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 藤田 庄市さん「宗教取材で感じた親鸞聖人」
                           
2010年12月9日

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 藤田と申します。よろしくお願いいたします。
 今日は成道会、お釈迦さまが悟られた日を縁として勤める法要です。お釈迦さまは大変な苦行を六年間したけれども、どうしても悟れない。これではだめだというので山を下り、尼連禅河で水浴びをし、そしてスジャータという娘さんから乳粥をもらって体調を整え、ブダガヤにある菩提樹の根元に座って悟られました。それが12月8日だと伝えられています。
 お釈迦さまは悟った内容を布教しようとは全然思ってなかったんですね。悟りの内容を人々には理解してもらえないだろうというので。ところが、梵天勧請というんですけど、梵天がみなさんに説いてくださいと勧請したという伝説がありまして、それでお釈迦さまは教えを説くことにされたわけです。
 お釈迦さまはサルナート(鹿野苑)に行ったら、五人の修行者がいたんです。以前はお釈迦さまと修行仲間だったんだけど、お釈迦さまの様子が全然違うので、その場で話を聞き、弟子になりました。こうして仏教が始まります。


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 私自身のことを申しますと、世間の肩書きはフォトジャーナリストです。写真を撮るのと、文章を書いて出版物を出すということをしています。テーマは宗教です。宗教のいろんな姿を取材してきました。
 私は大正大学といって、天台宗、真言宗、浄土宗が母体になっている大学で宗教学を学びました。そのあと海外向けの通信社に十年ばかりいたんですけど、そこを辞めてフリーランサーになり、宗教に関心があったので、宗教を取材していこうと思ったんです。
 私の家は職人の家庭ですから、宗教とは特に関係ありません。だけど、人は若いころには精神的にゆれますよね。そのころ、私も何となく宗教にひかれるところがあったんです。
 高校の修学旅行で奈良の吉野山に行きました。そこに蔵王堂というお寺があって、そこのご本尊は蔵王権現という山伏のご本尊なんです。4~5メートルあります。ものすごい迫力があるんですよ。感動しましたね。四十数年前のことです。
 同じころ、「歎異抄研究会」が著した『歎異抄入門』(社会思想社の教養文庫)という本を読んで、何となく心が安まる思いをしたんですね。親鸞さんにはその時からなじみができまして、大学に入ると金子大栄や曽我量深の本も読みました。もともとうちは大谷派の門徒ということもあって、真宗には親しみを感じていました。

 フリーになってから、山岳信仰やお祭り、新興宗教などを取材をしていくうちに、山伏に興味を持つようになりました。山伏の修行に大峰山の奥駆けというのがあります。吉野から熊野まで歩くんです。朝二時ごろ起きて、十数時間ほど山の中を歩く。8泊9日ぐらいかかります。それに何度も行っています。
 それとか、比叡山に回峰行という修行があります。親鸞さんもそういう修行をされてたらしいんです。回峰行にもくっついて歩いたことがあります。そんなことをやってきました。


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 浄土真宗の取材は25年ぐらい前にしたことがありまして、北陸を歩いたんです。その時に感じたことをお話したいと思います。
 浄土真宗の門徒さんは、自分たちは普通の日本人の信仰と変わらないと思ってらっしゃるでしょう。でも、山岳信仰やご利益があるとされている寺社を取材していると、門徒さんはちょっと違ってるんですよ。
 まずおだやか。たとえば、本願寺で参拝者がびっしり満堂になっている。そんな中を写真を撮ろうと思って「すいません」とかき分けて歩いていくと、皆さん、よけてくれる。その様子が仲間を通すという感じなんですよ。よそだと、なんだ、こいつは、という人が中にはいる。本願寺のように仲間がやっているという雰囲気ではない。これは大きい違いです。

