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治田 義行さん「人間を超えて」 |
2016年7月9日 |
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こんにちは。滋賀県の大津市から来ました治田と申します。よろしくお願いいたします。
私は昭和23年生まれです。子供のころ京都に行きますと、繁華街には必ず傷痍軍人がいました。今の人に傷痍軍人と言ったってわかりません。戦争で手や足をなくした人が白い着物を着て、ハーモニカやアコーディオンで「ここはお国の何百里」といった軍歌を演奏してはお金をもらっていました。あるいは、汽車に乗っていると、汽車の中を松葉杖をついて歩いていかれるわけです。すると、みんなは自分の家族や親戚が戦争で苦労したのを知っていますから、いくらかのお金を与えてました。その光景が私のまぶたに焼きついて忘れられないんですね。
そういう光景が記憶に焼きついているということが大事なんです。おそらくみなさんも、戦争についていろんなイメージや思いがあるんでないかと思います。
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なぜ戦争が起こるのか。それは、私たち一人一人の心の中に、日本だけでなく、アメリカの人もヨーロッパの人も人間であるかぎり、「やられたらやり返せ」という心があるからです。言い換えると、「言われたら言い返せ」ということです。報復ですね。やられっぱなしはあかん、やられたらやり返せ。そういう心を私たちは持っております。
その時その時の縁において、やられたらやり返せという心が出てくる人と出てこない人がいます。虫の居所が悪かったという言葉がありますけれども、同じことを言われても、かあーとなるときと、そうならんときがあります。あるいは、同じことを言われても、言われる人によって感じ方が違うんですね。
みなさんは子供さんの家族と同居しておられますかね。親は親、子供は子供で別に暮らしていますか。うちは8人家族です。92歳の母を筆頭に、私ら夫婦と息子夫婦、そして孫が3人の8人です。そうしますと、いろんなことがこすれるんですよね。修羅場です。
同じ言葉を聞いても、人によって聞き方が違うわけですよ。たとえば、嫁さんがお茶碗を割ってしまった。そのときに私の妻が「あっ」と言ったのと、私の息子が「あっ」と言ったのでは、嫁さんにとっては同じ「あっ」でも、聞こえ方が違うんです。私の妻の「あっ」は「なんてことをするんや」という批判めいた「あっ」に聞こえます。自分の夫だと「大丈夫か」というふうに受け止めます。
このごろの夫はやさしいですね。私の息子も何をしているかというと、育児と家事です。私はとてもそんな真似はできんなと思いますが。私らの時代感覚からすると、夫がオムツを替えて、乳母車を押して、そしてご飯が終わると食器を洗って、ということをするなんて考えも及ばんことです。今はそれが当たり前なんですね。私の息子も嫁さんにとってはやさしいと思うんです。
ですから、息子が「あっ」と言うと、私のことを心配してくれてると感じます。しかし、私の家内が「あっ」と言ったら、嫁さんはそうは思わんわけですよ。同じ言葉を聞いても、相手によって言葉が違って聞こえることがあるわけです。
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皆さんは、あの時、あの人に、こう言われたことは絶対許せん、死んでも忘れんということはありませんか。私たちの心の中には、やられたらやり返せということがひそんでいますから、すぐにはやり返さなくても、いつ火がついてやり返すかわからない。心に火をつけられたら、わっと盛り上がるということがあるんです。そういうことが戦争が起こるきっかけです。
戦争が始まるのは、大砲や鉄砲があるからではないんですね。一番の原因は何かというと、その国の人間が、たとえば日本の国民が「戦争になってもしゃあない」と、やられたらやり返せという気持になっていくことなんです。
