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  本田 哲郎神父
      「愛することより大切にすることを求めたい
           ―平和を実現するために―」 
                                2011年7月8日

   一、釜ヶ崎の仲間から気づかされたこと

  1 親鸞とフランシスコ

 本田哲郎と申します。みなさんの前で話をさせていただく機会をいただきましたことに感謝しております。私はカトリックの神父です。大阪の釜ヶ崎に「ふるさとの家」という日雇い労働者の支援施設があって、そこを軸にいくつかの活動にかかわっています。浄土真宗のみなさんにキリスト教の宣伝をしようという気はさらさらありませんからね、ご心配なく。
 私はキリスト教のことしか知りませんけど、人間が救われるのは、キリスト教も含め宗教によってではないんだなと、68歳のこの年になって、ようやく気づきました。だから、キリスト教を広めて信者になってもらい、救いを得ていただくという発想を完全に卒業してます。キリスト教がだめだからほかの宗教で、ということはありません。

 親鸞聖人はすごい方だなと尊敬しています。私の大学での修士論文は「親鸞聖人とアシジのフランシスコ」という題でした。イタリアのアシジの人フランシスコ(1182年~1226年)は親鸞聖人(1173年~1262年)と同じ時代を過ごした方なんです。二人は非常に似てるんですよ。
 親鸞聖人の書かれたもの、あるいは親鸞聖人について書かれたものを一生懸命読みました。そして、読めば読むほど私自身が解放されていく。それまでの宗教からの決まりとか掟といった厳しい要求に、親鸞聖人はこだわらなかった。無視するんじゃないんですよ。それにとらわれない。
 従来の仏教が「これはだめ」「これは我慢しなさい」と言ってきたことであっても、親鸞聖人は「仏様はそんなことを要求されていなかったでしょ。もっと大事なことを伝えようとされてたでしょ」と、そんなところで動かれた方のように私には見えるんですよ。人を宗教で型にはめることを戒め、人としての尊厳を何よりも大切にされた方だと思いました。
 フランシスコもそうでした。フランシスコもローマ・カトリック教会の伝統の中で登場したんですけれど、さまざまの宗教的な決まりは、それはそれで守れるんだったら守りましょう、だけどもっと大切なことが目の前に起きたときには、そちらを優先しよう、そういう自由な発想だったわけなんですね。掟よりも人を大切に、です。
 フランシスコはすべての人をひとりひとり、自分の「きょうだい」という感覚で見てたんですね。そして野の草木、空の鳥、虫や動物たちにも、同じ感覚をもったようです。教会が命じているから、どうしなければならないというのではなく、それより前に、人が人として大切にされることを、神さまは望んでおられる。そこからもっと自由な、もっと本質に迫った生き方をした。そういうのが私は大好きでね。
 そういう意味で、親鸞聖人とフランシスコの二人はすごく似ている。神さま、仏さまの心を具体的に生きた人たちです。洋の東西に分かれてはいましたけれど、同じ時代に、同じような感性の人が登場していたんだなということに感動を覚えます。二人とも尊敬しているんです。

  2 釜ヶ崎と私

 私は釜ヶ崎という、大阪市西成区にある日雇い労働者の街に移り住んで24年が経ちました。私は宗教者だから、貧しく小さくされている釜ヶ崎の人たちに、何かを教えてあげなくちゃという思い上がっ気持ちも、多少あったわけですよ。だけど、とんでもないことだった。逆でした。
 痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りを身をもって知っている人たちは真実が見えている。不思議だなと思いました。私たちは、しんどかったり、めんどくさかったり、くやしかったりする時には、真実や正義の思いであってもいっとき脇へのけて、平穏な暮らしに逃避することをしてしまいます。けれども、ゆとりもなく、とことん小さく、貧しくされている仲間たち、先輩たちというのは、「人間としていちばん大事なことはこれだ」というものを、いつどんなときにもはっきりと持ってらっしゃる。それは法律とか決まりよりも大事なことなんですね。

 私はクリスチャンとして台湾の台中で1942年に生まれました。敗戦になる三年前です。私の両親は台湾の製糖会社で働いていました。私が小学生のころの日本地図は、領土が赤い色で塗ってあるものでしたが、朝鮮半島と台湾も赤い色でした。つまり、侵略した日本の領土だったんです。そこで生まれたわけです。
 私は生まれて二ヵ月後に洗礼を受けて、クリスチャンとして育ったんです。敗戦後、両親のふるさと奄美大島に引き上げてきて、さんご礁の海と教会の庭と信者の家族の中ですごしました。聖書の勉強とか、教会の教えで、これは大事なことと気づかされることはいろいろありました。しかし、宗教を通して教わることよりも、痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りの中にある人々が、身をもって訴えていることにこそ真実があり、それこそが大事なことだと納得しています。聖書に語られているメッセージは、まさにそのことを告げているのです。

