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  肥塚 侾司神父
    
「みんなの喜びはわたしの喜び
          
―広島の路上生活者に出会って―」
                                 

 2008年11月29日

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 肥塚と申します。カトリック教会の司祭です。広島夜回りの会の代表をしています。専従できないので、名前ばかりの代表です。会員の方がよく働いてくださっているので、何とかやっています。
 夜回りの会ができたのは1988年ごろです。20年ちょっとたっています。正式名称は「野宿労働者の人権を守る広島夜回りの会」といいます。路上生活を送っている人たちを「野宿労働者」ととらえ、「一人の野垂れ死にも許すな」をモットーに活動を始め、本人の希望に沿った形での自立支援活動を続けている会です。
 ホームレスという言葉はあまり使いたくないんですね。ホームレスというと先入観が入ると思うんです。ネガティブなイメージがあるんですね。だからあまり使いたくない。

 夜回りの会は会員制でないし、会費を取らないし、来たい時に来る、かなり緩やかな会なんですよ。みんなが集まる場所はカトリック観音町教会です。ここに事務所があるというわけではなく、善意で貸していただいているということです。
 少ない時は3人か4人しか会員がいない時もありました。30人ぐらいの路上生活者に対して、4人で手分けしてということもありました。
 現在は12月から3月までの冬は毎週水曜日、4月から11月は月に2回、第2・第4水曜日に集まっています。広島の場合、路上生活者のための地域がないので、いろいろなところで路上生活されています。そこへ我々が出かけていくという体勢です。

 この1年間、私たちが出会っている人数は100人~130人です。夜9時から10時の1時間ぐらいに8~9ヵ所に出かけていって、出会っている人が100~130人。その時間に働いているとかで、その時間帯にいない人もいるわけですし、私は少なく見積もってもこの三倍はおられると思います。

 具体的にどんなことをしているかというと、食べ物や生活必需品を運んでいます。冬の間はおにぎりを二つとたくあんぐらいで、夏場にはバナナとか乾パン、ゆで卵などですね。
 おにぎりは広島市内と廿日市にある6つカトリック教会に、せめてこれだけは協力してくれと頼んで、百何人分かのおにぎりを作ってもらっています。ぐるぐる当番しても、多いところで一冬3回すればすむんでね。
 それから下着、靴下、タオルなど。許す限りは新しい下着、肌着を持っていけたらいいなと思います。広島城で洗濯物を干しているのを見かけるかもしれませんが、駅の地下道は寝るためだけにそこに来るわけですから。
 それと風呂券。公衆浴場で拒否されることがあります。「他のお客さんに迷惑がかかりますから」と。受け入れてくれる浴場が2、3ヵ所あるので、そのための風呂券が400円です。100人として1ヵ月4万円です。結構お金がかかるんです。
 プロの人が入浴サービスしています。入浴だけすればいいというものでもないですからね。お茶を飲んで相談を受ける。そこで自立支援のサポートをする。

 「生活保護を受けたい」と言う人もいます。まず住居を確保しないといけない。アパートを借りるには保証人がいるし、敷金や礼金もいるとかね。生活保護をもらったらそれでおしまいではない。路上生活は自由だったけど、生活保護をもらって、じゃ何をしていいかわからない。だから、居住生活に移ったあとのサポートまでしなければいけない。僕たちはそこまではできいないので、市がしなければいけないのだけど、広島市はできていない。それでボランティアにまかせるわけですが、我々はできてないのが現状です。
 路上でなくなった人は今年は2人、病気です。広島の場合は飢え死にした人はいないですね。

 予算はこの数年、年間100万円ぐらいです。全部寄付です。何とか成り立っています。今年は最大のピンチで、今までだと繰越金が30万円とか40万円残っていたんですけど、今年はぎりぎりで、年を越せるかなどと言ってたんです。でも、クリスマス献金とか教会でお願いしたりするので、何とかなるだろうと思ってるんです。

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 活動が活発になったのは1994年に行われたアジア大会です。アジア大会を控えて大会の会場やアストラムラインなどの建築工事があり、労働者が足りないので、日雇い労働者が働きによそから広島にいっぱい来られたんです。山谷や釜ヶ崎では簡易宿泊所といって、当時一泊500円ぐらいで泊まれたんですけど、広島にはそういう宿泊施設がない。野宿をしながらアジア大会のために働くという人たちがおられた。

 そういう人たちは過酷な労働条件、安い賃金でつらい仕事をする、社会の底辺にいる労働者ですよね。弱い立場に置かれている労働者の中で、しかも最も弱い人たちが普通のところには泊まれないわけですよ。路上で生活することになる。

