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  落合政道さん 「うつ病の私、歎異抄の救い」 
2004年9月25日

    1、 うつ病の私

 私は昭和42年(1967)の生まれで、37歳になります。私が生まれた時は、祖母と両親、姉、兄と私の六人家族でした。この兄が私の人生にとって大きな鍵となり、兄と私は人生を一心同体に歩むことになります。
 というのは、兄は障害者です。テンカン発作の持病があって、それはけいれんを起こして意識を失って倒れるという病気で、先天性の治らないタイプです。しかも発作のたびに脳細胞が何万個という単位で死んでいくそうで、知能が徐々に低下し、身体的にも動作が緩慢になっていく病気です。生まれた時には症状がなかったみたいですけど、3歳か4歳の時に発作が出るようになったそうです。
 兄は現在40歳なんですが、知能はたぶん3歳から5歳の間ぐらいだと思います。一番よかった時は自分の名前を漢字で書けましたので、それがピークだったと思います。

 子供のころは兄のことでつらい思いをした記憶がたくさんあります。本当は楽しい思い出もあったはずなんですけど、正直、つらい思い出のほうが残りやすいので。
 物心がついたころから、兄の世話をするのは私だということになっていました。父はとび職で、農業もやっていて、母はその手伝いをして働いていました。姉は女の子なので、私が兄にずっとついているという、直接言われた記憶はないんですけど、そういうルールになっていました。横についているだけなんですけどね。

 お兄ちゃんのお守りをしなさいということで、兄をほっといて遊びに行くことはできず、面白くなかったですね。というか、兄の遊びにつき合うのがつらかったです。兄は気性が激しくて、気に入らないことがあると、ものをぶつけたり、私を殴る蹴るしたりで、結構乱暴されたんです。兄が私と遊びたがるのは、いばれるからというのもあったと思います。私は家来みたいなもんなんですよ。

 兄はテレビを見て野球がやりたくて、だけど知的障害ですから友達がいないので、私がつき合うことになるんです。「キャッチボールやるから来い」と言われ て、だけど私はほんとにいやで、しかし「いやだ」と言うと、兄は家であばれるんですよ。殴る蹴るされるわ、ボールをぶつけてガラスが割れるわになるんで、母親から「ちょっとやれば気がすむんだから、やってやりなさい」と言われて、キャッチボールをすることになるんです。それがすごくつらかったですね。
 兄とは三つ違いですけど、子供のころの三歳の年齢差というのはすごく体力の違いがあるんです。その兄の相手をしないといけないわけです。兄が私に向かって投げるんですけど、捕りやすい球を投げようとか、そんな配慮はしないんですよ。3歳から5歳の間ぐらいのやんちゃ盛りの知能だけど、身体だけは小学校の高学年という状態ですから、もうとんでもないところにボールを投げるんです。私の頭の上を越えてくボールを投げて、「取ってこい」と言うんですね。
 私は「ちゃんと投げてよ」と言いながらしぶしぶ取りに行く。で、投げ返すんですけど、私も二年生ぐらいの時で、そう野球はうまくはないので、ワンバウン ドするような兄の捕りにくいボールを投げてしまうことがあるんですね。そうすると、兄の後ろに転がっていくボールを、私に「取ってこい」と言うんですよ。
 今度は兄がバッターになってボールを打つわけです。私がピッチャーで、守備も私一人です。とんでもないところに打って、それを私がまた取りに行かされる。兄の相手をするというのはそういう野球をするということなんです。

 印象的に覚えているのは、あんまり勝手なことをされて、たまりかねて兄も野球道具も放り出し、家に泣きながら帰ったことがあったんです。そしたら、姉は私に冷たくてですね、「なんでお兄ちゃんや野球の道具をほったらかして、自分一人で帰ってきちゃうの」と怒られたことがありました。
 姉なりに兄がいることでストレスを感じていたんでしょうね。私も兄のことでイジメにあったこともあります。「お前の兄ちゃんは」と言われたりして、それがいやでしたね。

 もう一つだけお話ししますと、父親が仕事から帰ってきた時に、兄が私にふざけてチューをしてきたんです。もともと兄のことは嫌いですから、お父さんの後ろに隠れたんですよ、「お兄ちゃんがチューしてくるからいやだ」と言って。そしたら、疲れて帰ってきた父親は「チューぐらいさせてやれ」と言ったんですね。それがすごくショックで。世の中に自分を守ってくれる人が誰もいないのかと、立ちすくんだことをすごい強烈に覚えています。
 といっても、私も5歳と3歳の子供がいまして、親の気持ちは今となればわからんでもないんです。二人の子供のうちどっちかが病気になったら、病気の子のほうがかわいいですよね。もう一人の子供にはちょっと我慢してくれって思います。

 だからといって、「僕はどうなるの」というのが、今でも心の底にしこりとして残ってます。そんな子供時代を過ごしました。

 兄が小学校の五年ぐらいの時だったと思うんですけど、家では兄の面倒を見れなくなって、入所施設に預かってもらうことになりました。子供をそういうところに預けるのは親としてつらかったと思うんですけど、私は内心ホッとしたというのがありました。けど、夏休みとかには兄が帰省するんで、同級生は夏休みだと喜んでいるのに、私は「ああ、兄ちゃんが帰ってくる」と思って、夏休みなどの長期の休みが嫌いだったですね。

 私が四年生の時に父親がガンで亡くなりました。母親はすごくこたえたと思います。兄は障害者だし、姉はまだ高校一年ですから、とても心細かったろうなと。
 でもそれは今だから思えることなんです。親になって初めて親の立場で思えるんですね。そのころは自分がつらいばかりで、そこまで気持ちが及ばなかったです。