 それとか、これは祈祷的な寺でしたけど、ある儀礼が終わると、そこにある荘厳、竹で作ったお飾りとかを持って帰るとご利益があるというので、参拝者はその荘厳を取ろうとして殺到するんです。そうすると儀式が乱れるので、お坊さんが「だめです」と注意するわけですね。でも、持って帰ったらご利益があるんだったら、我先にと取りに行くのは人情ですよね。だけど、浄土真宗の場合はそういうのを見たことがない。

 たとえば、京都から福井の吉崎まで蓮如さんの絵像を歩いて持っていくという蓮如上人御影道中という行事が毎年4月にあるんです。半月かけて歩いていくんですけど、行く先々で法話があります。20年ほど前、それについて行ったけど、そういう乱れはなかったですね。
 その下向の時に、門徒さんが歩きながら法義の問答をするわけです。雑行雑修がどうのこうのとかね。信者同士がそういったやりとりを普通にするというのは、他の伝統仏教ではほとんどありません。門徒さんが教えを聞き、自分なりに受けとめて、自分の理解を人に話して論議するというのは、浄土真宗以外ではあまり見たことがない。

 浄土真宗の門徒さんはけっこう理屈が好きらしい。信長と本願寺が戦った時に、本願寺の鉄砲方として活躍した雑賀衆の流れをくむ人々が和歌山にいます。雑賀は今も真宗の盛んな土地柄なんですけど、布教師の方が怖がるというんですね。何でかと言うと、門徒さんに論議をふっかけられて、布教師がやり込められるというんです。
 そういうことも他の宗派では聞いたことがない。信者が教えを主体的に学んでいくというのは極めて珍しい。それは真宗には在家仏教、同朋教団の伝統が生きているからだと思います。

 お寺で毎月一回とか二回、法座に集まって聴聞し、自分を見つめるというのは浄土真宗だけです。他の宗派でもお説教はありますが、浄土真宗はそれが質的に違うんです。
 そういう意味では、浄土真宗は伝統仏教の中では極めて特異な教団で、新興宗教の元祖とも言えます。皆さんは新興宗教にいいイメージを持っていないでしょう。それはわかります。
 どういうところが元祖なのかと言うと、創価学会や立正佼成会には僧侶はいませんし、信者一人ひとりが教えを勉強して布教するという建て前なんですね。それに、信者の団結力が強くて、自分たちでお金を出し合って会館を建てたりしてます。
 このように、信者さんが自覚を持って教団を支える。信者が団結する。そして、教えを理解して広める。そういう新興宗教の特色は蓮如さんから始まるんです。


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 北陸をまわった時に、西山八重子さん(当時72歳)と誠一さん(当時53歳)という親子から話を聞きました。西山八重子さんはこういう話をされてるんです。

「むかしやさかい、お寺には、御講が毎晩といっていいほどあって、よく親についてまいらせてもろた。わかっても、わからんでも手あわす。恵まれとったんやね、今、思うと。
 仏法きかんならんと大変や、と思ったきっかけは死の問題や。主人が戦争で死んでしもてね。死ぬと地獄か極楽にゆくと、子供のころ、聞いとったし、死や地獄がこわくてこわくて。
 ところが、聞法しはじめたら全然反対になってね。死よりか現在のがこわくなった。死がこわいというより、現実がうごかん。うごかんてさ。うごいているが、生活がスムーズにいかん。あっちかっつき、こっちかっつき、人間関係がうごかんようになった。死後より現実のがきびしい、死んでからのことより今日のが苦しくなった」

 これはおそらく自分の生きている世界をきっちりと見すえて考えたら、こういうふうになるんだろうなと思います。でも、まだ抽象的です。

「まあ、そんなことやね。そやけど、聞法せんほうがよかったとは思わん。苦しみが、苦しみとわかってきたんやろ」

 以前は苦しみだとは気づかなかった。

「それから今日まで生きとるわけや。
 聞法というもの、聞けば聞くほど、聞かんおれんようになってくる」

 皆さんもそうですか。聴聞すると、聞かずにおれなくなっていくらしいですね。

「阿弥陀さん、自分をみせて下さるさけありがたくねえ」

 つまり、自分がどういうものかと内省する力が教えを聞いているうちに与えられてくる。そうすると、自分の醜さがよく見えてくるんですね。

「ありがたいお方でねえ。ありがたくねえというと誤解されるだが、自分みせてもらったら、かくれんぼしたくなるね。そやけど、ほんとに自分をみせて下さるさかい、頭下げるよりしょうがない」

