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  町田政明さん「ギャンブル依存症と回復 理解と援助」
                          

 2017年6月20日

 1 ギャンブル依存症とは

 初めまして。NPO法人ギャンブル依存ファミリーセンター・ホープヒルの町田と申します。横浜から参りました。今日はお招きいただきましてありがとうございます。

 ギャンブル依存症はお金とギャンブルに取りつかれる病気です。お金をギャンブルでもっと増やそうと思い、本能がおかしくなって狂気に至ります。本能には生存本能、性本能、共存本能などあります。お腹がすいたからあれを食べたいとか、喉が渇いたから飲みたいという形で、生存本能に基づいていろんな欲求が出ます。その本能が狂ってしまうのが依存症という病気なんです。家族がある人でも、妻や子供とギャンブル、どっちを取るかというと、ギャンブルを取ります。家族よりもギャンブルが上になる。最後は家族や仕事も捨てます。そういう病気なんですね。

 依存症はギャンブル依存症だけではありません。アルコール、薬物、買い物、窃盗、性犯罪などの依存症もあります。自分はお酒もギャンブルもやらない、まして覚醒剤なんか絶対にしない、だから依存症なんて自分とは関係ないと思っている人は多いんじゃないでしょうか。しかし、僕はスマホが今、一番危ないんじゃないかなと思ってるんですね。スマホはうまく使えば毒じゃないですけど、取り扱い注意です。どうしてもはまってしまって毒になるんですね。

 依存症はコントロールできなくなる病気で、自分がこうしたいと思ってもできなくなっていくんです。スマホもお酒やギャンブルと同じようにすごく依存性があります。たとえば、「今日は勉強をしよう」と思ってても、ツイッターやユーチューブを見たりラインをしたりしてたら、すぐに2時間、3時間と経ってしまって、勉強の時間が奪われてしまう。

 ギャンブルには未成年はダメとか規制がありますけど、スマホは規制がないですよね。自転車だったら、子供に「ここでは止まりなさい」とか乗り方を教えます。バイクや車は教習所に行かないと免許もらえないとか、それなりにあるんですけど、スマホの扱い方を子供たちはわかってないのに、簡単にスマホを与えてしまう。それじゃ子供たちをダメにしていくんじゃないかと思ってるんです。

 スマホもギャンブルと同じ怖いものであるという認識が足りないような気がします。今ではスマホはなくてはならない存在ではありますけど、もっともっとスマホ問題については考えていかなければいけないと思うんですけれども。

 2 依存症という病気の特徴

(1) コントロールできなくなる病
 依存症は病気であって、意志が弱い人間だから依存症になるわけじゃないということを知られていません。そのために、本人の意志が弱いからだと誤解されてしまい、偏見に満ちています。本人や家族も、意志が弱いダメ人間が依存症になると思っています。だけど、病気のせいでコントロールできないんですね。お酒を飲んだり、ギャンブルに夢中になると、フワーッといい気持になりますよね。前頭葉がマヒしてしまうんです。そうすると、本能にブレーキがきかなくなっちゃうから、「もっと、もっと」というふうになってしまうわけです。依存症とは、欲求にブレーキがきかなくなって、コントロールできなくなる病気であるということです。

 ですから、パチンコをしに行って、「今日は3千円でやめておこう」と思っても、依存症の人は絶対に3千円ではやめられない。「こないだ親に借金を返済してもらったんだからするまい」と思ってもですね、コントロールできないから、またやってしまう。自分の意志でコントロールできなくなる病気が依存症です。本人の意志が弱いんじゃなくて、病気なんです。花粉症の人は春になるとくしゃみがとまらないように、アルコールやギャンブルを自分の力でとめることができないわけです。

(2) 進行する病
 しかも、依存症は完治することはない進行性の病気です。ギャンブルをやらないでいると進行はしないだけで、依存症という病気が治ったわけじゃないんです。とまっているだけです。他の依存対象物、たとえばお酒や異性などにはまっているだけかもしれません。

 狂気がどんどん進行します。最初は趣味でギャンブルをやっていたのが、借金をするようになります。それも、100万円の借金だったのが、次は200万円、300万円と増える。おまけに、最初は100万円を借金するのに2年、3年とかかっていたのが、1年でまた100万円を借りるようになり、さらには半年で100万円の借金をするとかですね、短期間にどんどん進行していくんです。1千万円、2千万円と使う人は珍しくありません。刑務所へ行く人もいるし、最後は自殺になることもあるんです。そういう怖ろしい病気なんですよ。

 なぜ刑務所に入ることになるかというと、ギャンブル依存症の人はお金ほしさに窃盗や横領をすることがあるわけです。ギャンブルによる借金があったとか遊興費ほしさで会社のお金を横領したとか、そういう形で犯罪にまで行ってしまうことは珍しくありません。ギャンブルによる犯罪事件は横領、窃盗、幼児の車内放置、そして殺人などがあります。精神科医で作家の帚木蓬生さんによると、パチンコやスロットがらみの殺人事件は2009年は25件、2010年は20件もあったそうです。

(3) 否認する病
 ところが、本人は自分が依存症だとは認めない。やめようと思ったらいつでもやめれられると、依存症であることを否認します。「違い探し」といって、「自分はあんなにひどくない」というふうに違いを探して、自分が依存症だと認めようとしません。ですから、医者にかかったり、依存症の回復施設に行かないんです。家族もそうなんです。自分の力で何とかやめさせようとして、本人が依存症だとはなかなか認めようとしません。ギャンブル依存症はアルコール依存症のように体をこわすわけではないから、病気だと自覚しにくいということもあります。

 依存症からの回復というのは自分の抱えている問題と向き合うことなんですけど、ギャンブルをしたりお酒を飲むことで依存対象物に逃避し、目の前の借金の問題や家族への責任、会社や仕事、そういったことに向き合わないで逃げてしまう。そういう病気なんです。

(4) まわりを巻き込む病
 依存症は本人と家族が一体化しています。これを共依存と言います。最初は本人だけの病気だったのが、借金やいろんな問題でどんどんまわりを巻き込んでいくわけです。本人は「自分はちゃんとコントロールできる」と思っているけど、現実はコントロールできず、家族を巻き込む。家族も「自分が何とかしなきゃいけない」と思って、依存行動をやめさせようと説得したり、脅したりして、本人をコントロールしようとします。だけど、結局うまくいかなくて本人の尻ぬぐいをする。お互いが相手をコントロールしようとする、依存と支配の病気なんです。

