、歌詞にも増して滑稽を醸し出しているのが鈴木氏の歌唱です。息を張りながら浪曲風のだみ声にて唄う様子は、それだけでもおかしいものです。特に、サビの輪唱っぽいところはかなりHeavy級です。(笑) ただ、それはわざとらしいものではなく、真面目なのか戯れているのか分からないという点が重要で、それが滑稽の源泉になっているのでしょうね。さらに、曲中に何度か出てくる狂気じみた笑い声も、この曲に欠かせないアクセントだと思います。
 和嶋氏のソロはもちろん日本的なんですけれど、より具体的に表現するなら、雅楽的な趣があるように感じられます。

「灯りつけましょ ぼんぼりに呪われた火を
 花をあげましょ 桃の花に恨みを込めて
 お内裏さまの目は血走りひきつり上がる
 五人囃子の笛妖しく太鼓は乱れ
 三人官女は不吉な予感に恐れおののく

 今日は楽しいひな祭り
 二人並んで嫌な顔
 今日は楽しいひな祭り
 二人憎んで歪み顔」

(2番の歌詞はもっと壊れてしまっています。)



蛮カラ一代記(アルバム「無限の住人」収録)

 こちらのアルバムは、講談社「月刊アフタヌーン」に連載されていた沙村広明氏の漫画「無限の住人」をテーマとして作られた曲を集めたものです。一般的にはイメージ・アルバムと呼ばれるでしょうか。沙村氏は人間椅子の熱烈なファンで、氏のたっての希望によりこのアルバムが実現したそうです。
 他のアルバムには無い、変わった経歴を持つアルバムですが、原作が剣客モノのお話なため、ジャパニーズ・テイストに溢れる曲で統一されていて、私自身、とても気に入っている一枚です。
 収録されている曲は、どれを取り上げてみても、それぞれに灰汁が強くて印象的なのですが、この「蛮カラ一代記」も異彩を放つ作品の一つです。タイトルが示すとおり、不器用な生き方に徹する硬派な人間を詠った曲。作品全体に「不器用な空気」が漂っていて滑稽にも思えるのですが、あまりにも極めてしまっているため、逆に格好良く思えてしまうから不思議です。融通が利かなさそうな印象を与えるスローテンポの演奏に、野蛮な語り口調を意識したような鈴木氏の歌が載り、どこか倦怠な世界が創作されています。珍しく和嶋氏のハーモニカもアレンジに加えられていますが、こちらも気怠そう。
 それらがエンディングでは一変して、鈴木氏の「ソレ!!!」の掛け声ひとつにより、気合い一発のアップテンポに変貌します。ここで聞ける和嶋氏のソロが素晴らしい。焦燥に駆り立てられているかのように掻きむしるギター・サウンドは、まさに津軽三味線ギターと呼ぶに相応しいでしょう。
 あと、この曲で感心するのはドラミングです。タムの使い分けにセンスが光っています。このアルバムでは現メンバーの後藤氏ではなく、土屋巌氏という方がドラムを担当されているのですが、この方のドラミングは定石を踏襲しつつも、非常に存在感あるリズムを刻んでいて、私は好きです。
酒は盃実は器
色をめかすが習いとも
胸に刻みし志
ぐっと我慢の男振り
サテ






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