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 酒井 義一さん「親鸞は生きている」 
2010年8月3日

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 東京からまいりました酒井と申します。私は住職になって二十数年になりますが、人と出会うのが住職の仕事ではないかと、最近考えております。出会った方と一緒に親鸞聖人の教えを学ぶ。何も難しい経典を勉強しようというのではありません。
 教えを学ぶとはどういうことなのでしょうか。
 今日は大変暑い日です。のどが渇きますね。のどが渇くと、自然と冷たいものに手が出るものであります。人間はうるおいを得ようとします。のどが渇いている者が一杯の冷たい水を求めるように、心の渇きとか、心の中のすきま風を感じた時には、うるおいを求めずにはおれないのが人間です。うるおいを求めることが教えを学ぶことに通じていくのではないかと思います。

  2 

 暑い夏を迎えると思いだす言葉がございます。
「ケイ蛄(けいこ)春秋を識らず、伊虫(いちゅう)あに朱陽の節を知らんや」
 これは曇鸞大師の言葉です。曇鸞大師は中国の僧侶でありまして、たとえ話の上手な方です。
 ケイ蛄とはセミのことです。セミは春や秋を知らない、どうして今が夏(朱陽の節)だと知ることができようか、という意味です。
 セミは夏の生き物だから、夏のことは詳しいと私たちは思っています。しかし、セミは7年間、地中で生活します。そして、夏になって地上に出てきて、一週間で死ぬと言われています。ですから、セミは春や秋を知りません。
 たとえば、桜が満開の景色を見ることはありません。秋になって木々が色づき、葉っぱが落ちていくことも知りません。冬に雪が降り、つららが垂れ下がる光景を見たこともありません。なぜなら、そのころは地中にいるからです。春や秋や冬を知らないセミがどうして今が夏だと知ることができるでしょうか。

 これはたとえ話です。セミとは私たちのことです。では、春夏秋冬は何のたとえなのか。そのことを考えてみたいと思います。

 夏を自分と置きかえ、そして春や秋を他者と置きかえてみてください。私は自分のことを何でもよく知っていると思っています。自分の姿形は知っているかもしれません。しかし、それは鏡に映った私の姿を知っているのであって、後ろ姿とか上から見たらどう見えるかはわかっていません。まして、私につながる他者のことを知っていると言えるでしょうか。
 同じ屋根の下で生活している家族がどんなことを考えているかを知ってるかと考えてみますと、意外と近くにいる者の心が見えていないということは私たちの日常によくあることではないかと思います。隣にいる人の心が見えないのに、どうして自分の心がわかっていると言えるでしょうか。これがたとえの一つです。

 それから、他者と言いましても、さまざまな他者がいまして、たとえば現在の日本を支えているアジアの人と置きかえてみると、また違った意味合いに響いてきます。
 日本人が食べているバナナは多くがフィリピンから輸入されています。フィリピンではバナナ畑に大量の農薬を使っています。その農薬を浴びながら労働しているのは最下層の人々です。
 つまり、我々が何気なく食べている食べ物一つをとってみても、その裏側には見えないところで私たちのために苛酷な労働を強いられている人たちがいる。アジアに生きる人々と日本に生きる私とたとえることができます。

 それから、夏を楽しみとか、心地よいことと置きかえてみてください。人間は楽しいことが大好きであります。自分の身を喜ばせようとして一生懸命なのが私たち人間であります。旅行に行くとか、おいしいものを食べるとかが大好きです。私たちは楽しいことや心地よいことを自然と求めるものです。
 しかし、その反対に悲しみや苦しみに出会うことも、私たちの人生にはたくさんあります。その時は何とかして悲しみや苦しみをそらそうとする。そして、夏を求めようとする。しかし、そのようなあり方で自分が見えていると言えるのか。楽しいことや幸せだけで自分だと言えるのか。
 私たちが体験する苦しみや悲しみには意味があると言われています。苦しみの意味を知らずにどうして私は自分のことを知っていると言えるでしょうか。こういうふうにも曇鸞大師の言葉は聞こえてきます。

