|
野口 善國さん「少年犯罪の背景」 |
2002年10月25日 |
1
弁護士をしております野口です。長年、趣味というぐらい、いわゆる非行少年と言われる子どもとつき合っております。 学者の先生方のように科学的で、学問的にまとまったお話はできませんが、体験したことから通して、私が感じていること、考えていることを率直に申し上げまして、皆さま方の何かの参考になればというふうに考えております。
非行少年というのはどういう子どもと思うか、ということを一言で言えば、私は「愛されなかった子ども」、特に「親に愛されなかった子ども」と言えるのではないかと思います。もう少し正確に言いますと、ほとんどの親は子どもを愛そうと思っています。しかし、子どもの方から見れば、「親に愛された感じを持てなかった子ども」であると、そういうふうに思うわけであります。
最近、凶悪な少年非行が報道されておりますが、そういう非行というのは、そういう子どもの側から大人や親にですね、何とか助けてほしい、自分を助けてほしいというSOSを発信しておるのではないか、少年非行に追いつめられた少年たちの悲痛な叫び声ではないか。このように思うわけであります。
しかし一方、子どもというのは素晴らしい可能性を持っておって、立ち直る力というのもまた素晴らしいものがあります。 私の自己紹介がてら、若いころの体験、少年問題に取り組むきっかけとなった体験をお話ししたいと思います。
30年ほど前、大学生時代に、横浜にあります試験観察補導委託施設、簡単に言いますと、少年院に入れるほどではないけれども、子どもを親の元に帰せない子どもを一時あずかる、大人でいえば執行猶予みたいな、そういう制度が少年法では試験観察と言っているわけです。
そういう施設で、花輪次郎先生という方が奥さんと二人で、非行少年を10人も20人も自分の家にあずかって、面倒を見ておられました。ある宗派のお寺をですね、ほとんど使っていなかった、廃寺というんでしょうか、そういうお寺の建物をいただきまして、そこで少年たちをあずかっておりました。雨が降れば雨漏りがする。畳はボロボロ。門がなくて、自分たちでセメントで門を作るという、そういう生活でありました。 私が大学2年生のころ、そこを訪れて、花輪先生に気に入っていただき、毎週行くようになりました。
そこにI君という高校2年生の子がおりました。万引きの常習犯です。裁判所も家に帰すわけにはいかないんだけれども、高校生で、初めて捕まったんだから、少年院はかわいそうだということで、花輪先生の所にあずけられた。それでも全然治らない。 どうしようもない万引き屋で、外に出たらもうあかんのですね。花輪先生が犬を散歩させてこいと言って、散歩に行ったら、もう帰りにはお菓子屋で万引きしているんです。 そして吃音があってですね、うまくしゃべれないんです。話ができない。で、大飯ぐらいで、どんぶり五杯ぐらい食べるんですよ。19歳の私が一杯食べたら、ゲッというぐらいのどんぶりなんですよ。それを五杯食うんです。それでお腹こわしちゃって、やせてる。背丈は普通ぐらいなんですが、ガリガリなんです。泣き虫で、いつもピーピー泣いている。そういう子どもだったです。
その子を私は担当して、毎週一回ぐらいカウンセリングの真似事のようなことをしていたんです。
ところがある時、ぽっくりお父さんが亡くなっちゃったんです。お母さんというのが冷たいお母さんで、その子を邪魔者扱いするんですね。 ある時、I君を試験観察で家に帰した時、ぼくが花輪先生に頼まれて様子を見に行ったんです。そしたらお母さんは花輪先生に即電話してる。なんて電話してるかというと、「変な不良少年が来てます」と。ぼくのことですよ。「不良少年が来ているんだ。あの子は全然よくなっとらん。早く来て引き取ってくれ」。こういう電話をお母さんがしてるんです。 こんなお母さんですから、I君は余計にお父さんになついていたんです。そのお父さんが死んじゃったから泣いている。それで私が、「君が泣いたってお父さんが帰って来んだろう。お父さんに天国で安心していてもらうには、君がここでがんばらにゃしゃあないで」と言いました。
私がそう言ったからというよりも、花輪先生ご夫妻の愛情だと思うんですが、その子、お父さんの死から三ヵ月ぐらいしたら盗みがなくなっちゃったんです。万引きが治っちゃったんです。 それから話が普通にできるようになりました。今まではどもっていたんですが、話が普通にできるようになった。で、大飯ぐらいも治っちゃったんです。普通にご飯を食べたら、むしろ栄養がつくわけです。筋肉がもりもりしてきてですね、自分より身体の大きくて強いやつを相撲でひっくり返すようになった。そして、メソメソするのがなくなっちゃったんです。
そういう事実を花輪先生のところで何度も体験して、いやあ、子どもというのはすごいもんだなあ、人間というのは大したもんだと思ってですね、それ以後、こういう非行少年の友だちというか、話し相手というか、そういうことを続けるようになったんです。
2
弁護士になってから少年事件の付添人というのをやるわけですが、事件が終わってからもしょっちゅう会ってですね、一緒に遊んだり、そういうこともしてるわけです。場合によっては、少年院に行っちゃった子には、少年院の運動会で一緒に走ることもあります。そんなことをやっているわけです。
最近の経験でも、阪神大震災の時、数人の子を面倒を見ておりましたが、お母さんたちが来て言うにはね、「うちの子があんなに立派だとは思わんかった」と言うんです。「なんでですか」と聞いたら、朝から晩まで人を助けて歩くんです。埋まった人があすこにいるというと、みんなもう必死で助けるわけです。帰ったらヘトヘトになって口もきけんぐらい疲れているんだけれど、連日助けて歩いてる。そういう立派なことをしているんだと言って、お母さんが大喜びしてるんです。