 みなさんは「借金は返すものだ」と思っているでしょ。依存症者の家族はすごくまじめで、地道にやってきた方が多いので、「借りたお金はどうしても返さないといけない」と思って、本人の尻ぬぐいをするわけです。ところが、依存症は常識が通じない病気でもあるんですね。お金を返すことによって借金がなくなるということは、本人にしてみたら、またお金を借りることができるということです。それで、またギャンブルをしては借金をこしらえる。だから、いくら家族が借金を返してもどうにもならない。こうして、ギャンブル依存症の人は家族に借金を払ってもらうことを何回も繰り返すわけです。家族は貯金がなくなり、親戚に借金し、サラ金から借り、家を売り払い、ということにもなっていくわけです。

 本人のまわりに共依存の人がいると、依存症はどんどん進みます。本人を助けることによって、逆に病気を進行させてしまうんです。助ければ助けるほど進行する。ですから、依存症者への援助というのは非常に難しいわけです。私たちが依存症者を助けるということはどういうことかという問題も出てきます。

 3 依存症からの回復の道

(1) 自助グループとは何か
 依存症は進行性の治らない病気ですけど、糖尿病や高血圧のように進行しないようにすることはできます。依存症から回復するには、自助グループが大きな力になります。自助グループは同じ悩みを抱えている人たちが集まって、お互いに支え合いながら仲間と一緒に心の傷を回復していく場です。自助グループに参加して、同じ悩みを抱える仲間とプログラムをすることによって回復します。

 AA(アルコホーリクス・アノニマス)というアルコール依存症者の自助グループがあるんです。アルコホーリクス・アノニマスとは「無名のアルコール依存症者」という意味です。アメリカで1935年にできました。AAが依存症の回復に世界中に影響を与えています。

 日本でも高知の方がAAを勉強されまして、1958年に「高知県断酒新生会」を始めたんです。そして、1975年には日本にもAAが上陸しました。日本でお酒をやめる方法は、AAと断酒会との2つの方式があります。

 AAをモデルにした依存症者の自助グループは、薬物、ギャンブル、摂食障害などありますし、本人だけでなく、家族や友人の自助グループもあるんです。どうしてかというと、依存症は、本人だけでなく、親や連れ合い、兄弟、子供、友人たちも巻き込んで影響を与えるからなんですね。

 ギャンブル依存症者の自助グループをGAといいます。AAから派生した自助グループの一つで、「ギャンブラーズ・アノニマス」の略です。1957年にアメリカで始まり、日本には1989年にできて、今のところ日本には160以上のグループがあります。ギャンブル依存症者の家族の自助グループはギャマノンと言います。

 自助グループではアノニマス(無名)が基本です。本名や住所、職業などを話す必要はなくて、ミーティングネームといって、自分で適当な名前をつけて、それでお互いが呼び合うんです。親しい仲間でも本名や仕事を知らないことがしばしばあるくらいなんです。

 自助グループでは何をしているかというと、ミーティングを行なって、自分の体験の分かち合いをしています。その日のテーマ、たとえば「ねたみ」「無力」「受け入れる」「自己憐憫」「いわれのない不安」「自意識過剰」といったことについて、一人ずつ順番に自分の体験談を話していくんです。分かち合いでは何を言おうと自由です。話をして、黙って聞くだけ。その場で質問や感想を言わないし、アドバイスもなし。しゃべりたくない人はパスをしてもかまわないというのがルールです。

 依存症の人は孤独なんですね。だからこそ仲間が必要なんです。その意味でもミーティングという場に集う仲間は大切です。

(2) 「12のステップ」
 自助グループには二つの柱があります。「12のステップ」が回復のプログラムで、「12の伝統」が団体のルールです。どの依存症や家族の自助グループでも、AAのプログラムや伝統を使っていて、ほぼ同じ文章です。

ステップ1「われわれは○○に対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた」

 自分は無力だからどうにもならないと認め、ギャンブルなどをやめようとすることもやめなさいということです。自助グループでは「底つき」という言葉があるんですね。自分の力ではどうすることもできないと底をついて、無力だと認めることが回復の第一歩なんです。底をつかないと、何とかなると思って助けを求めることをしません。借金でどうにもならなくなって底をつく人がいれば、お金がないので窃盗をして逮捕されて底をつく人もいます。いつ底をつくかは人によってさまざまです。

ステップ2「私たちは、自分より偉大な力が、私たちを正気に戻してくれると信じるようになった」

ステップ3「私たちは、私たちの意思といのちを、自分で理解している神(ハイヤーパワー)の配慮にゆだねる決心をした」

 自分の力ではやめることができないから「ハイヤーパワー」におまかせしなさいということです。AAはアメリカ生まれだから、キリスト教がベースになってて、「自分で理解している神」とはキリスト教の神ということになりますよね。それで、日本では「神」や「ハイヤーパワー」という言葉に抵抗感を持つ人が多いんです。

 だけど、ハイヤーパワーとは特定の神を指しているわけではないんですよ。何でもいい。「自分で理解している神」だから、阿弥陀さんでもいいし、仲間やミーティングという場に宿っているものがハイヤーパワーだと言う人もいます。「お地蔵さん」と言う家族の方もいました。

 僕がハイヤーパワーを感じるのに2年くらいかかったんです。AAのミーティングに出てみるとですね、不思議な力がミーティングの中にあるので、「あっ、これがそうなのか」っていうことを実体験として初めて実感したんです。それまではハイヤーパワーというのは理解できなかった。自分がハイヤーパワーを体験してから、依存症が理解できるようになったんです。

 依存症の人は何にでも依存するんですね。お酒をやめたと思ったら、今度はパチンコにはまった。パチンコをやめたら、女遊びをしだした。というふうに、次々と依存します。人にも依存するし、お金にも依存する。ハイヤーパワーだけは依存してもいいけども、それ以外のものには依存してはいけない。ハイヤーパワーに依存することが回復ともいえるわけです。

