古く多くの文人は雅号を用いてきた。特に明治時代の作家詩人らはほとんど例外なく雅号を持っていた。
それぞれの名付けかたには、その人なりの思い入れが込められているもの、わりあい無造作に付けたもの、
さらにはナリユキに任せての雅号などさまざまである。
明治41年11月発行の『中學世界』文芸号では「文壇諸名家雅號の由来」と題して、作家たち八十九人から
アンケートへの本人からの直接解答を得て、特集記事として掲載している。
以下にその中からいくつかを拾い上げてみよう。
◎ 泉鏡花君
おん問ひあはせの號の儀は、紅葉先生につけて頂き候を謹んで用ゐをり候ものにこれあり候。
◎ 島崎藤村君
蕉翁が藤の花の句から思ひついたので、今から十五六年前に附けたのを、其儘用ひて居ります。
◎ 内藤鳴雪君
人の境遇は、結局自己の力の如何も為し難き所、唯だナリユキに任さんとて、アテ字を認めて鳴(ナリ)雪(ユキ)と
仕置候。
◎ 坪内逍遥君
はじめて逍遥遊といふ字面を見た時、それが只のRammblerといふ意味にも取れるのが気に入ったので附けた。
それゆゑ、最初は逍遥遊人と四字にして居た。
◎ 幸田露伴君
露を美しく、好ましくおもひしより。
◎ 夏目漱石君
小生の號は、少時蒙求を讀んだ時、故事を覚えて早速つけたもので、今から考へると陳腐で、俗気のあるもの
です。然し、今更改名するのも億劫だから、其儘用ひて居ります。慣れて見ると、好も嫌ひもありません。
夏目と云ふ苗字と同じ様に見えます。
◎ 高濱虚子君
故正岡子規に雅號をつけて呉れと申候處、實名の「清」の音を其ままに、「虚子」ではどうかと申したる以来、
相用ゐ居り候。
◎ 永井荷風君
尋常中學の二三年級の頃、下谷の第二病院に入院した時、一人の看護婦を見染めた。自分が女性に對して特別の感情を
経験したのは此れがそもそもの始めである。退院した後、小説をかいた。(これも余の小説の處女作である)小説には、
是非雅號を署名せねばならぬと思って、其の時いろいろ考へた。看護婦の名が「お蓮」と云ふので、其れに近いものをと
考へた末に、荷風小史と云ふ字を得た。
其頃、自分は漢詩の方が熱心であって、小石川に生まれたから、石南醉士と云っていたが、やがて、柳浪先生の門下に入
って、始めて自分の作を「文藝倶樂部」に出す時に、柳浪の仄仄韻に對して、荷風は平平韻になるから、此れは妙だと、
漢詩趣味で、石南を廃して其後は習慣的に、荷風で今日までつづいて居る。