 それは仏教で言えば、仏さまがいちばん望んでいらっしゃることを、社会で小さくされ、「悪人」呼ばわりされがちな彼ら、彼女らがいちばん知っていて、いちばん求めているということではないでしょうか(親鸞聖人の「悪人正機」の教え)。仏さまが、キリスト教的な言い方をすれば、父である神が望んでおられることは、実は痛みを知っている仲間たちが訴えているそのことだったんだ、ということですね。おそらく、仏教の教えもキリスト教の教えも、行き着くところはそういうところにあるんじゃないでしょうか。
 痛みを自分のものとして抱えている先輩たち、仲間たちは、お経や聖書の中のいちばん大事な教えを、知らないうちに身につけていらっしゃるんだなあと感じます。
 宗教家は宗教家なりに、お経であったり、聖書の言葉であったり、そこから真実に近づこうとしているわけですけれども、そうして気づかされた教えの真実と、釜ヶ崎の仲間たち、先輩たちが自然体で身につけている感性とが、なぜかぴたっと合うんですよね。
 教えてあげよう、救ってあげたいという不遜な思いもどこかにひそめて、24年前、釜ヶ崎に行ったわけですけれど、そうじゃなかった。むしろ、こちらの理解が及ばなかったことを、現場の仲間、先輩たちが気づかせてくれる。気づかせてもらって、もう一回、聖書を読み直してみる。「ああ、ちゃんと書いてあった。意味を誤解していた」ということも、しょっちゅうです。
 浄土真宗の場合でも、お経を読みながらわかったことはたくさんあると思いますが、それでも、いまいちピンとこないな、というようなことは必ずあるでしょう。そういうところは、自分がだんだん年を取っていってさびしい思いをしたり、体力がおとろえてきて、若い時に当たり前にできていたことができなくなって悔しい思いをするようになる。そのつもりはなくても、自分の存在が小さくされていく体験をするようになってくると、お経の教えそのものが、順調にいっている時にはわからなかったことがピンとくる。「あっ、仏さまがおっしゃりたかったことは、これなんだ」というふうにわかるようになるはずです。私の体験から、そうなんですね。
 私は、宗教者として釜ヶ崎の人たちに何か教えようという気持ちを、今は一切捨てています。それどころか、私が宗教者としてはたすべき使命は、何かを教えることことではなかったんだなというのが、今の実感です。それよりも、自分よりもっと仏さまに近い、もっとイエス・キリストの生きざまに近い仲間たち、先輩たちに、自分の感性が仏さまの感性と同じであること、その事実に気づいてもらうことこそ、宗教者の役割だったのだと思うようになりました。ですから、より本気で、真実を教えてもらおう、感性を学ばせてもらおうという姿勢で、仲間たちにかかわることにしています。

  3 「人からもらって食べなくてもいい社会に」

 釜ヶ崎に行った当初、一回の炊き出しに2600食を準備しなければならなかったこともあったんです。長い列ができます。公園の中で蛇行してもらって、順番に炊き出しにたどり着くようにやってもらうんです。
 私は最初のころはアホだったから、いいことをしているつもりで、炊き出しをいそいそとして「どうぞ」と渡すんですね。たまに「兄ちゃん、おおきに」といわれる。そのころまだ私は40代でしたから。「兄ちゃん、おおきに」と明るく言われると、何かうれしいわけです。
だけど、そう言ってくれる人って、意外と少ないんです。私は根性わるいですから、最初のころ、この人たちは感謝の気持ちをなくしていると、そんなふうな偏見で見ていました。そして、子どものころに親から聞いた「貧すれば鈍す」という言葉を思い浮かべたりしたわけです。貧しくなると心まで鈍くなる、礼儀もわきまえなくなるのか、と。人にものをもらって「ありがとう」のひと言ぐらい言って当たり前じゃないか。そんなふうな、生意気なことを考えていたんです。