この前もバングラデシュでテロがあって、日本人が七人亡くなられました。イスラムテロが増えたのは、2003年のイラク戦争以降なんですね。アメリカを中心とする多国籍軍がイラクを攻撃して政権が崩壊し、フセイン大統領は死刑になって殺されました。そうして、イラクの国内は諸派の抗争で滅茶苦茶になったんです。イスラム教徒の間に反欧米感情が高まり、テロが世界中に広まったわけです。
アメリカがイラクを攻撃した大義名分は、イラクが大量破壊兵器を持っておるということでした。もしイラクが生物兵器や核兵器を使ったら世界中が大変なことになる、だから彼らがそれを使う前に攻撃しないといけないということが大義名分だったわけです。イラクへの侵攻にイギリスも賛成し、日本の首相も大量破壊兵器があるというアメリカの言うことを信じて、燃料補給などの後方支援をしました。
しかし、大量破壊兵器は何も出てこなかった。それで、各国で、あの戦争は何だったかということを検証しているわけですね。イギリスではあの戦争は間違いだったという報告が出ています。
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2001年に9・11のテロがありました、世界貿易センターに飛行機が飛び込みましたね。そのことで、アメリカの人はやられたらやり返せという心になったんです。イラクに大量破壊兵器があるという大義名分は言いがかりで、本当はどうでもよかったのかもしれません。みんなの心に火がついてうわーと盛り上がり、ああいうふうになったんですね。
やられたらやり返すという考えは甘いアメのようなものです。人間の心に入りやすい。私たちにはやられたらやり返せという思いがあるから、何かあると「そうや、そうや」となっていくわけです。
最近、イギリスがEUから離脱しましたけれど、あれもそうです。EUはイギリスに無理難題を言ってくる。そのため難民がたくさん入ってくる。そうして難民に仕事が奪われる。そういうことを言って煽った人に、「そや、そや」と同調する声が大きくなったんですね。大衆迎合主義です。国民を煽り、国民の感情に火をつける。こういうふうに煽ることが多くの戦争の発端になります。しかし、誰もそのことに責任を取らんのですね。
たとえば、ナチスも国民の心に火をつけました。ナチスが台頭する一番最初のきっかけは、あるパン屋さんが「この店はドイツ人の店です」というステッカーを貼ったことです。そうしたら、またたく間にドイツ中で「この店はドイツ人の店です」と、ケーキ屋さんも肉屋さんも全部このステッカーを貼るようになったんです。そうなると、ドイツ人でない人は買えないわけです。そうして、ドイツ人とそうでない人との差別化が生まれました。
戦争になるのは、いきなり戦争になるわけではないんですね。平和なときに着々と準備がなされます。どういう準備がなされるかというと、私たちの生活の中で、私たちが「戦争してもしょうがない」と思うようになっていくんです。このことが一番怖いですね。
私たちだって、やられたらやり返せという心にぽっと火をつけられたら、わっといきますよ。たとえば、尖閣諸島や竹島の問題でもめてますから、もし中国や韓国が何か行動を起こしたら、日本人に火がついて、いつ何時、戦争になるかわからない。
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精神科医の日野原重明さんが「仕返ししないよ」という詩を書いておられるんです。一部を読みます。
いじめは友だちのもつ時間を奪い
いのちを傷つけるもの
だからいじめは止めようよ
そして
たとえ誰かにいじめられても
殴り返したり
言葉でやり返すことはやめて
じっとこらえてこう言おうよ
僕は、しかえししないよ
いっしょにグラウンドに出て
サッカーをしようよ
誰かの時間と
君の時間がいっしょになって
君のいのちが膨らむんだよ
親鸞聖人の師匠である法然上人は岡山の美作生まれです。法然上人のお父さんはその地方の豪族でした。法然上人の幼名は勢至丸といいます。お父さんは隣に住む豪族に夜討ちをかけられて殺されたんです。当時の常識では、武士社会はやられたらやり返せと、仇討ちをすることが当然とされていたんですね。
