真宗大谷派 円光寺 本文へジャンプ

  葬儀とお墓
 
小谷みどり『変わるお葬式、消えるお墓』岩波書店

杉浦由美子・河嶋毅『よくわかる家族葬のかしこい進め方』

徳留佳之『お墓に入りたくない人 入れない人のために』

  一 葬式

葬式や墓に関するハウツー本を読む人は、自分の葬式や墓をどうしたらいいかと悩んでいる方だと思います。知識は大事で、商品(お棺や骨壺の値段など)や葬儀社のサービスの内容を知ってたら、あとでトラブルになることもありません。ところが、三割以上の遺族が業者から見積もりをもらっていないそうです。


 1,葬儀のあり方

図書館から借りてきた三冊を読んで、これからの葬儀のあり方は次の4つになると思いました。
・今までどおりの葬式
・家族葬
・無宗教の自由葬、告別式
・直葬(葬式をしない)

小谷みどりさんによると、「葬儀式」と「告別式」は同じではありません。「葬儀式」は宗教的な儀式で、「告別式」は参列者が献花やお焼香をして故人とお別れする儀式です。
通夜と葬儀や告別式を行わないのを直葬、荼毘葬、火葬式と呼びます。通夜葬とは、通夜はするけど葬式はしないというもの。身内だけの葬式が家族葬です。

葬式をしないだけではありません。遺体だけが火葬場に運び込まれ、火葬場に来ない遺族もいるそうです。火葬場の職員が遺骨を拾い、骨壺を保管しておきますが、遺族が後日取りに来ればまだいいほうで、なかには一年以上経っても来ないこともあるとのことです。

今の葬儀事情の特徴として、『変わるお葬式、消えるお墓』は三つあげています。
 ① 長引く不況下で、葬儀費用が安くなったこと
「葬儀が派手になってくると、それを諫める傾向が生まれ、しばらく経つとまた派手になるという現象が歴史的にくりかえされてきた」
現在は葬儀を簡略化する傾向にあるようです。

 ② 〝悲しい死〟が減ったこと
「本来、二人称である家族の死は悲しいはずなのに、三人称の死に遭遇しているかのような受け止め方をする遺族が少なからずいるように思われる。これは悲しいと思う二人称の死の数が減っているともいえる」
その理由の一つが高齢化と延命治療です。
「高齢者が長患いや長期の介護の末に亡くなると、家族は、悲しいというより安堵の気持ちが先にたつこともある」
親の遺体を「気持ち悪い」と触れない人も少なくないそうです。

 ③ 葬儀がプライベートな儀式になってきていること
葬式には「死んだことを社会や地域に知らせる役割もある」が、「故人との別れの場としての意味合い」が強くなってきて、「お葬式は故人を偲ぶことにより重点がおかれ、形式にこだわらない傾向」があります。家族葬や自由葬が増えているのはそのためです。


 2,家族葬や直葬が増えた理由

東京では葬式をせずに直に火葬場に運ぶ直葬が3割だそうです。親しい人だけで行う家族葬はおそらく4割。となると、今までどおりの葬式はせいぜい2割から3割ということになります。

なぜ家族葬、直葬が増えたのでしょうか。
① 面倒だから
② 迷惑をかけたくない
③ 高齢化
ということではないかと思います。

 ① 面倒だから
『よくわかる家族葬のかしこい進め方』の最初に、「一般的な仏式葬儀の、臨終から初七日までの流れ」が8ページにわたって書かれてあり、これだけのことをしないといけないのか、こりゃ大変だと私も思いました。
家族葬だと、参列者の席次、焼香の順番から、供花、供物の並べる順位、弔電を読む順、礼状や返礼品などが省略できます。それでもしなければいけないことは山ほどあります。こんなに繁雑なことをやるのは面倒だ、葬式なんてしたくないと、正直なところ私も思いました。
香典返しも大変で、『変わるお葬式、消えるお墓』に、「お香典を辞退する遺族が増えている背景には、相手に気をつかわせたくないという気持ちもあるが、じつは、お返しをするのが大変だからという理由もある」とあります。