 ところが、ある時、それはとんでもない見当違いであることに気づかされたのです。
 気づかせてくれたのは、あるひとりの親しい野宿労働者でした。この人は結核をわずらっていて、仕事にアブレた日は、よく道ばたで夜を過ごしていました。その彼が「マザー・テレサは大した人やなあ」と言うから、「あの人、すごいやろう。カトリックのシスターやで」と言ったら、彼は「うん、あの人はノーベル平和賞をもらったぐらいの人やろ。だったら、もう少しほかにやることあったやろ」と言うのです。マザー・テレサは、そのころの私にとって、尊敬すべき模範でした。道ばたで亡くなりかけている人を見つけたら、その人に「もう一人のキリスト」を見て、敬う気持ちで声をかけ、「死を待つ人の家」に連れて行って手厚く看病する。最期を看取る時には手を握って、「あなたの宗教は」と尋ね、「ヒンズー教」とわかったら、ヒンズーのお経の一節を一緒に唱える。「イスラム教」だったら、コーランの一節を一緒に祈る、という人だったようです。私のその友人の彼も、そのことは知っていたようです。それなのに、どうして「ほかにやることあったやろ」なのか。
 何でそんなことを言うのか、彼に尋ねたところ、次のような答えがかえってきました。自分も独り暮らしで、野宿をしている。自分が死ぬ時に看取ってくれる人は誰もいないだろう。マザー・テレサのような人がいてくれたら、ありがたいのは確か。「だけど、そんなふうに死なんでもいいように、世の中変えてくれたら、もっとありがたいなぁ」と。私は、心を打たれました。
 腹をすかせている人たちに炊き出しをすることは、必要なことです。大事なことです。だからかもしれません。「どうぞ」と差し出す側には、すごくいいことをしているという、ほのかな充足感があるものです。出すほうはそう思うわけですね。だけど、列に並んで食べなきゃならない側からしてみたら、つらいんですよね。たとえ、その炊き出しが心のこもった、おいしいごちそうであったとしても、大のおとなが人からものをもらって食べる、そんなつらいことはない。いくら善意の人たちからであっても、もらってご飯を食べなくてもいい社会にしてほしい、ということなんですね。

 夜回りについても、それと同じような、はっとする示唆を受けたことがありました。夜回りというのは、おにぎりとお味噌汁を用意して夜の10時前ぐらいに出かけて、道ばたに寝ている労働者に声をかけて渡していきます。安否確認でもあるわけです。冬なら、食べ物だけでなく、毛布やカイロも用意していきます。帰りは12時過ぎたりします。
 ある夜回りの翌日、「ふるさとの家」で労働者の散髪をしていた私のところへ、一人の労働者が笑顔でやってきて、「本田さん、ゆうべはありがとうな」と。夜回りのときことばを交わした顔見知りの野宿者でした。「ありがとう」といわれて、なんか報われた気持ちになったんですね。しかし、そのあと、しみじみとこう言うのです。「だけどなあ、ああいう姿、自分の娘にだけは見られたくないわなあ」。ずきんと胸に刺さりました。
 自分は大事なことを勘違いしていたことに気づかされたのです。私は「彼らのためにいいことをしている」としか考えていませんでした。その「いいこと」が、同時に彼らに「つらい思い」をさせてもいることに、考えが及ばなかったわけです。
「ああいう姿、娘にだけは見られたくないわなあ」という思いに、気づきませんでした。災害時の、一時的な緊急避難ならいざしらず、問題解決のめどもないまま人からものや食べ物をもらってしのがなきゃならない自分・・・。何年も前に別れた娘、ひそかに成長を思いえがいている自分の娘に、こんな姿は見せられない。そんな気持ちをあいてに起こさせる夜回りでもあるのだ、決して誇れるようなことではない。

 どんぶりを渡してるのに愛想がないからといって、文句を言えることではなかったんだ。そこそこ足りてる者同士とちがう。食べ物をもらって、「ありがとう」と言葉を返すことで人間が豊かになるという考えは、足りている者たちの発想でしかないんですね。むしろ仕事があれば、誰の世話にもならず、堂々と食堂ののれんをくぐって、自分のふところと相談して食べることができる。そういう状況を造り上げる支援、それだったら胸が張れるんじゃないですか。
 だけど、しばしば私たちは「ないからあげる」というようなことがすごくいいことであるかのように思い違いをするんですね。だからといって、「じゃあ夜回りなんかしないほうがいいのか。炊き出しなんか失礼だったね。明日からやめます」ということではないんです。
 たとえば阪神大震災があった時、そしていま、東日本での震災、津波、そして原発事故と重なって、大変な状態になっている。ほっとけなくて、みんな必死になって応援に行き、炊き出しを初め、いろんな品物を融通することをやってますよね。それはぜったい必要で、ものすごく大事なことです。
 しかし、手を貸し、物を融通する側が、それを賞賛に値することであるかのように錯覚してはならないということですよね。「ごめん。こんなことしかできなくて。見ず知らずの我々からものをもらって、その日を過ごさなくてはならないあなたの気持ちはわかってます。急場のしのぎとしてこれで我慢してください」という姿勢での関わり方が大事ですよね。

  4 釜ヶ崎の仲間を通して聖書を読む

 助け合うことは大事です。しなきゃならない。だけど、それがすごくいいことをしているかのように勘違いしてしまう。聖書の中に勘違いさせる言葉があるんです。イエスが「人生の最後に、それぞれの生き方に応じて神さまの裁きを受けなきゃならないよ」みたいな話をするんですけど、その中でこんなことを言っています。