ところがお父さんは、息絶え絶えのときに勢至丸を枕元に呼んでどう言うたかというと、「仇を討つな」ということです。「報復するな」と言われた。それで法然上人は仕返しをせず、比叡山に登ってお坊さんになりました。
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私たちの地域では、毎年、戦没者の追悼法要が行われます。そのときに、市長さんや議員さんが参加して挨拶をされます。その多くの方が挨拶の中で言われるのが、極寒の荒野に、灼熱の大地に、国の繁栄のため、日本のため散っていった命をとむらう、ということなんです。「戦争で若い命が散ったおかげで今日の日本の繁栄があるんだ」というようなことしか言わなかったですけど、大津市の遺族会の会長の挨拶は、「私たち遺族会の願いはただ一つ、二度と戦争を起こさないことです」という話でした。大事なことですね。「二度と戦争を起こしてはならん。そのことが戦争でなくなった方の一番の願いだ」と、きちっと言ってくださいました。今までそういう挨拶をされた方はありません。
私たちが戦争をしないためには、日頃の生活の中で、実際に戦争を経験された方や、家族や親戚が戦争を経験している人が次の世代に伝えていくことがないと、また戦争を始めてしまうかもしれません。
こういう話があるんです。2004年にスマトラ島沖地震が起きました。インドネシアのスマトラ島の沖で地震が起きて、タイやスリランカなどにまで津波が押し寄せ、多くの人が亡くなったんです。ところが、スマトラ島の近くにあるシムル島という島では死者は七人でした。
どうしてかというと、海の底で地震があったら、ドーンと海底が沈みます。そこに海の水が入って、ざあっと水が引いて遠くまで浅瀬になるんです。その浅瀬には魚や貝がいっぱいいますから、他の島では住民が魚や貝を採りに行ったんですね。そこに津波が押し寄せて、多くの人が亡くなりました。でも、シムル島だけは大人も子供も山に逃げた。
シムル島では百年前に津波に遭ったことがあり、それで強い地震があって、その後に海の水が引いたら山に登れという言い伝えが、民話となり、歌となって、古老から何度も聞かされた話を、自分も子や孫に伝えていった。日常の生活の中で伝えてきたから、被害が最小限で食い止められたということなんですね。
それと同じように、私たちが普段の生活の中で、子供や孫に「戦争は嫌だ」「戦争はしたくない」と伝えていけばいいわけです。戦争は嫌なのは誰もが同じです。そういうことを子々孫々にどう伝えていくか。
しかし、悲しいことに私たちは、どんな悲惨なことも時間がたつと風化させてしまいます。あっという間に忘れてしまって、目の前の損得勘定に走ってしまうわけですね。たとえば、原発の事故がそうです。あれだけ大変なことが起きたのに、原発をやめないどころか、外国に原発を売ろうとしています。そういうことを思いますと、私たちがどれだけ愚かかということがわかります。
目の前の豊かさや便利さを選択してしまうことも、私たち一人ひとりの選択です。自分が選択したことでどれだけ大変なことになるか、自分がどんな大変な選択をしたかということをかみしめているのが、今のイギリスはないかと思います。
EUを離脱した後に、インターネットで一番検索が多かった言葉が「EUって何?」だったそうです。EUとは何かわからないまま、EUから離脱したらどうなるかを考えず、EU離脱派に煽られて、いとも簡単に離脱賛成に投票したみたいです。
私たち一人ひとりがしっかりと選択しないといけないということをつくづく思いました。そして、これはいけないな、忘れてはいけないと、あらためて思いながら伝えていくことが、戦争をしない唯一の方法であります。
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うちのお寺の新聞の7月号に、シェークスピアの「望みを遂げたが、満足はない」という言葉を紹介しています。これは『マクベス』の中にあるマクベス夫人の言葉です。私たちの心の根底に、望みを遂げたら満足があるはずだという気持ちがあるんですね。みんなそう思ってるんですよ。
望みとは何か。地位、名誉、財産を手に入れることです。地位や名誉というのは、みんなからいい人だと言われたいということです。あの人はできた人や、立派な人だと言われたい。財産はお金です。