 それから、私と仏様との関係。仏像のような姿をした仏様がどこかにいるというわけではありません。仏様とは人間を目覚めさせるはたらきを言います。時代社会の中でなすべきことをせずに、昼寝でもしているような私たちに、仏様は「さあ、起きなさい」と揺り動かして私たちを目覚めさせる。それを仏様と言います。
 仏を願いという言葉で置きかえてもいいのではないかと思います。「酒井よ、人間として生まれた以上、知るべき世界を知り、見るべき世界を見て、人間として、この私として生まれてよかったと言える人生を歩んでほしい」という願いが私たちにかけられています。
 しかし、私たちは我々にかけられているそのような願いを知らない。背を向けています。本当の願いを知らないで自分のことを知っていると言えるでしょうか。つまり、私たちには出会わなければならない世界がある、知らなければならない現実がある、ということを教えるのが、「ケイ蛄春秋を識らず」という言葉だと思います。

 我々がどういう世界を知っていくべきなのかということを、今日はお話ししたいと思っております。

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 親鸞聖人は七百五十年前に亡くなられた方であります。今を生きる私にとって親鸞聖人はどういう方なのかということを、いくつかの視点を通して考えてみたいと思います。

 一つ目は「殺意の隣にいる親鸞」です。

 今年7月に、大阪で三歳と一歳の子どもを育児放棄して死に至らしめた女性が逮捕されました。このニュースを見ていて、以前に聞いたこういう話を思いだしました。
 祖父江文宏さんという、大谷派の僧侶であり、暁学園という児童養護施設の園長さんをされていた方がおられました。親と一緒に生活することができない50人の子どもたちと共同生活をされていたんです。
 祖父江さんは児童虐待に取り組まれていました。子どもたちは虐待を受けると、そのことを乗り越えることが難しい。弱者である子どもたちをサポートするという形で、虐待防止に取り組んでおられたんです。そして、祖父江さんは虐待をしてしまったお母さんたちのその後を見ていかれたんですね。
 子どもを殺してしまったあるお母さんに祖父江さんが面会に行った時、そのお母さんがこう言ったそうです。「団地の公園はなぜ団地の谷間にあるのでしょうか」と。最初は意味がわからなかったそうです。

 このお母さんは夫と赤ちゃんとの三人暮らしでした。お父さんは朝早くに家を出て、夜遅く帰ってくるサラリーマンです。赤ちゃんの夜泣きがすごかったんだそうです。泣きやまない。夫は疲れて帰ってくる。朝は早い。「何とかしてくれ」と言われて、お母さんは赤ちゃんを連れて夜の公園に行きます。ところが、公園でも泣くんですね。泣き声が団地中にこだまする。公園は建物の間にありますから、明かりが一つ、二つとついてくる。どこにも行き場所がない。そういう日をくり返していたある日、赤ちゃんの顔に枕を押しつけてしまい、赤ちゃんは死んでしまいます。

 こういう話を祖父江文宏さんからお聞きしました。祖父江さんは「子どもを殺した親など生きる資格がない」などとは言われません。子どもを死なせたお母さんがどうやって救われていくのかを考えていかれました。

 今回の育児放棄の事件もそうです。二人の子どもを殺してしまった母親について、テレビのコメンテーターは「本来、母親になってはいけない女性が母親になってしまった」とコメントしていました。
 そうでしょうか。私は違うと思います。子どもが生まれてきた時には大切に慈しんだでしょう。しかし、離婚し、働きに出た。人間は楽なこと、楽しいことが大好きです。遊びたい気持ちになります。「子どもがいなければ」と思うようになり、結果的に死に到らせてしまった。
 彼女を批判するのは簡単です。しかし、彼女だけの問題ではありません。今は親と同居することが珍しくなっています。そして、シングルマザーが自分の給料だけで子どもを養うのは大変な時代を迎えました。そして、サポートする人が彼女のまわりにいなかった。こうした事情も大きく影響していると私は思います。

 本当に問題にすべきなのは、そこからあと、その女性がこれからどういうふうに生きていくのかということではないでしょうか。

 親鸞聖人だったらどうおっしゃるか。「あんな人間はダメだ」とは言わないと思うのです。なぜかと言うと、『歎異抄』に「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」とあります。私の心がよいから人を殺さないのではない。縁がないから殺さないだけであって、縁が熟せば百人でも千人でも殺すかもしれない。縁によっては「いかなるふるまいもすべし」と親鸞聖人は言っておられます。