「私が飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」

 つまり、飢えている人に食べ物を与えること、これは神さまにしてさしあげていることなんだと思わせるような言い回しで聖書に書かれています。
 だけど、私が釜ヶ崎に行って労働者から気づかされたことは、「そんなことで得意顔をするな」ということでした。誰が好きこのんで人からものをもらって生活したいと思うか。どうして、にこやかに「ありがとう」と返事ができるか。そういう訴えだったわけですよね。
 だけど、聖書にはいいことだと書いてあるんだと、教会では行け行けドンドンでやってきたわけです。「持っていない人に寛大に分けてやるのはいいことだ」というふうにしかインプットされてないわけです。しかし、現実との違いをほっとけなくなって、あらためて聖書の原文を読み直した。原文でも日本語聖書と同じことを言っているのか、ということで調べ直したわけです。調べてみたら、なんと原文はちゃんと釜ヶ崎の仲間たちの思いにそうようなことが、きちんと書いてあった。

「私が飢えていた時、自分で食べていけるようにしてくれた。私が渇いていた時、自分で飲めるようにしてくれた」

 そうなんです、これが大事なんです。ない人には施してやれ、ということではなかったのです。やはり、痛みを知る人たちこそ、仏さまの心、神さまの心をもっているんですね。
 だから、お経をもっと深めたい、聖書の教えをちゃんと知りたいと思うとき、学者や宗教家に尋ねるよりも、痛みの現場にある方たち、たとえば、年を取られて介護を受けなければならなくなった先輩の方たち、いつも病気がちで、遠慮しいしい小さくなっていなければならない仲間たち、ある意味で社会の中で小さくされている人たちの感性に学ぶほうがいいんですね。
 イエスの教えというのは、学問をして深められるものではない。むしろ痛みを共感、共有するところから、見るべきものが見えてくるものです。仏さまの教えもそうじゃないのかなと思っています。そのようにして書かれていることを正しく理解してはじめて、聖書のことばそのものが生きていく力になる。元気が出てくる。そういうものかなと思います。


   二、愛することより大切にすること

  1 二人の父

 今日の集まりは戦没者の追悼法要ですので、戦争反対、平和が実現するようにという熱い思いが基調にあると思います。
 私の父親は徴兵され、東チモールの近くの海で、水雷か機雷かで船が爆発して戦死しているんです。二等兵でした。いつ亡くなったのか、確認はできていないんです。敗戦の後、三年ぐらい経ってから白木の箱が届いて、その中に父親の名前を書いた紙切れが一枚入っていただけと聞いています。
 そのあと、姉二人と私を産んでくれた母は、戦死した父の弟と再婚するんです。この二番目の父も、徴兵で満州に行っていたそうですけど、つらい経験をしたみたいです。私はこの二番目の父に育てられたわけです。この父は日曜大工をしながらよく軍歌というか、当時の流行歌を歌ってました。そして、正月になると、几帳面に門のところに日の丸の旗を出してました。どこの家でも祝祭日には日の丸を掲げるし、学校では式典があるたびに君が代を歌っていました。子ども心に、そうするもんだと、ずっと思っていたんです。
 この父も三年前に亡くなったんですけど、なぜか亡くなる十数年前から日の丸を立てなくなった。そして、軍歌も歌わなくなった。時々ですけど、私が釜ヶ崎の話なんかちょこっとしたり、貧しい人たちはあわれみや施しよりも、働けること生活できることを望んでるというような話をする、一緒に反天皇制のデモに行ってると言うと、言葉少なに「そうだよなあ」と言うようになってました。いつかしら父の考えも変わってきてたなというのを感じました。

  2 戦争の大義名分

 戦争というのはすべてのものを壊してしまう。何もいいことはない。それなのに戦争をやる理由としてまことしやかなことを言います。たとえば、アメリカは「イラクが大量破壊兵器を持っている」と言って戦争を仕掛け、イラクをつぶしましたよね。大量破壊兵器などもってはいませんでした。ベトナム戦争のときは、共産勢力がベトナムを支配してしまわないように、民主勢力をを守るというお題目だったわけです。アフガニスタン侵略も民主化のためにという崇高な理由ですよね。
 どんな立派な理由を掲げようと、侵略して住民の血を流すこと自体とんでもない大犯罪なわけですよね。歴史的にも同じことがくりかえされてきました。キリスト教による十字軍の派遣は、イスラムの人たちが邪教にまどわされている、すばらしいキリスト教を伝えて救いをもたらすのだという理由で、大勢の人を殺しました。
 どんなに主義主張が立派であっても、戦争になれば、そんな主義主張は何の意味もなくなる。そこで生活する住民が死んでいくんですから。死んでいくのはいつも弱い立場の人たちが先です。金持ちや権力者、政治家はいくらでも逃げ道はある。爆撃を受けるにしても、どこに爆撃があるか前もって情報を得ている。
 貧しい人たちは、戦闘に駆りだされて戦死し、あるいは家を焼かれて逃げまどうなかで死んでいく。どんな立派な理屈で戦争が始まったとしても、結果は一つ、死と破壊だけです。母親はおっぱいが出なくなって赤ちゃんを餓死させる。年を取ったお父さん、お母さんが老後がうしなわれる。これが戦争です。どんな理屈であっても、戦争はいけない。