マクベス夫人は三つとも手に入れたんです。しかし、「望みを遂げたが、満足はない」と言っているわけです。私たちの思いからすると、地位や名誉や財産があると満足するはずなのに、満足できなかった。
お釈迦さまはインドの小さな国の王子様だったんです。地位や名誉や財産、全部あったのに、それを全部捨てられました。人間に地位や名誉や財産があっても満足できないと、お釈迦さまは知っておられた。
「望みを遂げたが、満足はない」という言葉を私たちの生活の感覚から言いますと、「こんなはずじゃなかった」ということです。若いころのことを振り返ってみると、自分の人生はこんなはずじゃなかった、もっと違う人生があったはずだと思うことがありませんか。たとえば結婚されている方だと、夫は若いころと今とでは全然違うと思ったりしますね。
私は時々、披露宴に呼ばれることがあるんです。若い二人は幸せの絶頂です。それを見てていつも「かわいそうにな」と思うんです。どうしてかというと、二人は今の幸せがずっと続くだろうという思いを抱いているわけです。しかし、現実はね、皆さんどうでしょう。2人を待ち受けている前途は洋々ではないんですよ。思わぬつらい目に遭わんならん。しかし、私たちは何かいいことがあると妄念妄想するわけです。
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親鸞聖人は『教行信証』に『浄土論註』の文を引かれ、次のように言っておられます。
「人身の性不浄なるがゆえに、種種の妙好色香美味、身に入りぬれば、みな不浄となるがごとし。」
昔はトイレのことを「ご不浄」と言ってました。きれいではないということです。人間の身体に入ると、おいしいもの、きれいなものも不浄になる。私たちはそんなこと意識してませんけども、不浄なものを我々は持っているんです。それで親鸞聖人は、人間は不浄なものなんだと言われるわけですね。
『観無量寿経』では、人間を上上、上中、上下、中上、中中、中下、下上、下中、下下の九つに分けています。皆さんは、自分はどれくらいだと思いますか。上ではないし、下でもない、中の上か中の中ぐらいだと、みんな思ってるでしょう。まあ真面目にやってきたからこれくらいか、そんなもんやろう、と。
みなさんは、お寺にお参りすると自分が上等な人間になった気がしませんか。賢くなるかどうかはわからんけど、今の言葉で言うとレベルアップというか、ちょっとましな人間になったんじゃないかなと思われるかもしれませんね。
お寺に参って自分を磨こうとする。そうして自分を磨き、昨日の自分よりもよりよい人間になる。家に帰ると、「おかあちゃん、このごろお寺に参ってましになったんとちゃう?」とか「ええ人間にならはったな」とか、そういうことを望んで来ておられるかもしれません。
そこらはちょっと違うんですね。皆さんのお寺に来ておられる気持ちと、仏さんの考えは違うんですよ。「ちょっとましな人間になったな」というのが皆さんの思いなんでしょうけど、仏さんはそうは思わんわけです。お寺に参ってメッキしただけのことです。メッキしたら、昨日よりもいい人になったと思う。
仏さんの仕事はそのメッキをはがすことなんです。メッキをはがして自分の本性を見せてくれるんですよ。仏さんの教えを聞いたら、自分の本性が見えるてくるんです。怖いでしょ。
それはどういうことかと言いますと、私の住んでいるところは田舎なんです。昔は藁を入れる小屋がありました。小学校3年ぐらいのときに、子供同士で藁小屋で遊んでいたんです。中は真っ暗なんですよ。そしたら、小屋のすきまから光が射しこんでいて、そこに何が見えたかというと、ほこりがうわっと見えたんです。こんなほこりの中で遊んでたんかと思って、二度と藁小屋では遊ばんようになりました。
光に照らされることによってほこりが見えてくるわけです。この本堂もほこりだらけですよ。ほこりが舞っていることをどうやって知ることができるかというと、真っ暗にして一筋の光をさせば、ほこりがいっぱいあるのが見えます。