 西山さんのお話を聞いて、なるほど、浄土真宗はこういう門徒を作るのかとつくづく思いました。自分の内面を見せる力がある宗教なんですね。

「阿弥陀さまって意地の悪いお方や。広いお方やさけ、意地の悪いのも、面(つら)憎いのもあるんやろ」

 普通は「ありがたい、ありがたい」と言うもんですよ。ところが、阿弥陀さんという存在をありがたいだけでなく、自分の悪いところを見せてくれる、多面的で大きい方なんだとわかってくるんですね。

「ウラ(私)の煩悩にあわせての阿弥陀さやさけ。ウラにむかって下さる阿弥陀さま、そうした阿弥陀さまや」

 ここで思いだしたのが、『歎異抄』に「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」という言葉があるんですね。私のためにおこされた本願なんだと親鸞さんは言われていますけど、西山さんも同じように思われたんでしょうね。

「腹たてんと思っているが、腹たってしまう。立ってくるものどうにもならん。こんなところに腹たつ自分、劣等感の自分みせてもらうのやさけ、阿弥陀さまのお光ないと、劣等感なのに、劣等感とわからん」

 阿弥陀さんとはお光だと言ったら、なんかありがたいというような感じがするんだけど、そうじゃない。自分の劣等感を見せてくれるんだというんですね。阿弥陀さんという光があるから、初めて自分がわかる。

「腹たっても、自分がわるいのに、相手のせいにして正当化しとうなるわね」

 そういうふうに他人に対する考え方も広がってくる。

「お寺で、仏法を聞かんのが五逆罪やと聞いてね。ウラ、仏法聞いとるから、(五逆罪と)ちがうわと思った。ところが、家へ帰って考えると、仏法聞いても、自分が(仏法を)いただかんことには、聞いたことにはならん。アラーと思ってね。ウラ、五逆罪のまんなかにおるんやと思ったら、ここらへん(胸のあたり)があたたかくなってるのね。へんなもんや、助かられんもんなのに。
 気持ちは苦しいままに、スーッとするというか、どういうか、罪悪深重の自分をみせてもらうと、申しわけないのに、なんともここ(胸)があたたまる」

 このへんが門徒さんのすごいところです。自分が罪人だと気づいたらしょげてしまう。普通ならね。ところが、「ここらへんが暖かくなってる」という宗教体験の重みです。
 自分の悪いところを見させてくれるけれども、それが気がふさぐ方向に行かないで、暖かくなってくるという阿弥陀さんのはたらきがある。矛盾しているんだけど、そうした心のはたらきを西山さんは言葉にして語ってくださっている。なるほどなあと思いました。だから、阿弥陀さんのところに行って拝み、何かお願いをするということにはならない。

「先生(和田稠師)にたずねると、身と心がいっしょになると喜ぶんやと。聞いとるとき、身と心が別やったんやね。わが身から、心がどこかとこいっとった。もったいない、申しわけないと思ってね。
 阿弥陀さまは、ありがてえにはちがいないのだぞ。意地悪いところもあるが、それが、お慈悲でもあるしね。
 仕事か? 楽しいわ。朝、畑さゆくの楽しいわ。畑にあそんでもらうんじゃね。
 泣いたり、笑うたりして、七十年、すんだんや。生きるかぎり、生かさせてもらお思っとる」

 こういう話を聞かせてもらいました。
 宗教体験の話というと、たいていは悪いことがよくなって救われたという話が多いんですけど、浄土真宗はそうじゃないんですね。この点でも、浄土真宗は日本の伝統仏教の中でも特異な教団です。


