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青草民人の真宗入門 「念仏と私」
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東京から来ました青草と申します。小学校の教員をしています。今日はご縁がありまして、この盆法要で話をさせていただくことになりました。私は一門徒にすぎません。わけのわからないものが来たなと、ご不審のことと思いますが、しばらくの間おつきあい願えればと幸いです。よろしくお願いいたします。
1,真宗とのご縁
真宗の中で育つ
私がどうして浄土真宗のご縁をいただいたかということですが、私の両親は北陸の出身です。北陸というのは、真宗王国と言われるぐらい浄土真宗の盛んな地域でして、親鸞聖人が越後に流罪にあったり、蓮如上人が吉崎御坊を開かれたり、加賀の真宗門徒が国を治めたりといった、真宗にまつわる話がたくさん残っている地域です。
父の実家のあるあたりも真宗のお寺がたくさんあって、お寺の間に集落があるようなところなんです。子どもの時に夏休みに帰省すると、従兄弟とセミを捕りに行ったのがお寺の境内とかお墓でしたね。それから、どこの家にもお寺のような仏間があって、一間ぐらいの大きなお内仏があるんですよ。田舎に行くと、お寺に泊まっているようで怖かったことを覚えています。
田舎からおばあさんが上京してくると、おばあさんが何をするんでも「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と称えるんですよ。ご飯の前にも「なんまんだぶ」、寝る時も「なんまんだぶ」、布団の中でも「なまんだぶ」、お礼を言うのも「なんまんだぶ」。必ず手を合わせてお念仏するんですね。子どもながらに、「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と称えるおばあさんが不思議でした。いつも何をぶつぶつ言っているのかなと。
そんな環境の中にいましたから、なんとなく真宗というものには触れていたんだろうと思います。ただ、私の家にはお内仏がありませんでしたから、手を合わせてお念仏を称えるという習慣はありませんでしたけど。
ご利益信仰
仏教に興味を持つようになったのは、中学生のころだったですか、私の父親が個人タクシーを開業しまして、車のお祓いをかねて近くの川崎大師にお参りに行ってたことがきっかけなんです
。
川崎大師というのは初詣に参る人の数が全国で二番目に多いんですけど、お寺でしょうか、それとも神社でしょうか、ご存じですか。大師ですから、弘法大師、真言宗のお寺なんです。
真言宗は口に真言、「アビラウンケンソワカ」とか称え、加持祈祷によってご利益を得る、いわゆる密教とよばれる教えです。
少年だった私は、ユリゲラーの超能力だとか、心霊現象だとか、UFOだとか、そういった不思議なものに興味を持っていたので、何か不思議な力を身につけられるのではないかと、熱心に『般若心経』を覚えたり、真言を唱えたりしてたんですよ。仏教というのは、そういうような摩訶不思議な力があって、願い事をかなえてくれるんだというふうに思っていたわけです。
そうこうするうちに高校、大学と進み、空海さんのことを興味深く調べるようになり、日本の仏教史も学ぶようになりました。仏教にはいろいろな教えがあること、自分の家の宗教は真宗大谷派、いわゆる東本願寺であることを認識したのはそのころだったと思います。
ちょうどバブル経済が始まる時期でしたけど、当時の風潮とご利益信仰というのは見事に合致していましたね。やることなすことうまくいく、ご利益ご利益。日本中が浮かれているような時代でした。今では考えられませんが。
しかし、願いをかなえるために神仏をたのむというのはなんか違うんじゃないか、自分の求めている仏教というのはこうしたご利益信仰ではないと、そんなことを思うようになりました。
大学生のころは、つらいことがあったりすると一人で鎌倉あたりに出かけて、静かにお寺をまわったりしました。心を穏やかにし、落ち着けてくれるのが仏教なんだという気持ちがあったわけです。それもまたどうも違うなと感じるようになったのは、だいぶ後になってからです。
挫折