(3) 自助グループが絶対ではない
 もっとも、自助グループへ参加するよう言っても、たいていの人はなかなか行きません。本人や家族が依存症だと認めないですから。なぜかというと、彼らは病気のためにプライドが高くなっています。ですから、こちらから「GAに行きなさい」「回復施設に入りなさい」と言うやり方では非常に難しいだろうなと思っています。情報提供は大事ですけど。このところをしっかりと押さえて。否認することも受け入れなければいけない。長い目で見てほしいんですね。

 そして、自助グループに行けば必ずギャンブルをやめることができるかというと、そうとは言い切れません。スリップといって、またギャンブルをしてしまうことだってあります。だけど、スリップしたからもうダメだというわけではないんです。スリップがチャンスになることもあるわけですから、スリップは大切です。

 逆に、自助グループに行かなくても、ギャンブルが自然に止まっちゃう人もいます。これは生き方の問題で、いろんな回復の仕方があるんじゃないかなと思います。自助グループに行ってやめようとする人がいれば、一人でやめる人もいる。いろんなあり方があると思います。

 ただ、自助グループは一番効果的な方法だということと、プログラムを使ったほうが生きやすくなるということはあります。変なプライドや頑固な考えにとらわれない。すごく軽く、朗らかに、そして笑えるようになります。顔が違ってくる。

 ギャンブルはやめてるけど、自助グループやステップを使わない人はどこか固いんですね。ちょっと生きづらい。4年ぐらい前にギャンブルをやめた人が二人います。自助グループにつながった人は、今はコンビニの店長をしてて、こないだ結婚の報告があったんですよ。もう一人は自助グループに行ってない人です。いまだにお母さんに電話しては「お金ないんだけど、食事おごって」と言ってます。

 いつもイライラしている人、逃げ回っている人もいますし、別のものに依存している人もいます。それでは生きづらいと思うんですね。だから、一番効果があるし、楽に生きれるし、幸せになるから、「この方法はどう」っていうふうに、僕は提供してるんです。

 4 依存症の回復をはばむもの

 アルコール依存症は回復しないとずっと思われてきたんです。AAができて回復する病気になりました。だけど、今でも非常に難しい病気です。依存症に関われば関わるほど、本人も家族も援助者も、この病気を非常に甘く見ていることがわかります。ギャンブルやお酒で借金が増えて夜逃げしたとか、自殺したり、犯罪を犯して刑務所へ行くこともある。「回復は奇跡である」とAAでは言ってるんですね。それくらい回復が困難な病気です。

(1) 依存症が病気だと知られていない
 回復が難しい要因の一つは、依存症が病気だということが社会に知られていないから、さまざまな誤解があることです。人と依存症が一体だとされて、ダメ人間、意志が弱い人間というふうに思われているので、自分が依存症だと手を上げにくい状況があります。それと、家族に対しても誤解があって、「親の育て方が悪かったんだ」とか、「妻がちゃんと世話をしないからだ」とか言われて責められたりします。糖尿病のように本人の意志の弱さが原因ではないこと、治らない病気だけど進行しないようにできるということが知られていけば、もうちょっと回復率が上がっていくんじゃないかなと思うんですけど。

(2) 医療の問題
 薬物だとダルクという回復施設が知られてきたので、みなさんもご存じだと思うんですけど、ギャンブルの場合はそういう施設が足りないし、施設の存在自体もあまり知られていないことも問題です。

 そして、医療が取り込んでしまうっていうのが非常に怖いですね。ギャンブル依存症は病気なのに、なぜクリニックが取り込んで悪いのかというと、商売にしてしまうクリニックがあるんです。デイケアやナイトケアに来なさいと、どんどん取り込んでいます。だけど、依存症は人間関係の病と言われてて、社会の中で回復していくんです。薬で治るということはないわけで、医療がとりこんじゃうと時間がかかって遠回りになるような気がします。

 医療と施設や自助グループの役割をちゃんと分担していかなければいけない。もっと自助グループとか施設ができないと、医療は儲かるから盛んになるけど、回復率が悪くなって、回復者はそれほど出ないという状況が起きるんじゃないかと思いますね。

 5 援助とは

 では、どういう援助を本人や家族にしたらいいかということです。僕はサラリーマンを16年くらいしました。精神障害者とかアルコール依存症で精神病院や内科の病院を退院した方の社会復帰を支援する施設で働いていたんです。その時に、アルコール依存症の人を助けようとすると、どんどん悪くなることに気づきました。僕は、本人の話を聞いたり、いろんなアドバイスをしてたわけですよ。ところが、その人たちは必ずスリップしてお酒を飲んでしまう。成功例がなかったんですね。

 AAに出会ってから、僕がまさしく共依存で、病気の人を育てていたことに気づきました。援助者は世話好きが多いんですよね。つい口を出して助けちゃう。これが実はいけない。それなのに、僕は勘違いしていまして、助けることになるんだと思ってた。そうじゃなくて、本人の問題と責任を本人に返してあげることが援助であると気がついたわけです。そうして、いろんなことを学んで、助けないことが助けることになることを教えられたんですね。これは本当に目から鱗なんですけど。

 この気づきはいろんなことに応用できたんですね。すぐに応用できたのが精神障害者、統合失調症の人たちです。施設にいた人の7割が統合失調症だったかな。2割がアルコール依存症で、その他が内科の方でした。

 その当時、精神病院に10年、20年と入院している人たちがいたんですね。そんなに長く入院しているとね、浦島太郎なんですよ。世の中のことは何が何だかわからない。汽車の切符も買えないわけです。病院では一駅くらい汽車に乗ることをしてたんです。保育園の子供を連れて歩くようにして、一列に並べて駅まで引っ張って歩いて行くんですよ。そうして、患者さんに切符を買ってやってたんです。今から思うと、なんと恥ずかしいことをしてたんだろうなと思いますけど。患者さんの力を信じてないで、助けることに酔っていたような気がするんですね。

 でも、それでは本人のためにはならない。共依存の人は「本人のために」とよく言うんですね。みなさんも「子供のために勉強させている」とか、「本人のためにいい学校に行かせる」と言ってたんじゃないですか。僕も本人のためにやってると思っていたんですよ。ところが、本人のためには何にもなっていない。

