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  いじめ裁判原告の母
     
「いじめ隠しのない学校になることを願って」
                               

 2008年5月31日
 
  1、親はどうしていじめを知り得ないのか

 私はいじめ裁判をしている原告の母です。私自身も原告になっております。同級生4人による執拗な暴行や嫌がらせ、恐喝行為等のいじめ行為があり、それを学校が隠したために親がいじめ行為があったことを知るまでに時間がかかりました。
 いじめた4人とその親、そして県と市を相手に裁判を起こしました。なぜ広島県が被告になっているかというと、県が学校の教師の給料を払っているということからです。市立中学校自体や教師個人や公務員個人は訴えることができないそうで、訴える場合は学校設置者が被告となるため、広島市を訴えることになります。
 一審は長期のいじめと主犯被告生徒の両親の教育監督義務違反および担任の違法行為と統合失調症を発症との間には相当因果関係があると認めました。市と県、被告生徒4人と主犯生徒の両親に賠償命令が出ました。現在、控訴審中です。

 子供が自殺したりとか、いじめを受けて学校に行けなくなったりすると、親はどうして子供の変化に気づかなかったのか、親が気づかないことを学校が知るわけがないと、よく言われますし、皆さん方も思われるかもしれません。まずその点についてお話したいと思います。
 親は子供の様子がおかしいことに気づいています。夜、眠れなくなったり、学校に行くのが遅くなって遅刻するとか、チックが出たりしたため、様子がおかしいなと思って子供に聞きます。でも、子供は絶対にいじめられているとは言いたくないのだそうです。
 いじめはスティグマと言われております。昔、ギリシャでは奴隷や犯罪者の額に焼き印を押し、そのしるしのことをスティグマと呼んでいました。そういう烙印を押されると生きにくくなります。つまりスティグマとは、自分自身が不名誉な屈辱を受けて烙印を押されているという意味です。
 現代では、たとえば精神病とか在日の人に烙印を押して差別することが行われています。だから、精神病ということを隠すとか、出身を隠すとことがおきてきます。いじめについても恥ずかしいことだと本人がとらえているので、親に「自分はいじめられている」なんてことは言えないんですね。

 私も息子に「どうしていじめのことを言わんかったの」と聞きましたら、「家庭は安らげる場所でありたいので、家に帰ってまで学校であったいやなこと話したり思い出したりしたくなかった。」と言ってました。

 それとですね、実はいじめがまだ軽微な時期に、息子は親に話していました。中学2年の最初のころ、ある日「授業がまったく聞けれんから困る」と息子が言いました。「どうしたの」と尋ねたら、「ノートをとろうとしたら、まわりの生徒がペンをとる。だから筆記用具はポケットに入れている」と言うんですよ。「ええっ、そんなすごい状態なの。先生はどうしてるの」と聞いたら、「騒がしくて授業が成り立たない状況だから、先生もペンをとられたことぐらいでいちいちかまっていられない。そういうのは無視して授業をすすめているんだ」と言いました。「先生に言ってあげようか」と言うと、「絶対に言わんでくれ。そんなことしたら、ちくったと言われる。自分でやめろと言ってやめさせる」と教師に相談することを嫌がるので、しばらく様子を見ることにしました。
 1週間ぐらいたったある日、息子が学校から帰って手のひらをじっと見ていたので、「どうしたの」と聞いたら、「授業中、シャープペンシルを取られそうになり返せともみ合っていたら、手にシャープペンシルの芯が刺さって血が出たから、保健室に行った」と言うんですよ。そして、シャーペンの芯が出なくなったり、ボールペンのバネが無くなったりして使えなくなった文房具が片手では持てないぐらいありました。息子は、「これだけ壊されたんだよ」と壊された文房具を見せてくれたんです。息子の話では、授業中とられるので、やめろと言って相手の席まで立ち歩いてまで、文房具を取り返そうとしても、共謀して取り上げられ壊される状況だと言いました。
 その2日後に野外活動といって、キャンプがありました。文房具を壊すようなメンバーと同じ班で野外活動を行い、包丁や火を使ってご飯を作るのは危険と思ったので、先生の耳に入れておこうと担任に話しました。それからは文房具をとられたりとか壊されたりということはなくなって、「授業がちゃんと聞けるようになった」と息子が言ったのでホッとしました。
 ところが、その後、時々様子を聞いてみると息子は「もう大丈夫」と言うんですけれど、だんだんと顔つきが暗くなり、遅刻しがちになって、学校に行きたがらないように見えました。でも、息子に聞いても「何でもない。別にいやなことはない」と言い続けておりました。
 実際は、文房具を壊されたことを私が担任に相談したので、担任が「○○君のお母さんが来られたんですけど、あなたたちはこういうことをしているんでしょう」と被告とその友だちを注意したんですよ。そのことで息子は恨まれるようになり、「○○は親に頼る」とか、「先生にちくる」「過保護だ」とからかわれるようになってしまいました。もうちょっと考えのある先生だったら、文房具をとっている現場を押さえて(親が相談に来たと伝えるのではなく、担任が現認した形で)注意してくださるんでしょうけど。
 教師が、親から聞いたという形で、加害者を注意したことで、加害者から恨まれ、被害者をからかうようになり息子は口をつむいでしまうことになりました。思春期の男の子は「親に頼る」とか「母親に甘える」とか言われるのが一番いやなことです。親に頼ると言われたくないというので、何があっても親には相談しないと息子は決めたそうです。そうして、その後は、これからお話しするようないじめに発展していったんですけど、息子はそのことをなかなか話しませんでした。