 兄は知能も運動能力も後退するばっかりなんで、私が高校生になるころには、私のほうが体力で勝るようになりました。力ずくでケンカしても勝てるんです。それで私の中で気持ちの余裕ができはじめました。
 ところが、兄は私に負けると癪にさわってしようがないんですね。で、とことんけんかをやって興奮すると、発作につながるんですよ。「うーん」とうなって倒れるわけです。
 そうなると私の中にすごい罪悪感が生じてしまって、すごく心をねじ曲げられ続けて大人になったという気持ちがあります。このことで親を責められないし、兄も責めれないしということで、どこに自分の気持ちを向けたらいいのだろうか?という感じでいました。

 私はもともと内向的な性格なんですけど、兄の面倒を見るいい子でずっと育ってきたので、いろんなものを自分の中にしまい込んできて、何か抱えちゃっているのを、私なりに心の中にうすうす感じていました。

 自分の中のもやもやしたものは何かということに興味がありましたものですから、心理学の本を、普通の本屋に売っている本なんですけど、読むようになりま した。一番よく読んだのは、加藤諦三という早稲田大学の心理学の先生で、この先生も子供のころ親から心理的に圧力をかけられたということがあって、心理学に進んだという人なんです。この人の本を何十冊も読みまして、七十冊くらいまでは数えたんですけど、それから数えるのをやめてしまったというくらい、たく さん読みました。
 私が「何とかの心理」とか「悩みのなんとか」とか、そんなタイトルの本をいっぱい持ってるんで、母親が心配して、姉に「政道が変な本ばっかり読んでるから、様子を聞いてくれない?」と言って、姉から間接的に聞かれたこともあります。

 どうも私は、家族や兄を恨む気持ちを押し込めているということが解ってきて、その気持ちを否定せずにまず認めて、こういう気持ちを持っている自分を許そうと考えられるようになってから、ちょっとずつ兄への気持ちが変わってきたように思います。

 ところで、思春期以降の私の中で人生の目標は結婚でした。障害者の兄を持っている私は結婚できない可能性があるだろうなということをずっと思っていて、結婚することが目的というか、自分のコンプレックスの克服、人生に負けない象徴になっていたんです。

 中学の時に個人面談があって、「お前、何か悩みあるか?」と先生に聞かれた時に、私もそんなことを言うとは思わなかったんですけど、「兄がいるから結婚できるかどうかわからないです。それが心配です」と言ったんですよ。
 自分で言ったのもびっくりしたんですけど、先生もびっくりしたみたいで、普通そのあと嘘でも励ますじゃないですか。でも、何も言ってもらえなった記憶があります。先生もそんなこと簡単に言えなかったんでしょうね。

 今さら真意を確かめる方法はないんですけど、おそらく兄のことで女性に交際を断られたこともあります。友達に紹介していただいた女性がいまして、その親御さんと偶然会って、紹介を受けた次のデートでいきなり「もう会いたくない」と言われたんです。

 私は女性とつきあう時に、最初に「実はこういう兄がいて」という話を必ずするようにしていました。親しくなってから言って、相手を悩ませたくなかったので。
 結果としてよかったと思ってます。私と結婚してくれる人というのは兄のことを受け入れてくれる、障害者に対する偏見のない温かい人ということですから。運良く理解ある人にめぐり逢えて結婚して、二人の子供をもうけることができたことは本当に幸せでした。

 ところが、この結婚が私の人生のピークというか、有頂天の状態で、この半年後に地獄の底に落とされるような事件が起きました。それは母親の交通事故による死ということです。母親は交通事故を起こして5日間意識不明のまま亡くなってしまったんです。62歳でした。

 私は10歳の時に父親を亡くしていますので、これで両親を亡くしたということになりました。両親がいない、自分に親と呼べる人がいないというのは本当に孤独感を感じました。もう相談する相手がいないんです。わたしには姉がいて、確かに親身になって心配はしてくれますが、姉には姉の家庭がありますので、親のようには気にかけてくれません。当たり前のことですが。

 そのうえ今度は兄の保護者になったわけです。私は自分の人生を通して兄の世話をしていくということは随分前に割り切っていました。けど、いきなり保護者になるとは思わなかったので、さすがにショックでした。母があんなに早く亡くなるとはさすがに想像してなかったので。

 それまで兄の世話は母親が主で、私はサポートという形でした。実際には体力的に私がやるしかないことがたくさんあるので、私が付きっきりだったんですけど、母親がいた時は、なんだかんだ言っても母親が保護者なので、母親が「今度お兄ちゃんを連れて帰るから」と言えば、「わかった。じゃあ他の予定を入れな いようにしておくわ」というふうに、母親のせいにしておけたんですね、気持ち的に。
 ところが私が保護者になると、兄の面倒をみるという私自身が大変になる兄の帰省の日程を、私が決めなきゃいけないんです。それがすごくストレスになりました。

 他に母親が農業をやってまして、米作りです。これはやらなければならない。当然、家の長になりますから、近所づきあいもしないといけない。妻のほうの親戚づきあいも始まります。それから、会社では一応真面目に仕事をしていましたので、上司が私を評価してくれていて主任に昇格ができました。
 もともと夜は遅い仕事で、平日は9時10時が当たり前、土曜日もたまに出勤するという仕事だったんです。それなのに兄の保護者としての仕事とか、相続の問題といったいろんな雑用で土日がつぶされて、下手すると平日に有給休暇を使って雑用を片づけなくてはいけない。もちろん主任の責任で仕事はやらないとい けない。