 彼女を批判するだけでなく、今後同じような事件をくり返さないためにはどうすればいいかを考えた時に、「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず」という言葉を投げかけた親鸞聖人に私は暖かさを感じるんです。子どもを育児放棄して殺してしまった女性に、親鸞聖人のこの言葉が届くのではないかと私は思います。彼女の隣に親鸞聖人がおられるように感じるんですね。

 私事になりますが、16年前に長男が生まれた時に、近所の助産院にお願いしたんです。退院する時に助産婦さんはこうおっしゃいました。「子育てはお母さんだけの仕事ではないので、お父さんも一緒に子育てしてください。もしも夜泣きがうるさくて、赤ちゃんを叩きつけたくなったら、柔らかな布団を何枚も敷いて、赤ちゃんの代わりに人形を叩きつけなさい」と言ってくれたんです。
 私たち夫婦にとってその言葉が救いになりました。私の子どもは夜泣きがひどくて、眠れなくて困った日々が続いたんです。親は子どもに暴力を振るってはいけないと言われます。だけど、叩きつけたくなる心がふっと起こってくることがあるんです。
 そんな時に助産婦さんの言葉が大きな力になりました。「赤ちゃんを叩きつけたくなったら、その心をなくしなさい」というのではありません。そんなことをしてはダメだというのではないんです。叩きつけたくなる気持ちを認めてくれた助産婦さんの言葉によって楽になりました。これはうれしかったですね。そして、親鸞聖人の言葉に似ていると思ったんです。

 そんなことを考えまして、「殺意の隣にいる親鸞」ということを考えています。
 殺意は何もテレビの中の人物だけが持っているのではありません。私たちは直接手を下していないだけで、あんな奴はいなくなればいいという殺意に似た気持ちを抱くものであります。どんなことでもしてしまうのが人間なんだ。
 そういう時に親鸞聖人が現れて、「そんな気持ちになったらいけない」と諭すのではなく、「私もそうなんだ」と寄り添ってくださるように思います。

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 それから、「悲しみの隣にいる親鸞」。

 二年ほど前からお寺でグリーフケアの会を始めています。グリーフとは身近な方が亡くなった時に感じる苦しみ、悲しみのことです。苦しみ悲しみを大切に経験しながらケアしていくのがグリーフケアです。

 私がなぜそういうことを始めたかというと、お寺の住職はお葬式によく行きます。遺族の方と出会う機会が多くあります。しかし、今までその出会いから逃げていたという思いが消えなかったんです。
 親しい人が亡くなるというのはやはり重い話です。かける言葉もありません。気の利いた一言を、という思いが先走って言葉が出ない。すると、どうしても一歩引いてしまうことになります。
 私もそうでした。親しい人をなくした方々と丁寧なおつき合いができただろうかと考えると、きちんと向き合ってきたとは言えないものがあります。そういう思いがあり、私の中の御遠忌の取り組みとして、グリーフケアの会を立ち上げようと思い、ご門徒さん6人とグリーフケアについて学び始めました。

 さまざまな方が来られます。たとえば、門徒さんではないんですが、50代の女性が来られました。その女性は来られるとすぐポロポロと涙を流されたんです。三ヵ月前にご主人が手術の直後に亡くなったそうで、心の中は穏やかではありません。ひょっとして医療ミスではないかと、医者に対する怒り、恨みがわいてくる。そして、手術に同意した自分を責める。自責の念、罪悪感を持ってしまう。
 本来は、大事な人を亡くしたということで言えば、その方は被害者の立場です。医療ミスで死んだと、怒りで我を忘れる。その一方で、自分のせいでと加害者のようになってしまう。
 その方は自分が感じていたことを言葉にできなくて苦しんでいたんです。それがグリーフケアの会に来ることによって、何度も自分の気持ちを語られました。

 なぜ話すことができるかというと、その場にいる方たちが同じような体験をし、同じような思いを抱いているからです。ある人はご主人が亡くなる直前にひどいことを言ってしまった。できることなら時間を戻してあの言葉を取り消したいと思いつづけ、しかもそれを誰にも話せなかった。「だけど、今日はそのことを話します」と言われたんです。すると、別の人が「私にも消せないことがあるんだ」と話される。そうした話を聞くことで、50代の女性も「私も罪悪感が消えないんだ」とおっしゃったんです。