 アジア大会のころは景気がよくて、賃金もよかったんですけど、賃金がもらえないとか、残業しても手当てが出ないとか。アストラムラインで事故が起こりましたよね。何人かの方がなくなりました。日雇い労働者ですから何の保障もなかったんですよ。事故が起こっても保障されない。日雇いですから一日の賃金をもらったらおしまいです。労働保障もないし、年金もないわけです。

 今もそうですね。不景気になると非正規の社員がまず首を切られる。派遣社員だと社会的に保障されていないわけです。労災やボーナスもないし。ワーキングプアという言葉がありますね。若い人たちが働いて、その日を何とか食べていけるだけのお金をもらえるけど、家賃が払えなくなると追い出される。宿泊とか下宿するほどのお金がない。そういうことでネットカフェで泊まる。形は変わっても、今も保障されていない労働者がいるというのは20年前と今も構造的に変わっていない。

 路上生活をしながら日雇い労働をする人たちがいないとアジア大会はできなかったはずです。アストラムラインはできなかったはずです。だけど、そういう人たちがつらい思いをしている。アジア大会の前に、そのことに関心を持った人たちがいたんです。夜回りの会が作られたきっかけはそういうことです。

 中心になったのは大学生でした。労働法とか法律の勉強をしてて、野宿している労働者の問題に興味を持っていた。山谷や釜ヶ崎といったドヤ街が広島にはなかったけれども、広島にも野宿労働者たちが登場した。労働問題、それから事故の問題があって、熱い心を持って人たちが何かしないといけないと立ちあがったんです。
 それをサポートしたのがそれまで地道に広島で人権問題に取り組んでいた人たち。労働組合とか、キリスト教社会館というプロテスタントの教会、戦後ずっと社会問題に取り組んでいた人たちがいたんです。
 特に路上生活者ということだけではないんですけど、僕はそういう問題に関心を持っていた人とたまたま知り合いだったわけです。そういうつながりがあった。僕はそのころ観音町教会にいたので、いろんな人が集まったということです。

 『山谷-やられたらやりかえせ』というドキュメンタリー映画の上映会を広島でやったんです。この映画は1985年に作られたもので、山谷や釜ヶ崎などの日雇い労働者の生活や闘争を描いています。映画を作る過程で、監督の二人が暴力団に殺されたという映画なんですね。
 基本的人権、法の下での平等や労働権や居住権が保障されているはずなのに、それが保障されていなくて、路上で生活してたらみんなから軽蔑されたり、差別を受けたりする。だけど、俺たちがいなかったらアジア大会はできなかったという人間の尊厳があるわけです。それを過激に表現したら、「やられたらやりかえせ」という言葉になるんです。

 軽蔑され、差別されることに対して、きちんと主張しないといけない。だけど、そういう人たちは自分で声をあげるということがなかなかできない。だったら法律を勉強している若い大学生たちと、人権を大切にしましょうと人権問題に関わっていた人たちが代わって声をあげようじゃないか。
 そうして『山谷-やられたらやりかえせ』の上映会をきっかけにして、広島でもグループを作ろうということになったわけです。野宿している人たちの人権を守らないといけないんじゃないかというのでできた会です。ですから、会の名前に「人権」という言葉が入っているんです。

 大切なことは人権という言葉にあったんだと思っています。同じ一人の人間として生きている。しかし、自分の権利を主張できない人たちの人権を守るというね。人間の尊厳、基本的人権を保障されていない人たちと手をつないで、できることをしましょうということです。それはすべてのことに言えるわけです。
 ただ、私が代表として今の活動を見ると、人権問題にどこまで取り組めているのかということがあって、ちょっと恥ずかしいんですけど。

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 最初のころ、若い人たちは堂々とやりました。その実績が現状に反映していると思うんです。労働者には何の保障もなかったので、広島市に言って人権を保障してもらう取り組みをしました。
 僕が一番印象的だったのは、広島駅の地下道です。アジア大会を控えてどういうことが起こったかというと、広島ではクリーンアップ作戦というか、町をきれいにするということがありました。木を植えたりね。それと同時に、汚い人間は追い出さないとということで、広島駅の駅員がホースで水をまくんです。夜になると段ボールとかで寝られると困るので、何とか追い出そうとするわけですよ。公園から追い出したりということもありました。

 90年ごろには外国人労働者の問題も起こってきたんです。3K、日本人が働かない職場で外国人労働者が働くようになりました。外国人たちに対する差別がね。白人に対してはあれなんですけど、白人以外の人たちには何かすごく差別があった。外国人労働者の人にはカトリックの信者が多かったんです。そういう人たちがカトリック教会に助けを求めに来たんですよ。

