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  河村 隆さん「亡き妻と再び出会う」             
2003年8月30日

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 大阪から参りました河村隆と申します。お寺の生まれじゃないんですけど、十五年前に専修学院というお坊さんを養成する学校に行きまして、僧侶の資格を取りました。それからトータルとしては七年ぐらい僧侶として、法事とかお葬式とかの仕事をやってました。だから、お坊さんの仕事よりも別の仕事をやってるほうが長くて、その間いろいろありまして、今もうろうろしている状態です。
 今日よんでいただいたのは、インターネットで浄土真宗のお寺さんがやっておられる掲示板、何でも書けるところですね、その掲示板に妻との死別のことや自分の生い立ちの中であったいろんなことをいっぱい書いてまして、インターネットですから誰が読んでいるかわからないんですけれど、自分の気持ちをどんどん書くことで気持ちの整理ができたし、それに対して何か応答を書き込んでくださる人もあるんで、それが自分の癒しとか救いになっているなあ、ありがたいなあと思ってます。
 その書き込みをたまたま読んでくださって、ひろの会で話しませんかということで、ご縁をいただいて、こちらに伺ったわけです。

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 私は五年前に自死というかたちで連れ合いを亡くしました。先に言いますと、離婚してから彼女が自殺をしたということを聞いたんです。八年前に結婚して、二年間一緒に住んでて、そして離婚してから一年たって、友達からの連絡で彼女が死んだということがようやくわかったんです。
 彼女はつき合ってた時も自殺未遂を何度も繰り返していて、精神科のクリニックに通っていたんで、あるいはそのような形で最後を遂げるかもしれないという、漠然とした予感はあったんですけども、やはりそれが現実となると、ショックはとても大きいものでした。
 自分は僧侶でしたから、なんで一人の人間を救えなかったんだろうかという罪悪感を非常に感じましたし、無力感も感じました。

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 私がお坊さんになった理由というのは、中学校の二年くらいで不登校になったんです。そのころは不登校という言葉がなかったんですけども。
 自分は何をやったらいいのかいろいろ迷ってて、キリスト教の教会に行ったりしてたこともあったんです。大検、大学入学資格検定ですね、大検を取って、いろんな学校に行ったりしましたけれども、自分の求めているものは何なんだろうと思ってた時に、親鸞という人の魅力を知ったんです。
 私はお寺に生まれ育っていませんから、お坊さんになるにはお寺の息子さんか養子になるか、そういうふうな形でしかお坊さんになる道はないと思ってたんですけど、僧侶の養成学校があると知って、電話かけたら、「誰でもこの学校に来てもいいですよ」というので、いったん崩れてしまった自分の人生を立て直すために、親鸞という人の教えを学んでみたいなあと思って、その学校に入ったんです。
 キリスト教というのはやや厳しいかなと。神様というのは怖くて、まだ仏様のほうが優しそうだというか、こんなダメな自分でも受け入れてもらえるかな、受け止めてくださるのかなというふうに感じて、そこに惹かれました。
 親鸞という浄土真宗の開祖の人生を振り返ってみると、これも簡単に言うと、ダメ人間で、奥さんもいて、子供もいて、その中で苦労されているというところが私には非常に親しみを感じます。
 他の宗派のお坊さんの伝記を読むとですね、独身を貫いて、戒律をきっちりと守って、聖人君子というか、そういうふうに思いますけども、私には親鸞という人が一番親しく思えたんで、浄土真宗を選んだんです。
 その時はお坊さんになろうと思って専修学院に行ったんじゃなくて、親鸞の勉強、仏教の勉強がしたいと思ってたんですけど、そこで先生に勧められまして、お坊さんになったわけです。

 その浄土真宗の学校で勉強して、先生と出会ったり、友達と出会って、それなりに何となく救われたという感じもあったんですけど、いろんなお寺を出たり入ったりしているうちに、自分はこれで本当にいいんだろうかと思ってきたわけです。いい出会いもありましたけど、お坊さんの世界の汚い面をかいま見ることもあって、惰性に流れるのも嫌だなと思ってたんです。