葬式の費用のこともあります。
ネットで調べると、日本消費者協会の調査では平成22年で1,998,861円(寺院の費用も含む)、関東は313万円(2003年)。
じゃあ、家族葬は安上がりかというと、家族葬だからといって安いわけではありません。ある葬儀社のプランだと、30万円から240万円まで。かえって高くなることもあるそうです。しかも、家族葬では香典をもらわないので、出費は家族葬のほうがかかることになります。
お棺でも5万円から40数万円までありますし(180cmの人は2割増)、骨壺も大理石や九谷焼だと高くなります。霊柩車もマイクロバスからリムジン、宮型とお値段いろいろ。
通夜葬のお値段は民営で火葬すると246,225円、公営だと204,250円と『よくわかる家族葬のかしこい進め方』にあります。
直葬は一般に18~30万円というところです。

 ② 迷惑をかけたくない
小谷みどりさんは直葬の相談を受けることがあります。その相談は「家族が死んだら直葬にしたい」というのではなく、「自分が死んだら直葬にしてほしい。どうしたらいいのか」という相談だそうです。お金はあるし、子どももいるのに、なぜ葬式をしたくないか。
家族に迷惑をかけたくないからです。「自分が死んだときに迷惑をかけたくない。だから死んだことは誰にも知らせるな」と家族に言うわけです。

もっとも、みんなに負担をかけたくない、迷惑をかけたくないというので家族葬か直葬ですませると、後日、弔問に見えたり、香典を送ってくださる人がいます。
「毎日のようにその応対に追われるのは、それはそれでとてもたいへんなようです」

 ③ 高齢化
年を取ると友人の多くはすでに死んでいるか、体調が悪くて外に出れない。近所づきあいはあまりしないし、親戚も縁が遠くなっている。つきあいをしている人は限られてくるわけです。子どもも退職していると、喪主関係の参列者も少なくなります。
つまり、長生きをすればするほど、死んだことに関心を持ってくれる人が少なくなってきます。ということで、高齢でなくなると、必然的にごく身近な人だけの葬式となってしまうわけです。


 3,葬儀に見るつながりの希薄化

家族葬のよさは何か、『よくわかる家族葬のかしこい進め方』にこうあります。
「家族葬では故人をよく知る人だけが集まるため、形式にとらわれず、ゆっくりと故人とのお別れができるのが特徴の1つです」
「従来の葬儀のように参列者や手伝いの人などが大勢いると、悲しむひまもないほど対応や式の進行などに追われ、心身ともに疲れ果てることが多いものです」
「その点、家族葬に参列するのは故人をよく知り、心から冥福を祈る人ばかりですから、思い出話などをしながら、悲しみを共有することで心が癒され、心身の負担も少なくてすみます。
これまでの葬儀は、社会的な営みとして、昔ながらの家制度を基盤に行われてきましたが、家族葬では、家族愛や故人の遺志が中心となっているといえるでしょう」
と、いいことづくめ。しかし、それでいいのでしょうか。

たしかに、知らない人の葬式に義理で参ったり、つき合いのない坊さんに高額の布施を言われるままに出したりするという、今までの葬式のあり方には問題はあります。しかし、家族葬の利点だとされることは、地域共同体の崩壊、地域のつき合いや人との関係の希薄さということにつながります。

小谷みどりさんはこう書いています。
「亡くなる側も、子どもや家族に迷惑をかけないために、「お葬式は無用」と言い残すことがある。「直葬こそが自分にふさわしい最期だ」と考えている高齢者は少なくない。人に迷惑をかけないという自立した考え自体は、とてもすばらしい。しかし、人は一人で生きてきたわけではない。何十年も社会とかかわりをもって生きていれば、さまざまな人との関係も構築されているはずだ。そうした、まわりの人たちの感情は、どう扱えばいいのだろうか。
つまり、大切な人の死を体験した人たちにとって、悲しみをいやしたり、故人を偲んだりする場のひとつがお葬式なのではないかと私は思っている。亡くなったことに特別な感情がなければ、確かにお葬式をする必要はない。とはいえ、お葬式をしない人が増えているというのは、殺伐とした人間関係の現れであり、とても寂しい気がする」
そのとおりだと思います。



  二 墓

 1,墓に対する意識

読売新聞社全国世論調査2005年によると、「身の安全、商売繁盛、入学合格等祈願に行く」38.1%、「お守りやお札などを身につける」31.0%ですが、「盆や彼岸などにお墓参りをする」79.1%と高い数字です。(徳留佳之『お墓に入りたくない人 入れない人のために』)
墓がある人のほとんどは定期的に墓参りをしていることになります。お墓を大切にしたいという気持ちは今でも強いと思います。