 そんなことが一度に重なりまして、二年間なんとか持ちこたえたんですけど、だんだん仕事が滞り、責任が果たせなくなり、会社に行くのが恐くなりまして、いわゆる出社拒否になりました。

 もう少し具体的に言うと、「はあ~」と思いながら重い腰を上げて家を出て、車を運転してなんとか会社の駐車場までは行くんです。だけど、車の扉を開けて会社まで歩けないんですよ。どうしても歩けないんです。ドアを開けて、会社まで歩いて、あの席に座ると、いろんな電話がかかってきて、問い合わせに答えて、ということが頭の中でぐるぐる回り出すんですね。
 それで、公衆電話から会社に「一時間遅れます」という連絡をして、車で軽くドライブするわけです、気持ちを落ち着けようと思って。だけど、一時間後にまた駐車場に戻ってもやっぱり車から降りられない。

 そんなことを何度かくり返しまして、会社の保健婦さんに「会社に行けなくなってしまったんです」と相談したんです。その前から仕事がつらいという相談をしていたもんですから。
 そしたら、精神科を受診したほうがいいと。「精神科へ行って診断書をもらってきて、一ヵ月なり三ヵ月なり休むことを会社にちゃんと言ったほうがいい」ということでした。
 要するに、ちょこちょこ休んでいても気が休まらないから、まとめてどんと休まないと何にもならない、診断書をもらって長期の休みをとったほうがいいということです。そこで病院に行ってうつ病という診断を受けて、治療が始まったわけです。

 入院はせずに自宅療養となりました。初診の時に「入院したほうがいいけど、通院でやってみますか」とは言われました。ぎりぎりの線だったと思います。
 一年で延べ三ヵ月ぐらい休みました。続けて一番長く休んだのは一ヵ月ぐらいです。会社に行けるようになったかと思うと、また二週間ぐらい体調を崩して休んだりということが一、二年間続きました。会社の中で部署が二回変わったりしましたけど、今はやっと底をついて上にあがり始めたという感じです。

(お母さんの死がうつ病のきっかけですか)
 私の人生ががらりと変わりましたね。結婚することで兄の存在をなんとか肯定できるところまできていたんです。要するに有頂天になっていた時期なんですよ、結婚直後は。
 障害者の兄を持った私が結婚できた、私は自分の人生に勝ったと思いました。ハンデを乗り越えたと思ったんです。あとはもう普通に並の人生おくれれば丸儲けだと思ったぐらいで。
 そのあと母親を亡くして。もうだめですよね。やっと乗り越えたのにまた試練かと思いました。

(うつ病は治るのに時間がかかるんでしょうか)
 私の場合、原因がストレスであることがはっきりしているので、こういうタイプのうつ病は治りやすいのだそうです。
 ただ、うつ病は再発しやすいと言われています。治ったと思っては発病前の自分をイメージして昔どおりの生活をすると、再発してしまうようです。昔どおりということは「うつ病になるほどストレスを抱える生活を再度する」ことですからね。

(抗うつ剤で楽になるんですか)
 飲み薬は効き始めるまでに二週間ぐらいかかります。私は点滴を処方してもらったりもしました。点滴は点滴を打っている間にうとうとしてきます。神経がぴりぴりして、緊張感で張りつめたイライラ状態で点滴を始めたら、だんだんリラックスしてきて、眠っちゃうことがあるんです。そういう時は、もうろうとして帰りましたね。

(抗うつ剤で元気が出るんですか)
 いや、元気になるのではなく、落ち込まなくなるだけです。風邪をひいた人が風邪薬を飲むと元気になりますけど、元気な人が風邪薬を飲んでもさらに元気になるわけではないですよね。そういうことです。

(薬はいつまで飲むわけですか)
 私の主治医は「心の薬は十何年飲んでも身体はこわしません。そういう患者さんはいっぱいいます。でも薬局で買ってきた風邪薬を一ヵ月飲み続けたら、絶対に身体をこわします」と言ってました。そして、「薬をやめるなんてことは目標にしちゃいけませんよ」と言われたんです。
 心の薬は身体にあんまり負担がかからないんですよ。副作用は風邪薬に比べると断然少なくて、あるとすればのどが渇くとか、便秘気味になるとか、その程度のことです。

 私も薬を一生飲んでもいいと強がりを言ってますが、正直、やめられたらなあというのはあります。けれども、薬をやめよう、やめようと思って、いつも自分にプレッシャーをかけるんじゃ、かえって長引くだろうなあと思ってます。自分が決めることじゃないということですね。
 私の主治医の言い方だと、「薬を飲んで社会生活ができるのと、薬を飲まないけど社会生活できないのとでは、薬を飲んで社会生活できるほうが人生に価値がありませんか?」ということで、そのとおりだなあと思いました。
 ちなみに今は朝3錠、昼2錠、夜3錠、寝る前5錠飲んでいます。

(一生うつとつき合っていくということですか)
 これも私の主治医から言われたんですけど、「うつ病を慢性病として考えてみて、月に二回ぐらい薬を取りに病院へ行くぐらいなら、他の慢性病より楽じゃな いですか? 例えば、人工透析の人の苦労に比べたらどうですか? また、糖尿病のように厳しい食事制限がある慢性病と比べたら、楽なほうだと思えませんか?」と言われまして、おっしゃるとおりと思いました。でも早くすっ きり治って薬を止めたいというのが本音です。

(薬を飲んでいてもうつになることがあるんですか)
 睡眠薬が夜の薬にあるので寝つけるんですけど、プレッシャーがかかる仕事を抱えている時なんかは、朝早く目が覚めたり、2時ごろに目が覚めて、そのあと うつらうつらしかできないことがあります。早朝覚醒というやつですね。翌朝はもうろうとして、会社を休むことがあります。また、月に一度ぐらいは疲れがた まってしまって、会社に行っても仕事が手につきそうにない状態になることがあるので、そうなったら会社を休んでいます。

