明治に遊ぶ    (第十八回)

<明治の作家の雅号の由来>その一

   

   古く多くの文人は雅号を用いてきた。特に明治時代の作家詩人らはほとんど例外なく雅号を持っていた。

   それぞれの名付けかたには、その人なりの思い入れが込められているもの、わりあい無造作に付けたもの、

   さらにはナリユキに任せての雅号などさまざまである。

   明治41年11月発行の『中學世界』文芸号では「文壇諸名家雅號の由来」と題して、作家たち八十九人から

   アンケートへの本人からの直接解答を得て、特集記事として掲載している。

   以下にその中からいくつかを拾い上げてみよう。

   ◎ 泉鏡花君

    おん問ひあはせの號の儀は、紅葉先生につけて頂き候を謹んで用ゐをり候ものにこれあり候。

   ◎ 島崎藤村君

      蕉翁が藤の花の句から思ひついたので、今から十五六年前に附けたのを、其儘用ひて居ります。

   ◎ 内藤鳴雪君

    人の境遇は、結局自己の力の如何も為し難き所、唯だナリユキに任さんとて、アテ字を認めて鳴(ナリ)雪(ユキ)と

      仕置候。

   ◎ 坪内逍遥君

     はじめて逍遥遊といふ字面を見た時、それが只のRammblerといふ意味にも取れるのが気に入ったので附けた。

      それゆゑ、最初は逍遥遊人と四字にして居た。

   ◎ 幸田露伴君

      露を美しく、好ましくおもひしより。

   ◎ 夏目漱石君

      小生の號は、少時蒙求を讀んだ時、故事を覚えて早速つけたもので、今から考へると陳腐で、俗気のあるもの

      です。然し、今更改名するのも億劫だから、其儘用ひて居ります。慣れて見ると、好も嫌ひもありません。

      夏目と云ふ苗字と同じ様に見えます。

   ◎ 高濱虚子君

     故正岡子規に雅號をつけて呉れと申候處、實名の「清」の音を其ままに、「虚子」ではどうかと申したる以来、

      相用ゐ居り候。

   ◎ 永井荷風君

      尋常中學の二三年級の頃、下谷の第二病院に入院した時、一人の看護婦を見染めた。自分が女性に對して特別の感情を

      経験したのは此れがそもそもの始めである。退院した後、小説をかいた。(これも余の小説の處女作である)小説には、

      是非雅號を署名せねばならぬと思って、其の時いろいろ考へた。看護婦の名が「お蓮」と云ふので、其れに近いものをと

      考へた末に、荷風小史と云ふ字を得た。

      其頃、自分は漢詩の方が熱心であって、小石川に生まれたから、石南醉士と云っていたが、やがて、柳浪先生の門下に入

      って、始めて自分の作を「文藝倶樂部」に出す時に、柳浪の仄仄韻に對して、荷風は平平韻になるから、此れは妙だと、

      漢詩趣味で、石南を廃して其後は習慣的に、荷風で今日までつづいて居る。