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浅原才市
『大乗仏典 中国・日本篇 28 妙好人』中央公論 文字を変えているところがあります |
こんな煩悩さんよい
お前のおかげで わしゃの
如来さんに 如来さんにしてもらうよ
こんな煩悩さんよ
平生に臨終すんで 葬式すんで
わたしゃ あなたをまつばかり
臨終まつことなし 今が臨終
なむあみだぶつ
当流の安心は
善いのがでても それをよろこぶじゃない
また悪いのがでても それをくやむじゃない
ただ仰いで 頭をさげ 尊むばかり
地獄地獄と 口ではいえど
こころ一つにならぬからよの
こころ一つになることは
はいといただくばかりよの
才市 極楽どこにある
こころにみちて 身にみちて
なむあみだぶつが わしが極楽
わたしゃあなたに楽しまれ
衆生済度をさせてよろこぶ
なむあみだぶつ
あなたのこころ わしになり
おのずと知られる なむあみだぶつ
他力には 自力も他力も
ありわせん 一面他力
なむあみだぶつ
あさましあさまし
如来さんとおるのがいちえ(一番よい)
あさましのがわかって
目に見えぬ 慈悲が六字の なむあみだぶつ
それがぶつぶつゆうて催促
なむあみだぶつ
風と空気は ふたつなれど
ひとつの空気 ひとつの風で
わしと阿弥陀は ふたつはあれど
ひとつお慈悲の なむあみだぶつ
わたしゃ 苦なし なんの苦もない
なむあみだぶつ
それでもこんな さいちさん お前は
苦がなんぼでも くよくよ起きようがの
ありゃ 苦ちゅもんじゃない
ありゃ 煩悩ちゅもんだ
煩悩はなんぼ起きてもよろし
いまわしが 苦なしということは
往生の苦を取ってもうろうたで
わたしゃ 苦なし なんの苦もない
なむあみだぶつとゆうて よろこんだのよ
あなたこころが わしのこころになって
念仏もうす
うれしや なむあみだぶつ
地獄には死んでからおちるじゃない
いまおちる あさまし あさまし
慚愧 歓喜のなむあみだぶつ
聞いてたすかるじゃない
たすけてあるを いただくばかり
このさいちもな おお おありがとうあります
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
人のふり見りゃ みなほとけになる いわれ
わしのふり見りゃ みな地獄 あさまし あさまし
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶは 苦をよろこぶたね 苦楽のたね
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ なむあみだぶ
死ぬること まよいなり
死なんは 浄土なり
これが楽しみ
なむあみだぶつ
ほとけのこころ わしに来て
わしをほとけにするこころ
なむあみだぶつと申すこころよ
法は苦が楽しみ それが苦なしの なむあみだぶつ
それは さいちは 邪見ではないか
そうそう
お前らが聞くのは その通り
お前らには何を言うても わからん
お前らは理屈でつめておるから わからん
そりゃわからんはずよ
自力で他力を聞いておるから わからんはずよ
如来さん
あなた わたしに身をまかせ
わたしゃ あなたがたより なむあみだぶつ
このさいちは まことに悪人でありまして
口の幅が二寸の幅で
嘘を言うて 人をだますと思うておりましたが
そうではのうて
わたしはまことに悪人でありまして
世界のような大けな口をもって
世界の人をだましております
わたしゃ世界に余った悪人であります
あさまし あさまし あさまし あさまし
あさまし あさまし あさまし あさまし
あさまし
世界をおがむ なむあみだぶつ
世界がほとけ なむあみだぶつ
さいちよい
へ
他力を聞かせんかい
へ 他力自力はありません
ただ いただくばかり
海には 水ばかり
水をうけもつ底あり
さいちには 悪ばかり
悪をうけもつ阿弥陀あり
うれしや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
わたしゃ忘れても
忘れぬ親がおるゆえに
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
悪に悪をかさねて 娑婆でもつくる
あさましいとは みな嘘よ
お そうだ お そうだ わしがな みな悪だ
よいも悪いも みな悪だ
なむぶつは わしの機ざまの見える
鏡で あさまし あさまし
よう見える
いま死んで まいるところは
なむあみだぶつ
死ぬる寿命をもろたが うれし
いんま まいる なむあみだぶつ
如来さん あなた わたしになりきって
わたしゃ ご恩の念仏で
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
さいちよい うれしいか ありがたいか
ありがたいときゃ ありがたい
なっともないときゃ なっともない
さいち なっともないときゃ どがあすりゃ
どかあも しようがないよ
なむあみだぶと
どんぐりへんぐりしているよ
今日も来る日も やあい やあい
そりゃそりゃ また出た また出た くよくよが
くよくよ 出たけりゃ出え
出てもつまらん われがな おそい
わたしゃ しやわせ
機法一体 なむあみだぶつにしてもらい
ご恩うれしや なむあみだぶつ
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