ダメだと言われる非行少年でも、そういう能力が必要な場が与えられ、環境と活動の場が整えられると、必ず能力を発揮する。そういうことがあるんです。
こういう仕事をしていますと、「非行少年というのはどんな子なんですか」、「先生、つき合って怖くないんですか」とかね、「殴られたりしないですか」とか聞かれます。 欽ちゃんの「よい子悪い子普通の子」というテレビがありましたね。よい子は優等生、悪い子は不良、非行少年、普通の子は普通。非行少年というのは、ここで言う悪い子、不良少年というイメージを皆さん思うでしょう。
ぼくはそうじゃないんです。特に凶悪な事件を起こした子を見ていると、どうもごく普通の子に見えたり、場合によってはよい子に見えるんです。普通の子となかなか区別がつけれない。
それと、彼らは非常に気弱です。いわゆるつっぱった少年に会った記憶はありません。
ただ、やってることを見ると、非常に自己中心的であるとか、思いやりがないとか、それはありますね、たしかに。たとえば、メチャクチャにぶん殴って死なせてしまったりするわけですから。思いやりがあったら、そんなことできるわけないですよ。金がほしいからといって、いきなり歩いている人をぶん殴って金を取ったり。自己中心的に決まってます。
それから、コミュニケーション能力がない。要するに、自分の意見をうまく言えない。不満なことがあっても、うまく言えなくて、つい手が出てしまう。
そして、被害者の痛みを深く理解できないということもあります。人の痛みがわからないということですね。
こういう子が多いわけですが、じゃ、そんなことは普通の子には見られないのかというと、そうでもない。
たとえば、私の子が小学校の1、2年の時に「はだしのゲン」という映画が来まして、二人で見に行ったんです。実は私の祖父、祖母、叔父、叔母は全部広島の原爆で死にまして、父親だけが東京にいて助かったんです。子どもにはそういう話を小さい時からしていますから、原爆が怖いということは知っているわけです。
それで映画を見に行ったら、バーンと原爆が落ちて、被害者の服に火がついて、転げまわって苦しんでいるシーンがあったんです。それを見て親や大人は涙を流しているんです。ところがね、そこにいた子どもたちが一斉にワハハハと、みんな笑うんです。ワーッと大声で笑うんです。このシーンでね。ぼくは気持ち悪くなって、自分の子を見たら、やっぱり笑っているんです。 さすがに悪いと思ったのか、映画館を出る時にうちの子が、「お父さん、ごめんね」と言うから、「なんで」と聞くと、「みんなにつられて笑ったから」と言うんです。「そうか。あの服に火のついた人、どうなるかねえ」と聞いたら、「そりゃヤケドするよねえ」と言う。「身体中ヤケドするとどうなるかねえ」と尋ねると、「そりゃ死ぬよねえ」と答える。
そういう話をしていると、だんだん具体的に重大さがわかってくるんだけれども、どうもドタバタしているのを見ると、テレビのおふざけ番組のドタバタのように見えるらしくて、動作が面白くて笑ってしまう。
今のちっちゃい子というのは、あんまりヤケドした経験ないんです。危ないからというので、火遊びの経験があまりないですから。 ぼくら以上の年の人というのは、たき火してですね、火をつついて、目に火の粉が入ったりとか、火鉢をこんなことしてパチッと。熱いですわねえ。 そんな経験しているから、ヤケドがどんなに怖いか、ある程度知っているんですが、今の子は知らないんです。だから、服に火がついたって、それが大変なこととは思えないんですね。
余談ですが、今の子はテレビに映っていることが、逆にほんまのように感じているんです。たとえば、「リング」という映画に、ビデオを見ているとテレビの中からにゅうっと幽霊が出てくるシーンがあってね、ぼくらはあんなの見たって全然怖くないんですよ。ぼくらが怖かったのはお岩さんとかいった映画が怖かったけど、今の子はお岩さんみたいなのは怖くないんですね。テレビからにゅうっと出てくるのが怖い。
というのは、今の子どもと我々とは実際の体験が違うんです。感覚として、テレビに映っている方が現実感があるんです。ヤケドしている人というのは現実感がない。
さて、コミュニケーション能力の不足ということですが、今の若い人に共通してみられることです。 最近の若いやつは何を考えとるかわからんとか、私たちどこかで思っているわけです。会社の管理職に聞くと、今の若い人は何考えているのかわかんねえんだと言う人が多いですね。概して今の若い子はコミュニケーション能力が不足してますよね。
というのは、昔みたいに子どもの人数が多くないし、一人っ子も増えてますからね、別にいちいち要求しなくても、親が先まわししてちゃんとやってくれます。
それから、子ども同士で遊ぶという経験が少ないですよね。昔だったら、四歳ぐらいから小学校四、五年ぐらいまで集まって、一緒に遊んで、小さい子はみそっかすで、例外作って入れてくれる。
そういう遊びだったけど、今の子は二人ぐらいで暗い所でピコピコ、何かテレビゲームをやっています。そんなことでコミュニケーション能力が育つわけがない。
そういうことを考えると、非行少年がいろんなおかしい点を持っているといっても、それは今の子が持っている特徴であって、必ずしも非行少年だけのものじゃない。他の子どもたちと程度の差こそあれ、問題の根っこは同じではないかという気がします。
ただ一つだけ強調したいことを言えば、非行少年というのはみんな自分がダメだと思ってます。自己評価が低いわけです。これはたしかに言えます。
