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  子供の貧困

阿部彩『子どもの貧困』

青砥恭『ドキュメント高校中退』

2011年に書いたものです
日本は豊かな国だから、どんな子どもでも教育をちゃんと受けることができ、意欲さえあれば世の中で成功する機会はある、と考えがちです。しかし、日本の現実はそうではありません。

2006年のOECDの報告書は、日本の子どもの貧困率について次のように警告しています。
①日本の子どもの貧困率が徐々に上昇しつつある。
②この数値がOECD諸国の平均に比べて高い
③母子世帯の貧困率が突出して高く、とくに母親が働いている母子世帯の貧困率が高い


 1 子供の貧困率

貧困線(生活に必要な最低限の物を購入できる最低限の収入水準を表す指標)は年収が1人世帯で127万円、2人世帯では180万円、4人世帯は254万円、それ以下が貧困層ということになります。
貧困となる割合が大きいのは高齢者で、貧困率は20~21%、つまり高齢者の5分の1は貧困状態です。
子どもの貧困率は、2004年が13.7%、2007年は14.2%、2010年は15.7%と年々増えており、3年間で貧困状態にある子どもが23万人も増えたことになります。約7人に1人の子どもが貧困状況にあります。(OECD22ヵ国中では8番目の高さ)


 2 母子家庭

母子世帯は貧困率が高く、母子世帯は全世帯の4.1%なのですが、母子家庭の貧困率は66%です(2004年)。母子世帯の母親の約85%は就労していますし、5人に1人はダブルワークをしています。それにもかかわらず貧しい家庭が多いのです。
また、母子世帯の母親は仕事時間が長く、育児時間が短いです。仕事時間は日本が平均315分で、アメリカ242分、フランス193分、イギリス135分。6歳未満の子どもを育てながら働いている母子世帯に限ると、平日の平均の仕事時間は431分、育児時間は46分しかありません(共働きの母親の平日の育児時間は113分)。
それだけ働いても、2006年、母子世帯の平均年間所得金額は211.9万円で、児童のいる世帯の平均718万円の3分の1以下なのです。

阿部彩さんは「貧困状態にある人は、低所得であるが故に、無理に仕事をして身体を壊し、医療費がかさんで家を手放し、家賃が払えなくなって高利の借金をする、という風に、一つの「不利」が次から次へと別の「不利」を生み出し、ますます生活が困窮していくというようなことがよくある」と書いています。悪循環です。
たとえば、子どもが病気になっても、金がないし、仕事を休めないので、なかなか医者に連れていけません。

2007年、約99万人が児童扶養手当を受給しており、母子世帯の約7割です。ところが、児童扶養手当の支給要件が厳しくなりました。福祉に依存している人がいるので、自立するようにと政府は考えたわけです。
しかし、阿部彩さんは次のように批判します。
「日本の母子世帯の所得の低さは、「福祉依存」に起因するものではなく、母子世帯の母親の就業機会が長時間仕事をしても賃銀が低い仕事に限定されていることに由来する」
母親が長時間働くことを強いられたら、親は不在状況となります。
「母子世帯に育つ子どもの多くは、親と一緒に過ごす時間が少なく、教育をはじめ、ほかの多くの子どもが享受している便益について「がまんしなければならない」状態にある」
母親にしても、すでに精一杯働いているのに、「もっと働け」と迫ることは、母親の健康や幸福に悪影響を及ぼすことになります。

阿部彩さんたちが行なった母子世帯の母親へのアンケート調査に、「不安に思っていることは何ですか」という問いがあり、その答えをいくつか引用します。

「一日一日を生活するのが精一杯で先の事を考えて貯蓄するほど、収入(月額10万円)がない。公営住宅も優先される事もなく、家賃の高いアパートでの生活をしなければいけず、養育費も二年半とどこおっていて「もう関係ないから払う気がない」と言われ、子供は大きくなりお金もかかり、ノイローゼになりそうです。毎日、死にたい気持ちで暮らしています。たえられません」(母35歳、第一子13歳、第二子10歳)

