明治時代の文豪・文士の日記にあらわれた、元日風景あるいは雑感をまとめたらどんな具合になるだろうか
と考えた。
いま目にすることができる日記はかなり限定されるが、個人全集などに収録されたものを探してみたのが、
以下に列記したものである。
《明治二十年》
◎ 森 鴎外
明治二十年一月一日。午前零時加藤、岩佐、中濱の四氏と英骨董店Cafe l'Anglaisの舞踏会に在りて、「プ
ンシュ酒」Punschの盃を舉げ、新年を祝す。二時家に歸りて眠に就く。新年の祝詞には師父、軍医総監ロ
ッツベック及大尉カルルの家を巡りたり。横山子来り訪ふ。此の人は依然日本風なり
《明治二十五年》
◎ 北村 透谷
ふた葉三葉去歳を名残の柳かな
◎ 樋口 一葉
まつ人をしむ人喜ぶ人憂ふる人さまざまなるべき新玉のとし立返りぬ 天のとのあくる光りにことし明治
二十五といふとしの姿あきらかにみえ初て心さへにあらたまりたるもをかし 人よりはやくといそぎ起て
若水くみ上るもうれし
よべは雨いたくふりて風さへにすさまじかりしを名残なく晴渡りて大空の色のみどりあるにいかのぼりの
声のいさましきもつくばねののどかなる声もまじりて聞え渡れるなんとなくうれし きのふより気候とみ
にことなりて気味わろきまであたたけし 地震のこと心にかかればなれど埋火のもと遠くはなれて梅花の
風軒ばにゆるく吹く か斗(ばかり)の新年まだせしことなしとて人々よろこぶ いつも雪の様にみゆる
霜の今朝しも置たりといふ色だになければ
いか斗のどかに立しとしならむ
霜だにみえぬあさぼらけかな
とおもはれぬ 雑煮いわひとそくみなど例年の通りなり 化粧などしてさて書初めをなす 國子は日出山
をしたためたり おのれのは
くれ竹のおもふふしなく親も子も
のびたたんとしの始とも哉
など様のことをしたたむ 山下直一君久保木秀太郎年頭として来る 母君近隣に祝詞のべに参りたまふ
午後藤林房藏西村訓之助志川とくの三君参る 岩佐君門礼にて帰宅 夫より姉君田部井参る 小時にて帰
る 小宮山より年始状ながらおぶん一条のはがき着 喜多川君よりも年頭状来る 日没後國子は裁縫おの
れは書見をなす お宝とよぶ声今宵より聞ゆるもをかし 初夢といはんからに今宵みるこそ誠ならめどふ
るくより明日のものと成り居れるを進みゆくよのしるし夢取こしてみよとにやをかし ふしどに入しは十
二時斗なりけん 時計直しにやりてわからねどねやり
《明治二十六年》
◎ 樋口 一葉
廿六年の一月一日はいとのどかなる日かげにあらはれて門松のみどり千歳といはひて例の雑煮もたべ終わ
りぬ 昔しは元三のほど年頭客に勝手元の暇なく羽根つく間もあらずと恨みしが引かはりて更に来る人も
なし 母君近傍に年礼廻りをなし給へば彼方よりも老母内室など答礼はすべて女也けり 芦沢芦太郎早朝
より来る 陸軍にて賜はりし料理を持参す 一日遊びて三時ころ營中にかへりぬ 今日年始状とどきしは
野尻理作穴沢小三郎山下信忠様の人也 これより出せしは十五軒斗成き
◎ 正岡 子規
訪陸到芝邸到麻布邸、出社
元日に海老の死骸ぞめでたけれ