3
ただし、ここでお話ししとかないかんのは、凶悪な少年非行があるじゃないかというご指摘についてです。たしかに一部には正しいんですが、少年の殺人事件がやたら増えたというわけじゃないんです。
法務省や検察庁が発表している統計をご紹介します。 一年間で殺人事件を犯して捕まっている少年の人数を統計で見ると、昭和26年が448人。終戦のどさくさの荒れた時代ですね。昭和36年も448人。これは子どもの数が非常に増えた時代です。少年非行も多かった。これが戦後の最高です。それからだんだん減ってきます。昭和50年にどうなったかというと、95人。五分の一に減っちゃいました。で、平成1年にちょこっと増えますが、118人。例の神戸の連続児童殺傷事件は平成9年です。この年が75人。それから一番新しい統計は平成12年、去年の犯罪白書に出ていますが、105人です。
昭和26年 448人 昭和36年 448人 昭和50年
95人 平成1年 118人 平成9年 75人 平成12年
105人
少年の数が減ってますから、絶対数の比較だけでは意味がありませんが、少年の数を考えてもそんなに増えているというもんでもありません。
ところが強盗を見ますと、 昭和26年 2197人 昭和36年 2442人 昭和50年 732人 平成1年 590人 平成9年 1701人 平成12年 1665人
戦後最大の時から比べると、ちょっとは少ないけれども、急激に増えてますよね。
だから、凶悪事件が増えているというのは、強盗をとってみるとたしかに当たるわけです。だけど、殺人事件を考えてみると、さほどのことではない。こういうことです。
4
非行少年とつき合って、家庭にしょっちゅう行ったりしてるわけですが、どんな家庭が多いかというと、二つのことに気がつきます。
大体、両親が仲悪いんですね。両親の不和。90%以上が仲が悪い。
それから、子どもへの虐待。肉体的にぶん殴るとか、飯を食わさんという、そういう虐待もありますが、精神的な虐待、たとえばお前はブスだとか、バカだと言うのが精神的虐待なんですけれども、そういう精神的なものも含めると、子どもへの虐待というのが非常に多いわけです。
ここ十年間を見ますと、児童相談所が子どもの虐待の事件で処理した件数は、10年間で16倍に増えています。この数字はおそらく氷山の一角です。虐待は深刻な問題になっています。たぶん、子どもが殺人を犯す件数よりも、親などが子どもを虐待して殺す件数の方が何倍か増えていると思われます。
大体アメリカで起こったことというのは、5年10年すると日本にやってくることが多いです。
私は何年か前に、アメリカのロサンゼルスに子どもの虐待のことで調査に行きました。アメリカでは子どもの虐待が多くて、裁判所がパンクしちゃってですね、普通の裁判所ではできなくなっちゃった。だから、子どもの虐待問題しか扱わない裁判所というのを作ったんです。子ども裁判所、チルドレンズコートというんですが、すごい立派な裁判所なんです。子どもの虐待問題だけやっている。
で、その裁判所の話だと、ロサンゼルスだけでも何万人という子どもが危険な状態にあるのではないかと言うんです。ひどいのは、赤ちゃんをフライパンの上で焼いたりですね、そういうような虐待があるんです。 むこうのことだから、処分も厳しいんですよ。親はすぐにパーッと留置場みたいな所に放り込んじゃって、刑を執行されてしまう。子どもは保護されて、保育園とかにあずけられる。
大変なことだなあと思ったんですが、10年間で16倍ですから、日本もずいぶん虐待が増えておるわけです。
ある時、覚醒剤で捕まった女の子の家を見に行ったんです。ふすまが穴だらけでね、どうしたんだと聞いたら、お母さんが暴れて、包丁でブスブスと突き刺したと。ある時、お母さんが酔っぱらって帰ってきて、「お前がいるから私が不幸だ」とか言って、女の子の顔や頭を蹴るものだから、女の子は恐がってトイレに隠れたんです。すると置き時計を持ってきて、扉をガンガンやって、こんな穴が開いているんですよ。その子は助けてということで、近くにいるお兄さんに電話したら、19歳のお兄さんが来て、お母さんをぶん殴っちゃって、そしたらお母さん、二階から飛び降りて、足の骨折って。 メチャクチャな家庭なんですね。80歳のおじいちゃんがいるんだけれど、このおじいちゃんも酒乱で、腹立つと棒を持って殴りに行ったり。 そういうメチャクチャな家でして、とうとうその子はまた乱暴なことして、少年院へ入ってしまうんです。
私からすると、少年院に入れたいのは親の方だという気持なんですが、残念ながらそういう制度がありませんでね。 非行少年の家庭というのは、そういう家庭が多いように思います。
どうにもならないのは、少年たちよりも、むしろ大人や、少年を取り巻く環境の方ではないかと思うわけです。親の責任は大きいと言いましたけれども、親の責任だけじゃなくて、社会全体で考えないかんことは、たくさんあるわけです。
子どもが変わった、何を考えているかわからないと言いますが、私に言わせると、変わったのは大人の方ではないかと思います。 今ほど、えらい人と言われる人や、真面目な人が警察に捕まる時代はないですね。つい最近の新聞を見ると、奈良の方で弁護士が痴漢で捕まったと書いてあったし、去年は神戸地方裁判所の所長が痴漢して捕まって辞めたとか、どこかの高検の部長や警察官が捕まってますよね。泥棒を捕まえる刑事が泥棒して捕まったなんていうのが珍しくなくなった時代になってしまって、非常に大人社会全体が乱れてしまっている。