それと同じように、私たちの心も不浄なものがいっぱいあるんだけども、日常生活の中では見えないわけですよ。自分が不浄な心を持っていると感じる場がないんです。仏さまの教えを聞くことによって初めて見えてくるんです。私たちは誰かに言われないと、自分が見えないんですよ。
法座があるときには、ご門徒さんに「耳の痛い話を聞きに来てください」という呼びかけをするんです。お寺での話は、自分のことを言われるんですから、耳の痛い話ですよ。自分の心をうまくメッキして、自分を上等な人間にしてくれる話じゃない。仏さまはそのメッキをはがすのが仕事ですから、「なんて情けない私だったんだ。そんなところに私の本心があったんだな」ということを気づかせてくださる。
その意味で、お寺にお参りすることは、仏さまの教えによって自分の不浄なところを見せていただくことが大事なんです。お寺に参って教えを聞くということは大変つらいことです。しんどいことです。自分にそんな心があるのかなと。聞かんほうが楽に生きられる。聞くとつらいですよ。
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親鸞聖人はこういうことも言っておられます。
「身・口・意のみだれごころをつくろい、めでとうしなして、浄土へ往生せんとおもうを、自力と申すなり。」(『血脈文集』)
私たちはいろんな夢を見るんですね。ああなれたらいいな、こうなれたらいいなという夢を見るんですけど、夢というのはいつか破れます。
私たちの願いというのは何かというと、自分の思いどおりに生きたいというのが人間の思いです。たとえば、自分の連れ合いや子供といった家族とか、自分の親しい人間を思いどおりにしたいんですよ。でも、現実は思いどおりにならないでしょ。
ましてや自分の身も思いどおりにならんです。「年には勝てんな」と言います。年に勝った人はおらんですよ。病気にも勝てません。いつか死んでいかんならん。もしも思いどおりになるなら、病気にならんし、年も取らない。
仏教は思いどおりにする方法を説いているのではなくて、思いどおりにならない現実を受け入れることを教えてくださるわけです。自分の目の前に起こってくる、自分の思いとは違う現実を引き受けることができる自分になれるということが、仏さまの教えを聞くという意味なんです。まわりを変えるんじゃなくて、自分が変わっていくということですね。受け入れることは難しいです。でも、仏さまの教えを聞くということはそういうことなんです。
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今は人間がだんだん劣化してきましたから、人間と関わるのも邪魔くさくなってきた。このごろは料理を作ってくれない奥さんが多いそうですね。このまえ東京の人に聞いたら、お茶碗や皿にサランラップを置いて、そこにご飯を盛ったり、おかずを盛りつける。お茶碗や皿を洗わなくていいでしょ。サランラップを捨てればいい。お茶碗を洗うのが邪魔くさい。若い人はだんだんとそうなっているというんです。そういうふうに邪魔くさいことを避けるようになってきた。そんなところにも人間の劣化が始まっているんですね。
我が家は8人家族ですけども、修羅場になりますよ。お互いがお互いを傷つけ合うのが修羅場というんです。包丁を持って争うわけじゃないですよ。言葉とか態度で相手を傷つける。私の妻は怒ると、私が声をかけても返事をしてくれない。態度で私を傷つけているわけですよ。あれも修羅場です。静かな修羅場です。
今の時代はできるだけ修羅場を避けようとする。たとえば、親夫婦と子供夫婦が同居しないでしょ。子供が結婚したら別居する。そうなると、嫁さんと姑さんとがこすれないですよ。「おかあさんの誕生日なのでプレゼントを持ってきました」と言って、ええ顔だけ見せたらいいわけですよ。関係がもつれない。
でも、修羅場になるということは大事なことなんですよ。なんでかというと、人間はもつれることによって自分の内なる地獄が見えてくるわけですね。自分の中にあるほこりが見えてこないと、私たちは自分という人間がわからないです。自分は中の上ぐらいだと思っているわけですから。そうじゃないですよ。私たちは下の下のようなことを思っているんです。