  3 九条と「公教戦時活動指針」

 そういうことの反省も含めて、日本国憲法第二章第九条にはこう書いてあります。

「第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 すごいことが憲法で決まっている。けれども、こういう文章というのは、いくら憲法であっても、文章のままでは、値打ちはないですよ。宗教の戒律と同じです。書かれていることが、書かれているとおりに実行されなければ、ないのと同じじゃないですか。
 憲法九条がちゃんとある中で、自衛隊という軍隊も軍備も存続できてしまうわけです。「解釈」という逃げ道があるからです。「自衛隊の存在はまるまる今の憲法で大丈夫です」という話になっているわけでしょう。
 憲法には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とはっきり書いてある。小学生がこの憲法を読んでも、自衛隊は憲法違反なんだよとわかります。ところが、権力を持った人たちは平気で曲げていくんです。それは宗教家についても同じです。

 仏教については知りませんけど、キリスト教について申し上げたいと思います。「日本天主公教戦時活動指針」というのがあります。天主公教会というのはカトリック教会の戦中戦後のころの呼び名でした。昭和18年9月28日にカトリック教会が出した正式な公文書です(「声」誌 1944年6・7月号)。綱領が2つ、実践項目が十あります。綱領にはこんなことが書いてあるんですよ。
「本教団の総力を結集して大東亜戦争の目的完遂に邁進すべし」
 宗教団体が「戦争に邁進すべし」とやっちゃうんですから。日ごろ「愛と平和」を標榜するキリスト教なのに、です。聖書に語られるイエス・キリストの思い、生きざまはそれと正反対であることは明かであるにもかかわらず、がんばって戦争をやろう、と言えてしまう。人間はこういうさもしいところがあるんですね。
 実践項目の一番は、「いよいよ忠君愛国の誠を尽くすこと」です。天皇陛下万歳ということですよね。四番は、「自由主義的諸思想の撲滅に努め、いよいよ必勝信念の高揚をはかりて、思想国防の完璧を期すること」。それから六番、「挺身奉公の実践に努め、戦力の増強に寄与すること」。おいおい、教会がそこまで言うか。「愛と平和のキリスト教」が堂々と正反対のことを、しかも教会の権威をもって出したわけですよね。普段、どんなに宗教としてご立派なことを並べて、にこやかな顔で挨拶し合ってても、こういう状況になると、ころっと変わってくる。「私たちの信じていた宗教はなんだったの」という話になる。
 だから、「お経にはこんな立派なことが教えられています」と言われても、それで安心しないでください。聖書に「互いに愛し合いましょう」と書いてあるんですよ。聖書に書かれていることばなど、何の突っ張りにもならない。

  4 平和とは

 私たちが絶対守らなければならない平和というのは何だろう。まず当然のこととして、戦争なんかないことでしょう。しかし、戦争がなければ平和だと胸を張れるかといえば、それだけでは平和とは言えませんよね。だって日本は太平洋戦争で完璧に負けて、新憲法が作られて65年間、たしかに戦争はしていません。それなのに平和の実感はないままです。釜ヶ崎では毎年「安心して働き、生活できる釜ヶ崎を」というスローガンを掲げつづけなければならないわけですよ。安心して暮らせない平和など、本当の平和であるはずがありません。
 平和であるはずの日本で、自衛隊は兵力を増強しています。戦闘機を古くなったから新しい機能をもつやつに変えるとかね、迎撃ミサイルによる防衛体制が必要だとか。沖縄の基地の問題にしても、普天間から辺野古に「移す」「移さない」ですったもんだしている。別の島に新しい基地を作ろうという話になる。これはすべて戦時体制以外の何ものでもありません。平和憲法のもとで軍隊を増強し、軍備の拡充が進められているわけです。