で、バブルなんてよく考えてみると、少しぐらいズルしても金儲かったら何でもいいや、儲けることができれば他人のことはかまわないという、そういう考えなんですね。 拘置所に来ている人でも、そういうバブルで失敗しておかしくなって来てる人もあるわけです。今までだったら犯罪と関係ないような人、会社の社長さんとか、そんな人が犯罪を犯してる。 なんか今の世の中、大人がおかしいんじゃなかろうかと、そういう気がしてならないわけです。
非行少年を抱えている家庭というのは、たいがい孤立した家庭なんです。どこともつき合わない、相談する所がない。問題のある子どもを抱えても、どうしていいかわからない。だから子どもを殴ったりするようなことで処理しているんです。
今の世の中というのは、みんなお互い、近所同士つき合って、なんかやっていくという、そういう時代じゃなくて、厳しい競争にさらされている社会であって、昔のムラ的な、共同体、助け合いという精神が失われていると思うんですね。そういう中で、子どもに思いやりを持てといってもなかなか難しい。
あるいは、親が子どもの話を聞いてやることができない。それは親自体がリストラとか、不景気で、明日は知れんとか、そういう不安を抱えております。ストレスが非常に高くなってますよね。自分たちがイライラしてしまう。子どもにいい影響を与えるわけはない。 そんなことを考えると、非行問題を単に親の愛情が足らんということだけで考えるのでは、物事は解決しないという気はします。
で、我々の仲間内でよく使っている言葉ですが、「少年非行は社会の鏡」だと、こう言うんです。ある意味での社会の悪いところ、さまざまな矛盾を少年非行というのはいつも表すんだと。
たとえば、金さえあれば何してもいいんだというので、オヤジ狩りして、人をぶん殴って金取ってもかまわんと考えるのは、バブルの時、多少悪いことしても金儲けたらいいという、「世の中すべて金」という思想と同じです。 儲かりさえすれば何をやってもかまわんという、そういう風潮というのは、子どもにも当然悪影響を与えているんです。子どもだけを責めることができるでしょうか。
5
しかし、非行問題は親の責任だけじゃないとはいっても、やっぱり親の責任は重大だなあと思います。
養護施設でこんな体験をしたことがあるんです。体験入所といって、私が児童として入るわけにはいかないから、一応新米の先生としてですね、50歳で新米もないんですけれど、養護施設に泊まり込んだんです。
最近の養護施設では、昔みたいに全くの孤児はあんまりいません。今は半分ぐらいが、虐待によって親から引き離されてる子なんです。少なくともおじいちゃん、おばあちゃんがいたり、両親がいたり、片親がいたり。
ところがそんなグループの中で、一人だけ全くの孤児がいたんです。捨てられちゃって、名前もわからない。で、施設で名前をつけた。その子は小学校3年生のいたずら小僧なんですね。 その子がいつもぼくにくっついてきて、「先生、一緒にご飯食べよう」とか、「勉強教えて」とか言うんですね。すると、まわりの子どもたちはヤキモチを焼いて、「先生、あの子にあんまりかまわん方がええよ。調子乗るよ」とか言うわけです。
ある時、私が4、5歳の子を高い高いというんですか、天井にポーンと放り投げたら、すごいきゃあきゃあ喜んでね。それを見た他の子がみんな集まってきちゃって、「やって、やって」と言って、一年生ぐらいならいいけど、5年生ならでかいですからね、こっちは持ち上げるのが大変なんだけど、「やってやって」って来ちゃって、ぼくの前にずらーと並んじゃったんです。 それで、ふーふー言いながらやっていたらね、その3年生の男の子がぼくのそばでジーッと見ているんです。そして「先生」とその子が言うんです。「先生、人を喜ばせるって楽しい?」って聞くんです。この子、何言ってるのかなと思って、その時はよくわからなかったんだけどね。
養護施設では、先生はちゃんときちんとやっているし、かわいがってくれるし、着るものも昔と違っていいですよ。ご飯なんて、ぼくらが小学校の給食で食べた、あんなまずいものじゃなくて、ちゃんとしてる。
けれど、やっぱり先生は仕事でやっててね。だけど、ぼくは面白いからやっててね。もし落っことしちゃって、ケガさせたら大問題ですわな。 だけど、ぼくはどうせ三日したらいなくなるんだからかまへんわと、わあわあ面白いからやってたわけで、それを子どもが見ていて、この人、何やってるんだろうと思ってね。面白がってるのかなあと思って、それで、「人を喜ばせるって楽しい?」って。そういうことを考えることがね。
8月の暑い時だったですが、一人一人おんぶして庭を走りまわっとったんです、ぼくがね。その子の番になったら、またぽつんと何か言うわけです。何言ってるのかなあと思ったら、「先生の背中ってあったかいねえ」と、こう言うわけです。 8月ですよ。炎天下。外で走っているんですから、暑くて暑くて、こっちはもう死ぬほど暑いんだけど、その子は「先生の背中ってあったかいね」って言ったんです。 ああ、3年生の、ガキ大将みたいな子どもが気の利いたことを言うもんだわいと思ってですね、なんかこう、ジーンときました。
それで、ぼくが明日帰ると言ったらね、下が4、5歳、上が小学校5年生ぐらいの子どもたちが全員、私の足元で泣くんですよ。「先生、帰らんといて、帰らんといて」と、みんな泣くんです。「帰らんといて」と。
ああ、この子たち、親もいるし、優しい先生がちゃんとやってくれているんだけれど、我慢しているのかなあ、親というのは大事なんだなあと思ったんです。みんな親から離されて、何かすごく我慢しているんですね。 それで、親の責任は重大だなあと感じたわけです。