「母子世帯になってからダブルワークをするようになって、体調を崩したものの仕事の量を減らすことができずにいるので今後どこまで体が持つのか不安です。働かないと生活できないし……。生活保護の相談をしに市役所に行っても相手にしてもらえず、どうしていいのかわかりません」(母43歳、第一子17歳、第二子15歳、第三子13歳、第四子11歳)

「看護師として仕事を続けなければ、収入は無い。しかしながら子供は女の子一人、夜勤に一人おいておくには、世の中あぶない……しかしながらあずけないと夜勤できない。お金もストレスも増大。娘は小四から完全不登校になり、15歳の時トリマーになりたいと言った。私学の専門で通信高校とあわせた学校が出来、入学したいとのぞんだ。しかしながら、夜勤しない看護婦はいらない(公務員です)といわれ、娘の学校へ行く行動を後おしする為、悩み悩み児童相談所と話し合い、中三の二月から今、施設にいる。18歳の来年家に帰るが、親としての、この三年間つらいとしかいえない」(母46歳)

「母子家庭を思ってか、援助を受けようとしない次男が、学生でありながら、休日や深夜のバイトを二つも入れて、学業がおろそかになったり、健康を損ねたりしないかと心配」(母50歳、第三子16歳)

阿部彩さんは「日本の母子世帯の状況は、国際的にみても非常に特異である。その特異性を、一文にまとめるのであれば、「母親の就労率が非常に高いのにもかかわらず、経済状況が厳しく、政府や子どもの父親からの援助も少ない」ということができる」と指摘しています。
青砥恭『ドキュメント高校中退』によると、離婚した母親たちが働く場所はパート等の不安定雇用しかありません。
「夜は水商売に働きに出る母親も多い。毎日、昼働いた後、夜遅くまで店で客と飲み、体をこわして水商売すらできなくなり、いっそう貧困へ落ちていく」
母親たちの多くは現在の生活を維持するために精一杯で、自分の老後や病気に備えた貯蓄はほとんどできません。また、仕事と育児と家事で無理をしているので、病気になる人も多いのです。


 3 貧困と子どもの成長

子どもを育てる環境は家庭の経済状況によって大きく左右され、親の収入は子どもの成長に影響します。
貧しい家庭に育つ子どもは、学力、健康、家庭環境、非行、虐待などさまざまな面で、そうでない子どもに比べて不利な立場にあります。

さらには、貧困であることの不利は子ども期だけではなく、大人になってからも持続し、一生つきまとう可能性が高いそうです。
生活保護を受けている3924世帯のうち、25%が親の世代においても生活保護を受給していました(母子世帯に限ってみると41%)。
親の収入が多いほど大学進学率が高く、貧困家庭では高校や大学への進学が難しくなります。父親が大卒の場合、本人も大卒である割合が66%ですが、父親が中卒の場合は本人が大卒なのは14%、中卒が3割、高卒が約5割です。
2003年、12歳以下の子どもがいる361世帯への調査によると、ほとんどの親が高校までは行かせたいと思い、大学でも90%以上がそう望みます。ところが、経済的に高校に行かせられないと答えた親が2.5%、大学だと26.9%います。
中卒の36%が固定貧困層(継続して所得が貧困線以下)、32%が一時貧困層ですが、大卒だと安定層(一回も貧困経験がない)が8割。
子ども時代に貧困だったことが大人になってからもマイナスの影響を受け、その不利は次の世代にも受け継がれます。親と同じ道を子どもも歩み、三世代にわたっての貧困家庭となるという悪循環です。

 ①非行について
2004年、少年院における新収容者5248人のうち、貧困層は27.4%です。そして、犯罪の度合いが重いほど、その少年が貧困世帯出身である確率が高いそうです。

