世界中のプロ、アマのギタリストから尊敬と憧れを持って賛辞される「孤高のギタリスト」ジェフ・ベック。彼は天才的なフィーリングとテクニックをもって常に別格の存在としてロック界に新たな衝撃とインスピレーションを与え続けている。
私がジェフ・ベックと出会ったのは今から4半世紀も昔のことです。その印象的なジャケットが店先で目に留まり、彼の知識は全く無いまま何故か促されるようにお小遣いで買ったレコード。
訳のわからない期待感と高揚感を胸に初めてレコード針を落とした瞬間...言葉を失い、呆然としながらも心地よい感覚を感じていました。スピーカーから流れ出る音は全身に突き刺さってくる鋭角な刃物のように攻撃的なのにどこか懐かしさを持ち、無限の精神世界へと導いてくれたのです。その出会いのアルバムが「ワイアード」でした。以後、彼の魔法から逃れることはできず、私の中ではジョニー・ウィンターと並んで最高のギター・プレイヤーとして位置しています。
概略紹介
言わずと知れたエリック・クラプトン、ジミー・ペイジと並ぶ伝説のバンド
「ヤードバーズ」出身の3大ギタリストの一人。1944年6月24日
イギリスのサリー州ウェリントンで生まれる。彼のミュージシャンとしての歴史は18歳の頃に始る。( これ以前の15歳頃にジミー・ペイジと知り合っている) '64年、当時ギタリストを探していたヤードバーズが最初にオファーしたのは
スタジオミュージシャンとして頭角を現していたジミーであった。しかし、ペイジはこの誘いを断り、代わりにベックを推薦するのである。これがベックのその後を決定する第一の段階である。かくして英国人気バンド
ヤードバーズに加入した彼はツアーに次ぐツアーというハードスケジュールをこなしつつも、常に革新的な技法を試みては自分自身の「音」を模索していたように思われる。'66年半ばにはベーシストとしてペイジが参加。ベックとペイジが同じステージに立っていたのだ。この当時の模様は映画
「欲望」 (Blow Up) の中で見ることができる。(この映画のワン・シーンにギターを壊すシーンがあり、ベックが使ったギターは安物の日本製である。)しかし、'66年末健康上の問題を理由に同バンドを脱退。(実際のところあまりにハードなスケジュールの為、既にバンドの状態は最悪であった。このことに不満を持っての脱退の模様。)
'68年名ヴーカリスト、ロッド・スチュワート、現・ローリング・ストーンズのロン・ウッド、ミッキー・ウォーラーらと第1期ジェフ・ベック・グループを結成。アルバム「トゥルース」、「ベック・オラ」を発表。アメリカでのツアーでは旧友ジミー・ペイジ在籍のレッド・ツェッペリンとの競演も果たした。しかし、このことがきっかけでツェッペリンの人気の高さに衝撃を受け、彼らの人気を認識せざるを得なくなったグループはあえなく解散の道を辿ることになる。(
後年ベックは、そもそもツェッペリンのアイディアは自分が持っていたと語っている。)傷心のベックはヴァニラ・ファッジとのセッションによりテイム・ボガード、カーマイン・アピスのリズムセクションを得て新しいバンドでの成功を試みようとするが、'69年11月、愛車の前に飛び出した子犬を避けようとして大事故を起こしてしまい、顔面を裂傷するなどの重症に陥ってしまう。これによりニュー・ジェフ・ベック・グループの計画は白紙に戻ってしまったのである。'70年、前年に起こった交通事故から回復したベックは、新たに後年ロック界きっての名ドラマーと謳われるコージー・パウエル、マックス・ミドルトン、ボブ・テンチ、クライヴ・チェイマン等と第2期ジェフ・ベック・グループを立ち上げ、第1期のブルース色の濃い音楽性からソウルフルな面と後のジャズ/フュージョンにつながる新境地を開拓する。「ラフ・アンド・レディ」
「ジェフ・ベック・グループ」に収録されているインストゥルメンタルナンバーなどは名作
「ブロウ・バイ・ブロウ」 「ワイアード」 を予感させる。ここで2枚のアルバムを作った第2期JBGだがコージー・パウエルの脱退により、やはり解散してしまう。'72年、事故の長期間入院によっていったんは、ご破算になっていたカーマイン・アピス、ティム・ボガードとともにスーパートリオ・バンド、ベック・ボガード&アピス(BBA)を結成するに至る。アルバム
「ベック・ボガード&アピス」 「ベック・ボガード&アピス・ライヴ
