<少年時代の若山牧水>
今回は明治年間に少年時代を送った若山牧水の当時の投稿作品を紹介しよう。
当時牧水は本名の繁のほか雨山、白雨などの号を用い、時に和歌山雨山(誤植でなければ)も名乗っていた
ようである。
「秀才文壇」創刊二号(明治三十四年十一月)和歌懸賞欄に
「家にいます母の寝醒めや如何あらんあかつき寒き秋風の聲」ー初句原作・家にをはすーの歌が雨山号で地位
に入賞。牧水十六歳の秋であった。創刊三号には
「座敷まで落葉舞ひ込む山家かな」(雨山)の句が入選。明けて三十五年第一号では
「深山なる賤の伏屋も新玉の年にはもれず梅咲きにけり」(和歌山雨山)
「咲きそむる其一枝に萬代の春をぞこむる新年の春」(同上)の二首と
「長旅や初夢に見る母の顔」(雨山)
「初夢や羽織り着て云ふ渡守」(同上)
「初夢や母にのみ告ぐ身のきまり」(同上)の三句が掲載されている。
この時期、牧水の母親に寄せる思いを詠んだ歌句が多い。親元を離れ日向延岡に寄宿していたこととは無縁
ではなかろう。
同年第二号、普通文欄に
「従弟の東都に遊学するを送る」と題し、牧水が文学的にも大きな影響をうけた七つ違いの従兄若山峻水が京
都の大学に進んだときに書かれたと思われる小文が載っている。同号には
「雁金を見送る僧の年若し鐘の音ひびく花の下かげ」(繁)ー下句原句・桜散るなりーが天位入賞し、(ちな
みに地位には相馬御風・当時十八歳が入賞、翌月号ではともに上位入賞者近影として写真掲載された)さらに
「友ありし昔は何とながめけむ花散る夕べ里川の岸」(繁)
「寝おくれて儲けの聲や時鳥」(雨山)がある。同年四月号では
「桜狩帰る片道月になりて水の上に散る花を見しかな」(雨山)
「桜狩り若き公達酒に酔ふて帯べる刀の腰重げなり」(繁)
「桜かげ緋袴はきて立たせ給ふ姫見えぬまで花吹雪する」(繁)の三首と
「崖万丈月細くしてほととぎす」(雨山)の句がある。第七号では
「待ちまちし春は来たりぬ桃咲き嗚呼わが病いつか癒ゆらむ」(雨山)
「落椿拾いて頬におしあつる若き比丘尼の眉美しき」(雨山)の二首
「中学世界」明治三十六年第三号(定期増刊号)には
「勝ち戦ほぎて酒もる陣のうちに桜ふきまく夕あらしかな」の歌がある。
牧水が上京し、早稲田大学に入ったのが三十七年であるが、この間「新聲」、「文庫」などにさかんに投稿
していたことが知られている。