で、子どもを愛するというのはどういうことかなあと、いろいろ考えてみたんです。抽象的に言いますとわからないから、私が感じた具体的例で言います。
うちの次男が1歳か2歳の時にね、ぼくがご飯を食べさしていたんです。そしたら、「自分で」と、こう言うわけです。で、「はい」とスプーンを持たしたら、まだ一歳ぐらいですから、うまく持てないんですよ。で、下にみんな落っこっちゃうわけです。
皆さん経験あるんじゃないかなあ。そこらに散らかって汚くなるじゃないですか。汚ねえなと思ってね、ちょっと横向いていたら、次男が「見てて」と、こう言うわけです。食べてるから見ててほしい。「見てて」と、こう言うわけです。
その時、ハッと思ったんですね。子どもというのは大人に成長していくわけですから、何でも自分でやってみたい、独立していこうという欲求があるわけです。だけども、やっぱり見ててほしい、守ってほしい、保護してほしい、こういう欲求も同時にあるわけです。
この「自分でやりたい」というのと、「見守ってほしい」という、二つの欲求を満たしてあげることが愛情ということだけど、いわゆる非行少年と言われる子は、どうも親にこういうことをしてもらっていない。
たとえば、「うるさいわねえ、あんた。黙って食べなさい」と、食べ物をガァーと口に入れるのは、これは自分でしているんじゃないでしょ。 あるいは、「自分で食うの。知らんわ。勝手にしなさい」というのは、子どもが自分でしてはいるけれども、親が見ていない。
暴走族が走りまわってますけど、人のいない所でやってくれたらいいのに、たいていは人のいる所でやりたがるね、あれ。見てほしいんだね。 神戸駅や三宮駅でも、スケボーとかローラースケーターなんか、人のいる所でガーガーやって、バカじゃないか、人のいない所でやったらいいと思うんだけど、これも見てほしいわけね。
オートバイだと警察が追いかけても捕まらない。自分がやっているという感じがするんでしょうね。「自分でする」「自分を見てて」という欲求が両方満足するのが暴走行為ですね。 だから、こういうのがちょっと不足している子たちが、ああいうことをしているわけです。
6
それじゃ具体的に、私が担当した神戸の連続児童殺傷事件、そして姫路で16歳の少年少女がタクシー運転手を殺した事件についてお話ししましょう。
連続殺傷事件のA君について言いますとね、会ってみると非常に小さいんですよ。そして痩せている。中学3年生なのに、43キロしかない。で、坊ちゃん刈りにしててね、髪を染めたりしているわけではない。見たところ弱々しい、おとなしい子なんですよね。言葉づかいも丁寧で、はいはいと、ちゃんと正座して敬語を使ってね。ごく普通の子ですわな。
だけど、「お前、どんなことやったんだ。こんなことしたのか」と聞いたら、「やりました」と、普通にしゃべる。 ところがだんだん、この子、おかしいんじゃないかと思いだした。なんでかというと、「親に伝えることないか」と聞くと、「別にありません」。「親に会いたくないの」と言うと、「別に会いたくありません」。「何かほしいものあるか」と聞いても、「別にありません」。何でも、「別にありません」。 事件のこと聞いたら、ちゃんと話すんですよ。淀みなく話す。えらく落ち着いているんですね。
警察に捕まるのが初めてなら、普通びっくりするんです。どうなっちゃうんだろうと。 親が心配してるんじゃないか、親に会いたい、みんなそういう気持を持ってるんだけど、この子は全然そういうところがなくて、なんか普通の状態でね。だから、かえっておかしい。あまりに落ち着きすぎている。何べん会ってもそういう感じなんです。
ぼくはこういう仕事をしてて、非行少年の二百人や三百人とつき合ってるんだけど、大体2,3回行くと気が合ってですね、「おう」とか言って、「元気か」と聞くとですね、向こうが困ってりゃ、うれしそうな顔するし、何となく今日はしんどいと、「いやあ」とかなんとか言ってくるし、その少年の気持ちがある程度わかるんだけれど、この子、全然わかんないんです。 ふてくされて、「もう帰って」と言うわけでもない。喜んで、「先生、どうもご苦労さんです。ありがとう」と言うわけでもない。お礼も全然ない。こっちが「こんにちは」と言うから、「こんにちは」と言う。 喜んでいるんだか、迷惑なんだか、全然表情が変わらないんですね。いつもこんな感じです。
この子はおかしいんじゃないかと思ってですね、新聞記者に「先生、あの子はどんな子ですか」と尋ねられて、「いや、よくわかんないんです」と答えたら、ぼくがとぼけてると思ったのか、「先生、とぼけないでください」と、みんなに怒られちゃったんです。でも、全然わからないんです、ほんとに。
ところが事件が終わって、精神科のお医者さんが少年の精神鑑定をします。その鑑定書を読みながら考えていきますと、この少年もぼくの考えてきた「親に愛された感じを持てなかった少年」で、そんな珍しい少年ではないんじゃないかな、こういう少年はまた出てくるんと違うかな、と思えてきたんです。
どういうことかとお話しすると、鑑定書にはこう書いてあるんです。この子の唯一のあたたかい思い出というのは、おばあちゃんに背負われた記憶しかない。
普通、私たちは親にかわいがられたという記憶を心の中にしまっています。 お母さんに遊んでもらったとか、ごちそう食べに連れて行ってもらったり、外で遊んで寒かったからお母さんがおこたにお入りと言ってくれたとか、夜遅くまで帰ってこなかったので探しに来てくれたりとか、そういうのがありますね。誰にもあると思うんです。
けれど、その子の唯一のあったかい思い出は、おばあちゃんにおんぶされた記憶だけだと言うんです。