 まだうつとのつき合い方がわからなかったころは、「つらいので昼から出勤します」と電話していたんです。だけど、それだと結局午前中リラックスできないので、うつらうつらしながら昼から出社して結局仕事が手につかないか、昼に「やっぱり休みます」と連絡することになるんですね。

 仕事のほうでは、残業は基本的にしていないです。月に一度、もしくは二度、有給で休んで、あとは定時内、8時15分から5時までの仕事なんですけど、それならまあ普通にできるかなと。私のリズムとして、残業を続けて疲れると疲れが回復できなくなって、体調の波ができてしまうので、休まない代わりに残業も しないと。一ヵ月で働ける時間を安定させるようにしています。そうしたら、私の病状が安定してきているんです。気分の波はあるんですけど、表に出さない程度に仕事ができるかなあという状態には戻っています。

 体調の波はなるべく作らないほうがいいんです。よく、うつ病のことをよく知らない人が、「休養で会社を休んでいるのなら、気分転換に家族旅行でもしてき たら?」みたいなことを言われることがあるんですけど、実は、それは一番やってはいけないことなんです。無理矢理どこかに連れ出すというのは、うつ病の人には大変ストレスになりますし、仮に旅行中楽しめたとしても、気分がハイになって、その後にどーんと落ちこんで病状が悪化することがあります。とにかく体調の波を作らないようにすることが大切のようなんですね。

 先日、会社を休むと連絡した後に、昼ごろなって体調が安定してきて、仕事ができる感じがしたので、昼から出勤して無難に仕事をこなせたことがありました。自分の状態がつかめるようになってきたので、そういうことができるようになったわけです。なんとかここまで回復したという感じですね。

(自分でうつとわかるんですか)
 それはわかりますよ、思いきり落ち込んでいますから。ですから、うつの自覚はあります。ほんとにうつがひどいと返事もできなくなるんです。「調子はどう」と聞かれた時に、「調子が悪い」と言えるのはまだ元気なんですよ。しんどい時は答える気も起きません。


 うつ病の人が落ち込んでいるというのは、健康な人が落ち込んでいるというのと全然違うものなんです。これがあまり理解されないんで。たとえると腕が痛いとしますね。筋肉痛で痛いのと、骨折して痛いのとでは痛みが違います。でも、腕が痛いとしか言えないじゃないですか。
 うつのひどい時の落ち込みは、落ち込むとしか言えないんだけど、なんか別の名前をつけてほしいと思うぐらい違うんですよ。どう説明していいかわからないんですけど。やる気が出ないとか、気分が落ち込むとか、そうとしか言えないんですけど、健康な人の落ち込みとうつ病のそれとは全然違いますね。

 心の病気の場合、ぱっと見てもわからないですよね。たとえば骨折して包帯をぐるぐる巻いて固めていれば、相当ひどいなとわかるんですが、うつの場合は外見ではわからないし、普通の人が落ち込んでいても、うつの人が落ち込んでいても、同じように落ち込んでいるとしか見えないですよね。わかってもらえないのは仕方ないとあきらめました。

 うつの時は感覚がマヒしてます。それこそ白いものが黒く見えますね。悪いようにしかとれなくなってるんですよ。病状に慣れてきたので、今はうつだが今の感覚は本当のことじゃないんだと自分に言い聞かせられるようになりました。

 たとえば、書類を作って上司に見せたとして、「ここが間違ってるから直して」と返されたら、半日ぐらい仕事が手につかなくなることがありました。「ああ、間違えた。こんな自分は何もできないんだ」という自責の念が頭の中でぐるぐる回って、何も手につかなくなるんですよ。

 それとか、結果を確認してほしいという依頼の仕事があるじゃないですか。たとえば「1+1だから2になるはずだけど、チェックしてみてくれる?」という依頼で、ところが「1+2」とあって、3になるんです。そうなるともう報告に行けないわけです。誰がやったって3なんですけど、上司が嫌うだろうなと思う と行けなくなっちゃうんです。
 今だったらそんなことを気にする必要がないことはわかるんですけど、その時は上司の嫌がることを報告しなければいけないと思うと、もうだめですね。自分が悪いんじゃないかみたいな、妄想に近い感じになるんです。

 私は自殺願望まではなかったですけど、何かの拍子でひと思いに死ねないかなというのはありましたね。自殺するといろんな人に迷惑をかけるからできないけど、歩いていて車がはねてくれないかなとか、そういう気持ちにはなりました。

 うつは波があるんですけど、気分が一回上がって下がり始めたところが自殺の危険が高いそうです。元気が出てきて、「ちょっと散歩に出かける」と言って、その途中でうつになって、たとえば線路脇にいたらそのまま線路に、ということがあるそうです。
 アナウンサーの小川宏さんもうつ病になったんですけど、小川さんは遮断機の前で飛び込みそうになって、電車が通りすぎる音で我に返って崩れおちて、そこから病院へ、と小川さんの本にありました。

(うつの時は楽しいことも楽しくないんですか)
 楽しくないです。たとえば、砂をかむような味と言いますよね。うつの時においしい料理を食べても、本当に砂をかんでいるようなんです。味がしないんですよ。「ああ、これが砂をかむということなんだなあ」と思いました。

 新聞を読んでいても、ただ文字を追ってるだけで頭に入ってこないとか、テレビを見ても、ぼうっと画面を見ているだけで内容がわからないとか。
 一番の興味はどうやったら病気が治るかということです。この苦しさからに救ってほしいという。