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 西山さんの息子さんも熱心な門徒です。こういう話を聞きました。

「十年ぐらい前、「米つくることに心の定まれば 南無阿弥陀仏をとなえながらに」と年賀状に書いたんや。そやけど、となえながらにというが、本山へゆくと田んぼのこと思い出し、田んぼへいっとると本山のこと思うし、もうダメなんや……。しまつにおえん。心が二つあるのが問題……。
 「もろもろの雑行雑修 自力のこころをふりすてて」というが、もろもろの雑行だきしめて生きとる。
 念仏が邪魔になるんや」

 息子さんも念仏の悪口を言うんですね。熱心な門徒なのに。

「邪魔やと思いつつも、先生(和田稠師)のとこ、足むいてしまう。不思議なものや。足どり重くゆくことのが多い。しかし、やめられん。変なもんや。
 自分でも右往左往や。
 そのへんを、自分でもはっきりしたいが、でけんのが現状なんや」

 お母さんのように自分の内面を深めていく過程がよくわかります。

「区長のとき、近くの旧国幣小社にあたる神社から、祭りの寄付を集めてくれと袋をもってきたんや。家々にくばって集めてくれとね。伊勢神宮の大麻もくばってくれとね。歴代の区長はやっていた。しかし、区長の仕事ではないと思うてやらなかった。因習で集めてたんやろね。信仰の自由ということからいえば、区長として特定の宗教にたずさわるということはおかしいと思う。
 氏神の総代は、区長がやることになっていたが、おことわりした。お祭りのとき、区長として氏神さんにお参りするのは、総理大臣の靖国参拝といっしよやね。
 神棚も降ろしたんや。家の者は、あっても邪魔にならんやろというが、軽くて、片手で降ろせるんだから。
 神棚は、米がとれるように、健康でありますようにと、お願いし祈るところや。それでは、真宗ではないではないかと思う。
 北陸新幹線建設に反対して、加賀市の農協長に公開質問状を出した。あたらずさわらずの返事でおわってしもうたが。今でも、北陸線は赤字なのに、新幹線建設でもっと赤字やろし、在来線の特急はなくなる。田んぼをつぶして建設したうえ、沿線の田んぼは難儀する。田んぼをぶち切ってゆき、三角形の田んぼができて、作業で難儀する。農家としては、そうした点が反対やし、地域住民としては損してまで新幹線つけるのは反対や。農協長の意見はどうや、反対の旗ふらんか、とやったんや」

 西山さんがえらいと僕が感心したのは、神社の寄付を区長が集めるのはおかしいとか、北陸新幹線の建設を反対する理由というか、縁についてです。

「このことと、念仏と直接関係ないかもしらんが、念仏にふれなんだら、そんなことしなかっただろうと思う。念仏者として、ものの使い方、金の使い方があると思う。
 蓮如さんは、紙一切(ひときれ)でも仏法領のものといっていたという。そうしたことから考えると、新幹線建設はムダだと思った。
 わたしにとって阿弥陀さんとは、田んぼもトラクターもコンバインも阿弥陀さんや。そんな感じ、せんでもないけどね。ことばにしていうと、そうとしかいわれん。田んぼの仕事は、声聞・縁覚みたいね。自分で考えてやるんやから。
 阿弥陀さん……。はっきりせんのは、ほんとなんや。わからん」

 社会問題にどう対応するか。それは念仏とは関係ないようだけど、念仏を深めたから社会問題に関わるようになったと言われる。たとえば今だったら、農産物の輸入自由化とか憲法九条といった問題があります。そうした問題を自分の信仰と照らし合わせたらどうなるかを考える。そのことを通して信仰が深まっていく。
 話をお聞きして、門徒さん一人ひとりのレベルで西山さんのような方が生まれているんだなと感動しました。西山さん親子のような人たちを生み出す浄土真宗はすぐれた教えだと僕は思っています。