そうは言っても墓に対する意識は変わっているようで、小谷みどり『変わるお葬式、消えるお墓』には、墓に対する新しい意識を三つあげていいます。

 ① あの世の住まい
日当たりのよい墓のほうが人気があるし、墓の中は暗くてじめじめしているからイヤだという人がいるのも、墓が死後の住まいだからです。
「墓が死後の住まいであれば、誰とどんな墓に住むかは重要なライフプランとなる」
夫婦で同じ墓に入りたい人、入りたくない人もいます。「夫婦は同じお墓に入るべきである」という問いに、「そう思う」と答えた男性は42.2%、女性は29.4%。死んでまでつき合いきれないというわけでしょうか。

 ② 生きた証を残したい
個性的な墓(墓の形や墓石に刻む文字など)を作る人が増えています。樹木の根元に納骨する樹木葬もその一例だと思います。

 ③ 子どもに迷惑をかけたくない
墓参りをする人が8割なのに、「先祖の墓を守り供養するの子孫の義務だ」という問いに、男性の49.6%が「そう思う」と回答し、女性は29.9%にすぎません。自分は先祖の墓をきちんと守るが、子どもには期待していないと考える人が少なくないことになるわけです。
子どもが転勤族、娘しかいない、離れた故郷に墓があるなどの場合、子どもに先祖伝来の墓を見てもらえないかもしれません。また、「先祖の墓があると子どもに墓守やお寺とのつきあいで負担をかけるので、お墓を建てたくない」と考えている人が増えています。自分は先祖供養は義務だと考えていても、子どもには望まないのです。
たしかに墓を新しく建てるとなるとお金がかかります。ある墓苑の料金表を見ると、永代使用料が250万円でした。プラス墓石代だから、結構な出費です。
郊外の墓苑は最寄りのバス停からは距離があるところが多く、年を取って車の運転をやめると墓参りも一苦労になります。そのためか、東京では民間霊園の売れゆきはあまりよくなくて、墓地が余っているそうです。墓を建てない人が次第に増えているのかもしれません。


 2,散骨

徳留佳之『お墓に入りたくない人 入れない人のために』を読んで、散骨とは[共同体の崩壊→核家族化→個人化(個別化)]の表れだと思いました。
山の麓にある田舎の墓地だと、小さな墓石がいくつもあって、その横に新しく建てた○○家の墓があることが多いです。先祖代々の墓です。
ところが、都会に出てくると、家とか先祖をあまり考えません。それでも家族が亡くなれば墓を新しく建てるなり、故郷の墓に納骨するのが当たり前でした。
ところが散骨などの自然葬は、家単位ではなく、家族それぞれが自分の骨の処分方法を選ぶことです。

なぜ散骨するのかというと、
・自然に帰る
・子どもに負担をかけたくない、もしくは子どもがいない
ということらしいです。
散骨が知られるようになったのは「葬送の自由をすすめる会」の活動によってです。『お墓に入りたくない人 入れない人のために』によると、墓苑建設のために自然が破壊されること、墓を作るために費用がかかる、そして何よりも死者を葬る方法は自由に決められるべきだということが趣旨だそうです。

散骨も演出が必要です。
「ヘリコプターによる空からの散骨も実施していますが、実際にやってみると海に流す場合とは異なり、あっという間に消えてしまって実感がわかず、実施も数例のみだそうです。セレモニーが本業の立場からすると、演出がしにくい面もあるようです」
海への散骨は262,500円、ヘリコプターでの散骨は525,000円。
遺骨を埋めて墓標の代わりに樹木を植える樹木葬は50万円。桜の木のもとに納骨する桜葬(「桜葬」は登録商標だそうです)は、個別区画だと30万円と環境保全費の20万円。
墓に納骨したり散骨する以外にも、バルーン宇宙葬、人工衛星の宇宙葬、ニーム葬、花火葬、月面葬、フリスビー葬、珊瑚葬、絵画葬、肥料葬などなどがあるそうです。


 3, 手元供養

「手元供養とは、遺骨の一部をオブジェなどに納めて自宅に置いたり、ペンダントやブローチなどに収納・加工して身につけやすい形にすることで、身近で供養しようとする方法です」
室内に飾ることを前提としたプレートや置物といった「卓上型」製品、ペンダント、指輪、数珠のように、身につけるタイプの「手元型」製品があります。
しかし、手元供養する人が死んだら、それらの品をどうするのでしょうか。死者への思い入れがないと、遺骨が混じっているオブジェやペンダントなど持ちたくないでしょうし、かといって処分もできないんじゃないかと心配になります。