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 そんな時に彼女と出会って、彼女のように本当に悩んでて、行き場がなくて、苦しんでいる人を、本当に救えるとしたら、彼女が「一緒に死んで」と言ったら、一緒に死ぬぐらいの覚悟でつき合うのがいいのかなと思ったんです。一種の賭ですね。彼女に賭けてみようと思って。
 結婚してからもちっちゃな自殺未遂をやってたんですけども、私がお葬式かなんかで一日仕事で帰ってきたら、睡眠薬と精神安定剤をためてたのを一気に飲んでたことがあったんです。そこで発見して、救急車よんで、胃洗浄やったんですけど、かなり時間がたってたので、だいぶ昏睡状態になってて、死にかけてて、でも回復したんです。意識が戻ってきても、ろれつが回らなくて、なんか変なことを言ってました。
 こういう状況になっちゃったけど、この子はこういうことをするかもしれないというリスクを承知の上で結婚したんだから、一生面倒見なきゃいけないなということを思ったですね。
 人と深く関わり合うということで生きていくんだと、私は思ってたんで、自殺するかもわからない人と結婚することは、自分の人生を本物といったらおかしいですけども、充実というか、そういうことになると思って、人生を賭けてみたいというので、結婚に踏み切ったということです。

 離婚は彼女のほうから申し立ててきたんです。なぜかと言いますと、彼女は自殺未遂を繰り返してましたんで、神戸の精神科のクリニックへ行ってたんですが、東京のある精神科の先生のところで診療を受けたいというので、わざわざ東京へ引っ越したんです。
 彼女はそこでソーシャルワーカーになりたいんだと、資格を取って、自分のように悩んでいる人のために相談員になりたいんだと言ってました。
 その精神科の先生が、離婚すれば生活保護をもらって、毎日うちの病院に来れるよとアドバイスしてくれたわけです。
 そこは診察以外にも、来られているクライアントたちへのいろんなプログラムがあって、英語を勉強しようとか、お笑いを勉強してみようとか、ダンスをやるとか、瞑想をやるとか、ヨガとか、いろんなのがありまして、そのビルの中では毎日何かが行われているんですね。そこで友達を見つけることもできて、友達が家に遊びに来たりしてました。
 もともと彼女は東京生まれですし、高校をいったん中退したんですけども、通信制高校で学び直したいというので、東京に行ってるんで、東京の友達もいるんです。
 私は東京暮らしが初めてだったんですけども、彼女は知り合いもいるし、友達もできてるし、私なんかよりもはるかに彼女の状態を知っている先生もいるし、彼女自身が医療ソーシャルワーカーになりたいと言うんだったら、ここは自分が離婚届に判をついてですね、彼女は自分のやりたいことをやったらどうだろうか、私の役目はこうやって彼女を東京まで連れてきて、この先生に会わせるまでの仕事だったのかなと思ったんです。

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 言いわけになりますけど、私は他人に強制というか、押しつけるというのはよくないんではないかと思ってまして、その本人の自由裁量にまかせて見守り、やばいと思った時は手助けをしなきゃいけないけども、ある程度はその人が生きていく力というものを信じていきたいなと、ずっと思ってました。
 というのも、私自身、おじいさんおばあさんにプレッシャーをかけられてましたから、そういう状況は作りたくなかったんです。

 彼女も、自分の意志を親が認めてくれないんだと思ってる人で、親から期待をかけられ、強制されて、親に認められたくて自分はがんばったんだけど、親の期待通りにはできなくて認めてもらえず、だから自分はこれだけ苦しくなったんだというふうに言ってました。お父さんお母さんにありのままの自分をそのまま受け入れてもらって愛されたいんだと、それをなんとかわかってもらおうとしてたのかなあと思ってます。

 彼女のお父さんお母さんに会ってみると、私の親よりはるかにいいじゃないか、よその目から見るといいお父さんお母さんだと思うんですけども、彼女にとってはしんどい状況だったんですね。
 彼女はそういうプレッシャーがあるので、頑張り屋さんで、余計に一生懸命がんばっちゃうタイプなんですね。高校じゃ生徒会長を引き受けて、だけど、彼女のやり方に反発する生徒が出てきちゃって、なんか言われて落ち込んで、生徒会長を辞めちゃって、学校も辞めちゃったということを聞いてたんで、あんまり私が、こういうふうにすればいいんだとアドバイスというか、指図して、プレッシャーをかけることはできないなと思ったんです。