私は教師という仕事について20年近くなるんですけど、教師になって14年目ぐらいのころでしょうか、挫折しそうになったことがあります。
教師にも異動がありまして、何年かすると他の学校に転勤になるわけです。三校目の異動の時に、学級崩壊のクラスを担任することになったんです。子どもたちが荒れて、授業にならない状態というか、それまでの自分のシナリオにはない出来事が次々に起こるわけですよ。それまでにも学校に勤めていてつらいことがなかったわけじゃないんですけど、自分の力で何とか困難を乗り越えてきたという自負がありました。でも、その時の荒れは今まで経験したことのないものだったです。
普通、新しい学校に赴任すると、挨拶して、自分の受け持ちのクラスに行きますよね。子どもたちも、どんな先生かなとわくわくして待っている。それが普通だと思うんです。
でもその時は、初対面なのに子どもたちの私を見る目に大人への不信感がみなぎっていたんですよ。そして緊張しながら自分の名前を黒板に書こうとしたら、いきなり後ろから黒板消しが飛んできましてね、「てめえ、殺してやる」という声が聞こえたんです。最初はいったい何が起きたのかわからず、ただ唖然としてました。後から、「実は、あなたのクラスには心の病を持ってる子が何人かいて」云々と、校長から事情を聞かされたわけです。
だけどその時点では、なんとかなるだろうぐらいのことだったんですけど、日が経つにつれてエスカレートしてくるんですよ。授業妨害、不登校、いじめ、暴力……。こちらが何とかしようとすればするほど、エスカレートする。あちらに行けばこちらがみたいな、もうどうにも手の施しようがないというのですかね。
自分のせいではないと、自己弁護するんですけど、反面、何ともしがたい自分に無力感を感じてしまう。
私はこれでも前の学校では結構人気者で、子どもたちにも慕われていましたから、その落差にノイローゼになってしまいました。夜、眠るのが怖いんですよ。朝になると学校に行かないといけないから。今日は何が起きるのかと考えただけで不眠症になる。毎日夢を見ましてね、夢でよかったということが何回もありました。
教師というのは、子どものころ成績もそこそこで、生活態度もよく、いい子だった人が多いと思います。今までの人生、お利口さんで来た人が教師という職業についているわけですからね、自尊心を傷つけられることに弱いんですよ。だから、自分の思い通りになる時はいいんですけど、思い通りにならないことがあると、とたんに挫折感を覚えてしまう。
最近、若い先生が自殺したという話を耳にしましたけど、年配の先生ならまだしも、やる気のある若者でさえ追いつめられることがあるんです。
私もあのころ、電車にふらっと飛び込んだら楽になれると思った瞬間がありました。毎年三万人もの人が自殺という方法で命を断つ時代ですからね。理由はいろいろあるんでしょうけど、時代や社会が病んでいるんでしょうか。
真宗との出会い
そんな時に立ち直るきっかけとなったのが、親鸞聖人の『歎異抄』の言葉でした。先ほども話しましたが、私は昔から仏教に興味があったので、つらいことがあったりすると、一人で鎌倉あたりに出かけて、静かにお寺をまわったりしてたんです。
まあ、今から考えてみると、そんなことをする若者というのも変かもしれませんね。普通だったらバイクで走ったり、音楽をガンガンならしたりして、スカッとするんでしょうけど、私はそういうことができないんです。だから、今こうやって話をさせてもらっているわけでしょうけど。
ある時、京都のお寺を歩く機会がありまして、そういえばうちのお寺は東本願寺というお寺だったなと思い、はじめてご本山に上がったんです。やけに大きいお堂だなあと思いましたが、あの御影堂に座って、親鸞聖人の像を前にした時、何とも言えない雰囲気を感じました。
大きなお堂であることはわかりますが、お参りにくる人々を包む大きさというんですかね、自分だけが救われたいという小さな願いにとどまっている自分の未熟さを打ち砕くような包容力とでもいうんでしょうか、安心感というのか、そういったものを感じたんです。
今から考えてみると、鎌倉を歩いていたころは仏教を一つの癒しと考えていたと思うんですよ。つまり、日常生活の中で思い通りにならないことがある、そのモヤモヤをお寺の雰囲気で癒すというような、気休め的なことです。こういう心の落ち着きを求めるというのも、考えてみたら一種のご利益信仰でしょうね。