 目的ははっきりしていますね。リハビリして社会復帰することです。力をつけてもらわなきゃいけない。じゃあ、10年選手や20年選手が切符を買えないんだったら、切符の買い方から教える。社会性のある人は電車でも行けるし、一駅だから歩いてでも行けるわけです。ですから、現地集合にしたんですね。歩ける人は歩いて行く。歩けない人には、切符の買い方を教えてあげて現金を渡すとか、仲間の人に教えてもらうとかする。そうことをやり始めたんです。そしたら、ちゃんとできるんですよ。一度だけ行方不明になった人がいて探し回ったことはありますけど、それ以外は問題起きなかったですね。施設に帰るのが多少遅れることはあっても、みなさん、問題なくちゃんとできたんです。

 他のことでも本人にまかせるようにしました。たとえば、生活保護の人は小遣いが5千円なんですね。小遣い帳を渡して、5千円をうまく使いなさいと指導していたわけです。それを、5千円全部を渡して、お金がなくなろうがどうしようが自分で管理させ、自分で物事を決定していくようにしました。

 僕たちは、1か月に5千円だったら、週に千円ずつ使えばいいんじゃないかと思いこんでいるんですね。でも、5千円を一気に使って、あとは小遣いなしで過ごすというやり方もあっていいわけですし、全くお金を使わない人がいるかもしれない。だけど、それまでは本人にまかせるというやり方を認めてなかったんですね。

 僕たち自身が狭い見方で「これが正しい」と思いこんでいたことがたくさんありまして、それがAAと出会ってから、物事がすべて違うように見えてきたんです。そして、問題と責任というものをしっかりと明らかにしていくべきだと考えるようになりました。このことは、精神障害者に対してもアルコール依存症者に対しても非常に有効で、援助者が下手に本人の問題や責任を手伝わないことが絶対に必要だなということを教えられたんです。

 依存症は、逃避をしていく病気でもあるんです。誰かが何とかやってくれるわけです。たとえば、借金は家族が返してくれる。迷惑をかけたら相手に謝ってくれる。家族が尻ぬぐいをしていくことで、家族が何とかしてくれると思うようになるわけです。そうしていたらどうなるかというと、「何とかなる」という生き方、「誰かが何とかしてくれる」という考え方が根づいていく。いい意味で「何とかなる」というんだったらいいんですけど、自分の問題を避けて見ないようにし、何とかなると思い込んでいくわけですね。家族が何もしてくれないと、家族を責め立てる。そして、だんだんと被害者意識ばかりが強い自己中になる。こういう形で依存症は進んでいくわけです。

 6 依存症者の心の深層

 ホープヒルでは、依存症の回復を図るために彼らの生き方を見ていき、そして心の深層に迫っています。

(1) 良い子を演じる
 依存症者の心の深層を探っていくとですね、みなさん、良い子を演じていることがわかります。ギャンブル依存の人は「ギャンブルさえしなければほんとに良い子なのに」という人が非常に多いです。最初、ほんと不思議でしょうがなかったんですけど、なんでそんな良い子がギャンブル依存症になるのかなと思ってたんです。でも、実際はギャンブルやって、まわりを困らせている。

 良い子を演じるということはどういうことか。みなさんに聞いてみたいと思います。良い子をどう思いますか。

「無理している」

 良い子は無理をして芝居しているわけです。じゃあ、どうして芝居を演じてるんでしょう。

「よく思われたい」

 もっと聞きますけど、何でよく思われたいんですかね。

「人と違うことをしていると目をつけられる」

 出る杭を打たれないよう、目立たないようにするわけですね。なんで目立たないようにするんでしょう。

「ほめられたい」

 「よく思われたい」「ほめられたい」というのは評価されたいということですね。なんで彼らは評価されたいって思うんでしょうね。

「受け入れてもらえる」

 子供にはそういうところありますよね。よく思われたいから良い子を演じると。そうするとどういう問題が生じますか。

「無理をする」

 無理すると何がたまりますか。

「ストレスがたまる」

 ストレスたまるとどうなりますか。

「爆発する」

 良い子をずっと演じられる人は爆発しない。でも、すぐ爆発する子もいるわけです。やってられないからって、中学校ぐらいから非行を始めてしまうとか。でも、良い子をやり続けて、それがどこかで爆発するかもしれない。そしてギャンブルに行くわけです。彼ら良い子のストレスはなんでしょう。

「自分と違うことをやってること」

 そうですね、自分がこうしたいと思っていることをやっていないということでしょう。だから、ストレスとは感情の抑圧ですよね。

(2) 感情の抑圧
 まとめますと、ギャンブル依存症の人はみんな良い子なんですね。すごく感情を抑圧している。感情の抑圧を発散させるものがギャンブルなんだというふうに、僕は話を聞いているうちにだんだん見えてきたんですね。だから、この感情の抑圧を何とかしないといけない。

 じゃあ、なぜ感情の抑圧をするんでしょうか。感情の抑圧は共存本能から来ているのかもしれない。世間やまわりの人に合わせることが一番大事で、そこからはずれることにおびえてます。「もっと個性を持って自発性を出せ」と世の中では言うでしょ。ところが、学校では「みんなと合わせるように」と教えます。学校と社会では矛盾したことを言ってるわけです。

 共存するということは誰にとっても必要なことですよね。自分のことばかり言っていたらダメだということは、みんな知っている。だけど、同調圧力が強いと感情を抑えるようになってしまう。適当に合わせているような子じゃなくて、非常に良い子だから、よけいに感情を抑圧する。「感情の抑圧の二乗三乗」と言うんですけど、感情の抑圧をうんとするようになるんです。

 それで、パチンコの台の前に座るとホッとするんですよ。「パチンコ台の前だけが自分の居場所だ」と、みんな言います。居場所なんです。緊張が取れて、すごくリラックスできる。お酒を飲んだり覚醒剤を使ったときも同じような状態になるんじゃないでしょうか。私はあまりお酒を飲まないのでわからないんですけど。

 彼らはギャンブルをすることによって、自分の居場所を作ってストレスを発散して、社会でやっと生きていける。居場所があるから、外では仕事を頑張れるし、親に対しても良い子ちゃんを演じることができる。ですから、ある意味、ギャンブルは適応行動だと思うんです。パチンコ店に行ってスロットをするとか、覚醒剤を打つとか。もちろん、これは間違えたやり方ですけどね。