 いったい、平和って何なのって、あらためて問い直しておかなければならないようです。そして、どういう手順でその平和を作り出すことができるかを知っていなければならないと思います。
 聖書には「平和」と訳される「シャローム」ということばがあります。「シャローム」の意味は「傷ついたところがどこにもない状態」です。100人のうち99人が満足していても、のこりの1人がその99人のためにつらい思いをしいられているなら、それはシャロームと言わないんです。こういう平和理解こそ、大切にしたいと思います。
 平和を実現するための努力って、日常生活の中で始めることなのですね。自分の身のまわり、近くにいる誰かがつらい思いのまま放っておかれていませんか。もし一人でもそんな人がいたら、ほっとかない。本人が「もうだいじょうぶ」といえるようになるまで、連帯しつづけるべきでしょう。そういう関係性を普段から作っていく。それができて初めて、平和に向かって努力していると言える。
 別に国が動かなくてもいい。県とか市町村が音頭をとらなくてもいい。自分のまわりでしんどいまま放っておかれている人が、安心して暮らせるように、まず自分から動いていくことが平和のための働きです。
 宗教、関係ありません。文化の違い、関係ありません。どんな社会、どんな地域であっても、いちばんしんどい思いをしている人と関わることです。それが平和のための働きです。学者や政治家たちに考えてもらうようなことではないということです。具体的に動く中で、あるいは地域社会に働きかける必要が出てくる。あるいは経済界に訴える必要が出てくる。教育畑で働いている方たちを引き込むほうがいいということになったりする。弁護士の方々の協力を求めることにもなる。そして、政治に物申すことにもなっていくはずです。それが平和運動でしょ。
 
  5 自らの加害者性

 宗教が、いいと思ってやっていることで、実は社会に害をもたらしていることがあることに気づくことも大事ですよね。自分たちの加害者性に気づいていくということです。宗教者たちに共通する加害事実は、弱者に対する偏見と、上から目線による人権蹂躙、尊厳の否定です。そんなつもりは毛頭なくやってしまっていることに気づかなければなりません。

 キリスト教を例に取ってみると、聖書の大事な教えとして「人を裁くな」という言葉があります。だから、「人を非難してはいけないんだ」と教会は教えてきました。信者たちもそれを納得しているわけです。でも、それって、ものすごい害をもたらしているんです。弱い立場の人がまわりからから抑圧され、いじめられたり、無視されたり、軽んじられたりしているときに、「人を裁いてはいけません」「文句を言ってはいけません」というように抑え込む役割を教会が率先してやってしまっている。やられている人たちに柔和を求め、忍耐を求め、我慢させて、いじめる側、抑圧する側に対しては、友としていい顔をし、その正義にもとる行為をとがめることをしない。これが宗教界一般に共通する犯罪です。
 神さまが望んでいるのははそんなことではないはずです。同じ聖書の中に「あなたたちは天使をさえ裁く資格があるのです」ということばもちゃんとあるんですよ。聖書には「裁くな」と「裁きなさい」の両方があるんです。その「裁く資格があるあなたたち」とはどういう人を指しているのかというと、社会の中で小さく、弱い立場に立たされている人たちです。そういう人たちに向かって、あなたたちは堂々と裁いていい、批判していいのだ、と言っているわけです。聖書に「裁くな」書いてあるのは、強い立場の者たちに向かってのことばでした。弱い立場の者をあなたたちが裁く資格はないという意味です。
 それを教会は「裁くな」ということばだけを絶えず人々にインプットして、社会の底辺からの突き上げを抑えてしまう。何ごとにも不平不満をいだかない従順な人を作り出すことで、社会は安泰するんです。保守的な体制を守りやすくすることに、教会が手を貸しているともいえるわけです。このような宗教の加害者性に気づかなければ、本当の意味での平和のためのはたらきはできません。

 たとえば、広島の平和運動が活発であることは事実ですね。世界にも知れ渡っています。その広島の平和運動はなぜ活発になり、重みを持つようになったのか。それは単なる被害者としての、被爆体験者の平和運動だからじゃないと私は思っています。広島の平和運動を担う人たちが、自分たちが被害者であると同時に、加害者でもあった事実に目を向けるようになったからでしょう。
 広島は軍都でもあったこと、呉はアジア侵略の海軍基地だったこと、毒ガスを作っていた島が広島あった事実に目をむけ、よくよく考えたら、自分たちは加害者でもあったということに気づいたときから、真の平和運動に変貌できたわけでしょう。そこに本当の値打ちがあるんですよ。
 同じ被爆を経験した長崎でも、三菱造船で軍艦を造っていたという加害者性はあるわけですけど、そのことに気づいて言及していくということが、まだ広島ほどは表に出てきていない。自分たちの加害者性を認めたうえでの平和運動には、やはり説得力がありますよね。

