明治に遊ぶ    (第十五回)

                      <明治期元旦日記全集 その二>

    《明治二十七年》

    ◎ 國木田独歩

       一日

       記さんと思ふ事多し

       見たり聞たり感じたりすること少なからざればなり

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       (中略)

       昨夜母と語り、吾が老母(母の母)と母との悲哀極まる事実を聞きひそかに泣きぬ、吾が母、故郷を離れ

       老母に遇はざること殆んど十九年、母常にこれが為に泣きぬ。老母今や銚子に在りて日夜、母の帰をまつ

       なり、母は吾が一家の為めに今日まで終に帰省する能はざりしなり。嗚呼世は終にミサリーの世か。

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       人は到底、人として人を主観するのみなり。客観と言と雖も人は到底、人の外、思ひ且つ知り且つつくり

       能はざる也。次第に吾に明白に吾入されぬ曰く其れ只だ此の如し、故に人間は人間の事実の外何事の意味  

       も知り能はず、人間の事実こそ人間を説明する者なり

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       アア小児は愛らしき哉、友は愛す可き哉、山と雲と星と月と花と凡て自然は美しき哉、人間豈に死して土

       となりて止まんや。此の愛情、此の美感、豈に土に帰る夢幻ならんや。

       アア吾をして清き愛、深き情、同情の眼あらしめよ。

       人と物とを批評的に観ぜしむる勿れ 

       同情あらば吾は只だ一個の小イゴに止まらざる也。或は蟲となり或は鳥となり或は農夫となり、或は女と

       なり、或は盲となり或は貧婦となり、或は悪の人、罪の人をも観念し得る也

       吾をして試みに一個樵夫となりて而して此の世、此の生命、恋、欲、望等を観ぜしめよ、然り実に小イゴ

       の観じ能はぬ處を観じ得る也、但し此同情は観察より来る、(以下 草稿一行空白)

      ◎ 樋口 一葉

      廿七年一月一日あさのほど少し雪ちらつく やがてはれたり 今日のせわしさたとふるものなし 

       終日くにと我れと立つくすが如し 礼者なし

    《明治二十八年》

     森 鴎外

       明治二十八年一月一日、貔子窩より帰りし役夫あり松を截りて持ち来れり昨夕之を門に樹つ□あり青魚□

       あり薄酒を酌みて元旦を祝したり午前十一時兵站監部の祝宴に列す卓上に瓶を置き之に枯枝を挿み枝上處

       々玉蜀黍の粒を黏せり粒は火に上して迸裂せしめたるもの黄處は萼の如く白處は葩の如し瓶梅に擬するな

       り予戯に一句を紙片に書して枝頭に掛く

          もろこしを綻びさせて梅の花

       衆善しと称す守備聯隊長の云く活花師工なりと雖俳諧師の工なるには若かず隊長姓は河野名は通行一種精

       細なる人物なり亦善く謔す

    《明治三十一年》

      ◎ 森 鴎外 

      一月一日(土)、歳を観潮楼に迎ふ。雨過ぎて後日うららかなり。十八世紀の末より十九世紀の初に至る

       小品画像の事を鈔す。鳩溪の作神霊矢口渡を評することを始む。脇田茂一下総銚子より来り宿る。沙魚多

       く持ち来たりて贈りぬ。

      ◎ 有島 武郎

       一日、晴天、早起紙ヲ展ベテ試毫ヲナス。悪筆舊ニ依リテ依然。夫レヨリ木村、河野氏等と冰戯ヲナス。

       閑々タル三十一年生涯ノ濫觴ハ之レナリ、快遊昼ニ至リテ家ニ帰ル。午後少シ過クル頃ヨリ坂本氏ニ至リ

       歌留太ナドナシ夜帰ル。