 息子の様子がおかしいと思いましたので、家庭訪問の時に担任に学校で何かあったのではないかと尋ねたんです。「学校に行きしぶるし、遅刻ぎりぎりになっていくし、修学旅行に行きたくないと言っています。学校で何かあったのか、もしあれば教えてください」と聞きました。
 しかし、担任は学校の様子を何も伝えませんでした。長期にわたり教師の見える場所、たとえば教室や廊下、校長室や職員室の窓のすぐ外でもいじめをしていたんですから、いじめを認識できたと思います。

 親は子供の様子がおかしいと気づいて心配しても、子供は親に頼るのは恥だと思っているから黙っているし、教師はいじめを目撃していてもわざわざ親に教えることはしないので、親はいじめを知ることができなかったというのが実態です。

  2、どういういじめを受けたのか

 裁判の中で、どういういじめが行われたかが明らかになっています。不登校になるまでどんないじめがあったか、私たちの言い分ではなく、被告が裁判や陳述書の中で認めたことについてお話しします。
 期間は中学2年の5月から中学3年の6月にかけてですから、1年以上になるわけです。被告生徒は4人、いじめを受けたのは息子1人です。
 どのようないじめだったかと言いますと、首を絞めるというのが頻繁にありました。
以下は被告陳述書・被告尋問・被告検面調書・被告との話し合いの録音からの引用

 
原告の首を抱くような感じで、後ろから手を回して腕を首のほうに押すというか、引っ張って締めた。被告が原告の首を締めるのに、他の3人の被告が協力したことがしばしばあった。被告らは原告が逃げられないように囃したてたり、取り囲んだり、原告が動けないように体を押さえることがあった。原告は抵抗していたし、「嫌だ。やめてくれ」と言っていた。首を締めた回数は5回とか10回ではない。休憩時間にしょっちゅうしていたので、1日に何回もしたことがある。被告らは首を締める時、原告に「きちがい」「異常者」と言った。痛いし、嫌だろうとは思いますが、やっている時は原告の気持ちなど考えませんでした。
 首締めをK先生に注意をされたことがある。先生が横を通っても平気で首締めをやっていた。先生が通過している時に、わざと見えるところで首を締めた。先生に3回注意された。「これ以上やりよったら死ぬど」と言われた。M先生に「そのぐらいでやめておけよ」と言われた。被告らは原告からやり返されたことはない。一方的にやっていた。
 原告のことを「貧乏児」「浮浪児」と呼んだ。皆が「浮浪児、浮浪児」と言い始めた。被告らは原告を呼ぶ時に、「おい、○○」と呼ぶ代わりに、「おい、きちがい」とか「おい、障害者」と呼んだ。被告は原告に対して、「ヒッキー」「ひきこもり」「異常者」などと悪口を言った。原告が「違うわ」と言い返す時のしぐさなどリアクションが面白かった。
 職員室の外のテラスで小石を投げるのは、中学2年から始まった。職員室はよくブラインドが下りているが、ちゃんと外が見える感じで、石投げや首締めを気づく状態にはあった。小石を投げた回数はかなりいっぱいすぎてわからない。校長室の窓の外のテラスで数え切れないぐらいやった。
 水や小石を投げたりした行為は昼休憩や10分休憩の時間にやった。小石を投げられた時の原告のよけ方が、酔っぱらいとか、そのように見えて、「きちがい踊りだ」と被告4人が言うようになった。被告4人は原告に向けて石を投げる時に、「きちがい」「障害者」「運動音痴」「運動神経ゼロ」と言った。石を投げて、その様子がおかしくて言葉でまたいじめる。ワンセットである。

引用終わり

 そして、被告の1人に「お前はとろくさいから万引きなんかできないだろう」とそそのかされ、ゲームソフトを指定されて、そのソフトを息子が万引きしました。「とろくさい」とか「すぐ捕まる」とか言われて、そんなことはないと変なプライドがあったんだそうです。
 万引きしたゲームソフトの1本は被告にとられています。被告がそのゲームを受け取り家で使っていたわけなんです。被告の言い分としては、ゲームソフトを店に返しに行って「○○がとったけど、僕が代わりにお金を払いに来ました」と言い、お金を立て替えて支払ってやったのだそうです。しかし、お店に聞いたら、そんなことはなかったとおっしゃってました。
 でも、息子は被告に「自分が万引きを店にばらしてやったから、お前のやったことはもう店にはわかっているんだ」と言われて頭が上がらなくなったわけです。そして、息子の教室の黒板や図書館の黒板に「万引き少年。○○が万引きをした」と書かれ、その場で息子が消しても書くというのを何度もくり返すことを、学校に行けなくなるまで毎日くり返されたそうです。被告らは息子が消せないように、黒板けしを取り上げたうえで書いたり、昼休憩も短い休憩時間も書いたと認めています。

 裁判をすることでこれだけのことがわかってきましたが、統合失調症の発症当時(不登校になった平成14年6月中旬)、親は当時は何も知りませんでした。

  3、息子の状態はどうだったのか

 息子はいじめを受けたストレスから統合失調症になってしまいました。しかし、その当時、息子はいじめについて何も話さないので、なぜ息子がこんなに錯乱していたのか、卒業するまで親にはまったくわかりませんでした。

 発症当時(中学3年の6月中旬)の様子は、まず最初は妄想が出たり、暴れたりするわけではなく、悪夢で目覚めが悪い状態が何日か続きました。朝、起こすのですが、寝とぼけて、「押しつぶされる」と言って押し入れに入ったりするんです。1時間ぐらいすると正常になりました。ずっと精神状態が悪いわけではなく、登校の前だけ、朝だけでした。学校を休むことにして一日中家にいると、寝起き以外の時間は正常でした。
 当時、私は精神病の予備知識がなかったので、目覚めが悪いなと思っていても、精神病だという認識はありませんでした。中学3年の6月中旬から1週間ほど学校を休ませました。すると、学校を休んだことで被告たちが心配して、家にやって来ました。被告は「お前が、学校を休んだので、俺らが疑われて困りよる。学校に来い」と息子に言っています。
 翌日からますます様子がおかしくなり、小児科に行ったら、市民病院の小児科を紹介され、そこから神経科、そして精神科へと紹介され、精神病だということがはっきりしてきたのです。

