Bad Company

'70年代、ブリティシュ・ロックの代表格バンド。バッド・カンパニーはフリー、モット・ザ・フープル、という2つのバンドを母体にして生まれた。ストレートなハード・ロックで母体バンドでは叶えられなかった全米制覇を成し遂げ、プラチナディスクを獲得するに至った。


クサイ言い回しですが、私にとってはまさに「青春」であったバンドです。イギリス出身バンドらしいサウンドの中にアメリカの風を取り入れた彼等の音楽はタイトでシンプルなロックの醍醐味を教えてくれました。バンドの核であった稀代のヴォーカリスト、ポール・ロジャースの声は年々深みを増し、現在も作品を発表し、活躍してくれているのが喜ばしい限りです。


概要紹介Bad Company 1999

バッド・カンパニーの歴史を紐解くことは先ず母体となった2つの英国バンドに触れなくてはならない。'68年、4人の若者、ポール・ロジャース、ポール・コゾフ、アンディ・フレーザー、サイモン・カーク等のブリティッシュ・ロックの伝説バンド、「フリー」が誕生する。フリーは英国ブルース界の大御所であるアレクシス・コナーのバンドから名を受け、コナーの後ろ盾によってシーンに登場する。デビューから2年後の'70年、シングル 「ALL RIGHT NOW 」が大ヒット、彼等の人気は一気に高まった。しかし、'71年の半ばに突然解散してしまう。この後、メンバー別のユニットを組んだり、オリジナルで再編成をするなど迷走するが、'73年アルバム「HEARTBREAKER 」を最後に2度と再生することはなかった。
一方、'69年、イアン・ハンター、ミック・ラルフス、デイル・グリフィン、ピート・ワッツ、ヴァーデン・アレンの5人編成のロック・バンド 「モット・ザ・フープル」が誕生する。モットは当初評価は高くともセールスに結びつかない状態であったが、当時グラム・ロックのシーンでスターダムにあったデヴッド・ボウイが自らプロデュースを申し出て、'72年 アルバム 「すべての若き野郎ども」を発表し、ヴァイオレンス的なパフォーマンスのライヴとともに話題になった。こうしてグラム・ロック界において地位を確立するも、バンド内ではハンターとラルフスの確執が生じ、結局ハンターの独裁体制に不満を募らせたラルフスが脱退してしまう。( 余談だが、"Blue Soul Guitar " として今もファンの多いポール・コゾフは76年、フリー解散後に立ち上げたバンド、バック・ストリート・クローラーのツアー中に薬物中毒が原因で夭逝してしまった。コゾフのギターなくしてフリーのブルージーなサウンドは生まれなかったはずで、彼独自のレスポールをむせび泣かせるギターは誰にも真似できない素晴らしいものであった。モットのその後はハンターの独裁体制のもと、メンバー間のトラブルが続き、ラルフスの後任ギタリスト、アリエル・ベンダーが脱退、その後任にボウイの片腕であったグラムの立役者ミック・ロンソンを迎えるが、'74年末にはあっけなく解散してしまった。モット解散後、イアン・ハンターとミック・ロンソンは長年コンビを組み活動を続けるが、'93年4月、肝臓ガンのためロンソンもまた天国へと旅立ってしまった。 )

'73年、フリー、モット、それぞれが崩壊した中でポール・ロジャース、ミック・ラルフスが意気投合し、更にサイモン・カークがそこに加わり、バンド作りの方向へと進み始める。新しいバンドのベースには元・キング・クリムゾンのボズ・バレルが就くこととなり、こうしてバッド・カンパニーが誕生する。'74年、母国でツアーをはじめ、イギリスではアイランドから、アメリカでのレーベルはレッド・ツェッペリンが創設したスワンソングからデビューアルバム 「BAD COMPANY 」 を発表、シングルカットされた 「CAN' T  GET  ENOUGH 」 とともに大ヒット、全米1位、全世界では1.200万枚のセールスを記録、大成功をおさめる。ラルフスが加わったことにより、フリー時代に比べ洗練され、ダイナミックな表現力が生み出されたバンドはその後も快進撃が続き、'75年 「STRAIGHT  SHOOTER」 を発表、初来日を果たしている。'76年 「 RUN WITH THE PACK」 、 '77年 「BURNIN'  SKY」 をリリースし、その人気を不動のものとしていた。それまでは英米別のレーベルで発売されていた権利をスワンソングが全権利を買い取り、 '79年 「DESOLATION  ANGEL」 を発表、英米大ヒットとなった。その後しばらく活動が停滞し、'82年になってようやく 「ROUGH  DIAMOND」 をリリースするが、この作品は予想を下回る結果となり、セールスは奮わず、既にバンドは結成当初のケミストリーが失われ、サウンドにもきらめきが見られなかった。こうした事態をきっかけにメンバーは個別の活動始め、やがて自然消滅的に終焉を迎える。

