真宗大谷派 円光寺 本文へジャンプ

  キリスト教福音派と終末論

マイクル・シャーマー『なぜ人はニセ科学を信じるのか』 早川NF文庫

町山智浩『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』 文藝春秋

小林由美『超・格差社会 アメリカの真実』 日経BP社

グレース・ハルセル 『核戦争を待望する人びと』 朝日選書

岡崎勝世 『聖書VS世界史』 講談社現代新書

高木俊朗『狂信』 ファラオ企画

アメリカでは、聖書に書かれていることは一字一句正しいと信じている聖書根本主義(福音派)の人たちが全人口の25~40%を占めています。彼らは天地創造やアダムとイブの話、ノアの箱船の物語などは歴史的事実であると信じているのです。日本人にはちょっと理解しがたいことです。
となると、福音派の人たちは地球の歴史は何年だと思っているのでしょうか。
聖書の記述によると、神の天地創造は紀元前約四千年前のことだそうです。しかし、エジプトや中国の歴史はそれよりも古いですね。
岡崎勝世『聖書VS世界史』は、聖書に書かれていることを文字通りに信じていた中世の西洋人が、天地創造を紀元1年とすれば、それははたして何年前の出来事だったかを真剣に研究したことを教えてくれます。

では、現在のアメリカ人はどう考えているのでしょうか。
「1991年のギャラップ調査によれば、アメリカ人の47パーセントが、「過去一万年以内に、神がいまとそっくりの人類をつくった」と信じているという。また、「人類は原始的なレベルから数百万年以上の時間をかけて進化してきたが、その創造を含めて、すべての流れは神によって導かれたものだ」とする中道的な意見は、40パーセントを占めていた。わずか9パーセントの人々だけが、「人類は原始的なレベルから数百万年以上の時間をかけて進化してきた。神はそこになんら関与してはいない」と信じている。そして残りの4パーセントは「わからない」と答えている」(マイクル・シャーマー『なぜ人はニセ科学を信じるのか』)
アメリカでは約半数の人が進化論を信じていないわけです。特に福音派は、進化論はアメリカの道徳観と文化をおとしめるあらゆるものの根源であり、ゆえに子供に悪影響をおよぼすとして嫌っています。
「進化論は、人間至上主義の悪の部分、つまりアルコール、妊娠中絶、カルト、性教育、共産主義、同性愛、自殺、人種差別、猥褻な書籍、相対主義、麻薬、道徳教育、テロ、社会主義、犯罪、インフレ、非宗教主義、そのうえいちばんの悪徳であるハードロック、そしてじつにけしからん子供と女性の権利の容認といったものとともに滅びるべきだ」(マイクル・シャーマー『なぜ人はニセ科学を信じるのか』)

福音派の圧力で1920年代に公立学校で進化論を教えることを禁じた法律が各州で次々と作られました。それでも1968年にやっと進化論を教えることを禁ずる法律は違憲とされました。
ところが今度は、1960年代末~70年代初頭から、福音派は創世記の記述と進化論に同等の授業時間をで教えることを要求し、進化論は事実ではなく単なる仮説にすぎないと記載されるべきだとする運動を起こします。
1981年アーカンソー州で、1982年ルイジアナ州で、創造科学と進化論は学校教育の場では平等なあつかいを受けることが法律で定められました。しかし、1986年、ルイジアナ州の「創造科学と進化論の均等教育法」の合憲性の判断が最高裁で行われ、違憲判決が出ました。
それでもなお、創造科学(創造論は科学的根拠を有するという主張)は宗教色のない科学的証拠にもとづいているから進化論と同じように授業で取りあげるべきだという圧力がかけつづけられています。このあたりの経緯はマイクル・シャーマー『なぜ人はニセ科学を信じるのか』に詳しく書かれています。