東本願寺に座って心の落ち着いたというのは、そうした癒しみたいなもんではなくて、自分自身に真向かうというか、自分自身への気づきというか、そういうものを感じたと言ったらわかってもらえるでしょうか。目からウロコ的な落ち着きとでもいうのでしょうかね。今までの自分の歩みについての実感を確かめるきっかけになったように思います。
もしかしたら自分が探していた仏教はここにあるのかもしれない、自分がたどり着くべき教えはここにあるのかもしれないと思いました。それからです、親鸞聖人や浄土真宗にふれる機会が多くなったのは。
最初は好奇心から真宗の本を読みました。正直言って、『歎異抄』や『教行信証』は難しくてよくわからなかったですね。しかも、普通は修行をして立派になって悟りを開くというふうに考えてますが、『歎異抄』の言葉をそのまま読むと、そうした修行をして悟りを開くという聖道門仏教の教義とは違うことが書かれているじゃないですか。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」
から始まって、
「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだそうらわず」
などとあるわけですよ。
普通だったら、悪人は地獄行き、先祖供養が仏教の基本だろうと考えますからね。不信感とまではいきませんが、「あれ、どうして」という疑いの心というのですかね、そんなことを感じたわけです。
それまでは真言宗に興味があって、祈ることで自分の思いをかなえようとしたり、写経などをして心を穏やかに保とうとしていたわけですから、いわゆる自力の仏教観と他力の仏教観といった違いにとまどいました。
ですけど、この時ほど『歎異抄』の言葉がありがたく感じたことはなかったですね。どうしてかというと、第四章の、
「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々」
という言葉に、何かぴんと来るものがあったんですよ。
自分は教師である、何とかして荒れたクラスをよくしなければという焦りと、これだけ一生懸命やっているのにどうにもならないという無力感が、自分を追いつめ、苦しめていることに気づいていなかったんです。この苦しみは目の前にいる荒れた子どもたちのせいなんだと、責任転嫁してあきらめようとしていた。
そんな時に、親鸞さんの「ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし」という言葉は、私の心をひるがえすきっかけになりました。
「何とかしよう」「何とかしなければ」という焦りと、「何をしてもどうにもならない」という無力感はどこからくるのか。それは聖道の慈悲、自分が子どもたちを導いてやろうという意識からなんですね。
自分があって子どもたちがいる。自分の都合に子どもたちを無理矢理合わせる。そうすることが救いだと勘違いしている。だけども「この慈悲始終なし」、そんな自分の思いなんて一貫しないんだということに気づいたんです。
子どもを見ているつもりが実際には見ていない。自分の都合のよい虚像を作り上げて、自分好みの鋳型にはめ込もうとあくせくしていたんですね。教育ですから、ねらいがあって指導をしていくことは大切なことですけど、一人一人を見ているのではなく、子どもたちを十把一絡げに見ていたのかもしれません。
子どもをあるがままに受け入れようと思うようになったのは、ある時、子どもたちがサッカーをしていて、たまたま私がけったボールが子どもたちの興味をひいたということがあってからなんです。「すげえなあ。意外とやるじゃないか」ということになって、一緒に遊ぶようになり、次第に子どもたちの私に対する接し方が変わってきたわけです。私自身も裸になって子どもと付き合うようになるに従って、一人一人の子どもたちの気づかなかった面に気づくようになりました。
大切なことはあるがままの事実を素直に受け入れることであり、一人一人の子どもたちにはその子にしかない個性や悩みがある。それを深く受け止められるようになったんですね。