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 離婚してからも住んでるとこは同じところでしたし、電話も変えてませんから、彼女がそのクリニックでの人間関係でもめたり、なんか行き詰まったりしたら、いつでも連絡ぐらいしてねという感じで、ずっと待ってたんです。
 けど、結局彼女は私と別れて三ヵ月ぐらいして大阪の実家に帰っちゃって、そこで一年たたないうちに自殺をしてしまったんです。
 やっぱりあの時に離婚しなければよかった、自分の決断が失敗だった、それでこういう結果を生んでしまったんだと自分を責めました。
 しかも、よくよく後から聞いてみると、うちによく遊びに来てた女の子も後追い自殺をしてしまったというので、自分の判断ミスで二人の命をなくしてしまった、離婚したのはまずかったんじゃないか、なんて馬鹿なと思ってました、長い間。

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 彼女は全然お寺の人でもないですし、浄土真宗の信仰も持ってませんけど、私自身一応お坊さんですから、最初、彼女に浄土真宗の信仰を押しつけてた面がありました。君の悩んでる問題を私も通ってきたから、一緒にお寺に行かないかと誘ってみたこともあるんです。

 彼女にしてみれば、浄土真宗、仏教というものには興味がなくて、現代の精神医学ですね、精神分析とかセラピーみたいなものにアプローチして、本を読んだりしてたんです。自分の状態はどういう状態なのか考えてましたし、ソーシャルワーカーになるために心理学を通信制で勉強してましたから、逆にあなたのほうこそそういうものを読んでくださいと言われてたんですね。

 私も少しは興味はあるんですけど、すでに浄土真宗の力をもらってるから、そんなものは読む必要がないと思ってて、あんまり読まなかったんですね。こういう会合があるから一緒に来てと言われて、行ったこともあったんですけど、あまり聞きたくないんです。自分は浄土真宗の信仰があって、お坊さんでもあったんだから、そんなのなんで聞かなきゃいけないんだというとこがあって、そのへんも後悔しましたね。

 彼女が進もうとしている道を理解するためには、自分の信仰をいったんおいて、彼女は何を考えているのか、彼女はどういう道に進みたいのか、そんなことを理解しなきゃいけなかったのかなと思ってですね、彼女の言うとおりにすればよかったと、そんなことでもひどく自分を責めました。

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 東京にフランス人の神父さんがやってるバーがあるんです。今年で二十年ぐらいたつお店なんですけど。
先ほど言いましたように、私は不登校のころ教会によく行ってまして、キリスト教にはあまり抵抗はないんですね。

 そのバーでは何でも話ができるんで、そこに行って、私自身のこともしゃべってですね、
「彼女は今どこにいるんですか。キリスト教では生前、神への信仰を持っていないで亡くなっちゃったら、やっぱり地獄へ行くことになるんですか」
と、そういうふうなことを聞きました。そして、
「私自身は今、浄土真宗ですけども、神父さんから見れば、私はどこへ行くと思いますか」
というふうに聞いたりしたんですけど、明快な回答はいただけなかったですね。かなり通った上で、そういうことを自分から告白したんですけども、答えてくださらなかったです。

 そういう質問がいやらしいといえばいやらしい。そんなふうに人から質問されたらなかなか答えにくいですよね。浄土真宗の信仰を持ってない人が亡くなりました、さてお浄土へ行ったでしょうか、行ってないでしょうか。聞かれたら私も困ってしまう。

 職業柄困る質問を相手にしたんですけれども、向こうは遠藤周作さんの小説のモデルにもなってるものすごく高名な先生で、東大とかの学生さんたちにも講義してるから、何か答えてくれるのではないかと、一抹の期待を持っていたんですが、全然答えてくれませんでした。

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 そういう状態をどうやって抜けようかと思ってた時に、思いあまって私が出た学校の院長先生とか、本を読んで興味を持ったんで手紙を書いたら、返事をくださったお坊さんといった、過去に知り合えた仏教のお坊さん、あるいはキリスト教の神父さん、牧師さんたちに、
「彼女はどこへ行ったでしょうか。わたしは僧侶でありながら、自分の妻をも救えませんでした。教えてください。彼女は救われているでしょうか」というような手紙を送りました。