(うつ病の人にどうしてあげたらいいんでしょうか)
 それはお医者さんに聞いていただきたいんですけど、何かしてもらうというのはかえって負担に感じるんですよ。だから何もしてもらわないほうがいいんです。基本的には休養させてあげるということですね。休んでいるしかないんですよ、要するに。疲れがたまっていると考えたらいいんです。だから休むしかない んです。

 しんどい時は寝かせてほしいですね。いつまで寝ていてもいいです。部屋を真っ暗にして布団をかぶって寝ているのが一番楽です。私は疲れた時はとにかく寝ています。寝つけなくても横になっています。

 うつ病とノイローゼとの違いは、うつ病はエネルギーがなくなっている状態。ノイローゼはエネルギーはあるけど、注意の向けているところがおかしいと聞いたことがあります。ノイローゼの典型的なのは対人恐怖症とか不潔恐怖症ですね。これは身体のどこかが悪いんじゃなくて、注意が異常なところに向いているんだそうです。

 ノイローゼの治療法として有名な森田療法では、うつ病とノイローゼの違いを判断するために、一週間何もさせずに寝かしておくんだそうです。ノイローゼの人は何もすることがないと、暇でしようがなくなって、何かやらせてほしいと思うようになるんですけど、うつ病の人はただ疲れているので、いつまでも寝てい るそうです。

(奥さんはうつ病になったことをどう思っていましたか)
 ありがたいことにそういうことに強い人でした。あまり気持ちを内にためないタイプなので。会社に行かないことは心配だったと思いますけど、先回りして心配するタイプではないんですね。「しんどいから今日は会社を休んで寝てるね」と言ったら、「ふーん」でおしまいです。だから楽です。本当は心配で言いたいこともあるんでしょうけど。
 でも、「どうして今日は落ち込んだの?」と原因を追及されても困るんですよ。ごく当たり前のことでも、過敏に反応してうつになる場合があるんで、原因がどうとか追求したところで解決はしないんです。
 だけど、うつがひどい時に「会社を辞めようと思う」と言ったことがあって、さすがに泣き崩れました。子供がわけもわからず妻をつついていて、「ああ、修羅場だなあ」と思いましたね。で、辞めるのを撤回したんですけど、「すぐに撤回することを口にしたのか」とまた怒られました。

 妻とはお互いにないものを補っている感じです。私はどっちかというと内に向くタイプですが、妻は社交的で外に向かっていくタイプなんで。宗教についても妻は全然わからないと言ってます。だからいいんだと思うんですよ。妻と宗教の話で意見が違ったら大変なことですから。
 兄のことも全然気にせずに接してくれていて、兄のほうがうつ病の私よりもよっぽど扱いやすいと言ってます。そういうことを気にしないので、ほんとに感謝しています。頭が上がらないなと思ってます。

(お兄さんはどうしていますか)
 今も兄は施設で生活してます。一人で生活できないですから。自分の立場はそれなりにわかっていて、私が保護者だというのも一応わかっています。施設に面会に行くと、「今度いつ帰れる?」とか「いつ迎えに来てくれる?」といったことをよく聞くんです。家に帰ることが一番の楽しみなんですね。

 保護者が兄弟の場合、家に連れて帰らない人もたくさんいるんですよ。入れたきりで。親と違うんですね。自分の家庭ができると、そっちが優先になるんでしょう。

 私の場合は妻の理解もあって、二ヵ月に一回程度帰省させることができます。母がいた時には、たとえばゴールデンウィーク等の連休だったら、兄をずっと家に帰すことができたんですけど、今は三日ぐらいしか家に帰せません。
 私はただでさえ神経が参りやすいのに、二十四時間、兄といるのはかなりのストレスになるんです。いつ発作が起きるかわからない、どんないたずらするかわからないということがありますので、寝る時も兄の横で寝ています。
 それに兄に朝の薬を4時にやらなくちゃいけないんですが、私は睡眠薬を飲んで寝て、それなのに朝4時に起きなければいけないというのはかなりこたえます。それを二晩やるとくたくたになっちゃうんです。
 だから母親が亡くなって、お互いに苦労をしよう、お兄ちゃんも休みが半分、私も半分ということにさせてもらっています。

 兄は年をとったんですかね、体力的にだいぶ衰えましたし、気持ちが落ち着いてきましたね。昔のような気性が荒いということはなくなりました。時々悪さはしますけど、昔のようなひどいことにはならないです。ものを壊すとかいうことはしないです。


   2、 歎異抄の救い

 『歎異抄』との出会いについてお話しさせてもらいます。

 私が10歳の時に父親が亡くなりましたが、その前後に『正信偈』のお勤めをする習慣が家にありました。これは真宗の教えとは違うんですけど、亡くなる前 は「病気が治りますように」という思いをこめて、亡くなった後は「成仏しますように」という思いをこめて毎晩お勤めしてました。
 私の家は順慶寺さんというお寺の門徒なんですけど、月参りにお見えになる住職さんのお顔も存じ上げておりましたし、子供のころから仏教を近い存在には思っておりました。

 仏教は自分から求めて勉強しました。学生時代だと思いますけど、何かのきっかけで家の宗派は何だろうという疑問を持ったからです。母親に「うちの宗派って何?」と聞いたら、「本願寺よ」って言いましてね、「本願寺というのはお寺の名前で、宗派じゃないんじゃないの?」とさらに尋ねたら、「本願寺といったら本願寺」と。それ以上知らないものだから怒って。