 4,永代供養墓

永代供養墓というのが近年急速に増えたそうです。私は永代供養墓とは、骨壺を永代に預かってくれるのかと思っていましたら、そうではありません。
「期限を区切り、個別に骨壺に入れて供養し、その後は遺骨を骨壺から出して「合祀」するという方法をとるケースが主流です。しかし、最初から「合祀」するところや、文字通り「永代に」骨壺で安置するところもあり、一概にはいえません」
たいていの寺院墓地には合葬墓というか合祀墓(絶えた家の骨を納めるとこ)があって、多くの寺は檀家でなくても頼めば納骨させてくれるはずです。これだって永代供養墓(真宗では永代供養とは言わないが)です。
永代供養墓というのは、そういう名前で一体10万円とか宣伝しているところを指していると思います。ちなみに、遺骨の全部を受け入れて納骨してくれる本山があります。東西本願寺、知恩院、延暦寺、四天王寺などで、いずれも数万円です。


  5,生者のこだわり

『お墓に入りたくない人 入れない人のために』に、立川談志さんの「死んだ後に自分の骨をこうしてくれというのは、結局、この世に未練があるからだと思うね」という言葉を紹介していますが、まさにその通りです。散骨とか永代供養墓とか、結局は骨をどう処分するかという問題だと思います。
日本人は骨に対する思い入れが強く、骨=死者と考えます。今までは墓に納骨するのが当たり前でしたが、あんな暗いじめじめしたところはイヤだというので、海にまこうとか、身近なところに置きたいと考えます。散骨することで自分が自然に帰るように思ったり、骨を手元に置いておくと死者が身近にいるように感じます。いずれも骨へのこだわりという点では同じです。骨=死者をどう処分するかに頭を悩ますわけです。
しかし、死んだら骨になるわけではないし、墓に納骨しても死者が墓で暮らすわけではありません。生きている者のこだわりです。

東日本では火葬した骨はすべて骨壺に入れて持ち帰りますが、西日本では一部の骨しか骨壺に入れません。では、残された骨はどうなるのか。骨や墓についてはあれこれ気にする人は珍しくないのに、火葬場に残した骨がどうなるか心配する人には会ったことがありません。このことは骨をどうするかは生者の思いにすぎないことを表していると思います。
徳留佳之さんによると、「火葬場でストックされた遺骨は専門の業者に委託され、業者は副葬品などの残滓を選別後、遺骨だけを粉末にし、受け入れてくれるお寺で供養してもらい、そこで土に還される」そうですが、「すべてがお寺で供養されているかどうか疑問です。真偽のほどは定かではありませんが、肥料として活用されているという話や、溶鉱炉で処分されているという話もあります」とも書いています。ところが小谷みどりさんによると、「ちなみに、遺族が火葬場に置いてきた遺骨や残骨は、産業廃棄物として処分される」ということです。どうも市町村によって残った骨の処分法が違っているようです。



  三 最後に―迷惑をかけたくないということ―

現代の悪しき風潮は「人に迷惑をかけてはいけない」ということが人間のあるべき姿のようになっていることです。
家族葬にしてもそうで、「迷惑をかけたくないから家族葬を」という人が多いし、散骨にする人の中には、子どもに負担をかけたくないと考える人がいます。
何が迷惑だと感じるか、それは人それぞれなわけですが、いつのまにか葬式や墓が人に迷惑をかけることになってしまいました。死ぬのも気兼ねしながら死なないといけないわけです。
家族葬や散骨が人に迷惑をかけないというと、もちろんそんなことはありません。どのような死に方であっても、また死のための準備万端滞りなくしていようとも、死ぬことは大なり小なり、まわりの人に迷惑をかけるわけですし、そもそも迷惑をかけずに生きること自体が不可能です。
ところが、PPK(ピンピンコロリ)やGNP(元気で長生きポックリ)なんてアホなことがもてはやされ、ポックリ死ぬことがいい死に方だとされています。
そうなると、ポックリ死ねない人は「年を取って役に立たなくなった」「迷惑をかけている」と思い込んで自死をすることになりかねません。家族葬や直葬と自死が増えていることは無関係ではないのではという気がします。

小谷みどりさんは「昨今では、私たちと菩提寺の関係はお葬式や法事だけのつきあいになってしまい、疑問や心配ごとがあっても住職に相談できないことが、お寺への不信感や、檀家の寺離れにつながっている」と言っています。たしかにお寺は敷居が高いと感じられるでしょうが、気になることがあれば遠慮なくお寺に相談していただくとありがたいです。ほとんどのお寺は喜んで答えてくれるでしょう。