 ②児童虐待について
子どもの虐待と貧困の間には関係があります。
2002年、児童虐待として保護された501のケースにおける家庭の状況を分析すると、生活保護世帯が19.4%、市町村民税非課税・所得税非課税世帯が26%で、合わせると半数近くになります。また、母子世帯が30.5%と、ひとり親世帯の割合が高くなっています。
子どもに関心を持たない親も多く、貧困は子どもへの期待や愛され方にまで格差を作るのです。

青砥恭さんはこんな例をあげています。
規則的な生活、衣服の着がえ、入浴、歯磨きといった基本的生活習慣は親が伝えるものですが、それをしない親がいる。おむつの交換をしない、排泄訓練をしない。料理を作らないので、パンやお菓子を与えるか、せいぜい惣菜をならべるだけ。
保育園の子どもを連れて飲みに行ったり、カラオケに行ったりする。親の生活時間で子どもも暮らしており、大人と一緒に夜の11時、12時まで起きている。親が夜遅くまで遊んでいるので朝起きれず、子どもたちは朝ご飯を食べない。
歯磨きをする習慣がなかったり、虫歯ができても歯医者に通う金がなくて治療をしていなかったり。洗濯したり、風呂に入る習慣のない高校生もいる。

親はどうしてちゃんと子どもを育てようとしないのでしょうか。
一つは、日常的に暴力にさらされているからです。
父親の暴力、精神的に壊れる母、両親の不和、離婚など。あるいは、母親が知的障害、精神障害、人格障害だったり、母親の男出入りがはげしかったり。

もう一つは、親もそのようにして育ってきたということがあります。
「貧困とネグレクトは関連が深いことは間違いない.ネグレクトは、自分が子どもの時に丁寧に子育てされてこなかったことに原因がある。子育てのやり方がわからない母親は、子育てのやり方を受け継いでいないのではないだろうか」と青砥恭さんは書いています。
子どもに愛情がないわけではないのですが、誕生日を祝ってもらったことがなければ、ほめられたこともなく育ったため、自分がされたように子どもに接してしまうのです。
そして、周囲に相談する人や教えてくれる人がいないということもあります。

もちろん、すべての親が子どもをほったらかしにしているわけではありません。「子育てに生まじめに取り組んでしんどくなる人たち」と「自分のことや遊びで精一杯で子どものことに関心を持たない人たち」の二極化しているそうです。

 ③学力について
貧困は子どもの学力や進学とも関係しています。
『ドキュメント高校中退』の冒頭に、「日本の子どもの学力はなぜ低下したのか。子どもはなぜ荒れるのか。「市民道徳」をわきまえないような親がなぜ増えてきたのか。そういう学校の実態から、学校や教育が「崩壊」したといった言説が一時流行っていたが、問題の本質は学校崩壊ではなく、膨大な貧困層の登場だったのである」と書かれています。

貧困家庭の子どもは学力でも大きなハンディキャップがあります。
2008年に実施した全国学力テストの結果によると、保護者の年収と小6生の正答率は正比例しており、保護者の年収が増えるに従って、子どもの正答率も高くなっています。

さらには、「親の所得によって進学する高校が決まり、高校間の格差によって子どもたちの人生、生き方や文化さえも決まる」とまで青砥恭さんは言います。進学校の生徒の90%が持ち家で、底辺校では45%以上が賃貸です。
就学援助制度といって、経済的な理由で就学困難と考えられる小・中学生に学校教育を受けるために必要な経費を援助する制度があります。
2006年度に公立高校の授業料を減免になった生徒は22万4000人、2007年度に就学援助を受けた小・中学生は140万人、13.7%で、高校生の授業料減免率、小・中学生の就学援助率とも、97年から10年間で二倍を超えています。
進学校の減免率は低く、底辺校ほど減免率が高くなっています。
「授業料の減免率は、生徒の生活の貧困度を示すものであり、家庭の所得が入学する高校選択に非常に大きな影響をもっていることがわかる」