(3) なぜ過剰適応するのか
 依存症の人たちを見ているとですね、ギャンブルとかアルコールといった依存対象物というのは代替物なんだとわかってきます。代わりのものなんです。別な言い方をすれば、過剰に適応しなければ彼らは生きていけなかったんです。

 なぜ居場所が必要なのかというと、もっと心の深層をさかのぼらなければいけないんです。なぜ感情を抑圧して生きなければいけなかったかということです。この問題に踏み込んで心の深層がちゃんとわからないと、人間の行動は根本的には変えられないんです。なぜそういうことをしたか。なぜ自分がそこまで抑圧して過剰適応したか。そこまでさかのぼらないといけません。

「親の教育、社会のしきたり。まわりの人が、優しい人、いい人になることを望む中で育ったから」

 親もまわりもみんな良い子であることを望んでるんです。別な言い方すると、期待ですね。すべての面にはいい面と悪い面があるんですよ。期待もそうです。期待というといいことのようですけど、結局は親の欲ですよね。「子供のために」と言うけれど、親が望んでいることを子供も望んでいるとは限りません。子供は望んでいないことを期待するのはなんて言うんですか。

「思う通りにさせたい」

 コントロールですよね。子供が望んでいないんだとすれば、親の期待というのはコントロールじゃないですか。コントロールが強ければ強いほど、子供は感情を抑圧するんです。だから、依存症になる人の親は支配的な場合が非常に多いですね。期待されるのはうれしいんだけど、これが二乗三乗となると息苦しいわけです。

 子供に期待している親は子供への圧力が強い。圧力が強いから感情を抑圧する。こういう方程式が見えてきたんですね。ただし、親の期待が依存症の原因だというわけではありません。ギャンブル依存症の原因はギャンブル、薬物依存症の原因は薬物です。そこをはっきりしておかないと、親を責めることで終わってしまいます。

 だからといって、みんな支配的な親だというわけでもないんですよ。全くほったらかしにされてきたという人もいますね。関心がまったくないのも困るんですね。ほどほどの関心でないと。ある人の親は、子供には自由にのびのびと育ってほしいと思ってほっておいた。そしたら子供は「親は自分に関心がない。愛情がないと思ってた」と言うんですね。

 期待するにしても放任したにしても、親は子供のためによかれと思ってやっているわけですよね。でも、子供はそれを望んではいない。親と子のミスマッチというか、受け止め方というのは本当に難しいですね。ここに問題があるような気がするんですね。

 コントロールと言いましたけど、虐待する親はどういう人かわかりますか。

「自分の思い通りにしようとする」

 自己中ですよね。虐待する親は子供時代どうだったか知っていますか。

「自分も同じだった」

 そうなんですよね。自分も同じようにされてきた。人間はされてないことはできないし、されたことをまた同じように繰り返すという連鎖があるんですね。思いやってもらったという経験がない人は、人を思いやる気持ちを持つことが非常に難しい。虐待する親は子供のころ虐待されてたことが多いし、虐待された子供が虐待する親になることがあります。そういう再生産がずっと行われているような気がします。良い子もそうなんですね。本当の愛し方をされたことがないから、共依存の人と一緒になってギャンブラーが再生産されていく。

(4) 恨みや怒り
 親と子供との思いが食い違うというミスマッチによって何がたまると思いますか。

「恨み」

 恨みや怒りがたまっても、良い子を演じるために恨みや怒りを抑圧している。だから、この恨みや怒りに気づかないとダメなんですよ。なぜ自分はこういう行動をしているのか。それは、恨みや怒りがあるのに抑圧しているからだ。そこに気づいていくんです。

 怒りや恨み、自己否定は犯罪とつながってきます。犯罪を犯す人は、親やまわりから愛されたという感覚がない人が多いように思います。子供が愛されたと思うのはどういうときですか。

「全面的に認められる」

 「全面的」というのが必要なんですね。関心を持ってもらって全面的に認める。全面的とはどういうことなんでしょうね。全面的に認めるんだったら、親の思いと子供の思いとが違っていても、それを親は受け入れなければならないですね。「いてくれてありがとう」ということは虐待してたら伝わらないですよね。食事を与えるだけでも伝わらないです。抑圧ばっかりされていれば難しいでしょうし。全面的というのは条件をつけない。いいも悪いもすべてということですよね。

 さっき「期待」と言いましたけど、期待はある面で条件をつけてませんか。僕が見ていると、いいも悪いも全面的に受け入れられていない人がずいぶん多いんですね。「こうしたら愛してあげる」みたいな条件つきの愛ですから、子供はどうしてもその条件に合うように自分を抑圧して、親の期待にけなげに応えようとするんですね。これは親の期待に対しての子供の生存本能だと思うんです。

(5) 劣等感とプライド
 ある人がミーティングで話をしていくうちに、自分の心のもっと底に何があるかということに気づいた。その人はどう表現したらいいか、言葉がわからないみたいだったので、「もしかしたらこれ?」と聞いたら、「そうだ」と答えてましたね。何だかわかりますか。「絶望」です。彼らは、自分はダメで、社会に受け入れられていないと思っている。すごい劣等感とか自己否定感とかいったものが心の深層に潜んでいるわけです。

 心の深層を見てみると、結局そういうことに行きついていきました。それはやっぱり子供時代の体験です。親から受け入れてもらえない。親は愛したつもりなのに子供は愛された気がしない。そのうちにだんだんと自己否定感がたまっていく。

 それは自分ではわかっていないんですよ。こんなものがたまってるなんて誰も思ってない。むしろ、ギャンブラーはすごい誇りが高いんですからね、そうした心の深層を認めない。なぜプライドが高いかわかりますか。

「劣等感が強いから」

 そうです。劣等感が強いからこそプライドが高いんです。そして、プライドが高いから隠そうとする。要するに、ありのままの自分を見ないんです。いい意味のプライドがある人は、自分の弱いところもちゃんと認めてる人だと思いませんか。ところが、変にプライドが高いと、人の話が聞けない。ギャンブル依存症の人はすごく頑固なんで、人の話を聞きません。プライドによって自分を支えているんでしょうね。

 そして、自分は病気だとは絶対認めない。非常にプライド高いですから、自分はそんな意志が弱い、ダメな人間じゃない、やめようと思ったらいつでもやめられると、病気であることを絶対否認します。