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 お墓のことでも面白い話を聞きました。福井県には墓のない村があるんですよ。浄土真宗ではあんまり墓を大事にしなかった。墓よりもお内仏(仏壇)を大切にする。地方によるとタンスみたいに大きいお内仏があるんです。

 そのお墓のない村ではお骨をどうしているかというと、火葬して三年間は家のお内仏に置く。そのあとは西本願寺の門徒さんなので、西大谷の明著堂に納めておしまいです。
 三宅操さん(当時六十三歳)は「お骨はどこにいこうと、そんなことは関係ないこと。本山に納めたら親鸞聖人といっしょや。お骨にはこだわっておらん」と、気にもしていません。
 今井次郎左衛門さん(当時八十五歳)は「親鸞聖人の心は、墓や石塔をこしらえるお考えはなかった。『歎異抄』にいうとるでしょう。墓をこしらえてわるいものではないがこしらえねばならんというものでもない」と言って、『歎異抄』の説明をしてくれました。
 今井嘉四郎さん(当時七十一歳)は「あそこ(墓)に、おやじやおふくろが生きとるという考えはない」と言われています。すると先祖とはどんな存在なのかと思いますよね。そしたら、何人かから「尊ぶべき人で、たのむ(頼る)べき人ではない」と聞きました。
 お盆と春秋の彼岸には寺へ参るけど、「とにかく、阿弥陀如来さんへお参り、お礼するので、お骨にお礼するのではない。こっちから回向することはないのだから」と、三宅操さんは言われるんですね。門徒にとっては当然のことでしょうけど、日本人の信仰からすると、当時の私にとって新しい発見でした。


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 カルトという言葉を聞いたことがありますか。反社会的な行為をする宗教団体です。一番ひどかったのがオウム真理教ですね。オウム真理教事件が起きた時に、「あれは宗教じゃない」という意見がけっこうありました。宗教を隠れ蓑にしてるとかね。でも、宗教じゃないと言ってしまったら、あんな事件がどうして起きたのかを考えなくなってしまうし、彼らがなぜあんなことをしたかがわからない。「自分が教団の中でいい思いをしたいから」と言う人もいましたけど、そんなことぐらいであそこまでできますかね。

 僕は広瀬健一という人に手記を書いてもらったんです。広瀬さんは地下鉄でサリンをまいて二人殺しています。死刑が確定しました。
 広瀬さんに手記をなぜ書いてもらったかというと、僕はカルトの取材をしていく中で、彼と関わりを持つようになったんです。たまたまフェリス女子大で「現代と宗教」という講座を頼まれました。その時に、学生にカルトの問題を考えてもらうのに、当事者の体験を直接書いてもらうほうがいいと思って、広瀬さんに頼んだんです。

 広瀬さんは真面目な人です。きれいな字を書くんですよ。遺族の方にお詫びの手紙を出すのに、字が汚くては失礼だというので、拘置所でペン習字を習ったそうです。
 あんな事件を起こすんだから、家庭に問題があるんだろうと思われるかもしれませんが、サリンをまいた信者たちの家はそんなことはないんです。広瀬さんのお父さんは普通のサラリーマンです。郊外に家を買ったので、お母さんは昼間働いて、夜もコンビニ弁当の工場で働いていた。今も麻原をグルと信じている新実智光さんは弟たちをかわいがるいい兄でした。大学四年の時にはアルバイトをして、親に負担をかけなかったそうです。模範的な人が多いのに、どうしてあんなことになったのか。

 広瀬さんの手記には、どうしてオウム真理教に入信したか、なぜあんなことをしでかしたのかを、いろんな文献を参考にしながらまとめられています。広瀬さんの場合だと、麻原彰晃の本を読んだのがきっかけです。彼の特異なところなんですけど、厳しい修行をして起きる神秘体験を、本を読んだだけで経験したんです。
 ヨーガの中にクンダリニーヨーガというのがあります。チャクラといって、身体の中にエネルギーのセンターが七ヵ所あるんだそうです。広瀬さんは麻原の本を読んだだけで尾底骨のチャクラが目覚め、背骨を通って頭頂まで熱いエネルギーが上昇したというんですね。それで、これは本物だと広瀬さんは思って入信します。そして、修行によっていろんな神秘体験をします。他の信者も同じような体験をしています。神秘体験をすることによって、麻原彰晃が言ってることはすべて本当だと信者たちは思うようになるわけです。