 4 高校中退について

 ①貧困と高校中退
高校中退者の多くが貧困家庭で育っています。
1982年~2007年の間、一年間に7万人から12万人(5%から8%)の高校生が中退しました。学校を退学しても、定時制や通信制などに転学した場合は中退とはみなされないので、中退者は実際はもっと多くいます。
中退が多い埼玉の某高校(底辺校)では、生徒たちの家庭の経済状態は年収200万円程度と思われる家庭が3分の1で、よくて400万円くらいまで。父親のいない生徒は15%、父親の仕事を知らないという生徒も15%。
「家庭の貧困が低学力、不登校そして高校中退と深い関係があり、就学前の生活、それを形づくる家族がかかえる問題に高校中退の原因がある」

 ②低学力と高校中退
高校を中退する大きな原因は低学力だと、青砥恭さんは言っています。
小学校3年ぐらいから勉強がわからなくなり、分数や九九もわからないし、アルファベットを書けない。小学校で落ちこぼれ、中学校で不登校になり、高校を中退する。
「日本の学校では小学校の低学年で「落ちこぼれた」子どもたちを救う手だてはほとんどない」

 ③学校や教師
学力と経済力があれば学校を選択できますが、選択できない子どもたちは行くことのできる高校は限られてきます。高校の序列化は厳しさを増し、貧困層の子どもたちは底辺校に囲い込まれることになります。
中学の担任から「お前が入れる高校はここしかない」と言われて、仕方なしに入った高校ですから、勉強したいわけではないし、やる気もないし、卒業しようとも思っていない。入れる高校が限られているから遠距離通学になり、交通費がかかるし、通うのが面倒になる。子どもたちは教師たちからアホカス呼ばわりされ、「どうせ自分はバカだし、何もできない」と思っている。

暴力教師や無気力教師も少なくありません。退学させることで学校は落ち着き、楽になると考える教師は、「学校をやめろ」と言います。反抗的な生徒を早めにやめさせることができる教師が評価されるのです。

 ④就職
高卒の資格がないとまともな仕事に就くチャンスが難しくなります。
「正社員として採用されても、日給や時給だったり、雇用保険や健康保険など社会保険に加入しているケースはほとんどない。やめても退職金もない。雇用条件は信じられないほど劣悪である。それどころか、最近はアルバイトでさえ、高校中退を理由に採用されないこともある」
定時制や通信制の高校に入学しても、日給の仕事では授業を受けるために休むと収入が減るし、残業や休日出勤があれば学校には行けないので、卒業するのは大変です。
「高校中退者のほとんどは日本社会の最下層で生きる若者たちである」


 5 社会の無関心

多くの人は貧困問題にあまり関心を持っていないようで、自己責任論を振りかざす人も珍しくありません。
阿部彩『子どもの貧困』に、2008年、「現在の日本の社会においてすべての子どもに与えられるべきものにはどのようなものがあると思いますか」を1800人に質問した調査について紹介されています。
「12歳の子どもが普通の生活をするために、○○は必要だと思いますか」という設問が26項目あります。一般市民の過半数が「希望するすべての子どもに絶対に与えられるべきである」と支持するのは、以下の8項目です。

「朝ご飯」91.8%
「医者に行く(検診も含む)」86.8%
「歯医者に行く(歯科検診も含む)」86.1%
「遠足や修学旅行などの学校行事への参加」81.1%
「学校での給食」75.3%
「手作りの夕食」72.8%
「(希望すれば)高校・専門学校までの教育」61.5%
「絵本や子ども用の本」51.2%

驚いたのは、次の項目を支持する人が少ないことです。
「お古でない文房具(鉛筆、下敷き、ノートなど)」42.0%
「誕生日のお祝い(特別の夕食、パーティ、プレゼントなど)」35.8%
「少なくとも一組の新しい洋服(お古でない)」33.7%
「自転車(小学生以上)」20.9%

私は「クリスマスのプレゼント」(26.5%)は一度もしなかったし、「絶対に与えられるべき」とは思いません。しかし、新しい洋服やお古ではない文房具が「絶対に与えられるべき」とは考えないのはどういう理由なのでしょうか。薄情だと思います。