そのお母さんというのは、悪い人とか、特に子どもをいじめてたというんじゃないんですね。非常にスパルタ教育だったらしいんです。自分でも言ってるけど、うちはスパルタ教育だと。決して甘やかしたりなんかせず、長男をしっかりさせなあかんと、ひっぱたいたと。しかし、虐待があったとはとても言えない。
お父さんはごく温厚そうな人です。おとなしそうな人で、とても殴るような人に見えないし、「お父さん、子ども殴ってましたか」と聞くと、「いや、ちっとも殴った記憶はない」と言ってね。でも子どもは、「お父さんにもよく殴られた」と言うんです。
この子は非常に繊細で傷つきやすい子どもなんです。それから、一秒間ぱっとこの部屋の状景を見るでしょ。すると、誰がどこにいるのかが全部頭にインプットされる。あるいは、本をこうやって一秒間ぱっと見たら、その内容が全部頭に焼きつけられる。すごい才能を持っている。天才です。
ところが、お母さんときたら、お構いなくひっぱたいてね。だから殴られるのがいやだから、完全に親には心を閉ざしてしまっていた。
学校でもですね、あれだけのこと書いているし、いろんな本を読んで読書能力があるんだけれど、国語の成績1です。最低の成績です。だから、学校でもまるきり評価されていない。 身体がちっちゃいでしょ。スポーツもできないようです。まわりから評価されていない。
鑑定書によると、この子は人を殺しているわけですが、「殺害は同時に彼自身を殺すことをも意味していたようである」と。つまり、この子の殺人というのは自殺だというんです。自分を殺しているんです。人を殺しているように見えても、実際は自分を殺している。
どういうことかというと、この子は親にかわいがられて育った記憶がないから、自分はどうでもいい、ダメな人間だと思っているんですね。自己評価が低い。だから、他人の命もどうでもいい。 自分が無価値な存在だから、他人も無価値だと考えていたんです。その子にとっては、ナメクジもネコも人間も一緒なんで、ナメクジ殺していいんだったら、別に人殺してもいいんじゃないかと。
人の命の大事さというのがわかんないから、自分の命も大事じゃないんです。それで、捕まると死刑になると思っていて、早く死刑にしてくれと、もう少年院に来たから早く殺してくれと、こう言う。もちろんご承知のように、十四歳を死刑にはできないわけですけれど、そう言うんですね。
7
次に、タクシー運転手殺しの少年はどうだったかというと、小学校1年生で両親が離婚して、お父さんに育てられた。お父さんに殴る蹴るの暴力をしょちゅう受けていたんです。それだけじゃなくて、三階から逆さに吊される。それから包丁の裏側で、切りはしないんだけど、パシッパシッと顔をたたいて恐がらせる。スプレーに火をつけてシューと顔に火をやる。それから、真冬に長時間、水風呂につけて、水道の水をじゃーじゃー流す。一番恐かったのは何かといったら、回ってる洗濯機に頭から突っ込まれたことだ、と言うんです。
そういう経験をして育っているわけです。それだからお母さんに会いたくて、恋しくて、下の弟と一緒に自転車に乗って家出したんです。子どもだからよくわからないもので、最初高速道路に行きましてね、それで捕まるんです。今度は、高速道路を行ったら捕まるからと、山を夜ね、子ども二人が何時間も自転車で、ちっちゃい子がね、お母さんに会いに行こうとする。でまた、警察に捕まって戻る。そういう思いをして育ったんです。
16歳になった時に、お母さんが一緒に住んでもいいよと言ってくれた。仕事も探してあげると言う。で、本人、喜んでお父さんに話した。お父さんは離婚してて、お母さんと仲悪いから、ダメだと言う。それでお父さんとケンカする状態で、とにかく強引にお母さんの所に行った。
ところがお母さんの所へ行ったけど、お母さんは仕事を持っていて、話をしてくれない。それでしばらくぶらぶらしていたら、お母さんがどう言ったかというと、「もうあんたダメだから、家に帰りなさい」と。口で言うんじゃなくて、置き手紙ですよ。お母さん置き手紙して、あんたもうダメだ、お父さんの所に帰れって書いているんです。
その子はもうガクッときてですね、今さらお父さんの所へ帰るわけにはいかない。ケンカしてるから。で、死のうと思って、手紙に、「お母さん長いことお世話になりました。ぼくはほんとはお父さんもお母さんも嫌いじゃなかったよ」と書いて、遺書ですわな、そういうふうに書いて、家出したわけです。
さすがにまあ、ちょっとお母さんが恋しくなったのか、次の日に家に電話したんです。お母さん、何と言ったかというと、「どうせ行くなら、もっと遠いとこ行け」と言ったんです。
普通なら、あんた、どこにいるのとか、早く帰っておいでと言うのが当たり前だけど、どっかもっと遠いとこに行けと言ったわけです。それで三日三晩シンナー吸い続けて、事件を起こしたわけです。
だから、この子だって自分は死ぬ気なんですから、死刑ですむなら死刑にしてくれと言うとるわけです。こういう状態なんですね。
そういうことを考えてくると、凶悪な事件を起こしている非行少年というのは、甘やかされて育ったわけではないので、やはり厳罰を与えても、実際はなかなかよくならないし、非行を抑止できない。 自分が大事にされているという感情、他人に認められているという感情を持ててはじめて、本当の意味の人に対する思いやりであるとか、罪の意識とかを持つことができるんです。
で、タクシー運転手殺しの子に、ぼくは何とか罪の意識を持たせようといろんな工夫をしてみたんです。
被害者のうちの家を想像してごらん。娘さんがいるだろう。それで、みんな一緒に仲良く暮らしているとしようよ。
こういうふうにして、どんな風景が目に浮かぶか、一生懸命に空想させようとするんだけど、描けないんですね。