  6 「愛」「大切」

 キリスト教の愛の教えも、社会に大きな害をもたらしていると私は言いたい。「神は愛である」とか「敵をも愛しなさい」「互いに愛し合いなさい」という聖書のことばが、どれほどまじめな人たちをくるしめてきたか、教会はまだ気がつかない。
 たとえば、自分の連れ合いを愛するように友達の連れ合いをも愛したら問題でしょう。不倫になります。やっちゃいけませんよね。できるはずもないこと命じられて、まじめな人ほど途方にくれるわけです。
 聖書の大事な教えの一つとして、「自分を愛するように隣人を愛しなさい」というのがあります。だけど、本気で実行しようとしてみたら、すぐに分かります。「できない。無理なことだ」ということがわかるはずです。やろうともしないで、建て前として立派な教えだと思っている間は、何の問題も起きないんです。やろうとしてみたら、実行不可能。それでは意味がないじゃないか。

 聖書がなぜ実行不可能なことを命じているのか。私はどうしても納得がいかなくて、原文にさかのぼって調べてみました。「愛しなさい」と訳されてきたアガパーテの原意は「大切にしなさい」であり、「愛」と訳されてきたアガペーの原意は「人をその人として大切に思うこと」でした。目からうろこ、でした。
 愛しなさいといわれたら、まずは好きにならなきゃいけないと、だれでも思ってしまう。そのうえで、愛情をもてるようになれということか、と。好きでもない人を好きになるったって、ある程度努力はしても、苦手な人いますよね。いくらがんばっても好きになれない人。まして愛情をもてるようになるなど、考えられもしない人って、いるものですよね。「愛せるようになるなんて、とてもじゃないけど無理です」と言いたくなる。好きとか嫌い、愛するとか愛せないは、意志や努力とは無関係のことだからです。人間て、そういうものなんですよね。

 聖書が命じていたのは、好きになれない人を好きになれとか、愛情を感じないあいてを愛するようになりなさいということではなかった。だれでも自分が大切にあつかわれることを願っている。そのように、その人をその人として大切にしなさい、ということでした。だから、あいてを好きになれなくても心配しないで。愛情を感じなくても、それはそれで大丈夫。でも、大切にしなさい、というのが、実は聖書の本当に意味だったんです。
 「敵をも愛しなさい」も正しくは「敵をも大切にしなさい」でした。弱い立場の仲間たちを平然と差別し、見下し、虐げてかえりみない人たちは、私にとっては「敵」(敵対する者)ですよね。それが宗教者であろうと大臣であろうと許せません。そういう人たちを好きになろう、愛せるようになろうとは思いません。思うべきでもありません。イエス自身、差別的な偽善的な宗教指導者たち(ファリサイ派、律法学士など)とあくまでも敵対し、歩み寄ることはしていません。やってはならないことなのです。彼らを好きになろうとか愛そうとか、そういう努力の影も見えません。にもかかわらず、イエスは言うのです。そういう敵対する関係だとしても、好きになれないあいてでも、「大切にしようよ」と。そういう彼らを大切に思うからこそ、イエスはファリサイ派の人たち、律法学士たちの非を容赦なく糾弾し、改めることを求めつづけたのです(マタイ23章を参照)。
 だれかを好きになることはすばらしいことです。だれかを愛せるようになることもとてもすばらしいことす。でも、それよりもっとすばらしいことがある、あいてをその人として大切にすること、これがいちばん大事なことだよ、と聖書は教えてくれているんですね。

  7 善良な人の線引き

 だれでも一万円札が好きですよね。一万円札は誰の写真ですか。「最近見たことないな」なんて言わないでくださいよ。福沢諭吉です。『学問のすゝめ』を書いた人で、「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」と言った人なんですよ。すばらしい人格者だったんだなと、だれでも思いますよね。だから一万円札に写真が載るんでしょう。
 だけど、福沢諭吉は明治30年、亡くなるちょっと前に『福翁自伝』を書いています。そこになんと言っているか。
「人を目下(もっか)に見下すこともまた甚だ嫌いである。例えば私は少年の時から人を呼び捨てにしたことがない」
 すばらしい人だなあと思いますよね。ところが、そのあとになんと書いてあるか。
「車夫、馬丁、人足、小商人(こあきんど)のごとき下等社会の者は別にして、いやしくも話の出来る人間らしい人に対して無礼な言葉を用いたことはない」
 すごい差別です。「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」とどうつながるのと思ってしまいます。

 宗教を大事にしているみなさんは、門徒として仏教を依りどころとして生活しているでしょう。ところが、仏さまの教えを聞いていながら、結局は福沢諭吉的な線引きを平気でやってはいませんか。「常識のあるいい人、話のわかる人に対しては決して見下げたりはしませんよ」と、心の中で言うんじゃないですか。公園で寝ているホームレスの人たちについてはどうですか。ああいう人たちは無視、関係ない。それだったら福沢諭吉と同じですよ。
 私たち多くの善良な市民は、平気で線引きをやるんです。「仏さまはそういうことを求めておられるんですか」と、そう問い直してみたら、そんなはずはないとわかるのに、自然のままでいると、知らないうちに線引きをしているんですよね。それが怖い。