 '83年、ポール・ロジャースは初のソロ作を発表、その2年後'85年にはジョン・ボーナムを失って解散を余儀なくされたツェッペリンのジミー・ペイジと「ザ・ファーム」を組み話題騒然となった。その頃、バドカンの再結成の話しが浮上し、ポールの行く末が注目を集めたが、結局はソロ活動の道をとり、ロック界屈指の名ヴォーカリストとして名を馳せることとなった。バッド・カンパニーとしてポール以外のメンバーはブライアン・ハウやゲストを迎えて再生を図るが、やはりオリジナルのメインヴォーカリストを欠いたバンドは苦戦を強いられる。しかし、'90年に発表された 「HOLY  WATER」 は100万枚突破という記録を残し、再度シーンを賑わせる。その後もコンスタントに活動をつづけていた双方であったが、'99年、オリジナル・バッド・カンパニー作品の集大成 「THE 'ORIGINAL' BAD CO. ANTHOLOGY」 をリリース。2枚にまとめられた名曲の数々とともに、'81年以来初めてオリジナルメンバーがスタジオに入りして収録した新作4曲が発表された。このベスト盤に収められた4曲は結成当時の雰囲気が感じられ、年輪を重ねた各々の自信と経験が活かされており、バンド復活への期待を持たせてくれる。

フリー、モットと2つのバンドを経て、それぞれの持ち味が化学反応を起こしたかのように輝きを放ったバッド・カンパニー。シーンに登場したころは20歳そこそこの若者たちだった彼等も現在では50代にさしかかり、昔のようなパワーを求めることはできないが、年齢を重ねただけの厚みのあるロックをこれからも作り続けて欲しいと願う。

なお、ポール・ロジャースの奥方は日本人ということもあり、大変な親日家で来日すると、まず最初に 「にぎり」 を食すという話しがあるほど。また、バドカン在籍当時、やはり日本のTVドラマ 「夜明けの刑事 」 では挿入歌を歌っており、思わぬところで彼の歌声が流れてきて驚いた記憶がある。(笑)




Favorite Album

「RUN WITH THE PACK」
1976年作品


1. LIVE FOR THE MUSIC
2. SIMPLE MAN
3. HONEY CHILD
4. LOVE ME SOMEBODY
5. RUN WITH THE PACK
6. SILVER , BLUE & GOLD
7. YOUNG BLOOD
8. DO RIGHT BY YOUR WOMAN
9. SWEET LIL' SISTER
10. FADE AWAY
彼等の第3作目。オオカミ親子の中に混じって一緒に寝そべっている赤子が非常に印象深いジャケットで、当時のバンドの力を表現しているようである。
1でご挨拶にとばかりにタイトで切れ味の良いところを聴かせ、2では非常に美しいストリングスをバックにポールが歌声を堪能させてくれる。3はスピィーディで軽快なロックに仕上っており、4 はゴスペル風のイントロで始るバラード。リラックスしてプレイするバンドが思い浮かぶような雰囲気がある。アルバムタイトルの6はポールらしい曲で中盤のギターとの掛け合いが楽しい。全体的に充実した内容で確か発売当時のミュージック・ライフ誌のレヴューでも高批評をされていた記憶がある。
現在は恐らく輸入盤でしか入手できないかと思うが、バドカンとしてだけではなく、'70年代の音としても機会があれば是非一聴して戴きたいアルバムとしてお勧めする。