(お母さんは真宗の教えに関心はなかったんですか)
 いや、全然。教えには全く縁がなかったですね。仏壇があって、『正信偈』はあげていましたけど、お経に何が書いてあるかも知らないし、宗祖が誰かも知らないし、何も知らない。仏教というのはお葬式をあげてもらうもんだぐらいにしか思っていなかったですね。仏教は生きている人のためのものだという感覚はまるでなかったです。

 それで自分で調べたんですけど、家の宗派は真宗大谷派で、宗祖は親鸞聖人という方で、経典が浄土三部経だということがわかりました。

 もともと心理学とかの本を読んでいたように、自分の内面を見つめることに興味があったので、本屋さんに行って、一番簡単そうな『マンガ親鸞入門』というのを見つけて、その横に『歎異抄入門』というマンガがあったので、その二冊を買い求めたのが最初の出会いです。

 『歎異抄』を読んで、不謹慎な言い方かもしれませんけど、読み物としてこれは面白いなと思いました。750年前に書かれたものなのに、なんか目の前で親鸞聖人が語られているような臨場感があるのと、逆説を使ってびっくりするようなことを言って、実はこういう意味なんだよと説明するのが、とても面白いなあと思いました。
 ただ、そんなに深くは読まなかったですね。その時はそれで終わりました。それほど求めていたわけではなかったし、私の中では心理学を勉強することで何とか自分を取り戻している感覚があったものですから。うちの宗派はこういう教えで、興味が持ててよかったなというぐらいでした。

(宗教やお寺への抵抗感はなかったのですか)
 私が大学時代にちょうどオウム真理教の人気が一番あったんですけど、新興宗教は私の世代にばっちり合っているんですよ。変な期待があって、新興宗教にとびついているんですね。だから新興宗教に走った友達もたくさんいました。

 創価学会に入った友人がいますけど、家は浄土真宗なんです。彼は、浄土真宗というけど、クリスマスもやるし、初詣に神社へ行くし、こんなの宗教としておかしいんじゃないのって思ってて、知り合いの創価学会の方に勧誘を受けたんです。創価学会の方は勉強されてるんで、友人は納得しちゃって、浄土真宗を顧みることなく入信したというわけです。

 だけど、どうしていきなり新興宗教に入るのか不思議な気がしますね。私はまず基本をちゃんと押さえようというタイプなんです。新興宗教もいいかもしれないけど、まず自分の宗派ぐらいちゃんと知っておいて、それがおかしいと思ったら行くべきじゃないかと思うんです。それで家の宗教から調べようという気になったわけです。ただ、そのころは独学で勉強しただけで、お寺に足を運ぶまではいってないです。

 うつ病になってから『歎異抄』を読み返そうと思ったのは、こんな自分はだめなんだと思って、自分で自分を苦しめている中で、ワラにもすがりたい気持ちで何もかもまかせられるものがないか、何か支えてくれるものはないかと探していたら、手にかかったのが『歎異抄』だったという感じなんです。
 そういえば『歎異抄』という本はとても気持ちを楽にさせてくれたなと思い出して、『歎異抄』を通じて知った親鸞聖人の教えをもう一回深く読み込もうという気持ちになったわけです。

 簡単に言うと、うつの人は休むことが大事なんです。うつ病という病気は、治そうとか、早く治りたいとか、あせればあせるほどどんどん治りにくくなるんですよ。何とかしようと思うと、ますます苦しくなるわけです。だから、とにかくまっさらにして、リラックスすると治る方向に向かうんですね。身体を休めると身体が治っていくようなもので、気持ちの緊張感を解くことが大切なんです。

 「まかせる」「仏さまにおまかせする」と、よくお坊さんが言われるんですけど、鬱々として何ともならんなあという気持ちの中で『歎異抄』を読むと、何にもしないでまかせるという感覚を読みとってリラックスできたということです。

(真宗の教えのどこに惹かれたのですか)
 真宗の教えは何か挫折するきっかけがないと向かないというか、プラス思考で、世の中のために何かやりたい、自分の完成を信じてがんばるんだ、私は間違っていることをただしていくんだとか、そういうことを思ってる人が『歎異抄』を読んでも、「念仏しとればいい」と書いてあるだけなんで、たぶん物足りないというか、魅力を感じないと思うんですよ。そういう人は自分の力でなんとかできると思っているわけですから。救われるとか、まかせることで楽になるんだと言っても、わかってもらえないかもしれませんね。

 聖道門といって、自分の力で修行して仏になるという教えだと、自分の中に仏がいて、がんばって心を磨いてその仏を完成させようとするんですけど、エネルギーのある人は念仏の教えよりそっちのほうに惹かれると思います。それは正しいとか間違っているとかではなくて。
 だけどもそういう宗教だと、規範意識というんですか、修行の結果こうならなければいけないという理想とする形があって、その目標に近づこうと自分で努力 していかないとだめなんです。ところが融通の利かない人がそっちの教えに入っていくと、どんどん自分を責めていって、うつ病になった人がいるくらいなんで す。

 心理学や自己啓発の本によくこういうことが書いてあります。
「コップに半分水が入っています。これを見てあなたはどう思いますか。
①コップにはまだ半分水がある。
②コップにはもう半分しか水がない。
解説 ②と答えたあなたはマイナス思考です。物事のプラス面に目をやり、前向きに生きていきましょう」

 こういった「マイナス思考はいけない。プラス思考でなくては」という常識が、多くの人を苦しめていると思うんですよ。マイナス思考の自分はだめなんだ、プラス思考にしなくてはと。でも、できないんですね、性格だから。