 不登校になって10日ぐらいたった頃、まだ小児科で精神安定剤を出されているころに、中学校で「親の会」というのがありました。不登校になった子の親と担任、学年主任、教頭、が集まってスクールカウンセラーを囲んで話し合いをするという会です。スクールカウンセラーは専門家だということで、教師も保護者も教えを請う形で会が進められました。
 当時はスクールカウンセラーが週に一度学校の相談室に来て、一日中、相談室で待機されていました。相談室で待機しているので、スクールカウンセラーは学校の中がどういう状況かといったことは見ていないし、まして息子に会ったことは一度もありませんでした。いってみれば、学校での息子の様子を全然わかっていないわけです。私もどうして息子が学校に行けなくなったかわからない状態でした。
 ですから、スクールカウンセラーが、ああでもない、こうでしょうかと、憶測や一般論の話をされるばかりでした。そして、スクールカウンセラーは、うちの息子について「自分探しの旅」をしているんじゃないかとおっしゃってました。本当はいじめを継続的に受けて、そのストレスから、精神病を発症して休んでいたのです。

 息子が首を絞められている現場をある教師が見ていて、裁判で注意したと認めざるを得なくなって、裁判の書類の中で「自分は首締めを目撃し、注意したことがある」と認めた教師も、その会に同席していました。だけど、その教師は「学校でお宅の息子さんが首を絞められていましたよ」といったことは一切話されませんでした。
 いくら会を開いても、いじめの事実を隠した状態で、学校の様子がまったくわかっていないスクールカウンセラーといじめを知らなかった私とが話をしても意味がありません。教師がそこで把握していることを一言もしゃべらないのは、いけないことだと思います。

 その会のあとすぐ、7月になると一学期の期末試験がありました。息子は「高校には行く」と言っていました。定期試験を受けなかったら成績はすべて1になると担任から聞かされ、評価が1になると、内申が悪くて公立高校には入れなくなるため、息子は試験だけは受けると学校に行きました。
 学校のほうでは不登校の子に一部屋あけて、他の生徒とは別室で試験を受けさせると言われました。ところが、期末試験当日なぜか被告の1人が腕を三角巾でつっている状態で来ていまして、別室で、被告と2人で試験を受けさせられています。
 休憩時間になると、他の3人の被告が息子の様子を見に来ました。息子にしてみれば、被告たちに会いたくなくて学校を休んでいるのに、被告と2人で別室で試験を受けさせられ、そのうえ休憩時間に他の被告たちが集まってきたものですから具合が悪くなってしまいました。

 試験が終わって2日後に、「散髪に行く」と言って出て行ったのですが、目がすわっていて様子がおかしいんですね。「心配だから、お母さんも一緒に行く」と言ったら、「この年になって散髪に母親がついてくるなんてあり得ない。やめてくれ」と言って、一人で出ていきました。
 だけど、気になったので自転車でついていきました。途中、信号で、息子を見失ったので、行きつけの散髪屋行ってみましたが、来ていないと言われてしまいました。おかしいなと思って広島駅周辺の人ごみを必死で探して、息子をやっと見つけ、「どうしたの。いつもの店に行かなかったの」と聞いたら、「いつもの散髪屋には5人の敵が待ち伏せしている。殺されるかもしれないから、他の店に行こうと思った。追いかけられて捕まるから、遠い店に行かなくちゃいけない」と言うんですよ。
 これはおかしい、家に連れて帰るしかないと思いました。家への道を行くと、「お母さん、そこはだめ。その道は待ち伏せしているから」と言うので、遠回りをしなくちゃならないんです。また少し行くと「こっちはだめ。待ち伏せしてる」とすわった目で言うんです。本人は自分が何者かに追われていると思っているので必死なんですよ。1人で連れてかえるのは無理だと思って主人に電話しようとすると、「お母さん、敵に知らせるつもりなんでしょう」と言うから、電話もできない。15分で帰れる距離なのに1時間ぐらいかかって家に帰ってきたんです。
 息子は、家に帰っても、駐車場をチェックして敵がひそんでいないかを確認します。家に入ると、お風呂場を見て、誰かいないか調べ、冷蔵庫、洋服タンスの中も見て、押し入れを開けるとそこには灯油ストーブがありました。息子は、それを指差し「ここに探知機がある。見つけたぞ」と言うんで、これは病気だなと私もやっと認識しました。

 精神科に連れて行って薬をもらうと、1ヵ月で妄想はおさまって普通の状態になったんです。けど、抑うつというか、元気が出ない状態になって、学校に行くとか、運動するとか普通の生活ができなくなりました。そして、毎日長時間寝ないと身体がもたなくなってしまいました。

 9月の新学期になり、息子はだいぶ精神状態が回復していたので、「学校に行ってみるわ」と出かけたんです。しかし、いじめ環境は全然改善されていないし、被告たちは何の反省もしていないわけですよ。彼らは先生から注意されたわけでもないですしね。ですから、再登校しても、被告たちにつきまとわれて、意識が朦朧として何も考えられない、身体だけが動いている感じになって、2日で学校に行けなくなりました。このとき、息子は、うすい膜を通して自分の周りとみているような感覚になったそうです。