 6 国の施策

国が貧困の連鎖という悪循環を断つためには、貧困を克服して学力向上する政策が必要になります。ところが『子どもの貧困』によると、国の支出が少ないのです。
日本の家族関連の社会支出は国内総生産の0.75%で、スウェーデン3.54%、イギリス2.93%。教育関連の公的支出も国内総生産の3.4%です。北欧諸国は5~7%を教育につぎ込んでいて、アメリカさえ4.5%です。

そもそも日本の教育費は高いうえに、入学費、授業料の他にも、制服、教科書代、教材費、修学旅行などがいります。OECDの調査でも、日本は世界で教育費がもっとも高額な国なのです。
義務教育レベルで「貧困の不利」を表面化しないようにするためには、「教育費や修学旅行費といった、学校生活に必要な諸経費の無料化、または支援が不可欠であろう」と青砥恭さんは言っています。

大阪府は授業料の減免の認定のハードルが高くなっているそうです。大阪府のある高校では、経済的な理由で授業料を全額免除を166人が申請し、131人が認定され、9人が半免と認定されました。落とされた26人の家庭には授業料を支払う経済力はありません。おまけに、2004年度からはクーラー使用料を年間5400円徴収していますが、クーラー使用料は減免措置がなく、未納者は授業料未納と同じ扱いになります。
「日本の教育行政には、全国学力テストにかかる60数億円の経費を、教育から排除される子どもたちを救うために使おうという発想はない」

もちろん、国がお金を出せばそれで問題が解決するわけではありません。
阿部彩さんは「貧困世帯の子どもが抱える学力問題は、教育費の少なさだけから発生しているわけではない」と書いています。
「子どもの学力が、家庭環境に影響されているのであれば、無償教育だけでは、貧困の子どもの不利は改善されない。たとえ政府が高校・大学を全額無料としたとしても、家では両親がいつも不在であり、誰も「宿題をしなさい」という人がいない状況で子どもが育っているのであれば、進学するだけの学力が身につかないかもしれないのである」

学習する意欲や能力を引き伸ばし、家庭の経済問題から派生する諸問題を解決するにはどうすればいいのか。阿部彩さんは、十分な所得保障と機会の平等の確保(教育費の無料化など)、親や養育者に対する仕事と育児の両立支援が必要だと提言しています。

そして、このように問題提起しています。
「貧困撲滅を求めることは、完全平等主義を追求することではない。「貧困」は、格差が存在する中でも、社会の中のどのような人も、それ以下であるべきでない生活水準、そのことを社会として許すべきではない、という基準である。
この「許すべきでない」という基準は価値判断である。人によっては、「日本の現代社会において餓死する人がいることは許されない」と思うかもしれない。また、「すべての子どもは、本人が希望して能力があるのであれば大学までの教育を受ける権利があるべきだ」と思う人もいれば、そう思わない人もいる。だからこそ、「貧困」の定義は、社会のあるべき姿をどう思うか、という価値判断そのものなのである」
朝ご飯を食べれない子どもがいる社会は「あるべき姿」とは私には思えませんし、朝ご飯を食べれない子どもがいるのは仕方ないと許容する社会も「あるべき姿」ではありません。

人間として必要な文化や習慣をおしえてもらっていない、そして尊厳をもって育てられていない子どもたちが数多くいる事実をまずは知ることです。そして、そうした子どもたちが見捨てられ、切り捨てられている社会に異議を申し立てるべきだと思います。
青砥恭さんが言う「社会のために働くことに生きがいを見いだす若者を育てることなしに、日本の未来はない。社会が決して見捨てないという姿勢を見せれば、必ずあの若者たちも社会のために働く一員となろう」という社会を作っていかないといけないのではないでしょうか。

(追記)
広島県が行なった子供の生活に関する実態調査の報告です。
貧困と授業の理解度、子供の健康は関係があることがわかります。
http://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/260395.pdf