 うつ病の主婦の方で、夕方の献立が決まらないということがあるそうです。こんな献立にしたら夫から何か言われるんじゃないかとか思いこんで、決断できなくなるんです。時間がすごくかかって、だけど時間までに作らなくちゃいけない、ご飯ができないと夫に怒られる。
 だから二重のストレスなんですよ。決めることができないし、間に合わなくなることも恐いしというふうに、自分の中で八方ふさがりになるんです。
 ひどい時は人生の一大事に感じるんですよ。夕飯が間に合わないと私の人生は台無しになるという気分になるわけです。すごく重要なことに思ってしまうんですね。食事を作らずに外食してもいいわけなんですけど、そういう発想にはならないんですよ。

 自力で修行をする聖道門の教えだと、いいことをしなさいと言いますから、つらくても一生懸命にがんばっていい料理を作りなさいという指導になっちゃうんですよ。つらい時に休めということがない。

 真宗なら念仏するだけだから、何もできない時は「今日は何もできません」と手を合わせれば許していただけるはずです。そのままの自分をあずければいいので。

 まず自分の肯定というか、覚悟と言ったほうがいいと思うんですけど、つらくても自分を認めるところから始めるということですね。変わる必要はないので、自分が悩みやすいなと思ったのなら、悩みやすい自分でいいやと受けとめる。ここからということです。

 ですから、自分のやってることは正しいだろうかと自信のないマイナス思考の人は、「ただ念仏」という浄土門の教えが必要じゃないかと思います。ましてう つ病の人みたいに、自分自身さえもなんともならないという絶望の中にある時、「念仏だけで救われるよ」と言ってもらうと、念仏を称えてすべてをまかせよう という気になるんです。

 それとですね、救われるということを理屈なしに信じさせてほしいんですけど、『歎異抄』を読むと、苦しんでいる親鸞聖人が法然上人に救っていただいた シーンがイメージできるじゃないですか。修行しても悩みに悩んで、全然気持ちが落ち着かない、悟りが開けない、そんな親鸞聖人が法然上人のところに行っ て、「苦しいんですが、どうしたらいいでしょうか」と聞いたら、「念仏を称えなさい」と優しく言われたわけですね。
 私の感じなんで違う読み方をする人もいると思いますが、親鸞聖人は理屈じゃなくて、法然上人の人格に触れて、「この人を信じよう」と思ったのかなあ、法然上人に言われたから信じたんで、他の人だったらどうだっただろうかという気がします。

 そして、親鸞聖人が「私は法然上人の言われることを信じるだけで、だまされて地獄に堕ちてもかまわない」と言われているんですけど、私も『歎異抄』を読むと同じような気分になれるんです。

 私が親鸞聖人になって法然上人に救われているイメージが湧いて、それを擬似体験することで、「私もだまされていい。まかせよう」という気持ちになって、 楽になる感じが味わえるというか。表現が下手ですけど。そういう気分が味わえたので、すがるような気持ちで『歎異抄』を読んで、念仏を称えたということで す。

 『歎異抄』は親鸞聖人が話されたことを弟子の唯円さんが思い出して書いたものなんですけど、親鸞聖人と唯円の関係も似てますね。唯円が「念仏を称えても喜びがわいてきません」と正直に言ったら、親鸞聖人が「私も同じですよ」と優しく語りかけてくれる。
 あの個所を読んでいると、唯円になった気になるんですよ。こんな自分でもちゃんと仏さまは見てくれてて、救ってくれるから大丈夫だぞと、親鸞聖人が言ってくださるという感じがするんですね。

(親鸞聖人にとっての法然上人みたいな人がほしくないですか)
 そりゃほしいですよ。憧れます。もしもああいう人がおられたらどんなにいいだろうかと思いますよ。本当に私の気持ちをくみ取ってくれる人がいれば、それに越したことはないですけど、現実は難しいんだろうなと思います。擬似体験だから完全な人として思い浮かべられるのかなあというところがあると思います。

 まかせることができる人間というのはなかなかいないと思いますし、そんな人がいたらある意味で危ないかもしれませんね。まかせるのは教えにであって、人間にまかせたらおかしなことになると思うんです。

 それはどういうことかと言いますと、たとえばオウム真理教の信者と麻原彰晃のことです。オウムの信者は麻原を最終解脱者として絶対視していたわけでしょ う。親鸞聖人が「法然上人にだまされて地獄に堕ちてもかまわない」と言ってますね。似たようなとこがあると思うんですよ。だけど、オウムの信者のだまされ 方と親鸞聖人のだまされ方は明らかに違うと思うんですね。

 麻原とオウムの信者の場合、麻原は信者に現実から目を背けさせることで信者を獲得したわけです。信者は現実(=自分)の問題に向き合うことがつらいの で、麻原の答えに飛びついたということです。つまり、信仰で現実を見る目を覆ったんですね。そして、麻原の言うことは真実だからというので、つらい現実 (=不完全な自分)から目をそらしても当然なんだとしたわけです。だからこそ、信者にとって麻原はあくまでも真実でなければいけないんですけど、それはお かしいですよね。

 それに対して、親鸞聖人は信仰によって現実(=不完全な自分)に向き合い、現実を見つめたんだと私は思います。そして、現実の自分のままで生きていくことを決断したんじゃないかと思うんです。

 私は信仰とは現実を見つめる勇気をくれるものだと思っています。信仰は真理、真理と叫ぶことじゃなくて、日常の些細な問題を処理していくことだと思います。迷っている時に、こうすればいいと答えを用意されたら、私だって飛びつきたくなります。だけど、日常から目をそむけて夢を見ようとするなら、オウムの信者と変わりませんよね。

 現実(=不完全な自分)から目をそむけることができないことが親鸞聖人の苦悩なんで、その親鸞聖人の苦悩の深さと私とじゃ比べられないですけど、私はそんな親鸞聖人に共感を抱いています。