 いくら薬物で治療して正常な精神状態に戻っても、同じ環境に行くことでまた具合が悪くなったわけです。学校に再び行こうと努力しても、意識が朦朧として行けなくなったことで、より抑うつ症状がひどくなりまして、鬱々とした日々を送るようになりました。

  4、学校がいじめを隠した状態で卒業させたことをどうして知ったのか

 自分のいじめられ体験を話すまでには、どのお子さんも時間がかかるみたいです。最初から嫌な体験のすべてを話すのではなくて、まず小さいいじめから話し始めます。

 しばらくして息子が「学校というのはすごくくだらないところだよ。あんなところは行かないほうが良い」と言うので、「学校がくだらなくても関係ないじゃない。学校に行ってないんだから」と笑って答えていました。そしたら「学校では人権と言っているけれど、あんなのはタテマエだけで、本当は先生も人権を守っていない」と言うんですよ。
 どういうことなのか尋ねたら、同級生に交通事故に遭って意識がなくなっていた人がいたんですね。その同級生は、リハビリして歩けるようになり、学校に来られるようになったんですけど、事故の後遺症で、身体の動きがギクシャクしているんです。その同級生が、体育の授業でバレーボールのサーブをすると、動きがおかしいのを同級生が真似て、男子全員が笑い転げているのだけれど、先生は注意しないんだそうです。「それを見ているこっちが気が変になりそうだ」と息子が言うので、「それはおかしいよね」と話しました。
 息子も、運動神経が良いほうじゃなかったので体育の時間に、チームメイトから「お前がいると試合に負ける」とか「コートから出ていけ」と言われていたそうです。

 その話を聞き問題だとは思ったのですが、受験前の忙しい時期に、不登校になっている子どもの保護者が、「息子がこういうことがあったと言っているんですけど、問題じゃないでしょうか」と学校に言ったとしても、先生も面倒くさいとしか思わないだろうと考え、なかなか言いに行く元気が出ませんでした。
 しかし、この話をしないまま卒業したら後悔する日が来ると考えるようになり、中学3年の12月27日に学校へ行きました。そして、交通事故の後遺症がある生徒の体の動きをみんなが笑っているのに先生が注意しないこと、息子自身も「コートから出ていけ」と言われてつらかったと話し、下手でもがんばっていた気持をわかってもらいたい、こういうことを言った生徒が何も考えずに卒業することがないように生徒に話をしてもらえないでしょうか、というようなお願いをしたんです。授業が荒れるなか、当時、多くの男子生徒が体育の授業を受けず見学する状況がありました。(多いときには、男子20人中16人が見学をしていたと市教委が報告をしていました)

 その後、学校からは何の連絡もなかったので、2月7日に「体育の件はどうなりましたか」とうかがうと、先生は何もしていないとの反応でしたので、校長にお話しして、「生徒に話してほしい」と頼みました。
 学校は被告たちが息子をいじめていたことを知っていますから、私が体育のことだけで学校に相談に来たのなら、体育の時間に「○○が、いたら負ける」と言っていた生徒に、謝らせておけばいいと思ったのか、学年主任は、体育の時間にきついことを言っていた生徒2人に謝罪文を書かせ卒業させました。そして、卒業するまでは、体育の時間にきついことを言っていた生徒の謝罪の会を開くという話をしていましたが、卒業したとたんに謝罪の会は延期すると言われ実現しませんでした。

 その後、中学卒業後の6月19日に教育委員会から電話がかかってきました。生徒会長だった子が「被告が毎日のように教室に来て息子に嫌がらせをしていた」と、卒業してから教えてくれた、という電話でした。
 その時に、息子が万引きしていたことを教育委員会が教えてくれたので、息子に確認しました。そしたら涙を流して、今までどういうふうにいじめられてきたかを話しました。それで、私は、卒業後の平成15年6月19日に、息子が4人から暴力を含むいじめを受けていたことを初めて知ったんです。

 そんな中、いじめられ体験を話したことで、いやな体験がよみがえってしまった息子は怒りがおさまらなくなってしまいまして、カンガルーのように飛び跳ねる状態になったり、興奮して「復讐する」と言ったりしました。興奮すると、朝まで寝ないでずっと前回りをし続けました。息子の部屋はサッシになっているので、前回りをしていてガラスを突き破る可能性があるんです。「やめなさい」と言ってやめられる状態ではない。怪我をするかもしれないので、心配で寝るわけにはいかず、夫と交代で見守っていました。この様子をみて、息子にはこれ以上いじめについて詳しいことを聞けないなと思いました。

 その後、生徒会長に直接話を聞いてみようと思って、お宅に伺って話を聞いたんです。そしたら「自分たちは被告のいじめを知っていたし、在学中に先生に話していた」と教えてくれ大変驚きました。体育の時間にきついことを言ったことで2人が謝罪文を書かされた時に、謝罪文を書いた2人と他の生徒が「体育の時間のことは自分たちも悪かったけど、それ以上のことを被告らはしていたじゃないか」と先生に詰め寄ったんですけど、先生は取り合わなかったと言うんですね。
 生徒会長はアンケートや署名をして、被告にいじめをしたことを認めさせ、息子を学校に来れるようにしようと、先生に提案したといいました。ところが、先生は「そんなことをしたら、学校や教育委員会も大変なことになる。学校対原告 学校対被告になる。気持ちはわかるが・・・」と言ってって握りつぶしたという話をしてくれましたので、大変驚きました。
 学校の言い分では「学校は、卒業後に生徒会長から聞いたことで、初めていじめがあったことを知った」ということだったんですけど、在学中から先生たちはいじめを認識していたが隠していたことがわかりました。