マイクル・シャーマーは
「創造論者の言い分によれば、進化論に基準をおく生物学を認めないだけでなく、初期の人類の歴史にほとんど触れることもせず、宇宙論や物理学、古生物学、考古学、地質学、動物学、植物学、生物物理学の大半を否定しているのだ」と言います。
つまり、福音派は科学を否定しているわけです。ですから、科学を子どもに教えたくないために学校に行かせない親は少なくありません。
町山智浩『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』によれば、
「100万を超える自宅学習家庭のうち75%がキリスト教原理主義だ。高等教育を受けていない親が子どもを教え、それが下の世代に継承されていく」とのことです。代わりに福音派だけの大学を作り、聖書に基づく教育システムを作っているそうですが、どういうことを教えているのでしょうか。

アメリカに住んでいた人の話だと、福音派にかぎらずアメリカ人は自分に関係のないことには本当に無関心で、身のまわりのことだけにしか関心を持たないそうです。世界のことも知らないし、知ろうともしないのです。
町山智浩『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』にはこんなことが書かれてあります。
2006年に18歳~24歳のアメリカ人に対して行なった調査によると、88%は世界地図を見てもアフガニスタンの位置がわからず、63%はイラクの場所を知らなかった。
パスポートを持っているアメリカ人は国民の2割。
ナショナル・ジオグラフィックの調査によると、アメリカの地図をみてニューヨーク州の場所を示せない者が5割いる。
アメリカの成人の2割は太陽が地球の周りを回っていると信じている。
テレビや新聞のニュースを見ない人が多く、18歳から34歳のアメリカ人で新聞を読むのは3割に満たない。

なぜアメリカ人の多くはこんなに無知なのでしょうか。これもキリスト教の影響らしいのです。小林由美『超・格差社会 アメリカの真実』によると、
「アメリカ人は単に無知なのではない。その根には「無知こそ善」とする思想、反知性主義があるのだ」そうです。
「アメリカの大半の地域では、高等教育を受けた人に対する反感は一方で未だに根強い。本から得た知識や、理屈を捏ね回して出てきた結論よりも、原始的で直感的な判断の方が正しいという感覚や信念が強く、こうした直観的な判断力は、人工的な教育を受けた人ではなく、自然を教師にして素朴に育った純粋な人間の方が優れている、という暗黙の前提がある。だから、人々の感情に訴える現象は、大きな反響を呼ぶ」
「その背後にあるのは、開拓時代に普及したエヴァンジェリカル(福音主義。アメリカでは、カソリックに対する宗教改革派の総称)の教えだ。
エヴァンジェリカルの基本思想は、聖書を神の言葉とし、キリストを信じることによって、人々は聖職者というミドルマンを介在しなくても神と直結でき、救われるというものだ。そして神が人間に授けた基本的な知恵は、強い信仰によって強化され、強い信仰をもって優れたキャラクター(人格)に成長した人は、正しい判断が下せる。だから知識や教育よりも信仰の方が遙かに大切である。人工的な教育は信仰を弱め、神が人間に与えた本来の知恵を壊し、優れたキャラクターを作るうえで逆効果である。したがって高等教育を受けた人間は信用できない―、とつながるわけだ。(略)
だから大統領選挙になると、候補者は大統領たるにふさわしいキャラクターであることを強調し、決して学歴を宣伝しない」

余計な知識は聖書への疑いを増すだけであり、無知なものほど聖書に純粋に身を捧げることができるというわけです。

問題は、こうした聖書に書かれてあることは100%正しいと信じ込んでいる、世界のことに関心を持たない人たちがアメリカの政治を動かしているということです。そして、キリスト教は困ったことにいつかこの世の終わりが来るという終末論を説いているということです。

善と悪との勢力の最終戦争で世界は終わりになり、その時にキリストが再臨して、最後の審判が行われる。グレース・ハルセル『核戦争を待望する人びと』には、このことを文字どおり信じる人が大勢いて、かなりの勢力を持っていることが述べられています。

神の定められたことの成りゆきでは、善であるアメリカとサタンに率いられた軍隊とが核兵器を駆使するハルマゲドンが避けられない。しかし、このことは歓迎すべきことである。なぜなら、キリストが再臨すれば自分たちは天上に引き上げられるからである。善と悪との勢力の最終戦争で世界は終わりになり、その時にキリストが再臨して、最後の審判が行われる。

