北村透谷が二十歳の時に上梓した、詩集「楚囚之詩」が後年世に出た経緯については古書の世界ではあまりに有名である。
明治二十二年、春祥堂からの刊行を決意し一旦は刷り上がったが思うところあって、自分用の一冊だけ残し、あとはすべて
断裁処分したと伝えられ、幻の詩集となっていたが透谷の没後三十六年目の昭和五年、一古書店からある古書展に出品された。
これが発見された第一号となったわけである。
店主は当時三十銭ほどの値をつけたという。
この四六判二十四ページほどの薄っぺらな詩集がそれほどの珍本とは知らなかったということからの値付けだった。
その反省から店主は以後文学書の勉強を本格的に始めたという後日譚が伝わっている。
そののち昭和三十年ころには五百円という値がつき、同三十一年までには四冊が発見されたといわれる。
すべて断裁処分されたと伝えられる「楚囚之詩」であるが、実際は透谷が思い直して刊行したものらしく、のちに透谷と
「人生相渉論」で激論をかわした山路愛山が、後年国民新聞紙上で<明治二十二年、余の始めて上京するや、偶々銀座の
街を歩き、書肆に於いて一冊を得たり、題して楚囚之詩といふ。余は之を讀んで、其言の欝愴たるを奇としたりき>と
評しているから、部数はともかくとしてやはり書店には出たのであろうと思う。
昭和三十六年六月、「万象画譜」という明治二十四年に発行された書物の袋とじの入れ紙として、「楚囚之詩」の本文部分が
使われているのが三冊分発見され、さらにその後も同じ「万象画譜」から三冊と計六冊が現れている。
もっともこの六冊にはいずれも表紙がない。
現在この「楚囚之詩」の完全版であれば、時価数百万円ともいわれており、表紙がなくとも百万円は下らないだろうといわれる
から、いかに貴重なものであるかがわかる。
わたしは当然ではあるが原本を見たことはない。
目次の中の「楚囚之詩」はわたしの所蔵するものだが、これは昭和四十三年日本文学館から復刻されたもので、いまではこれでさえ
古書店で姿を見ることは少なくなっている。
(参考資料 八木福次郎「古本屋の手帖」、 船橋聖一「北村透谷」)