 しかし、回復のプロセスでは、否認は非常に大事なんですね。まわりの人は、ただ「こういう病気だよ」と一回伝えるだけでいいんです。それなのに、家族は病気だと認めさせようとしちゃうんですよ。「あなた、ギャンブル依存症だからGA行きなさい」「回復施設に行きなさい」と、これを何回もしつこく言うんです。でも、プライドが高いから絶対にホープヒルみたいな施設には来ないです。

 7 回復への道

(1) 自分の思いを出し切る
 「12のステップ」の4から8は、「棚卸」といって自分の性格上の欠点を全部出して、埋め合わせをするということをやります。

ステップ4「探し求め、恐れることなく、自分の生きてきた棚卸表を作った」

ステップ8「私たちが傷つけたすべての人の表を作りそのすべての人たちに埋め合わせをする気持ちになった」

 自分の今までの歴史をまとめて、人を傷つけたこと、お世話になったこと、恨みに思ったことなどを表にして、自分の生き方をきちんと見つめ直すんです。たとえば、人を傷つけたのはなぜか。どうして嘘を言ったのか。それは自己中だから、自分勝手だったといった自分の性格上の欠点を認めて、それを表にします。そして、すべて認めていく。できたら悪いことをした人に「悪かった」と謝って埋め合わせをする。

 棚卸をすると、結果的に自己中とか性格が傲慢だとか、いろんな欠点が見えてきます。欠点はどうしたらいいですか。

「直す」

 どう直したらいいんですか。

「自分の思いを出し切る」

 これは非常に深いことを言われたんですけど、依存症者は感情を抑圧して、自分の感情を出し切ってないわけです。僕は、性格上の欠点を出すという棚卸をする前に、今まで抑圧していた感情、怒りや恨みを出し切るなどしてもらってます。

 たとえば、先ほどの親から愛されていないと思っていた方ですけど、お姉さんに対しての恨み、怒りがすごく強かったですね。実は、小さいころにお姉さんからいじめを受けていたんです。お姉さんへの怒りや恨みがあることに気がついた。そして、これに向き合う。だから、どんどん怒りや恨みを出し切ってもらいました。ミーティングでもやったし、GAでも話してたと思うんですけど。最終的にかなり落ち着いてきて、自分の中で整理できたので、お姉さんへの手紙を書いてもらいました。そしたら、お姉さんからあっさりとした返事が来たんですね。それからまた、その返事に手紙を書いてということを繰り返すことによって、お姉さんと会っても大丈夫な状態になりました。感情を出し切ることが大事なんです。

(2) 生き方を変える
 みなさん簡単に「ギャンブルやめろ」って言いますけど、それは無理なんです。ギャンブルは生き方そのものですから。ギャンブルをやめることは彼らの生き方そのものを変えることになるんですね。パチンコ台の前に行くと、感情が発散して元気が出る。それは、お酒を仲間内で飲んで上司の悪口を言い、翌日また元気に仕事できるという、そんな感じと似ているかもしれません。

 つまり、自分の生き方、どう生きていくかが問われているんですね。それは「もっとお金がほしい」「もっと快適に、便利に」とか、「何かを目指していかないといけない」というあり方を問うことでもあるんです。ギャンブル依存症にかぎらず、依存症は生き方の問題です。ただギャンブルさえやめればいい、覚醒剤さえやめればいいという問題じゃなくて、依存症は生き方や人間関係の問題を掘り起こして探っていき、自分の根本的な生き方を変えていかなきゃならない。そのためには棚卸しによって心の深層を明らかにする作業がどうしても必要になるんですね。彼らからギャンブルを取るということは大変なことなんだとおわかりいただけたでしょうか。

 では、どうしたら生き方を変えられるでしょうか。

「別の居場所を見つける」

 それが自助グループや施設とかです。居場所はそういうところにあるわけです。

(3) 仲間との生活
 愛されたことがない人は愛することを知らないんですよ。人とどう関わっていいかわからないわけです。共感能力が欠けているんですね。それで僕は、依存症の仲間同士が生活を共にすることをしてるんです。「12のステップ」を教えることも大切ですけど、それと同じように必要なのは、ご飯を一緒に食べたり、ミーティング行ったり、スポーツや音楽をするといった、仲間と一緒に何かをやって感じるというプログラムです。それがすごく大事だなと思うようになったんです。

 精神病院に勤務していた時に、それをはっきり感じましたね。ミーティングをやっても効果ないんですよ。薬物依存症の人は保護室から出てきても、ぼーっとしているんです。妄想状態で。ピンクの雲に乗ってる人たちにミーティングしてもダメなんですよ。全然、頭に入らない。

 それよりもスポーツを一緒にする。そうすると、すごい仲間意識が生まれるんですね。僕や一緒に生活している人たちとも人間関係がスムーズになる。薬物も早く解毒するような感じがしますね。頭がだんだんすっきりする。だから、薬物依存症の治療の最初の頃は、ミーティングよりも、体を動かすことが大事じゃないかなって気がするんですね。

 ギャンブラーも同じで、感じるというプログラムが非常に大事です。音楽をみんなで作って発表会をする。その時は一気にまとまっていくんですね。それからマラソンやったり。「なんでこんなプログラムあるんですか」と言う人もいます。でも、箱根駅伝のコースを私が自転車で、みなさんは走ってたんですけど、「なんで走るの」と言ってた人が「景色いいって気持ちいいですね」と言ってくれたんです。走ることで感じてくれたんだなと思いました。頭では「つまんない」とか「面白くない」と思ってても、実際やってみたら結構面白い。そういうことってあるわけですね。

 そういう「感じる」ということが非常に大事です。それで感情がうまく使えてくるし、共感力という、仲間とのつながりですね、そういうものができてくる。仲間と共同生活をしながらプログラムをしていると、自分も同じだなと思って、共感力が生まれてくる。それが彼らの回復に役立つ。仲間と触れ合って、「仲間っていいな」「孤独じゃないっていいな」と感じないとダメなんです。頭だけではダメで、感じることを大事にしていくには、やっぱり何か体験したり、失敗することも必要です。