真宗の言葉を信じて生きていく決意というか、覚悟というか、自分としては二度目の誕生日を迎えたような気分でした。
2,私の真宗入門
本願
さて、私の真宗入門ということでお話を進めたいと思いますが、お釈迦様は対機説法といって、出会う人の悩みや境遇に応じて説法されたと言われています。俗に八万四千の法門があると言われるほど、たくさんの教えがあるわけです。
そのたくさんある教えの中で、はたしてお釈迦様は何を本当に説こうとされたのか、お釈迦様の真意は何なんだろうかということになるわけですが、親鸞聖人は『正信偈』で、
「(釈迦)如来、世に興出したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり」
とおっしゃっています。
どういうことかというと、お釈迦様がこの世にお出ましになった本当の理由は、阿弥陀仏の本願をお示しになり、流転輪廻する私たち凡夫を浄土へ導くためなんだということです。つまり、私たちは本願によって救われるんだということを説くために、お釈迦様はこの世にお生まれになったんだと、親鸞聖人は言われているわけです。
じゃあ本願とは何かと言いますと、本願には四十八の誓願があります。その中の第十八願が本願の中の本願という意味で王本願とよばれ、私達にとってもっとも大切な願いです。
「たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く」
どういう願いなのかをくだいて言いますと、阿弥陀仏は「我が名を称えたものは極楽浄土に必ず摂め取る」という願いを建てられ、しかもこの誓願の最後に「この願いが果たせないならば、私は仏にはならない」とまで言い切っておられます。つまり、どんな人間も決して見捨てない、共に仏になるんだというのが阿弥陀如来の願いなわけです。
どうして「我が名を称えよ」、すなわち南無阿弥陀仏とお念仏を称えなさいと言われるかというと、どんな人をも摂め取りたいという願いが阿弥陀如来の本願だからです。
普通は条件をつけるわけですよ。善人になってよいことをして、寺を建てたり、写経したり、僧侶を大勢よんで読経したり、そうした功徳を積むことが往生の条件とされていたわけです。
ところがそういう条件がついてしまうと、文字の読み書きができず、日々の生活に追われ、お金もない、悪人として卑しめられている名もなき人びとは救われないということになります。そういった寄る辺ない衆生をこそ救いたいというのが、阿弥陀如来の本願なわけです。
ですから、誰もが念仏一つで救われるということが、真宗の教えの根本です。
阿弥陀仏
阿弥陀如来が本願を立てられたということについてもう少し説明しますと、こういう物語が『無量寿経』に説かれています。
阿弥陀如来は仏になられる前、法蔵菩薩という菩薩でした。菩薩というのは仏になるために仏道修行に専念し、衆生利益に精進する者という意味です。
法蔵菩薩はすべての衆生を救う浄土を作ろうと、五劫(一劫とは、千年に一度天女が舞い降りて、縦横高さ四十里の岩を羽衣でこすり、その岩がなくなるまでの時間です)という長い間、思惟され、すべての衆生を摂取しようと誓願をたてられました。そして、兆載永劫という長い間修行して極楽浄土という国を建立され、阿弥陀仏と名のられました。
浄土
極楽浄土は無量寿という無量の命をはぐくみ、無碍光という何ものにもさえぎられない光にあふれ、広大無辺際、とても広くて限りがないところです。
広いということは辺境、端っこがないという意味なんです。人間の国だったら、どこの国にも首都という都があって、首都を中心にして国が成り立ってます。中心である首都から遠く離れたところは辺境になるわけです。
でも、極楽浄土には中心も辺境もない。つまり、自分が中心だという思い上がりを抱くことがないし、逆に端っこにいる自分はどうでもいい人間だと自らを否定することがない。だから、どんな人でも迎えられる国であり、自分を他と比べる必要がなく、平等に生きられる国です。
このような国を作られた阿弥陀如来は、私達衆生をこの極楽という浄土に往生させようと、本願という願いを起こされたわけです。その方法が、南無阿弥陀仏という名号(阿弥陀如来の名前)を称えること、つまり念仏を申すことなんですね。
死後
