<明治の雑誌・その消長 二>
前回は寿命の短かった雑誌をいくつか取り上げたが、今回は長寿の、明治時代に
創刊され今なお健在で発行され続けられている雑誌を眺めたいと思う。
明治二十年八月に反省會(西本願寺普通教校の学生有志が「禁酒進徳」を標榜し
て結成した)の同人誌として創刊された「反省會雑誌」がのち「反省雑誌」さらに
「中央公論」として現在にいたる最古の歴史をもっており、二十九年七月「新聲」を
創刊した佐藤義亮が曲折ののち三十五年五月「新潮」を創刊し、これも現在まで存続
しているなど、一世紀にわたる歴史を持つ雑誌も今後おおいに記憶されてよい。
その他明治四十一年十月創刊された「アララギ」、三十一年二月の「心の花」同年
四月創刊の「英語青年」などがいまにつづく長寿の雑誌である。
◎ 『中央公論』明治二十年八月〜
前身の「反省雑誌」は禁酒を軸とした仏教界総体の改良に赴き、護教的な評論誌へ展開したが、日清戦争後
は総合的な評論誌としての体裁を整え、さらに三十年以後は徳富粗蘇峰主宰「國民之友」に対抗してか、文芸
記事にも力を注ぐようになった。
創作欄では柳川春葉・徳田秋声・島崎藤村・泉鏡花・夏目漱石らが、詩歌では土井晩翠・岩野泡鳴・蒲原有
明・与謝野鉄幹、晶子らが活躍した。
三十二年一月「中央公論」と改題してからは総合雑誌としての色彩がより強まった。
日露戦争後、滝田哲太郎(樗蔭)の編集によって軌道にのり、誌面は主論文、説苑、創作の三段構えが確立
された。
三宅雪嶺、河上肇、池辺三山ら論客の主張と同時に、創作欄の拡充もめざましく、正宗白鳥、藤村、国木田
独歩、森鴎外、永井荷風、野上八重子、谷崎潤一郎らの活躍がみられるようになった。
◎ 『新潮』 明治三十五年五月〜
投書雑誌を脱皮して文壇の有力誌に育てあげた「新聲」を、創業者の佐藤橘香(義亮)が文壇照魔鏡事件や
新聲社の経営不振のため手放したのち、田口掬汀の励ましで創刊した。
その抱負として、日露戦争下の時局を反映しつつ新時代の新文芸誌たらんことを告げている。
創刊当時は「新聲」旧同人の掬汀、金子薫園、高須梅渓らも積極的に寄稿し、伊藤銀月、松居松葉らも好意
を寄せた。この時期の主な寄稿家は中里介山、平井晩村、柳川春葉、徳田秋声、真山青果、上田敏、永井荷風
小栗風葉、島村抱月、田山花袋、正宗白鳥らであった。
青果の<南小泉村>は自然主義風潮のなかで世評を呼び、また国木田独歩の死に際してわずか二十日間で関
係者四十二人の談話を集め「独歩追悼号」を発行し注目された。
その編集を独力で成し遂げたのが前年入社したばかりの中村武羅夫であった。