 でも、こうした体験はオウム真理教だけが言ってることではなくて、ヨーガなどの修行をするとそうなるらしいんです。その体験をどう受け取るかが問題なんですね。

 もう一つのポイントは輪廻転生です。オウム真理教では輪廻を強く説きます。この世でおしまいではない。何度も生まれ変わりを繰り返す。それも、人間だけではなく、畜生や地獄にも生まれる。実際、修行していく中で畜生や地獄といった世界が見えるわけです。
 広瀬さんは「私は街中を歩いたり、会話をするなどして非信徒の方と接したりすると、苦界に転生するカルマが移ってくるのを感じました。この感覚の後には、気味悪い暗い世界のヴィジョン(非常に鮮明な、記憶に残る夢)や自分が奇妙な生物になったヴィジョン―カンガルーのような頭部で、鼻の先に目がある―などを見ました。この経験は、カルマが移り、自身が苦界に転生する状態になったことを示すとされていました。さらに、体調も悪くなるので、麻原がエネルギーを込めた石を握りながら、カルマを浄化するための修行をしなければなりませんでした」と書いています。

 でも、本当にそんな世界があるというわけではないんですよ。人間の身体は不思議なものなんですね。人間は存在しないものが見えたりすることもあるんです。というのは、脳の働きでそうなる。我々は目でものを見ているわけでなく、目が受けた信号が神経を伝わって脳に伝わり、脳がそれを判断する。だから、脳に直接刺激を与えると、脳が勝手に働いて、ものがなくても見えたり、聞こえたりすることがあるんです。
 オウム真理教の信者の神秘体験も脳がそうした体験を作っているんだけど、彼らにとっては実体験です。それで、これは本物だと信じこんでしまうんですね。


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 そうした神秘体験をしていると、あの世というか、真理の世界が本物で、今、ここにある生活は大したことではない、仮のものだと思うようになるんですね。そうなると親子の情も仮のものということになる。解脱するには親子の情を絶たねばならないと麻原に指示されれば、本当にそうしてしまった。
 オウム真理教では情を切る修行をするわけです。田口さんリンチ殺人事件での見張り役だったOという信者が裁判で証言していましたけど、お兄さんが死んだという話を聞いてどう思ったかというと、悲しかったけど、悲しみが自分の三十センチぐらいのところでとまった。悲しみはあるけれど、それに自分は邪魔されていない。つまり、修行が進んで煩悩が少なくなっているから悲しみに侵されないというようなことを言ったんです。

 同じことを話をしてたのが、麻原彰晃の奥さんです。オウム真理教が事件を起こす前に話を聞いたんですけど、修行を積んである程度の段階になると、悲しみはあるんだけど、それが自分の身体の表面を伝って流れていく。悲しみに自分が左右されなくなる。そういうことを言ってました。
 我々からすると、まともな人間の感情を失っているんじゃないかと、かえって心配しますね。ところが、彼らは悲しみを感じなくなるとか、他人に共感しなくなるのを修行が進んでいると考えるんです。

 それと、輪廻転生を信じているから、死後にいい世界に生まれることが何よりも大事になってきます。そのためにはどうしたらいいかというと、麻原彰晃と縁をつけることでいい世界に生まれることができる。麻原と縁がなかったらだめなんです。
 オウムのポアとは、単純に人殺しをしたのではなくて、麻原と縁をつけることでいい世界に生まれさせることなんです。堕落していているこの世で生きていても、悪いこと(悪業)を作って地獄に堕ちてしまう。そのためには悪いことをしないうちに殺すことでいい世界に生まれさせる。つまり、ポアは救済なんです。