それじゃ浄土はどこにあるのか、阿弥陀如来は何年前に生まれた人なのか、という話になるわけですが、先ほど申しましたように物語であって、歴史的事実ではありません。
普通、極楽浄土というのは死んでから行くところだと思われがちですけど、そうじゃないんですよ。だって、「この世の苦しみに耐えたら、死後には極楽が待っている。だから念仏申せ」ということなら、現実逃避になりかねないでしょう。
私達が極楽浄土は死後の世界なんだという認識を持っているのは、法然上人まではずっと死んでから極楽に往生すると説かれていたためなんです。臨終に際して、阿弥陀如来が観音、勢至をはじめとする二十五の菩薩とともに来迎し、極楽へ導いて下さる。浄土三部経にもそのように書かれてはいます。
しかしながら、親鸞聖人の教えは死後の救いじゃありません。
極楽浄土とは死後の世界ではないんですけど、死後をどう考えるかはとても大切なことですし、死んでから浄土往生するという教えも大事だと思います。
というのも、不治の病になってもう助からない、そんな時に、死んでから浄土に生まれるんだと信じることは、死の怖れを軽減してくれるでしょう。あるいは、大切な人を亡くし、だけど浄土でまた会えるんだというので生きる力を与えられることもありますよね。
ただ親鸞聖人の説かれた教えは、死んでから救われるということではなくて、死後の安楽が定まったという安心によって、今を生き切ることができるようになるということなんですよ。死を見つめることは生きるということにつながるものだし、生き切ることが死を受け入れるだと、私は思います。
もし真宗が死後のことだけを説いてるなら、私は真宗の教えは絵空事だと思います。死んでからどうなるかではなく、死をいつか迎える存在としての自分の今の在り方を問うことが真宗ではないでしょうか。
往生
阿弥陀仏の本願は、念仏申す衆生を必ず極楽に往生させるというものです。極楽往生という目的地を見定め、今の自分自身の生き方を確かめながら問い続けていくことが、真宗という仏道を歩むことだと思います。
そのことを親鸞聖人は現生不退ということで言われているんです。現生とはこの世のこと、信心をいただいた者はこの世において仏になることが定まるんだという意味です。『唯信鈔文意』という親鸞聖人の書かれた文書に次のようにあります。
「「即得往生」は信心をうればすなわち往生すという。すなわち往生すというは、不退転に住するをいう。不退転に住すというは、すなわち正定聚のくらいにさだまるとのたまう御のりなり。これを「即得往生」とはもうすなり。「即」は、すなわちという。すなわちというは、ときをへず、日をへだてぬをいうなり。」
これは、当時の往生観からすると大変特異なとらえ方なんですよ。往生とは死んでからなんだと思われていたわけです。ところが、信心が定まる今この時に往生するんだ、そして往生したなら仏になることは間違いない、このように親鸞聖人は説かれたんです。
考えてみたら、死んでから往生するんだったら、死んでみないとどうなるかわからないわけです。生きている限り、いろいろと罪を作っていくわけですから、結局はダメだったということになりかねない。だから、現生不退という教えは当時の民衆にとって大変ありがたい教えだったわけです。
凡夫
浄土真宗でもっとも大切なことは、信心ということだと思います。では、いったい何を信じるのかというと、それは阿弥陀如来が示された本願、願いを信じるということです。さらに言いますと、すべての衆生と共にという阿弥陀如来の本願を私の願いとするということです。
こう言いますと、別に救ってもらう必要はない、自分で何とかできると思う方もおられるかもしれませんね。自分の力、いわゆる自力で仏になることができる人には、阿弥陀仏の本願は必要ないでしょう。でも、そんな人なんていないんですよ。私たちはお釈迦様のように、生きている時に仏になることができないんです。
だって、食べるために生き物を殺しますし、子孫を残すためには男女の交わりもします。わかっていても欲望や怒りを抑えることはできない。まわりに迷惑をかけずには生きていけない、深い煩悩に身を縛られて生きているのが私なんですね。
たとえば、子どもたちの食事の様子などを見ていると、もったいない食べ方をしているなあと思うことがよくあるんですよ。