 結局は汚いということがあるんです。平和祈念公園に観光客が来るのに段ボールが置いてあったり、広島の玄関口である広島駅に何ヵ月も風呂に入っていない人がおられては困るわけです。大阪城公園にはブルーシートの小屋がいっぱいあります。だけど、広島市は許さないんですよ。
 それで若い人たちが広島市や国鉄に物言いをつけに行ったんです。市に対しては、広島は国際平和文化都市とうたっているだろうと。路上生活をしてて人権が保障されていない人たちが広島市に住んでいるのに、国際平和文化都市と言えるのか。路上生活をしている人の権利を保障し、路上で死ぬことをなくさないと、広島は国際平和文化都市と言えないんじゃないか。初期のころはそういうことがありました。

 そういうことの積み重なりがあって、今は広島市の職員も私たちの集まりに出てこられます。病院の世話とか、住居を提供してもらって生活保護を給与していただいたりして、最低の生活保障をしてもらう。広島市も一生懸命やっていますが、それは20年前の若い人たちの市に対して働きかけがあった実りだと思っています。

 だけど、初期の若い人たちの思いを考えると、夜回りの会の現在の状況がいいことかどうかはクエスチョンマークがあるんです。市とべったり同じことをやってて、僕たちの存在意義があるんだろうか。行政がボランティアにまかせなくて、責任をとって路上生活者の世話をしてくれたら問題ないんですよ。行政が福祉事業の中でやれないので、私たちボランティアにまかせっきりなわけです。

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 広島で路上で死ぬ人を絶対出すまいという思いはあります。「野垂れ死にを許すな」「やられたらやりかえせ」というスローガンは大切だと思うんです。

 食べ物や着る物を持っていくのが私たちの会の一番の目的ではないんです。若い人たちの気持ちはものを持っていくことだけではなく、そういう人たちのところに行って、「どうですか」「元気ですか」「大丈夫ですか」「何かお手伝いできますか」と声をかけることだったんです。「病気ではないですか」と聞いて、病気だったら「一緒に病院に行ってあげましょう」とか、「救急車を呼んであげましょう」とか。
 なかなか病院が受け入れてくれないんですよね。初めは大変だったですよ。まずにおいがね。すれ違っただけでも、というにおいの問題があります。助けてくださった福島生協病院のスタッフは素晴らしかったですね。困っている人たちのことをよくやってくださいました。

 だけど、人間、安易に流れていくので、そういう声かけよりも、何か持っていってあげて喜んでもらえたら、してあげてるとかね、自分がいい気持ちになるんです。そういう難しいところがあるんですよ、人間の心というのは。

 人間は基本的に自分が生きたいように生きる権利がありますよね。僕はそれぞれの生き方を尊重することが大切だと思っています。それに、路上生活をしている人は一人ひとり違うんです。だから、こうしなければいけないとか、これがいいということもないんです。
 路上生活をされている方でもいろいろなタイプがあります。会社に行っても人間関係がうまくいかないとかで、自分で選んで路上生活をしている人もいる。単独で路上生活をされていて、私たちに「いいです。関わらないでください」とか、「いや、何もいりません。おにぎりも着る物もいりません」と言われる人もいます。ちゃんと働いていてもいろいろな事情で路上生活をしないといけない人もいる。中には、ネクタイ、スーツという方もおられますよ。路上生活者なんだけれど、汚い格好はいやだからきちんとした格好をしている。ご主人とケンカして家出してきたという奥さんもいます。それぞれの生き方ですよね。
 その日の食べるものと寝るところがある。天気がいい日には公園で野宿するとか、そういう生活が合っている人もいると思うんです。家族や会社の仲間と一緒よりも自由な生き方ですよね。それはある意味で素晴らしいと思うんですよ。そういう生き方を選んでいる人もいるんですね。こんなことを言うと、誤解されると困りますけど。

 それと、僕たちに力がないということで、みんなのためにどうすればいいのか。できることは限られていますからね。邪魔をしない、排除しない、ダメだと言わない、ということでしょうね。何でもできるはずだというのも危ないと思うんですね。
 そういう人たちがかわいそうだとかいう気持ちでやってはいけないと思うんですが、これが人間のなかなか難しいところでね。

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 広島市で路上生活をするのは難しい。一つは仕事がないからです。会の人の知人が「手が足りないんだけど」と言ってくることがあります。仕事は建設関係が多いですね。臨時の仕事です。建物を壊したあとに廃材をトラックに乗せるとか、道路工事で旗をふったりとか。いわゆる単純労働です。でも、しょっちゅうあるわけでもないし。
 もう一つは住みにくい。公園にいると市に通報される。嫌がらせをされる。だから、安心して路上で眠れない。そういう意味では、僕たち市民の問題です。