 麻原彰晃は松本サリン事件を起こす前にこんなことを言っています。
「もともと魂の価値というものは等価ではない。等価ではないとは何かというと、例えば魚の一つの魂の価値とそれから人間の魂の一つの価値というものは等価ではないという意味である。(略)
 一般の魂は、まさに彼らから見ると動物と同じ価値しか存在しないということになる。
 わたしは近頃よくこの瞑想を行う。例えばアリが10億匹いたとして、ある魂が火炎放射器を持っていたらどちらが強いだろうかと。これは何を意味するのか、これはまさに魂の価値を意味する。つまり、彼らの魂の価値と、それから凡夫の魂の価値とでは彼らの魂の方が優れているのである」
 大変おそろしい話です。サリンをまく理由が「理解」できるでしょ。凡夫がこの世で悪いことをしないうちに殺すことによって、麻原彰晃と縁をつけて高い世界に生まれ変わらせてやるという考えです。

 ですから、彼らは本気で、救済だ、その人を救うために殺すんだ、と思ってたんです。修行によって麻原彰晃が説いたとおりの体験をしているから、殺人が救済なんだと確信を持っていたわけです。最初は人々を救うためにオウム真理教に入ったのに、人を殺すことをするようになってしまった。

 オウム真理教の一番最初の殺人は1989年の田口さんという信者のリンチ殺人です。まず麻原が五人の実行犯を呼び、「グルがやれと言えばポアできるか」と問い詰めるんですね。それを三回問うんです。グルには絶対服従だと教え込んでいます。それが解脱への道だし、疑問を持つことは地獄に堕ちることです。ですから、実行犯は「はい、やります」と言わざるを得ない。そうして「田口をポアするしかないな」と麻原が言った。

 実は、同じような話が『歎異抄』にあるんです。「あるとき「唯円房はわがいうことをば信ずるか」と、おおせのそうらいしあいだ、「さんぞうろう」と、もうしそうらいしかば、「さらば、いわんことたがうまじきか」と、かさねておおせのそうらいしあいだ、つつしんで領状もうしてそうらいしかば、「たとえば、ひとを千人ころしてんや、しからば往生は一定すべし」と、おおせそうらいしとき、「おおせにてはそうらえども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしとも、おぼえずそうろう」と、もうしてそうらいしかば、「さてはいかに親鸞がいうことをたがうまじきとはいうぞ」と。「これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといわんに、すなわちころすべし。しかれども、一人にてもかないぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」と、おおせのそうらいし」

 これは大変な問題で、麻原彰晃が信者たちに人を殺せるかと問い詰めたのと同じようなことを親鸞さんは言っている。ところが、結果はまるで違っています。
 浄土真宗の場合は、凡夫のままで救われる。そこが決定的に違う。凡夫のままといっても、悪の自覚という大変な信心の決定的転回があって、煩悩がいかに捨てきれないか、自分は罪を作らざるをえずには生きていけない存在なのかを知ることが重要なんですけど。
 業縁ということで言えば、戦争となるともっと大勢殺すこともあります。自分の意志だけじゃない。縁によっては私たちだって何をするかわからないという縁の恐ろしさですね。親鸞さんは人間の悪を深く考えていき、仏教の神髄を突き詰めた人だなと、つくづく思います。

 親鸞さんの教えを学ぶことで、オウム真理教はどうしてこんなことをやったのかを考える手だてになる。そうすると、彼らを死刑にしていいのかということにもなってくると思います。死刑は大局的には感心しないけど、僕は遺族にもお会いしてますから。遺族の方の身になったら、そんな単純に死刑反対とは言えません。僕はまだ答えは出ていません。
 今日、こちらに来て皆さんの前で話をするのは、広瀬さんの手記を冊子にしてくださったのが縁です。縁の不思議さを感じます。どうもありがとうございました。
(2010年12月9日に行われました釈尊成道会でのお話をまとめたものです)