 私は体育のことで謝罪文を書かされた生徒が腹を立てているんじゃないかと思って、2人のお宅にも話を聞きに行きました。そしたら、先生に「謝罪文を書け」と言われた時に、「自分もたしかにひどいことを言ったけれど、自分ら以上に被告は悪いことをしてたじゃないか」と学年主任や担任に言った、だけども、お前らしかおらんということにされて謝罪文を書かされた、と聞かされました。

 その後、主犯格の被告生徒にも、「在学中、同級生たちに、お前らのせいで原告が学校にこれなくなったというようなことを言われなかったか」と話を聞いてみました。すると主犯格の被告生徒は、卒業前に同級生らに取り囲まれ、「お前たちが蹴ったり首を絞めたりしたから、原告が学校に来なくなった」と言われたことがある、と話してくれました。

 結局、いじめを知らなかったのは親たちだけで、生徒たちも先生も知っていたことがわかりました。
 裁判をする前の学校の言い分は、「在学中はいじめを認識していない、卒業後の5月に生徒会長から聞いてはじめて知った」というもので、文書で私たち両親に回答しています。しかし裁判が始まると、生徒会長から2003年2月ごろ「いじめがあるとしたなら被告○○のせいではないか」と聞き、校長も認識していたと、やっと認めたんです。
 2003年2月は、息子は中学3年の3学期です。このように、裁判をしなかったら、在学中はいじめを知らなかったとシラを切りとおしていたでしょうけど、裁判を起こして、いろいろ証拠が出てきましたので、仕方なくある程度は認めたわけです。
 もし裁判を起こさなければ泣き寝入りだったと思います。同級生から話を聞いて、証拠を突きつけても、学校はそんなことは知らないの一点張りでした。

  5、どうして裁判を起こしたのか

 「裁判をしているんです」と言うと、「どうして学校を訴えるんですか。話し合いで解決すればいいのに」と、いろんな方によく言われます。私だって裁判をしたくてやっているわけではありません。どうして裁判をしなければならなかったのかについてお話ししたいと思います。

 学校に被告ら4人のいじめ行為について話したら、教育委員会がどのような事実があったか被告生徒に聞き取りすると言いました。聞き取りの結果報告を聞いたのですが、無難ないじめについてしか、教育委員会は、被告らに質問していないことがわかりました。眉をひそめるようないじめについて、たとえば原告のことを「きちがい」「障害者」と呼んだか?とか、原告に石を投げながら「きちがい踊り」と言ってからかったか?といったことを、広島市教育委員会は被告生徒とその保護者に確認していません。
 どうして全てのいじめについて確認していないのかと校長に尋ねたら、「教育委員会が主体で行っているのだから私にはわかりません」と言われるんですね。「校長先生は学校の代表者として聞き取りに同席されたんでしょう。単に傍観しているだけだったのですか」と聞いても、「私にはわかりません」と逃げてしまうんですよ。
 教育委員会の聞き取りだと「お互いに首を絞めあって遊びました」ということになるんですね。そしたら被告の親も、いじめではなくじゃれ合っていただけなんだなと思いますよね。(裁判では、被告らはうちの息子から首を絞められたことは一度もない。一方的にやっていたことを認めています。)でも、首を絞めながら「きちがい」とか「障害者」と言っていたのなら、明らかに悪意があるように聞こえます。教育委員会は被告生徒や保護者に、事実確認のため、そういう聞き方をしてほしいのだけれどしてありませんでした。
 学校や教育委員会が間に入ることで、私たちが何があったと主張しているかが被告の保護者に正確に伝わりませんでした。どういう事実があったのかが被告側に伝わらなかったので裁判を起こしたということがまずあります。

 それとですね、教育委員会の聞き取りにまかせていたら、事実が明らかにならないと思い、「じゃあ、私たちがいじめた子の親と話しをしますから」とお願いして、席を設けてもらいました。
 学校は「謝罪の会をしてあげる」と言って私と夫を呼びましたが、被告には謝罪の会をすると言えば来ないでしょうから、「話し合いの会をするから来てください」と言い、おまけに「知らないことは知らないと言ってくださいね」と前もって伝えていたそうです。被告側は謝罪の会だとは思っていないし、私たちは謝罪の会をしてもらえたと思って行くので、そもそもお互いに考えの相違があるわけです。
 そして、被告たちを個別に呼んで話をしましたから、被告の親は他の被告がどういうことを言っているかを全く聞いていません。被告たちは自分のしたことは「覚えていない」と言って明言しないんだけど、他の被告については「あれが首を絞めてた」とか「黒板に書いてた」とか話していました。次の子も自分のしたことは明言しないけれど、他の子がしたことはある程度正直に話すわけです。
 そうなってくると被告の保護者は自分の子どもの言い分しか聞いていないので、「うちの子は大したことはしていないのに、どうしてこんな席に呼び出されなくちゃいけないのか。迷惑だ」と怒りました。そして、「うちの子は悪気はないと言ってるし、言われるようなことはしていないし、見てもいない」と言われるわけです。
 さらに、校長は翌朝「昨日はご苦労様でした。学校までわざわざ来ていただきまして申し訳ありませんでした」とお礼の電話を入れているんですね。被告としては校長からそんな電話をもらうぐらいだから、濡れ衣なのに呼ばれた、自分のほうが被害者なんだ、言いがかりにすぎないと思ってしまいます。
 私はその会に息子を出させませんでした。なぜかというと、いじめを思いだしたことですごく状態が悪くなって、精神科のクスリも変わりました。そんな状態の時に謝罪の会に同席して、話を聞いたならもっと状態が悪くなることが考えられたので、「うちの子は統合失調症になっていますので、会には出させません。そのことを相手方に伝えてください」とお願いしていたんです。しかし、それも学校は被告側に伝えてはいませんでした。

