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生きがい
麻原彰晃になぜ多くの人が惹かれたのか。その理由の一つは、麻原が人々に生きがいを与えたことだと思います。
信者になった人の多くは真面目で純粋です。そして世間の常識、価値観に違和感を持っています。安定した生活、ありきたりの人生、そうしたものが幸せなんだとは思っていません。
なぜ自分は生まれたのか、生きるということはどういうことかを問い、世の中の不正、不平等に怒り、世のため人のために自分は何ができるんだろうかと悩み、自分を高めるために努力します。
しかし周りにいる多くの人はそんなことに関心がありませんから、心を開いて話し合うことができません。
ところがオウム真理教はそうした悩みに答えを与え、何をすべきかを教えてくれました。
まず自分自身が修行して解脱する。そして解脱する人が一人でも増えれば世の中は変わっていく。人々を救済できる。
これを聞いて、自分でも何かできるんだ、有意義に生きることができるんだ、人生を全うできるんだ、と感激したわけです。生まれてきた目的、生きていく道を初めて見いだせたのですから。
そして入会してみると、みんな解脱、悟りという一つの目標を目指している仲間です。その人たちはごく普通の人なんですが、生き生きと輝き、自信に満ちています。お互いに心を開いて何でも話し合うことができます。今まで人に話せなかった悩みを包み隠さずあけっぴろげに話し合えるのです。
修行は厳しいですが充実感があります。何のために生きているのか、という問いに答えを与えられ、その実現に向かっていると信じているのですから。すべてを断ち切り、自らの解脱と人々の救済のために自分を捧げる正しい道を歩んでいるわけです。
その修行はきちんと体系づけられており、その意味について疑問があれば説明してもらえます。
そして何よりも修行をすれば目にみえる効果が出てきます。タバコや酒がほしくなくなる、腰痛が治るというような。そして神秘体験が経験できます。この経験は強烈ですから、経験した人はオウム真理教の教えが正しいことを確信するようになります。
壁にぶつかった時にも、自分は神秘体験を経験したんだ、だからこれで間違っていないんだと思うことができます。神秘体験は支えにもなるわけです。
麻原彰晃「生死を超える」に信者の体験談が載っていますが、全員とも神秘体験に言及しています。
麻原個人の魅力もあります。君子然としているわけではありません。ごく普通のおじさんのようです。だから、「あなたの苦しみはよくわかる、自分も同じことを苦しんだんだ」という言葉に現実感があります。また怒ったりほめたりすることの使い分けが上手です。器の大きさを感じさせる怒り方、つぼを押さえたほめ方をします。
このように生きがいを与えてくれ、充実した日々をおくることができる道を示してくれた麻原彰晃に、絶対的な信頼を持つようになったわけです。
サリン事件などにオウム真理教が関与していると明らかになった後も、なぜ教団を脱会しないのかという理由も生きがいということです。私の生きる道だと信じていたものを捨てて、どのように生きたらいいのかわからない元の状態に戻らなければいけないわけです。これはつらいことです。
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