 その問題性。宗教を大切にして生きようとしている私たち自身が、そんな線引きをしているとしたら、親鸞聖人に怒られるかもしれませんよね。
 キリスト教でも同じなんです。人を人として大切にする。自分が大切にしてもらいたいように人を大切にする。これが隣人愛のエッセンスですね。だけど、「この人たちは別」というような線引きをするなら、何のための宗教なのか、何のための信心、信仰なのかという話になるわけですよね。

 ですから、平和のとらえ直しと同じように、「だれがいちばんしんどい思いをしているの」と、たえず自分に問いかけて、その人たちの側に立って、痛みを共有させてもらって、そこから物事を解決していこうとすることが大事です。その人たちの問題をどう処理するかも視野に入れながら、その人たちの目から見て何が大事なことかをわかった上で連帯し、協力してそれを実現させるように動いていく。それが人を人として大切にするということです。仏教の教えも、きっと大きくは違わないとおもっています。
 たとえば、被差別部落とよばれる地域の人たちを、歴史的に浄土真宗のお寺さんが支えていましたね。だけど、その浄土真宗のお寺さんが差別的な法名をつけ、墓石に彫りつけたのがいまだに残っているということもありましたね。
 キリスト教でも同じです。立派な愛の教えを説きながら、「魔女狩り」を平気でやってた。教会をあげて「公教戦時活動指針」みたいなものを平気で出した。今私たちは、自分たちの加害者性をどこまで認識できるかが大事だと、肝に銘じるべきですね。その上で人間にとって大事な教えを伝えることができたらいいなと思います。


   三、救いと宗教の役割

 最初に「宗教が人を救うのではない」とお話しました。救いとは何か。人がその人としてのびのび生きられるようになること。この地上で、安心して、平和で、喜びの中で生きていけるようになること。そして、キリスト教の言い方をすれば、天国での永遠の命を得ること。これが救いだと考えています。
 ひたすら来世の永遠の命をいただけるといっても、この世に生きている時に、救いがない、解放されたよろこびがない、ひたすら死ぬまで耐え忍ぶだけというようだったら、こんなつらい話はないなというのが、私の正直な思いです。逆境の中にありながらも、それをみんなで変えていく努力をしながら、自分が自分らしく生きれるようになる。それがなければ、来世での救いといっても、説得力はありませんよね。私にとっての救いとはそういうことですね。ですから、宗教は何のためにあるかというと、人々に、そのことに気づかせるためにあると、私は思っています。

 何百年もの間カトリック教会は、「教会の外に救いはない」と言ってたんですね。「うちとこの宗教に入ったら救われますよ」と、こんな感じでした。教会にはラテン語で「教会の外に救いはない」という言葉が石に刻まれていたぐらいです。とにかく、どんなにしても教会に導いて、洗礼を受けさせる。そうしてはじめて天国を獲得できる。そんな発想でした。

 それが、第二バチカン公会議が1962年から1965年に開かれて、思いがけない見直しがされたんです。「教会の外にも福音が芽生えている」つまり、教会の内、外に関係なく、救いはあるんだよと宣言しました。
 そして、これも初めてのことなんですけど、「他宗教との対話をしてください」。折伏じゃない。仏教の僧侶と問答して、僧侶をキリスト教に引きずり込むというような対話ではなく、相手の宗教の立場をまるごと認める。そして、こちらではこういうことを目指しています。そちらが目指していることで矛盾しないことについては、一緒に協力してやりませんか。こういうことがOKになったんですね。
 どの宗教が本物で、どの宗教がいんちきか。そういう形で救いを保証しようとするのではなく、どの宗教であっても、人が人として大切にされること大事にする宗教であれば、互いに協力し合えるはずなのです。みんなが安心して働き、生活できるように、その実現を目指して一緒に働きましょう、ということです。
 だから、宗教としてのキリスト教の役割は、信者を増やすことではないとしっかりわきまえ、聖書が示しているとおり、「自分が大切なように隣人を大切にしよう」、人が人として大切にされることこそ大事だと、社会のみんなに気づいてもらうことです。ですからキリスト者の使命は、信者の勧誘ではなく、大切にされていない仲間たちを見たら、彼らを大切な仲間として身をもってかかわることですね。こんなふうに思います。
 まとまりのない話で申し訳ございませんでした。これで終わります。

(2011年7月8日に行われました戦没者追悼法要でのお話をまとめたものです)