 被告の親にしてみたら、本人が来てないのだから親だけが勝手に言っていると思うわけですよ。「なぜ本人が来ないんですか。本人を出してください」とも言われました。私は病気のことを伝えてあると思っていたので、被告の保護者は病気なのに息子に来いと言うのか、なんて理不尽なことをおっしゃるのかと思ってたんです。あとで確認してみたら、学校は息子が統合失調症になっていることも、いじめを思い出したことで、具合が悪くなっていることも被告の親に説明していませんでした。
 被告側からすると、校長は謝ってくれるし、本人は来ないし、親だけが勝手に言ってるから、あの親がおかしい、と感じるわけです。学校の先生も病気で息子が来られないことをいいことに、事実を説明せず、「子ども同士は大したことだとは思っていない」とおっしゃっていたそうです。そのため、被告の保護者には状況がわかってもらえませんでした。

 学校側はいじめた被告4人全員の話を全部聞いていますので、みんなの話をすりあわせれば、誰の言ってることがおかしいかがわかるはずです。けれども、A君の話だけ聞いているA君の親はわからないし、B君の話だけを聞いているB君の親もわからないですよね。
 後日、私は校長のところに言って「4人の保護者は自分の子供の言い分しか聞いていないから、どうしても自分の子供の言い分を信じる。だから、お宅の息子さんはこう言っているかもしれないけれど、他の3人はこう言ってますよと教えてあげたほうがいいのではないか」と頼んだんですけど、校長は「そんなことはしません」と言われました。それで、「学校で謝罪の会をするからと呼んだのに、事実を明らかにしなかったら会を開いた意味がないじゃないですか」とさらに言ったのですけど、校長は、「事実を明らかにすることについては微妙です」と言われて、4人の親に事実を伝えることを拒みました。

 裁判を起こすまでは、被告らの保護者は学校を通しての情報を得ていました。学校は裁判までは事実を正しく説明せず、被告の親に対したことじゃないと言っていたわけです。自分の息子は大したことやっていないのに、これじゃこっちが被害者みたいだと、被告の保護者は思ってたみたいなんですね。学校が間に入ったことで、私たちの主張が被告には伝わらないし、病気であることも隠され、すべてのことが矮小化された状態で伝わっていました。

 また息子にしても、ただのじゃれ合いと学校が言い続けていたら、気持ちは整理されず、病気もよくならなかっただろうと思います。学校や教育委員会はあったことでもなかったことにしたがる人たちでしたから、教育委員会という土俵でこれ以上話し合っても時間の無駄になると思いました。第三者のところで話し合いをして事実を明らかにするためには裁判をするしかないと考えたわけです。

  6、足立弁護士とはどういう人なのか

 弁護人は足立修一弁護士にお願いしています。足立先生は光市の事件でも弁護人になっていて、悪く言われていますが、そんな人ではありません。

 最初は別の弁護士に依頼していました。最初の弁護士には、依頼当初から、学校や加害者が否を認めない場合は提訴も辞さないと伝えていました。やがて平成15年7月に「証拠集めをしてください」と言われて、7月末には証拠を集めて持っていきました。
 それで、この弁護士はどうするのかなと思ったら、訴えることができるだけの証拠が十分集まっているのに、訴えるとは全然言わないわけですよ。もう訴えるタイミングは来ているはずなのにと不思議に思っていました。裁判では、原告は、証拠が集まった段階で、すぐ訴えなければ不利になると言われています。時間がたつにつれ、人々の記憶も曖昧になり事実が明らかにしにくくなるからです。
 その弁護士は学校側と交渉し、平成15年12月に「学校は謝ることは何もないと言っている。学校が謝らなくてもいいという前提で、学校との話し合いの会を開きましょうか」と言われました。最初の弁護士は、「謝る気がない、謝る理由がないという立場の人に、謝れといっても意味のないことでしょう」と言われました。
 さらに、私は、生徒から聞きとった証拠の録音(テープ起こしをしたもの)を、「教育委員会に渡したほうがいいかもしれませんね」とその弁護士に言われたことがあったので、疑問を持ちました。

 嫌な思いをしながらも、事実はどうであったのか知るために苦労してやっと集めた証拠です。学校がいじめ隠蔽していた証拠までもが出てきて、学校側に非があることが明らかになってきたのに、学校の責任を追求しない姿勢はおかしいと主人が言い、最初の弁護士さんにはおりてもらいました。(足立弁護士に初めて依頼した日に、「ところで、この証拠の録音があることは学校は言ってないですよね」と確認され、やはり、証拠(テープ起こし)を教育委員会に渡してはいけないのだということを確信しました)
 足立弁護士が受けてくださったからよかったものの、次の弁護士が受けてくれる保障はないわけですから、最初の弁護士さんに降りていただくときは、とっても怖かったです。私は弁護士は不正があれば必ず立ち向かってくれると思っていました。ところが、いろいろと調べてみたら、弁護士には行政を相手にする裁判はやりたがらない人がいると聞きました。学校相手の裁判の経験のある弁護士さんからは「皆さん、しがらみがありますし、仕事やつき合いの関係で、市や県を被告とする裁判に、なかなか手を貸してくれる弁護士はいないのです」と教えてくださいました。

 市とか県とかと争ってくれるのは足立弁護士という人かもしれないと思って、依頼し受任していただいたのですが、学校との交渉の状況を説明したところ、「学校が謝らなくてもいいという前提での話し合いには出なくていい。「法的措置をとります」と言っておけばいい」と言われ、やはりそうだったのだと確信しました。