 五人の方に送りましたが、どなたからも返事が来ない。皆さん本当に返事をくれませんでした。
 私のこれまでの歩みやら、妻のことやら、何もご存知ないところへ、いきなりわっと手紙を書いたものですから、面食らわれたのかもしれません。
 おまけに私の書きようが悪くて、先生たちを責めるように書いてしまったんですね。「どうですか」と。
「何の信仰も全然持たないで死んでしまった人はどこへ行くんでしょうか。あなたたちの宗教ではどういうふうに考えますか」
というふうに責めて書きましたから。

 怒りっていうか、私自身が罪悪感を持ってますから、人に罪悪感を押しつけて、あんたら一体何やってんだ、偉い学者さんで、高名な僧侶で、有名な神父さんだろうけども、こういう質問に答えられないのかみたいに書いてしまったんで、返事がもらえなかったと思ってます。

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 それから二ヵ月ぐらい待ってましたけど、誰からも返事がないので、どうしようかなあと思ってた時に、そのころ私は介護福祉の学校に行ってたんですね。妻が医療ソーシャルワーカーになりたいと言ってるし、彼女がそこまで育ってくれるまで、自分がちゃんとした定職について、仕事しなきゃいけない、何をしようかと思って、だったら自分も福祉や医療の仕事をやろうと思って、でまあ、カトリック系の介護の学校に行って勉強してたんです。

 そこは夜間学校だったんですけど、介護福祉士になりたいと、資格を取るために勉強しに来た人々の年齢差が非常にあったんです。私は男のほうでいうと一番年上だったんですけども、女の子で一番若いのは高校出たての子で、なぜかその子と仲良くなったんです。十九歳離れてて、ほとんど娘みたいな年ごろなんですが、妙に気が合って、授業中もキティちゃんのメモパットで、「つまんないから帰りたいなあ」とか遊んでたんです。

 その女の子に、自分の連れ合いがこうやって亡くなってしまったんだけどもというようなことを書いたら、普段からやりとりをしてますから、もちろん全然無視して返事が返ってこないということはなくて、彼女からは長文の返事が返ってきました。その返事が彼女なりに書いてくれていたのが非常にうれしくて。

 彼女はこういうふうに書いてましたね。
「私、奥さんしあわせだったと思うよ。こんな人生経験少ない小娘が言うのもなんだけど、河村さん、せいいっぱい彼女のこと思ってたじゃない。私が奥さんだったら、ホントしあわせだったよ。ありがとうって言うよ」

 妻が犬がほしいと言ったんで、犬が飼えないマンションから犬が飼えるマンションに引っ越したこともあったんですけど、
「犬がいて、自分は充分に愛されて死んだんだ。幸せだったと思って死んだわ」
と。どうだったかな。

「もし私が河村さんの奥さんだったら、ありがとうと言って死んだわよ」
というふうに書いてくれましてね、私は、自分の力が足りなくてこういう結果になったと、ずっと思ってましたけども、その女の子が、奥さんは自殺未遂を繰り返して苦しんだけど、最後はあなたに出会えてうれしかったと思って死んでるわ、と言ってくれたんです。

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 自分は宗教家で、職業としてプロなんですけども、全然妻の問題に答えられなかったし、またキリスト教や仏教の錚々たる学者先生に聞いたけれども、誰も答えてくれなかったのに、身近にいる、自分の娘みたいな年ごろの女の子に慰められ、励まされたということが、とてもうれしかったなと。

 私たちから見たら、彼女は高校からストレートで学校に上がってきて、古い表現ですけど、キャピキャピというか、今どきの女の子というのは援助交際やってて、なんかすごいなあというふうに見えるんですけど、
「私も実は、手ひどい失恋をしたとき、ホントにお風呂場でかみそり持ってたことある」
と手紙にありました。