 今、子供たちの体験がどんどん少なくなっていると思うんです。頭だけになってる。私たちは感情があって自分があるわけです。自分はこのままでいいのか。どういう生き方をしたいのか。ここのところを考えていかなきゃいけない。

 それから、愛されたことがないので、仲間からいいも悪いもすべて受け入れてもらえることが非常に大事だと思います。悪いこともやるんで、それをイエローカードと言ってますけど、施設の職員や援助者とすれば、イエローカードが何枚か出ても、いいも悪いも全部含めて受け入れていく姿勢が大事かなと。ただ単に何でも受け入れるというのではなく、はっきりとした目標は目指していかなきゃいけないとは思うんですけど。

(4) 家族の回復
 感情の抑圧ということをお話しましたけど、共依存も依存症も同じ構造なんですね。共依存の人たち、たとえば家族も同じように感情を抑圧している。だから、感じるということが欠落し、抜けています。どういうことかというと、感情を抑圧することが癖になっているから、自分で感じ、考えるということがない。世間で言うところの正しいとか常識とか普通とか世間体とか、そういったことで生きている人が多いんです。

 それで、家族会のミーティングの最初に、『ビックブック』という聖書みたいな本を読むんですけど、そのときに自分の体験と照らし合わせてどう感じたかということを話してもらうようにしてます。要するに、感情を引き出わけです。

 それには知識があることが前提です。家族に「これをやったら病気が進みますよ」と言っておくことです。そうして、借金を返したりするともっと進行するんだなということを感じてもらうしかない。僕も最初はわかんなくて、これだけ説明してるのになんで理解できないのって思ってたんです。家族も痛い目を感じないとわからないんですね。

(5) まとめ
 まとめてみますと、依存症から回復するには、まず底をつくこと。自分の問題がどうにもならなくて、生き方を変える。そして、仲間とつながることが回復の第一歩です。最終的にどう変わっていくかっていうと、性格上の欠点、自己中とか自分勝手とか傲慢とかありますけど、それを直そうとするんじゃなくて、自己中から思いやりへ、傲慢から謙虚へという方向に変わっていく。依存症の人は「俺が、俺が」という人が多いので、人に対して感謝することを考えていく。

 犯罪者とギャンブラーは自己中のところが似てて、ある人が盗みをやって、そのときに刺したんだそうです。最初、「なんで俺の仕事を邪魔するんだ」と思ったそうです。それは間違いだと、だんだん気づいていったんですよね。なんて自己中だったかって。

 ギャンブルが信仰ですから、この信仰を信じていたら生きていけないことに気づかないとダメです。信仰を変えなきゃいけない。自分の信じるものがあれば、それをハイヤーパワーにするという生き方で回復していくわけです。ですから、依存症からの回復ということは宗教的でもあるんです。

 自分の考え方じゃなくて、ハイヤーパワーの考え方を使う。信仰を持っている人は信仰を使う。仏様はどう考えるか。ハイヤーパワーはどう考えているか。常にこういうふうに考えることで、私たちは自己中で頑固な生き方から解放されていくんです。

 8 家族や援助者のすべきこと

(1) しつこく言わない
 依存症の人に「GAに行きなさい」と言ったらGAに行くと思うこと自体が甘いんですね。まず行きません。「自助グループに行きなさい」「施設に行きなさい」と言えばすむような、そんな簡単なもんじゃないです。それなのに、援助者はそれしか言わない。そうじゃなくて、寄り添って一緒に考えていかなきゃいけないんです。彼らの主体性を大事にして生き方を認めることだと思うんですね。

 まず、「こういう楽な生き方があるよ」と、ちゃんと提示しておく必要がある。だけど、しつこく言わない。しょっちゅう「GAに行きなさい」と言うんじゃなくて、「こういう方法があるよ」と一度言えばいい。機会があれば「あなたはどうしたいのか」「どう生きたいのか」と問うてみたらどうでしょうか。「病気だよ」と強調するんじゃなくて、「こんな生き方でいいの」っていうふうに。

 そして、「困ったときにはいつでも助けるよ」ということを伝えておくことが大事です。そして、何年もつき合わないといけない。10年たってから僕のところにつながったという人もいます。非常に時間がかかるんですね。窓口は開けておく。すごい長い間の伴走者としての役割が必要なんで。

(2) 本人と家族を切り離す
 みなさん、本人を何とかしようと思うわけです。これは効果ないです。治療につながらない理由の一つは、何とかする人がいることで、そういう人がいる間はダメです。依存症は「誰かが何とかしてくれる」病ですから、何とかしてくれる人がいたら絶対にうまくいかない。何とかしようとしている人をまず教育し、依存症の人と助けようとする人を切り離さないとダメ。これにまた長い月日がかかる場合があるんです。

 家族を教育しなきゃいけないんですが、家族もプライドがありますしね。いろんな世間体とか常識とか今までの生き方だのがあって、これがなかなか難しい。たいていの親はいい人で非常にまじめなだけに難しいです。

 「愛情をもって手を放す」という言葉があるんですけど、そうはいっても、大丈夫だろうかと気になる。「見捨てるのか。だったら死んでやる」と言われたら、それでも手助けしないのか、どうしていいかわかりませんよね。

 どんどん共依存が進んでいくと、助けるということにとらわれ、病的になって、何とかすることをやり続ける。効果ないのに、これを何年も続ける人がいます。だから、まず「この人には効果ないですよ」とお知らせして、勉強していただくことがすごく大事なことです。

 でも、「勉強しに来てください」と言っても、たいていは勉強に来ないんですね。本人も家族もギャンブル依存症だということを否認する。これもまたしょうがないんですね。借金の尻ぬぐいをしてお金がなくなり、どうにもならなくなって、また相談に来ます。家族も底をつかないといけないんです。中には、ぱっと転換できる人もいるんですけど、10年かかる人もいるし、すごく幅広いです。

 つい最近もこんなことがありました。ある父親が依存症の息子に何回か援助していたんですよね。父親は助ける人だから何とかしてくれると思って、息子は自分から施設を出たんです。でも、その父親は知識が入っていたんで、こういうことを続けてたらダメだなと思って、手を放したんです。それで息子は生活保護を受けて、一人で2年間やっていたんです。だけど、まず家賃を滞納する。家賃は生活保護から自動的に振り込むことにしたんですけど、生活費も全部使っちゃう。どうなっているかわからないから、保証人会社が「生きてるかどうか、警察に立会ってもらって確認をしたい」と言ってきたんですね。親が行かないので、僕に依頼があったんですよ。