金子みすずという詩人の詩に「お魚」というのがあります,
お魚
海の魚はかはいそう
お米は人に作られる、
牛は牧場で飼はれてる、
鯉もお池で麩を貰ふ。
けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたづら一つしないのに
かうして私に食べられる。
ほんとに魚はかはいさう。
私たちには生き物を殺して食べているという感覚は、普段あまりありませんよね。食べている魚の身になって魚を食べるなんていうこと、私たちしません。そんなことを考えながら食べてたら、何も食べれなくなってしまいますし、それよりも、味がどうのとか、この食べ方はどうかとか、うまいとかまずいとか、まったく自分の都合ばかり語っているわけです。
生活していく中で、自分の都合でしかものを見ていないということでしょう。ということは、自分自身の罪に気づいていないわけです。金子みすずのような感性を持った人はまれじゃないかと思うんです。
どんなに修行をしても、自分自身をもどうすることもできないのが凡夫です。つまり、凡夫とは人間そのものなわけです。凡夫である私たちは、この阿弥陀仏の本願によって極楽に往生する以外に道はない身であるという自覚、すなわち信心が真宗の基本です。
そのまま
救ってもらわなくてもかまわないと思っている人には、すべての衆生を平等に救い取ろうという阿弥陀如来の本願がぴんと来ないでしょうね。だけども、こんな自分ではダメなんだと思い込んでいる人にとって、そのままでいいんだよという呼びかけは救いになると思うんですよ。生きていく力が与えられます。
先ほどの話ではありませんが、私が自分の限界というか、人生の崖っぷちに立たされた時、今までよりどころとしていたもの、例えば自分の経験だとか知識だとかということが、いかに当てにならないものかがよくわかったんですね。その時、自分は阿弥陀様によって生かされている存在なんだということにようやく気づいたんです。
最近になって初めて知ったことがあります。それは、お恥ずかしい話ですが、私は今年で42歳になるんですけど、ほとんど総入れ歯に近いぐらい歯がないんですよ。原因は歯槽膿漏なんですけどね。歯茎が膿漏を起こしやすい体質らしいんです。しかも、先ほどお話ししましたように仕事上のストレスなんかがあって、30歳代後半にばたばたと歯が抜けてしまったんです。まさかこの年で歯が数えるほどになるなんて思いもしませんでした。
今まであったものがなくなるのはさびしいし、人相も一気に老けこむし、人になかなか言えることじゃないじゃないですしね。
おまけに不便なものなんですよ。歯がないと今までできたことがいろいろできないということがよくわかりました。今は慣れてしまいましたから、人前だけ気をつけていれば、さほど不便さも感じないようにはなったんですが。
まず、ヒゲが剃れない。入れ歯をはずすと、口元がしぼんでヒゲがうまく剃れないんですよね。それとか、時々入れ歯をうっかりはずして、どこに置いたかわからなくなったりします。あわてますね。
それから、入れ歯だとガムやお餅が食べられない。食事をした後に、「お口直しにどうぞ」とガムをもらったことがあって、ガムを食べたら口の中に引っついて取れなくなりました。それとか、餅つき会でお餅を食べたら、入れ歯が外れましてね、あわてて口を押さえて便所に駆け込んだこともあります。
ゴマやピーナッツなんか食べたら、入れ歯と歯茎の間にはさまって、痛いこと、痛いこと。入れ歯をしている人はこんな苦労をしているのかと、あらためてびっくりしたようなことです。
自分の境遇が不便になることで気づくことってたくさんありますね。お金や健康なんていうものもそうかもしれません。
当初は「何で自分ばかりがこんな目に」と思うものなんですけど、しかし、この身の事実をあるがままに受け止めた時に、今まで見えなかったことが見えるようになることがあると思います。翻すということです。真宗では回心と言います。この回心するという体験があるかどうかは、真宗ではとても大切なことなんです。
歯があるのが当たり前で、歯がないのは特別なことだと考えたら、ヒゲが剃れないとかものが食べられなくなったということは愚痴になります。歯がなくなったということが我が身の事実として受け止められれば、入れ歯を入れてヒゲを剃ればいいし、食べられるものを選んで食べればいいだけのことなんですよ。入れ歯のおかげで、歯並びがきれいに見えるようになった、なんていうことのは負け惜しみですけどね。