 みんな表面的には明るく、楽しくですね、この時代社会に乗っかって生きているように思うんですけども、まさに老若男女、宗教を持っているか持っていないかにかかわらず、どんな人でも、その人その人の苦しい場面、状況というのがあって、そこは全く人間平等で、共感できるんだなあと。
 そして、人は人知れず、悩み苦しみ悲しんで、けれども誰にもその姿を見せずに生きているんだ、自分だけがつらい思いをしてるんではないんだということを本当に知らせていただきました。
 自分はそこそこ勉強したと思ってましたけど、それが全部壊れちゃって、もう一からやり直しだなあと思ったりなんかもしました。

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 その後、半年ぐらいたって、プロテスタントの牧師さんで、ある大学の先生をされてる方からお手紙がようやく来たんです。大きな郵便物で、開けてみると、ワープロで打った文章が50枚ぐらいあるんですよね。

 これ、なんだろうと思って読んでみると、その先生は73,4歳ぐらいなんですけども、その先生の娘さんがガンに冒されて、余命幾ばくもないという状況に今なってるんだという手紙なんです。そして「娘宛に手紙を書いたんだけれど、全く同じものを君にも読んでほしい」と書いてあったんです。

 そういう大事なものをどうして送ってこられたのだろうと思いながら読んだんです。その大まかな内容というのは、「君が私よりも先に天国へ行くいうことになって本当に驚いている、でも、きっと天国で再会しよう」というような文章なんですね。

 その先生は宗教学者で、ものすごく難しい本をたくさん書いておられます。言ってみれば、死後に天国があるというのはキリスト教の本質ではない、そういうのは低い信仰なんだ、ということを書いておられるんです。
 天国、神の国というのは、死んだらあの世があって、神様のもとでみんなが暮らすという意味じゃなくて、といろいろ書いてあってですね、それはそれで私も読んでて、そうそう、私たちの浄土真宗も、死んだらお浄土がポンとあって、なんか蓮の池があって、阿弥陀さんがそこにいて、みんなで出会うという、そういう意味じゃなくてとか思っていて、それで私がお寺に勤めてた時には同じようなことをお説教してたんです。死んだら極楽へ行けるというのは昔風の考え方ですというようなことを言ってました。

 その先生も大学の先生ですから、そういう単純な話はしなくて、神の国とは実はこういうことなんだといったことを長いこと書いてきたんだけど、いざ娘がガンに冒されて死んじゃうということに直面したらですね、そういうことをいわば「馬鹿にしていた」自分が間違ってた、なんと愚かであったかって、そういう意味のことも書いておられました。

 キリスト教の信仰を得たら、死後に天国があるというようなことを、自分は長い間馬鹿にしていたけれども、いざ自分の娘が死に直面し、亡くなるということを目の前にしたら、神さんがいらっしゃって、先に娘を天に帰す、自分も後から行く、そういうことを一概には否定できないというように書いておられました。そして、「そういうこともあって、君の質問には答えなかったんだ」と、手紙には書いてありました。

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 また、ある先生からも翌年、年賀状をいただきまして、「あの時、返事できなくて誠に申しわけなく思っています」と添えられていました。間接的に聞いてみると、いろんな事情があって、勤めてた学校を辞めなきゃいけない状況になってたそうです。
 いくら高名な神父さん、牧師さん、お坊さんであっても、それぞれ悩みを抱えているわけで、学校を辞めなきゃいけない状況になってる先生もあるし、娘さんが亡くなってしまうという状況に立たされている先生もいらっしゃる。そんなことがわかってくると、自分だけが悲しみにくれていると思い込んでいたなと。
 そして、私はいろんな宗教の知識、仏教やキリスト教をかなり勉強したぞと思ってましたけど、全然そういう知識が役に立たなかった。ところがそんなことを全然勉強してない女の子に慰められた。また、そういう勉強してても、立場上、普通に皆さんが考えているような、死んだら極楽浄土とか、死んだら天国、神様の国だと簡単に言えない人が、その裏ではいろんな葛藤があって、悩みがあって、難しい立場に立たされているんだなあとわかって、みんな一人一人が大変な状況を抱えておられるんだなあと思った時に、ふと楽になったというふうに感じました。
 以上で私のお話は終わります。どうもありがとうございました。


(2003年8月30日に行われたひろの会でのお話をまとめたものです)