部屋にベッドがあります。女の子が寝ています。お父さんがいます。
それぐらいしか言えないんです。いくら言わせようと思っても言えない。頭に描けない。 なぜかというと、その子自身が幸せな家庭を持ったことがないからなんです。だから、幸せな家庭を想像しろと言っても、想像できないんですね。
ですから、幸せな家庭の大黒柱であるお父さんが死んでしまって、どれだけ家族がつらい思いをしているかということ理解させようと思ったって、自分には虐待するお父さんしかいないんだから、そういう大事なお父さんを失った家族の痛みなんてわかんないんですね。
そりゃ、「すみません」と口で言いますよ。「悪いことしたと思ってるんじゃないか」と言ったら、「悪いことしました」と言う。「死刑になってもかまいません」と言うけど、本当の意味の反省じゃないんです。
人間というのは自分の命が大事だと本当に思えば、それによって人の命も大事だと思う。そのことによって、はじめて本当に反省が生まれてくると思うんですね。
8
よく聞かれるんですが、先生は忙しいのによくそんなことしてますね、と言われるんです。今日もあまりお金にならんことをここでやっているわけですが、実際はちゃんと仕事もやってまして、事務員3人と弁護士1人を雇って、ちゃんと給料払っています。そんな半端なお金じゃ事務所は維持できないわけです。
でもまあ、そういうことしながら、少年たちと一緒にいろんなことやってるわけです。どういうふうにやるかといったら、夜、行くわけです。夜の9時10時になって行くんです。非行少年というのはたいてい夜中じゅう遊んでいるわけですから、9時10時はまだ宵のうちなので、たいがい起きてます。遊びに行って、ボーリングしたりするわけです。
そういうことしてるうちに、子どもが急激によくなるというのを見ると、すごくうれしいわけです。さっき、子どもというのは成長する可能性が非常にあると言いましたけれども、それを見ると、自分が何となくうれしい。子どもからエネルギーをもらうわけですね。
先ほどの神戸のA君はどうだったかというと、翌年の4月に少年院に行ったんです。そしたら、案の定、全然表情がなくて、「元気か」と言ったら、「はあ」。「ちょっと太ったか」と言ったら、「いや、痩せました」。「何か困っていることがあるか。何か楽しいことがあるか」、「いや」。全部こんな調子だから、しゃあないから帰ろうとして、最後に「帰るけど何か言うことないか」と聞いたら、ばっと立ち上がって、もちろん顔は全然変わんないんですよ、無表情でね、こうやってお礼するわけです。そして、「何度も面会に来てくれたり、本を差し入れたりしてくれて、どうもありがとうございました」と言って、頭を下げるわけです。
今まで喜ばれたことは一度もないんです。それに表情は全く変わらない。だから、ひょっとして少年院の教官が「弁護士さん来るからな、お礼ぐらいせい」と注意したのかなと思って、少年院の教官に聞くと、「そんなことはありません」と言うんです。まだそんな段階じゃないから、そうした指導はしていない、たぶん少年は自分で本当にお礼を言いたかったんでしょう。そういう話でした。
やはり無表情だったけれども、ほんのちょびっと変化が見えたのがすごくうれしい。その変化はちょっとだけれども、真っ暗な中でマッチをつけりゃ、ものすごく明るいように見えるのと同じように、ちっちゃい変化がものすごくうれしかったですね。
その翌年にもまた行きました。そしたら今度は、血色がよくなって笑い顔なんです。あれほど能面みたいな無表情だったのに、にこにこしてる。あれほど親に会わないと言っていたのに、「親に会っていろいろ話をしたい」と言う。すごいもんだなあと喜んでね。
そこまで悪くない例をあげますと、ある高校生が先生になんか注意されて、それでキレて先生をぶん殴っちゃったんです。すると、みんな怒っちゃって、先生は「お前、退学だ」と。それで、親とその少年が相談に来たんです。
そりゃ先生殴っちゃったんだから、ただではおられんわね。だけど、なんとか退学はこらえてくださいって、教育委員会や校長先生に平謝りに謝ったんですよ。それでもあかんかったので、今度は「ああいいですよ、もし退学にさしたら、私は裁判にかけて徹底的にやるから」と。そして「無期停学ならもうこらえるから、無期停学にしてください」と、半分おどかし、半分ごますりをしておいてね、ようやく無期停学にしてもらったんです。
無期停学だから家におりますよね。遊ばしとっちゃしょうがないから、少しは勉強もせんならん。ほっといたら勉強せんからね。しょうがないから私が行って、数学の本出せと。ところが、私自身、数学なんかさっぱりわかんないんです。高校の数学というのは、何だこれはというような感じでね。二人で一生懸命に教科書読んだりして一時間やったって、2ページぐらいしかできない。もっとわかんないのは漢文です。中学の時以来全然していないんですから。上中下とか甲乙丙とかあるじゃないですか。どっから先に読むか、全然わかんない。しょうがないから、虎の巻引っぱって、うーんとうなりながら勉強する。
ところが、お母さんがぼくに言うんです。「先生、申し訳ない」。「なんでですか」って聞いたら、「野口先生が勉強せいと言っても、先生が帰ったらもうグターとしているんです」と。
でも、ようやく無期停学がとけて学校に戻ったら、校長先生がまたぼくに言うわけです。「野口先生、あの子なんとかしてくれ」と。「学習態度が悪くてなっとらん」と。「もうすぐ3年生になるのに困っとるんだ」と言うわけです。わたしゃ、もう学校に戻してもらったから、ああ、すいません、すいませんと、平身低頭したわけです。