「不便と不幸は違う」とヘレン・ケラーは言ったそうですが、不便なことがそのまま不幸だというわけではありません。入れ歯もそうですけど、たとえば年をとるということも、身体が思うようにいかなくなって、若いころと比べると不便なことは多いわけです。だもんで、なんでこんなになってしまったのか、こうなってはもうダメだ、なんて思ってしまうわけですよ。
だけど、老いを生きるということは不幸ではないし、かけがえのない命を生きるということでは、若い時と少しも変わらないんですね。
輪廻
南無阿弥陀仏という名号、つまり阿弥陀仏の名前とは二つの意味があるんです。不平不満や恐れを抱え、暗い闇の中をさまよう私に光を照らし、迷いから抜け出せと手をさしのべてくださる阿弥陀様の願いであると同時に、阿弥陀如来に対する私の報謝の言葉でもあるんです。
迷いの中にあってさまよっているということを、仏教では流転輪廻と言います。輪廻とは生まれ変わりのことだと思われがちですけど、死んで、そして生まれ変わるということではなくて、人間が生活をしている中で現れる世界、心境が変わっていくということなんです。その世界を六道と言い、その六道を転々と迷っているから六道輪廻と言うわけです。で、六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六つのことです。天も仏教では迷いの世界になるんですね。
地獄とは他の人との関係が持てないこと。ある先生は「言葉が通じ合わない世界が地獄だ」と言われました。以前、「人生劇場」という歌を鶴田浩二さんでしたかが歌ってました。「何から何まで真暗闇よ」とね。言葉が通じ合わなければ、暗闇の世界で独りぼっちです。
餓鬼とはいつも空腹の状態で満足することがないこと。人間の欲望というのは限りがありません。これでいいということがなく、きりがない。
畜生というのは主体性がないこと。つまり、言われないと何もできない、言われたことしかできないということです。畜生というと家畜を指しますが、えさを与えれば食べ、鞭で追えば動く。自らを省みることがないから、恥じるということもない。それが畜生です。
修羅とはいつもいがみあって折り合うことがないこと。争いの世界ですね。修羅場という言葉があります。自分は正しい、相手が間違っているということをお互いが主張してると、行き着く先は殺し合いになってしまいます。ブッシュとフセインのようなもんです。
人間とは関係の中でしか生きられない存在だということ。人という文字の起こりは、人と人とがもたれかかっている状態だと言うでしょう。そして、人間とは人と人との間ということで、二人以上の関係を指した言葉です。世間体とか人目を気にし、社会とか世間のしがらみに縛られて、窮屈な世界を生きるしかないのが人間です。
天とは、他人を省みることがなくわがまま勝手に生きているということ。有頂天という言葉がありますが、まさに舞い上がった状態で足元やまわりが見えない状態です。雲の上を歩いていると言ったほうがいいでしょうかね。
そして、有頂天から一気に奈落の底、つまり地獄へ、ということを我々はくり返しているわけです。私たちはこうして六道の世界のレールの上を、山手線のようにぐるぐる回りながら生きている、ということが輪廻転生なわけです。そして、私は六道を輪廻しているんだなと気づかせるはたらきが南無阿弥陀仏なんです。
解脱
お釈迦様はお生まれになってすぐ、七歩歩いて天地を指さし、「天上天下唯我独尊」と宣言されたと伝えられています。もちろんこれは実際にあったことではなくて作り話なんですけどね。
どういう意味かというと、この七歩目というのが大切なことで、六道を超える、つまり解脱ということを表しているわけです。人間は自分の本当の姿を知ることができません。しかし、仏法を縁として己を知る、気づいていくこと、それが七歩目を踏み出すことなわけです。
だからといって、別の人間になるということじゃないんですよ。こんな自分でいいんだろうか、ダメなんだと思っている私が、仏法に導かれながら、あるがままの自分を受け止めて生きていく。それが天上天下唯我独尊、「いつでもどこでも我一人にして尊い」ということだと思います。