 学校相手のいじめ裁判は一般的に仕事が面倒なわりに、なかなか勝てないと言われています。それは、一般的に、証拠は集りにくいといわれているし、被告生徒側は学校と口裏合わせするからです。

 足立弁護士は、あらゆる弱い人の立場に立ってくださる方だと思います。困っている人のために自分の儲けとは関係なくお仕事をされます。
 ある時、足立弁護士の事務所で相談していたら、突然ドアをガンガン叩く人がいました。ハアハア息を切らせながら、一人のおばあさんが入ってこられ、片言の日本語で話しだされました。貯金通帳を見せながら、「息子、仕事ない。私、仕事ない。先月お金なかった。今お金ある」と言うんですよ。
 どうも足立先生のおかげで生活保護か何かでお金が入るようになったことを報告に来られたようでした。そのおばあさんは、「先生、やさしい。先生、忙しい」と言ってすぐ帰っていかれました。足立弁護士が分刻みで仕事をされており、とても忙しいことを知っていても、どうしてもお礼を言いたくなり、約束なしに来られたんだと思いました。このおばあさんから謝礼など受け取っておられないと思います。それ以外にも、被爆者問題や戦後保障、平和問題などでも手弁当で弁護されています。

 謙虚な人で、勘違いをしていたり、間違えた時は、依頼人に対しても「すいませんでした」と謝られます。発言も相手の気持を考え、言葉を常に選んでお話されています。俗に言う空気の読めない人ではありません。

 ところが、光市の事件の裁判では鬼みたいに言われているので、どうしてあんなに言われるのかなと、私としてはつらい思いで新聞やテレビを見ています。息子もテレビで足立先生がタレントにひどく突っ込まれているのを見て、胸を痛めておりました

 悪い人の味方をするのはなんてことだと叩かれていますけど、犯罪を犯した人とはいえども裁判を受ける権利はありますし、弁護を受けるのもその人の権利です。被告の話を聞いて、その言い分に沿って弁護をするのが弁護士の責務なので、足立先生が間違ったことをされているわけではありません。でも、世間的にはそこのところがなかなか理解されないみたいです。
 金儲けのためだとか、有名になりたいからやっていると、テレビで言われていますけど、そのようなレベルの人間ではないことを知ってもらいたいと思っています。

 足立先生に受任していただかなければ、いくら裁判に勝てるだけの証拠を集めても、裁判を起こせず、泣き寝入りしていたと考えます。

  7,裁判の本人尋問

 息子が裁判の原告になると、本人尋問があるわけです。当然、裁判の席で自分が受けたいじめについて聞かれます。私は息子の具合が悪くなるんじゃないかと心配しました。というのが、息子は親の前でいじめられた体験を話すと、感情が抑えられなくなり、腹を立て興奮してしまうということがありました。
 そして、息子は黒い制服の集団を見ると、恐怖を覚えるといいます。黒い制服の集団にいやな思い出があるからです。それは、他の学校の生徒でもです。学校帰りの制服を着た生徒がぞろぞろ歩いているのにすれ違うと「怖い」と言います。ある時は、私の車の助手席から、窓の外を自転車で走る制服の男子生徒を見て「自転車で走っている人が、他人なのに被告Aに見える」と言ってました。
 平成15年8月の謝罪の会(だと我々には言われていた会)で、被告Aが嘘をついて、「首を絞めたのは覚えていない」「きちがいと言うのは聞いたことがない」「黒板に万引き少年と書いたのは見たことがない」と否認していることを息子が知りました。息子はすごく腹を立てまして、「まだ被告Aは認めていないのか」と怒りだして、夜も眠らず、とんでもない状態になったことがありました。家族に暴力はふるわないんですけど、自分の身体を動かしてストレスを発散するというか、カンガルーのように飛び跳ねていました。

 さて、普通の人は、尋問の前日には家でも練習をするのでしょう。たとえば、こう聞かれたら、こう答えるというふうに。ですけど息子の場合、そんなことを家でしようものなら、いじめられ体験を思い出し、具合が悪くなるでしょうから、そんな話は全然できません。私は尋問の最中に具合が悪くなったら、尋問をやめてもらおうと思ってました。息子には、他人の前で泣くことを我慢できる特性があるそうです。幼稚園のころから中学に至るまで、人前で泣いたことがありません。このように、息子は第三者の前では感情を抑えることができますが、家族の前ではどうしても感情があふれてしまい、冷静に話せなくなります。
 それで、前日の練習もなく、ぶっつけ本番で裁判所に行きました。おまけに法廷には裁判官が3人、相手方弁護士5人いる中で、被告の親も聞きに来ていました。今まで行ったこともない法廷という緊張する場所だったからこそ、息子は感情に飲み込まれることなく自分がいじめられたことを話せたのだと思います。反対尋問では、被告側の弁護士も仕事ですから、息子に対して意地悪な質問とか、被告に有利な質問を、息子にとってはいやな言い方をして聞いてくるんですね。しかし、それにも言い淀むことなく、ちゃんと答えてました。息子は、思い出したくない嫌な体験ですが、裁判官に自分で話し、事実を明らかにしたいと言う気持を持っていました。

 被告の親からしてみたら、「親が言ってるだけだ」と思ってたでしょうけど、本人がどう思っているか、裁判にも伝わったし、被告の親にもわかってもらえたと思ってます。

  8、裁判ではどういう判断が下されたのか

 2007年5月に一審の判決が出ました。判決ではいじめがあったこと、そして教師がいじめを傍観していたことが安全配慮義務違反になると、学校側の責任が認められ、市に賠償命令が出ました。いじめの行われた場所が教室や廊下とか、職員室や校長室の窓のすぐ外でしたので、いじめが1回や2回のことなら、教師が見ていなかったこともあるかもしれないけれど、1年以上の長い期間にわたって行われ一度も見なかったというのは通らない、と判断されたんだと思います。いじめと病気との因果関係も認められました。いじめがあったという事実と、その損害との因果関係との両方が認められることはめったにないことで、いい判決だったと思います。