このように信じている以上、彼らにとって地球はかけがえのない惑星ではありません。資源が枯渇しようと、環境が破壊されようと、もうすぐ人間の歴史が終わるわけですから。

アメリカでは、テレビ、ラジオで宗教放送がなされて人気を集めています。そこでは多くの牧師がこうした教えを説いています。
自分は特別な人間であり、選ばれた人間であると考えることは気持ちのいいことでしょう。しかし、イエスを救世主として認める者のみが救われ、あとは永遠に地獄で苦しむと信じ、
「友人や身内が地獄に堕ちても、彼らの苦しみは天国で生き延びた者たちの心を悩ませないことになっている」と平然と語る人の、他者に対する徹底した無関心には恐怖を感じます。

あるいは、アメリカの歴代大統領と親交があるテレビ福音伝道者ビリー・グラハム牧師について、レイチェル・ストーム『ニューエイジの歴史と現在』は次のように書いています。
「道徳に関するビリー・グラハム理論では、犠牲者は犯した罪に対する責任を負ってその犠牲を担っているのだ、と考える。だから、黒人は、人種差別の罪を負っているし、北ベトナム人たち自身が、自分たちの国に破壊をもたらしたのだ。こうしたことはすべて、罪を犯した者が地獄を作り出す、という原理に基づいている」
自分の都合のいいように教えを歪める人は珍しくはありません。しかし、人の痛み、苦しみをまったく見ようせず、苦難は自分のせい、自己責任だと決めつけるたわごとを信じる人が大勢いることは本当に不思議です。

キリスト教徒だけが狂信者なのではありません。敗戦後、ブラジルでは日本が勝ったと信じる勝組(信念派)と負組(認識派)に分かれて争いました。この事件はまことに奇々怪々な出来事です。
高木俊朗『狂信』によりますと、勝組が負組を襲うことがくり返され、殺された者17名、巻き添えで死んだ者が1名、重軽傷は11名、暗殺者側は1名死亡、負傷2名、そしてブラジル人の死亡者は2名です。

ブラジルの日本人の大部分は、どうして日本が負けたことを認めることができなかったのでしょうか。
「そこまで、たくさんの日本人が、日本の戦勝を信じ、その上、長い間、その信念を変えなかったというのは、原因はなんでしょうか」
と高木俊朗は負組の指導者に尋ねます。
「その根本は、天皇崇拝、皇室中心主義のためでしょう。戦争後の天皇陛下の地位が変わったことや、母国民の陛下に対する考え方の変わったことは、勝組の人たちには、まったく理解できなかったのです。神様天皇が人間天皇になられたといっても、本気にできないわけです。これが、日本の実情を理解できない一番大きな障害でしたな」
忠君愛国の教育、そして教育によって植えつけられた神州不敗の信念、ということです。

『狂信』の初版は昭和45年、角川文庫版が昭和52年発行です。
角川文庫版のあとがきには、昭和48年に勝組の三家族14人が日本に帰ってきたことが書かれています。彼らは、やはり日本は負けていないと断言します。どうしてか。

「天皇がいる限り、日本は負けない、というのだ。敗戦ならば、天皇は責任をとり、生きているはずがない、と信じていた」

暗殺者との対話。
「どうして、殺すつもりになりましたか」
「山岸隊長(暗殺隊の隊長)が殺せと命令したからです」
「それでは、あなた自身が殺さねばならないと考えたわけではないのですか」
「そうです。自分はなんとも思いません」
「そんなことで、人を殺してもいいのですか」
「山岸隊長が殺せといったから、やっただけです。それは天皇陛下が殺せといわれたのと同じです」

暗殺者の言葉はオウム真理教を思わせます。

高木俊朗はこう言います。
「なぜ、この人たち(勝組の人)は、同じことを、同じ調子で話すのか、と考えた。そして、ふと思い当たったのは、新興宗教などに熱中した信者のことである。彼らは自分たちの信仰を絶対と信じ、それを、他人の気持を無視して、押しつける」

そして、こう締めくくります。

「かつての軍部の狂信者は、日本を破滅させた。今日、軍国主義や皇国思想の復活をはかる者は、勝組と同じ狂信者であろう」