私も人間である以上、死ぬまで輪廻の川を流転し続けなければなりません。人を傷つけながら、迷惑をかけながら生きています。つまらないことに腹を立てたり、ちょっとしたことで落ち込んでしまう、そういう人間であることには変わりないんです。真宗にご縁をいただいたとはいえ、相変わらず迷いの中を流転していることに違いはありません。
南無阿弥陀仏の声を聞くことによって、六道へ流れてしまいがちな私の目を阿弥陀様が開けてくださる。そのことによって、虚仮不実の我が身に目覚め、往生極楽への道へと引き戻してくださる。そして、かけがえのない一人の人間として生きていく力が与えられるんだ。そのように思っています。
名号(南無阿弥陀仏)はおはたらきであると言われています。この第七歩目を歩ませるおはたらきを阿弥陀如来からの回向といいます。真宗はこの本願のおはたらきによって生きていく教えなんだと思います。
3,お盆とは
最後に、本日はお盆法要ということでしたが、お盆というと先祖の霊が帰って来るから供養をきちんとして、という話になります。ところが『歎異抄』で親鸞聖人は、
「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだそうらわず」
と言われています。
これはどういうことだと思われますか。
お盆というのは孟蘭盆会の略語なんです。ウッランバーナというインドの言葉を中国の漢字に置き換えたんだけのことなんです。ウッランバーナを中国の言葉に訳すと「倒懸」という言葉でして、「逆さづり」という意味だそうです。
「倒懸」とは、餓鬼道の苦しみは逆さにつるされるような苦しさだという意味と、もう一つ、逆さまになって物事を見ているという意味があるんです。お盆にかける盆提灯の形は逆さになっているといいますが、これは物事をさかさまから見るという意味なんだそうです。
私たちは物事をちゃんと見ているつもりでも、逆さまになって見ている。しかも、自分が逆さまだとは気づかず、物事のほうが逆さまになっていておかしいと思い、あいつが、こいつがと、自分で自分を苦しめているわけです。
だけども、自分の力で自分の思いをひるがえすことができないのが人間というものなんですよ。しかし、教えを聞くことによって我が身をひるがえす、そこで初めてありのままの自分に気づかされる。それがお念仏の意味合いです。
『歎異抄』の中で、「親鸞は父母の孝養のために念仏申さぬ」とあるのは、故人がどこかで迷っていたり、苦しんでいるのでは、と思うことが逆さまなんです。私のほうが迷い、苦しんでいるんですよ。しかも、自分の迷いに気づかず、死んだ人のほうが迷っていると勘違いしている。
親鸞聖人がおっしゃっているのは、亡くなった人が迷っていたり、苦しんでたらいけないから、供養のために念仏を称えるんだということではなくて、私を照らし出す浄土が今この時に開かれているかどうかが大切だ、ということだと考えています。
つい最近教え子をなくしました。身障者でしたが、精一杯生きた子でした。私はその子は浄土にいったかどうか分かりませんが、私が生きていく中で彼から学んだことは生きているし、そのことを思う時、彼は私にとっての仏になってくださっているんだなと感じます。
「笑って死ねる人生、それさえあればいい」という歌の文句がありましたが、笑って死ねる人生なんてありませんよ。それはきれいごとだと思います。仕方なくとか、こんなはずじゃなかったとか、なんで私がなんで、というふうに愚痴を言いながら死を迎える場合のほうが多いと思いますよ。それが悪いというのではなくて。
私たちに先立って亡くなられた方々に思いをめぐらすことをご縁として、自分自身のあり方を見つめ直すということが、お盆の大切な意義です。
身を粉にし、逆さづりのように生きているのが、私の今日このごろなんですけど、お念仏申すことがただ口に称えるだけじゃなくて、我が身の生き方を問うていくはたらきの声として、口に称え、耳で聞き、心で感じる七歩目の歩みであれば、と思います。
本日はありがとうございました。
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