 私は自分が救われたいだけの人間なので、たとえオウムであっても無責任に人の信仰の批判は本当はしたくないんですよ。

(ですけど、『歎異抄』を読んで擬似体験するよりも、現実の人間のほうがいいとは思いませんか)
 医者は薬を処方して治そうとしてくれるわけです。薬を飲んだら治ると言われているけど、今のこの苦しみを何とかしてほしいと思うわけですよ。それで何かにすがりたいんですね。しかし、人間ではどうすることもできないんです。

 たとえば、会社に私より先にうつ病になった後輩がいて、つらい時に横に座っててもらったことがあるんです。ほんとは仕事中なのでいけないんですけど、 「つらくて呼んじゃったんだけど」と言って、愚痴を聞いてもらうんです。横にいるだけで、その人に何かしてもらえるわけではないんですけどね。
 彼がつらい時には、私が横に座っているという時もありました。私がちょっと調子がよくて、彼が何かのきっかけで落ち込んでいる時に、「大丈夫か?」と横 に座っているんです。つらいのは想像できる、自分も経験あるからわかるけど、何もしてやれんなあ、という感じなんですよ。うつ病は時間が薬なもんですから、何もできないんですね。

 でも、『歎異抄』はいつもふところに置いとけるし、『歎異抄』を読めば救われている唯円さんになるイメージが持てますよね。『歎異抄』の文章によってイメージがふくらみ、イメージの中で丸ごと救ってくださる感覚を味わうことができるんです。

(横にいてくれる人がいるということだけで楽になるわけでしょう)
 それはそうなんですけど、誰かにずうっと横にいてもらうわけにはいかないじゃないですか。ほんとは一緒にいてほしいけど、それはできないし。

 それにカウンセリングをしてもらっていたって、そういうことは言ってほしくないということをカウンセラーから言われることがあるんです。まして普通の人だったらなおさらですよ。
 たとえば、うつ病の人に絶対言っちゃいけないのは、「がんばれよ」とか「気にするな」ということなんですけど、なんの気なしに言う人がいるんですね。私 だって言ったことがあったと思います。相手の立場に立ったら言っちゃいけないんだけど、その本人の気持ちを完全にくみ取ることはできませんから。

 先生と言われるような人だって生身の人間ですから、機嫌の悪い時もあるでしょうし、こんな人と思わなかったという時もあるし。それも含めて尊敬できればいいんでしょうけど。

 ただ、私は『歎異抄』を独学でしか読んだことがないので、私の理解は正しいのかどうかということが疑問でしたし、一人で『歎異抄』を読んでるのはやはり 寂しいので、話し合うことのできる人がほしいと思いました。それと、うつで苦しかったものですから、苦しみを誰かに聞いてほしいという気持ちがあって、順 慶寺さんのところに行ったわけです。そして、「私はうつ病で悩んでいて、『歎異抄』を読んで救われている気がするんですが、お話を聞かせてほしい」とご相談したんです。
 何回か通わせていただいて、いろいろ教えをいただきました。そうしたら、「じゃ、今感じているままを文章にされてみたらいかがでしょうか」と勧められたんです。

 素人が書いちゃいかんかなあとか、こんなことを書くのはえらそうかなという気持ちは正直ありました。ただ、どこで止めていいかがわからなかったものですから、自分の思ってることを全部書いちゃえと思ったわけです。
 とにかく間違っているかもしれないけど、自分の理解したままを書いた文章を順慶寺さんにお見せしたら、「よく読まれてますね」とほめていただき、「ここはこうですよ」と教えていただきました。そうこうしているうちに、ご住職が「ちゃんとしたものを作りましょう」とおっしゃられて、「うつ病の私、歎異抄の救い」という冊子ができたということです。そしてこの冊子が縁となって、こちらでお話をするようになったわけです。

 中身は順慶寺のご住職に監修していただいたので、大きな間違いはないはずなんですけど、私は仏教的知識をちゃんと勉強したわけではないので、仏教の言葉の定義が間違っているとかですね、文章のプロではないので、文章の言い回しが変だとは思います。

 だけど、私としてはこの「うつ病の私、歎異抄の救い」というタイトルにだけ目にとめていただければいいと思ってるんです。緊張感でがちがちになって何か にまかせたいと思っているうつ病の方がリラックスでき、気持ちをあずけることができる対象をどこかに求めた時に、『歎異抄』を読まれたらどうかなあと。 『歎異抄』に関する本はたくさん出ているので、どれでもいいから読んでほしいなという思いで、「うつ病の私、歎異抄の救い」というタイトルにしたわけです。それだけなんですね。中身なんかどうでもいいと言ったらなんですけど、タイトルに誰かがひっかかって歎異抄を手に取る縁になってくれたらと思っていま す。
 どうもありがとうございました。

(2004年9月25日に行われましたひろの会でのお話をまとめたものです)

追記
 円光寺様に私がお話したことを文章に書き起こしていただきましたが、文章になった自分の発言を読んで、少しばかり自己嫌悪に陥り、
「自分を悲劇の主人公にして、不幸自慢をしているなぁ」
「わずかに知っていることをひけらかしているなぁ」
「ちゃんと勉強したこともないのに、えらそうなことだなぁ」
と感じました。
 たとえて言いますと、自分の裸をその場だけ見せたつもりが、写真になって公開されるとなると、腹の出ているのが気になって、私の裸の写真を見た人に、
「私は腹が出ていて見苦しいですよね」
と言い訳をしたい気持ちです。
 なんとも落ち着かないので、この追記を載せていただくことにしました。お許しください。

                                            落合政道