 内容的には、ほとんど勝ったのですが、統合失調症を発症するには本人の身体的素因が影響するということで、損害に対する賠償金が7割減額されています。身体的素因とは、脳の器質的脆弱性と言いまして、もともとあなたは弱かったんですよということです。一般的に、脆弱性のある人が精神的な病気になりやすいと言われています。息子の場合、発症したという事実から脆弱だったのでしょうと言われていますが、いじめを受けるまで脆弱さを感じさせる状況もなかったので、私どもにしてみれば、いじめ行為がなかったら今でも健康に生活していたと思っています。
 統合失調症は、ストレスとなる出来事に対して十分対応できるだけの脳の強さを備えられなくなって発病すると一般的に考えられています。そして、脆弱性の高い人はわずかなストレスでも発症しますが、脆弱性が低い人でも強いストレスにさらされると発症すると言われています。

 それにしても、事実関係の95%ぐらいが認定されてますし、いじめと病気との因果関係も認められましたので、私としてはよかったと思います。でも、被告ら全員が控訴しているので、二審ではどうなるかはわかりません。

  9、学校がいじめを発症後も隠したことで何が起きたか

 いじめを隠されたことで、治療中も悪い影響があったと思っています。ストレスで発症し、薬物で治療して妄想はなくなっても、その後、また同じようにストレスのかかることをされれば、状態が悪くなります。

 私は、息子が統合失調症になった時に、医師に「友だちとつき合うことはどうですか」と尋ねたんですよ。そしたら「友だちとつき合うのは健康的な部分が残っている証拠だから、それはすごくいい」とおっしゃったので、私は息子が友だちと会うことを喜んでいました。
 実は、被告たちは発症後にうちに来ていました。発症してすぐ中学3年の夏休み(平成14年7,8月)には、被告がよく来ていました。被告は私たちの前ではニコニコしてますし、息子は万引きしている弱みがありますから断れませんでした。被告は、親が見ている前では悪いことはしないけど、二人きりになったら「万引きをばらすぞ。お金を払え」と脅迫していました。
 被告らとのつき合いで息子の顔つきがおかしくなって、チックのようにまばたきがひどくなるので、私は様子がおかしいと思って医者に「友だちが来ることで疲れている気がする」と相談しました。しかし、医者は本当の友だちが来ていると思っているので、「お母さん、友だちが来てくれているのに、心配しすぎですよ」と一蹴されました。私は何となくおかしいとは思っていたけれども、その時はいじめを知らなかったので、医者にそう言われると、それ以上逆らえず、もやもやした気持になりました。

 卒業後(平成15年3月以降)も被告らが来て、「いつも家の中にいては身体に悪いから外に出よう」と誘われていました。私としては、友だちと出かけると、病気になってしまってはいるけれど、息子が社会に触れることができた気がしてうれしいわけですよ。息子も弱みを握られているし、被告らに「ひきこもりっている。外にも出れないのか」と言われるのが嫌だというプライドから、誘われたら出かけました。
 ところが、家の外では被告らに石やボールをぶつけられたり、デパートの屋上で靴を片方取られて屋上に閉じ込められたりしました。息子が屋上のドアをガンガン叩いたら、警備の人が来られたので被告がドアを開けたということがありました。

 統合失調症の人間にはただでさえストレスをかけることはよくないのに、学校にいじめ行為があったことを隠されたことで、親がいじめの事実を知らず、対応を間違えて、発症後もさらなるいじめを受けてしまったことが悔やまれます。

 そして、医者に正しい背景を話すことができませんでした。いじめがあったことを話していたら、どう対処していけばいいかを指導されたとおもいます。そうなっていれば息子が学校に復帰しようとした時に、また具合が悪くなることはなかったのにと思うんです。ところが、学校は息子が発症した後も、我々両親にいじめがあったことを隠しましたから、被告たちは先生から注意されたわけでもなく、反省もしてもいませんでした。発症後もいじめを受けたことで、息子の症状がひどくなってしまいました。

 思春期の発症の予後を決めるのは何かというと、学校生活で社会的常識、集団生活の知恵を仲間の間で学ぶことが大切なのだそうです。ところが、思春期に発症すると、その大切なことを学ぶ時期に学ぶことができません。その後の生活の技術を積んでいく上で大事な経験を、仲間関係の中で築いていくことを、学んでいくことができないので、予後をよくするためには悪影響と言われています。
 「仲間体験の失敗から発症した場合には、医療と学校の情報交換をして連携によって環境調整をしていくことが必要になる」そうです。「いじめ、暴力が起こらない環境調整は、発症契機を減らす大きな要因になる」とまでおっしゃっている医者の論文もあります。学校がいじめを隠すのではなく、病気の背景にはこういうことがあったんだと話してくれ、学校でも環境調整をしてくださったら、発症後、夏休み明けに自分で登校したとき、息子は学校に戻れたのではないかという気がします。

 学校が、嘘をついていじめ隠蔽することで罪に問われないのなら、学校はこれから先、都合の悪いことがあっても隠し続けて闇に葬ってしまうだろうから、私はそういうことにならないようにと思って、今、控訴審でがんばっているところです。学校や教育委員会はいじめ隠しをせず、こうした不法行為を野放しないでほしくないと願ってます。
 以上です。ありがとうございました。

 (2008年5月31日に行われましたおしゃべり会でのお話をまとめたものです)