ところが驚いたことに、二ヵ月ぐらい休んでいるのに、二学期の期末考査ではものすごく成績が上がっちゃったんです。数学は9点だったのが68点になってるんですね。国語は25点しか取れなかったのが、58点。平均点が20点以上も上がって、成績が下の方だったのが上の方になっちゃった。 これがまぐれかと思うとそうじゃなくてね、翌年の三学期も実力考査では国語は300人中16番です。数学は300人中9番。トップクラスになったんです。それで、これは一体どういうこっちゃと、本人に聞いたらね、「実は試験の前、一週間、全然寝ずに勉強してました」と言うんです。
それで去年、早稲田、慶応につぐ、名前は言いませんが、某有名大学に合格したんです。今、大学生です。 面倒かけたけど、まあ、あんだけのやった甲斐があったのかと思って、私も自己評価が高まる。
で、こうやってあちこちでホラを吹いてるんです。嘘は言うとらんつもりなんですけどね。
それから別の少年ですが、両親が小学校の先生なんです。立派な先生なんですよ。ところが大学1年の時に、強盗傷人、オヤジ狩りをして捕まった。大学生ですよ。もちろん退学です。
強盗傷人というのは刑事罰で言うと、懲役7年以上ですから、絶対刑務所行きなんです。実刑判決です。殺人は執行猶予になったりするでしょ。懲役3年、執行猶予3年となることがある。殺人よりも重いんですよ、強盗傷人というのは。絶対に実刑判決です。
家裁の裁判官がちょっと意地悪で、逆送で刑事処罰が適当というので、刑務所に送られそうになったんです。それで私がなんとか保釈をとってですね、必死にやって、今度は家裁に送り戻しまして、とうとう保護処分になって、少年院二ヵ月。
その間、私の事務所で働かしたり、老人施設でボランティアをさしたりして、法的な制裁じゃなくて、本当に人間として責任もつことが大事なんだということで、身をもってやらしたんです。
その子は立ち直って、大学を受け直して卒業し、今は福祉関係の仕事をしとるんです。その子が手紙をくれたんです。こういう手紙です。
「明けましておめでとうございます。大変遅くなりました。 先生、実は12月29日に結婚しました。相手は学校で知り合った人です。勤務の都合上、なかなか二人の時間が作れませんが、それなりに楽しく生活しています。結婚式は家族と友人であげました。お父さん、お母さんも大変喜んでいます。 先生、仕事も自分のやりたい仕事をしているせいか、自分自身がとても好きになります」
ここがうれしいとこです。自分自身をとても好きになる。
「まだまだこれからなのですが、どんな困難にも負けないという自信が持てるような気がします。 野口先生をテレビや新聞でよく見ます。先生と走りまわった時のことをよく思い出します。汗をかいて働く先生の姿はとても素敵でした。先生の熱い心がとても好きです。少年の気持ちを考え、理解してくれることが本当にうれしかったし、安心できました。
少年事件がニュースになったりすると、今でもドキドキします。ただ単に厳しく罰するだけで解決するわけではありません。 ぼくはぼくの気持ちを理解してくれる人がほしかったのです。それがなぜ先生であるのか申すまでもありません。ほんの少しでも理解してもらうことで、ものすごく心が安らぎ、心の余裕が生まれてきました。 幼年期がとても大切な時期だということが、仕事を通じてよくわかります。家庭の環境もとても大切だということもわかります。 これからも人の心を大切にしていきたいと思います。先生も身体に充分気をつけてください。また会いたいです」
そういう手紙でね、なんか俺もまんざらでないなあと思って、自己評価を高めちゃってね。
9
最後に申しあげたいのは、日本人てだいたい謙遜が美徳とされてます。自己評価が高いことを公言しにくい。しかし、「私はダメな人間です」と礼儀として言うのはいいですけれど、本当に自分がダメな親であるとか、ダメな教師であるとかいうふうに思ってしまったら、やっぱりダメですね。
自己評価の低い人は自分を大切に思うことができない。自分を大切に思わない人は、他人を大切に思うことはできない。そして、自分をダメだと思っている子は、努力する意欲が少ない。 そういう意味で自信というか、自己評価を高めていただきたい。
昔のおじさん、おばさんはえらかったと思うんですよ。鞍馬天狗のおじさんでしょ。月光仮面のおじさんでしょう。歌のおばさんというのもありました。今はおばさんと言うと怒られちゃってね。おばさんというのが軽蔑の用語になっちゃった。
それはなぜかというと、子どもにとって大人が尊敬する対象じゃなくなっちゃったんです。昔はおじさん、おばさんというのはえらかったけど、今はもうオヤジなんてダメなんだとね。
実は、我々自身が自分に対する評価が低いし、なんか楽しくないと思ってるんです。 ピーターパン症候群という言葉が一時はやりました。大人になりたくない子どもがたくさんいて、結婚したくない、結婚しても子どもは作りたくない。ようするに大人としての責任をとりたくない、そういうことでしょう。人生、苦しいことをやりたくない。そういう若い人が増えている。 そういう時に、我々が「いや、人生なかなか楽しいよ。子どもを育てるの楽しいよ」と思っていないと、子どもたちに自己評価を高めなさいと言ったって、こりゃ無理ですよ。
なんとか我々自身が人生を楽しんで、自己評価を高めるようにやっていただければなあと、そういうふうに思います。時間を超過しましたが、これで終わります。
(2002年10月25日に神戸拘置所で行われました講演をまとめたものです。野口善國『それでも少年を罰しますか』共同通信社 を参考にしました)
|
|