あるお寺の住職さんがこんな話をしてくれました。3人の娘が年取ったおかあさんを交替でずっと看ておったわけです。そのおかあさんがやっと亡くなった。私が「やっと」と言うたわけじゃないんですよ。娘が「やっと死んでくれたか」という心を持ったわけです。
長女はお寺によく参ってきていたので、住職が「お母さんが亡くなったことによって、あなたの地獄を見せてくれましたね」という電報を送ったんです。娘にとっては、お母さんを長い間世話したから、「よく世話をされましたね」とほめてもらえると思っていた。ところが、やっと死んでくれたと思った、「やっと」ということは、「早く死んでくれ」という思いが自分にはあったんだということを突きつけられたわけですよ。
それはこの娘さんだけのことじゃないんです。我々一人ひとりの心です。口には出さなくても「いつまでやろな。早よ死んでくれたらいいのにな」という気持ちが湧いてくるんですよ。皆さんも「早よ死んでくれんかな」と待たれているかもわからんですよ。待ってる人が特別に悪いわけじゃないんです。そういう心を人間は持っているんです。悲しいですよ、わが子が自分の死ぬのを待っているということは。
誰もが、つらくなれば「やっと」という、そういう心が出てくるんです。そういう心を私たちはメッキで隠してますわね。「親が早く死んでくれたら」とは、人には言わない。「一生懸命介護してます」というメッキしか持っていない。私たちはメッキをしたいと思うわけです。自分の本当の心をうまく包み隠して、人に悟られないようにして、人から「ええ人や」と言うてもらいたい。そういう包み隠したいと思うのがメッキですよ。
しかし、仏さまはメッキをはがして、「あなたは我が親でさえ早く亡くなってくれたらいいのにという浅ましい心を持った者なんですよ。恥ずかしい者なんですよ」と知らしてくださるわけです。そんなことを聞いたらしんどいですよ。
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私たちは日ごろの生活の中では、人間というのはきれいなものだ、親切なものだと思いますけども、不浄なものを持っているんですね。おいしいご馳走を並べられて、自分の口に入れるでしょ。一度、自分の口に入れたものは、上から出てきても、下から出てきても汚いでしょ。牛のようにもう一ぺん口から出して食べるということはしませんね。
食事中に電話がかかってくることがあるんですよ。そしたら、仕方ないから口に入れたものを出すんです。電話が終わって食べようとしても、口から出したものは食べられません。汚のうて。捨てないといけない。それと同じで、人間という身に入ると汚くなる。不浄なものになるんですよ。
もう一つだけ申します。仏さんは、人間が不浄だということによって、浄土とは何かを伝えたいわけです。人間は不浄だけれども、不浄なものを示すことによって浄土がわかってくるんです。どこかに浄土があって、「これが浄土ですよ」と、絵に描いたような浄土というものがあるわけではなくて、不浄ということを示すことによって、浄土を表すということですね。人間の不浄さが本当にわかったときに、浄土とはそういうものなんだなとわかってくる。自分の不浄さがわからなかったら、浄土はわからんのですよ。
人間の不浄さが本当にわかったときに人間はどうなるかというと、頭が下がってくるんですね。情けない自分であったなと。恥ずかしい自分であったなと。これじゃどうにもならんなと。頭が下がったところに浄土はあるんです。
自分の不浄さを教えてくれるのが仏さんの教えです。メッキがはげたらどうなりますか。人には見せられない、自分が隠していたこと、自分でも知らない自分があるとかね、よもやという自分が見えてきたときに、恥ずかしいと思う心が出てくるんじゃないですか。そういうことを知らしていただくことが、仏教入門ということです。そこで終わりじゃない。そこから始まっていくということが大事なことじゃないかと思います。時間になりましたので、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。
(2016年7月9日に行われました戦歿者追悼法会でのお話をまとめたものです) |
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