 政令指定都市はホームレス自立支援法という法律で縛られているんです。だけど、広島市は何もやっていないと言っていいと思います。僕たちに力があれば質問状を出したり、議会に訴えることもできるんですけどね。
 今は強制的に市が追い出すことはしなくなりました。たとえば、駅前大橋の下で、中学生が段ボールに放火したという事件が起きて、そういうことがあると「撤去しなさい」と言われるんだけど、言えないというか、追い出すことはできない。
 だけれど、公園のベンチには真ん中に仕切りがありますね。ある地域の人から市に「汚い」「くさい」という苦情が来ると、市の職員がその人をよそに連れていき、次の日にはベンチで横に寝られないように仕切りがしてあります。

 ホームレス自立支援法で、広島市は自立支援のための施設を作らなければいけないんです。市の職員住宅のあいた建物を利用しようとしました。広島市も努力しました。3年がかりだったけど、結局できなかった。一番の問題は地域住民の反対です。広島市は説得できなかった。
 路上生活をしているけれども自立しようとしている人たちですよ。生活訓練や職業訓練をする、そういう施設でさえ自分の住んでる地域にできたら困る。路上生活者の問題だけじゃないですよ。ハンディキャップを持った人たちの施設を自分たちの地域に作ってくれるなとか。政令指定都市で広島市が一番保守的なのかなと。
 市が説得できなかったのは私たちが受け入れられなかったということで、それはみんなで考えなければいけないじゃないかなと。これが広島市の現状を一番よく表している。だから広島市は住みにくいんです。

 マスコミが興味を持って取り上げてくれることがありますけれど、自分たちが作りたい番組のイメージを持って来るんですね。「こういう番組を作りたい」で来ても、広島の場合は東京や大阪とは違うから、自分たちのイメージに合わないと番組にしない。ネットカフェ難民が問題にされていますけど、「広島でも20代の路上生活者が増えているでしょう」と言ってきたので、「僕たちはあんまり出会いません」と言うと、それで終わりです。

 定額給付金で1万2千円が配られます。僕が一番お金をあげたい人たちは路上で生活している人たちです。でも、そういう人たちはもらえないんです。住民票がないともらえないから。僕は広島市長にそういうことで声をあげてほしいんですよ。路上生活の人たちだけの問題ではないということを言いたいんです。
 不景気で路上生活者が増えると思います。派遣労働者がどこへ行くのかなという心配があります。メディアの人たちこそ、本当に必要な人のところにお金をと訴えてほしい。だけど、そういう論説がありますか。みんなに1万2千円ずつあげますということに対して、「それはおかしい。有効にお金を使うためにはこうしたらいい」というのがあってもいいんだけど。

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 路上生活者のことだけでなくて、広島市民として何をしないといけないのか。そういうことで思いついたのが「みんなの喜びはわたしの喜び」という言葉です。自分だけの喜びだけでなく、路上生活をしている人も一緒に喜ばないと、わたしの喜びはないんだという気持ちです。

 僕は中学ぐらいから宮沢賢治が好きで、「雨ニモマケズ」という生き方ができればいいのになあという気持ちがあったんですね。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治の言葉や、『グスコ―ブドリの伝記』の主人公のように、自分が苦しんでも誰か他の人が喜んでくれるような生き方をしたいなというですね。それで、困った人がいたら何かできないかというので、いろんなことに興味を持つというか。

 マザー・テレサですよね。そういう生き方。路上で死を迎える人たちは家族とのつながりがないし、なんで自分は生まれてきたんだろうとか、自分の人生どんな意味があったんだろうとかといって死んでいってしまう。マザー・テレサは路上で死を待つ人たちをケアをして、あなたは生まれてきてよかったんですよと。宗教を問わずです。キリスト教もヒンズー教もイスラム教も問わず、あなたは生まれてきてよかったんですよと、最後の看取りをしてあげる。

 マザー・テレサも言っておられるけど、助けてあげるとか、自分が上から見るとか、自分のほうが幸せということではないと。そういう人たちのお世話をし、最後、本当にほほえんで息を引き取る。その人たちのほほえみが自分の力になっている。

 そういうもんだろうなと僕も思うんですよ。路上生活者と出会って教えられることがいっぱいありますよね。いつも考えるというか。冬の寒い時、手がかじかんでほんとに寒くて、おにぎりを渡して「どうですか」「気をつけてください」と声をかけて、家に帰ると自分は熱い風呂に入って。おにぎりを持っていってあげた自分はどんな生活をしてるのか、これでいいんだろうかと思うわけですよ。だから、精神衛生上、あまりよくないですよ。いろんなことを考えさせられます。

(2008年11月29日に行われましたおしゃべり会でのお話をまとめたものです)