(イン・ジャパン'73)」 をリリースし、スティーヴィー・ワンダーが提供した「迷信」をヒットさせるも、クリーム以来のスーパー・トリオ・バンドBBAもアルバム2枚のジンクス(正式なアルバムは1枚であるが)をついに破ることはなかったのである。それから後、これまで(現・2001年に至るまで)正式なバンドは結成していない。
そして'75年、ついにソロとしてロック界、ギタリストたちをはじめ世界中をあっと言わしめた名作
「ブロウ・バイ・ブロウ」を発表するのである。現在でこそ珍しくはなくなった全曲ギター・インストゥルメンタル・アルバムではあるが、当時としては非常に斬新、かつ、衝撃的な作品であった。このアルバムはギター・インスト・アルバムとしては異例のセールスを記録し,全米では100万枚以上売れたといわれる。その後、ベックはますますジャズ/フュージョン色を強め'76年、シンセサイザー・プレイヤーのヤン・ハマーを迎え、更に鮮烈な作品
「ワイアード」をリリース。タイトル通り凄まじく圧倒的な彼のプレイの前に聴く者は"金縛り"(ワイアード)になったのであった。このソロ2作品からは今日もライヴではプレイされる曲が多く、"Blue
Wind" は2000年末のジャパン・ツアーでも定番のナンバーとしてオーディエンスを沸かしている。その後は'80年
「ゼア・アンド・バック」 '85年には第1期JBGからの旧友ロッド・スチュワートを迎え、プロデューサーにナイル・ロジャースを起用した「フラッシュ」
、'89年にはテリー・ボジオを迎えて前作のギターを押さえ気味にしていたストレスを発散させるかのような久々のインストアルバム
「ギター・ショップ」を発表。再びその神業プレイでファンを魅了した。やはりベックにはヴーカリストとの渡り合い作品より一匹狼的なインストアルバムが真骨頂であると認識した多くのファンは次回作の発表もさほど時間の掛かるものではないと思っていたであろう。ところが4年後、'93年に発表された「クレイジー・レッグス」はトレード・マークのストラト・キャスター作品ではなく、グレッチを手にしたビッグ・タウン・ボーイズとの競演作、彼自身のルーツを辿ったロカビリー作品であった。この頃から後、友人、知人のアーティストの作品にゲスト出演したり、映画のサントラ盤を担当したりと、ベック本来のソロ活動はほとんど休止状態。ファンにとっては氷河期に突入してしまったのである。
ベック本来のギター・ワーク作品 「ギター・ショップ」
からなんと10年の歳月が流れた'99年、春。
その知らせは突然届けられた。10年ぶりのニュー・アルバムは
「フー・エルス」。まさに世界中が待ち望んだ全曲インスト作品。すでに54歳にならんとする
" 孤高のギタリスト " は伝説の中にだけ存在するのではなく、稲妻の如くリアルタイムに現れたのである。アルバム・リリースに次ぎ、これまた10年振りのジャパン・ツアーも実現し、長年フラストレーションを抱えていた全国のファンに10年分以上の満足度を与え、熱狂させてくれた。このアルバムとツアーでは女性ギタリストのジェニファー・バトゥンを迎えて再び新境地を開拓している。更に驚くべきことに、翌2000年、20世紀最後の年に前作発表からたった1年半というそれまでの作品づくりからは想像もできない速さで前作と同メンバーにより
「ユー・ハッド・イット・カミング 」 をリリースし、再び12月には来日して熱いプレイを披露してくれたのである。一体、何がジェフ・ベックを改革したのかは不明であるが、いづれにせよ、50代も後半に差しかかろうかというギタリストがいまだに鋭い感性を持ち、常に先進的な音づくりをし、唯一無比のギター・サウンドを熱くプレイしてくれることに励まされるファンは多いに違いない。
Favorite Album
| 「WIRED」 1976年作品 1. Led Boots 2. Come Dancing 3. Goodbye Pork Pie Hat 4. Head For Backstage Pass 5. Blue Wind 6. Sophie 7. Play With Me 8. Love Is Green |
個人的に思い出深い作品。 Led bootsから始まる斬新なスタイルは今だ色褪せず。 3曲目のスローバラードは完璧なチョーキングテクニックでギタリストのお手本のような作品。5は現在でもJBの代表曲で多くのアーティストにプレイされている。'99、'00でのライヴではヤン・ハマーのパートをジェニファー・バトゥンが見事に受け持っていた。8は一味違った曲でシンプルな響きが余韻を残す好きな小曲。 この作品に限らず、いつの時代の作品も常に新鮮で、21世紀となった現在においても輝きを放つ傑作揃いである。 |