 死んでるかもしれないと思ってたら、本人は天井を見て寝てたんですね。電気水道ガスが止まっているんです。毎月1日が生活保護費の支給日です。3日間で全部お金を使ってしまって1円もない。僕が行ったのは16日でした。お金がなくなってから2週間近く水だけで生きていた。「次の支給日までじっと寝て我慢する」なんて馬鹿なこと言ってましたけどね。で、「どうしたいの」って聞いたわけですよ。そしたら「こんな生活イヤだ」と言う。「だったらやり直ししない?」と言ったら、「うん、やり直す」って答えたから、その場ですぐに施設に連れて行きました。依存症の人はすぐ気が変わりますからね。入寮するのは二度目なので、すぐに働いてもらいました。半日働いて、半日グループセラピーをするという状況ですね。夜はGAに行ってます。

 すぐに結論は出ないし、気長にしないといけない。時間がかかる問題です。私たちにできることはあまりないような気がするんですね。援助者の無力を本当に感じます。本当にね。助けるなんてなかなかできない。ただ、知識を与えておくことは大事だと思います。「あなたはどうしたいの?」と何かのたびに問いかけていく。そういうことしかできないというのが実際なんです。

 9 犯罪を犯したとき

 家族が逮捕されるとあわてますよね。でも、大事なのは、痛い目に遭っているときがチャンスなんだということです。親には「逮捕されても、絶対に面会に行くな」と言っています。その代わり、僕が警察に会いに行く。そして、裁判のお手伝いをして、執行猶予を取るようにします。執行猶予の判決が出たら、すぐ僕のところ来させるんです。ホープヒルでは刑務所を出た方も受け入れています。刑務所に入った場合は、面会に行ったり、手紙のやり取りをしたりして、出所したら施設に来てもらっています。

 ある人は600万円横領しちゃったんで、弁護士から「執行猶予は難しい」と言われたんですね。でも、その弁護士はすごく優秀な方で、僕も証言台に立って「施設に入ることを同意している」と説明しました。それで、裁判官が執行猶予5年にしてくれたんです。5年というのは最長ですよね。裁判官は「実刑にするかどうか迷った」と言ってました。もうじき満期になるんですけど、今は自立してやっています。そういうお手伝いはしています。

 親から依頼があった人で、裁判のお手伝いからしたんですけど、残念ながら刑務所に入っちゃったんですね。3~4年ほどです。手紙をやり取りしたり、何回か面会に行ったりしました。裁判の時から「治療しろよ」と言ってて、「出たらちゃんとやりますよ」ということで、刑務所を出る時に私が迎えに行って、そのまま施設に入りました。そのようにして、自立して仕事できるようになった人が何人かいます。

 大事なポイントは「痛い目に遭っている」ということです。「捕まっちゃった。刑務所行くのイヤだ」と本当に思っているときがチャンスなんですよ。本人が底をついている状態がいいんです。何とかなるって思っている間はダメですね。痛い目に遭ったときに声をかける。ところが、刑務所に入ると落ち着いちゃうことがあるんです。仕事すれば何とかなるとか思っている。本人は留置場や刑務所の中でも「何とかなる」病なんですよね。「何とかなる」が彼らの信仰です。

 ある人の場合、逮捕されたけど、盗ったのが大した金額じゃなかったんで、執行猶予がつくという情報が本人の耳に入っちゃった。そしたら、会いに行くと不貞腐れていて、「僕、いいです」と言って援助を受けなかったことがあります。これも否認ですよね。否認して、何とかなると思っている間は、「あなた、何ともならないでしょ。これからも繰り返すかもしれないですよ」ということくらいは言えるけど、本人が「何とかなる」病を信仰しているときは、私たちは本当に無力です。

 アメリカだと、ドラッグ・コートやギャンブル・コートというのがありまして、薬やギャンブルで犯罪を犯すと、「治療をしますか、それとも刑務所行きますか」という制度があるので、しっかりと病気として対応してくれる。刑務所の中でも教育してくれるから非常にありがたいです。僕が見学したときは、アルコール依存症の人を自助グループにバスで連れていってました。「逃げちゃう人いるんじゃないの?」って聞いたら、いるんだそうです。だけど、「どうせそいつら、酒飲んで、そのへんに寝っころがってる。すぐ捕まえるからいいんだ」という話でしたね。

 日本の場合は罰するだけです。薬物依存は刑務所でプログラムをするようになりましたけど、まだまだという程度です。出てから施設や自助グループにつながないといけないんですけど、それがなかなかできてない。

 依存症は生き方の問題ですから、すごい時間がかかります。本人が底をついてお手上げ状態になって、藁をもつかむ時が一番治療のチャンスであると。そこで専門的な人たちが関わることが必要なんですね。

 10 終わりに

 今の世の中は依存症者だけでなく、みんな人の愛し方を知らない。人とのつながり方がわからない。支え合うということがだんだんと失われている気がします。「自分が、自分が」みたいな生き方なんで、どうもハイヤーパワーが失われている社会じゃないかなという気がするんですね。

 支え合う社会はついこの前まであったわけです。支え合いがなくなり、家族が孤立し、その家族もバラバラになって孤独になっていく。親も孤独、子供も孤独。管理社会の中で支えがない。だから、親も結構大変なんですね。虐待する親がダメだとか、愛してない親がダメだと言うのは簡単なんですけど、そういう社会でもあるわけです。個人の問題だけでなく、社会のあり方そのものも考えていかなきゃいけないんですね。

こんなに豊かになったのに依存症が増えている。それは、ギャンブル依存症者だけでなく、みんなが「もっと、もっと」と汲々として、どんどん孤独になっている社会だからかもしれないと感じるわけです。依存症は孤独になっていく病ですから、この社会をどうかしないかぎり、依存症はなくならないと思っています。その中でいかに回復していくのか。人との関わりを設ける。共感力を身につける。人を思いやることを身につけていく。それが回復につながると思います。
 それでは終わります。ありがとうございました。
(2017年6月20日に行われました山陽教区教誨師会・保護司会でのお話をまとめたものです)