 親しい方との別れを体験した9割の人が自責の念、罪悪感を感じるんだそうです。ですから、悲しみと一言で言いますが、悲しみの内容はさまざまです。時には怒りとなって他者に向かうこともあります。内側に向かう怒りは自分を責めます。怒りや罪悪感は悲しみの一つの姿なんです。

 私は以前、こういう人たちには慰めてあげなければいけないと考えていました。「そんなことはありません。あなたが悪いわけじゃないですよ」と、自責の念を消してあげなければいけないと考えていたんです。しかし、はげましや慰めは何にもならないんです。それよりも、その方の話をきちんと聞き、私自身が学ばせていただくことだと思います。

 では、人間が抱えるこのような悲しみ苦しみを親鸞聖人はどのように表現しているのかと考えますと、いくつかの言葉が手がかりとして浮かび上がってきます。
 たとえば「愛別離苦、これもっとも切なり」という言葉です。愛別離苦は八苦の一つであります。さまざまな苦しみを人間は感じますが、その中でも愛する者と別離する苦しみはもっとも切実だというのが、『口伝鈔』での言葉です。

 そして、「悪を転じて徳を成す」と『教行信証』に書かれています。悪という言葉を苦しみや悲しみと置き換えてみますと、苦しみや悲しみをきれいさっぱりなくして救われるのではなくて、苦しみや悲しみが転じて徳と言えるような世界があると、親鸞聖人は見出されたと思います。
 ある方がうまいたとえをしておられます。梅干しにする梅は毒があるので、そのままでは食べられません。その梅の実が太陽の光に当てられ、お酒に漬けられると、薬にもなる梅干しになる。つまり、毒を抜いて薬になるのではなくて、毒が光に照らされることで薬に転じていく。毒を転じて薬となすのが梅干しです。
 つまり、人間が抱える苦しみ悲しみには大きな意味がある。苦しみや悲しみをなくしていくのではなく、大事に抱えていくうちに、そこに教えの光があたることによって徳となる世界が開かれてくると、親鸞聖人は言われました。

 苦しみや悲しみを大事にすることによって、今まで気づかなかったこと、考えなかったことを気づき、考えていく。苦しみや悲しみが違ったものに転じていく。それは亡くなった方からの贈り物だと思います。

 こういう歩みをされた方が私に先立って大勢おられるんです。教えがなぜ伝わってきたかというと、その時代その時代にさまざまな苦しみや悲しみを抱えた人々が教えに出会って、なるほど、この苦しみ悲しみは意味があったのだと感得された。意味づけしたのではなく、意味を見出していった。そういう人たちによって教えが伝わってきたんです。経典となって教えが伝わったのではなくて、教えにうなずいて教えをあかしして生きてきた人によって伝わっていくのであります。

 今の社会は苦しみや悲しみを表現することができにくい世の中ですね。遺族の方には腫れ物に触るような形で、あまりストレートに「今の心境はどうですか」なんて聞く人はいません。変なことを言って傷つけてはいけないと心配して接します。
 けれども、本当に必要なのは生の声を吐き出せる場、そして話を聞く場だと思うんです。そのような場に出会えば、自分は一人ではない、自分の経験は自分の個人的体験だけれども、それは人類共通の課題でもあることを教えられます。苦から解放される道を人は求めずにはおれないのだとを思います。

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 それから、「いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり」という親鸞聖人の言葉があります。当時、最下層に置かれていた人々を、道端でけられ、踏まれ、見向きもされない「いし・かわら・つぶて」にたとえているんです。
 そして、漁師、猟師、商人といった差別され、虐げられた方を親鸞聖人は「われらなり」と言われました。「かれら」というように上から見ているのではない、虐げられた人々と同じところに立つ親鸞聖人がいます。苦しむ声、悲しむ声を聞きながら共に歩む親鸞聖人です。

 東京にハンセン病療養所の多磨全生園という施設があるんです。ハンセン病は人類の歴史と同じくらい古くからあると言われています。末梢神経がマヒしてしまう病気で、沸騰したお湯に手を入れても熱さを感じない。皮膚や顔が変形していくので、人々から大変恐れられた病気です。しかし、今は特効薬で完全に治る病気になりました。

 多磨全生園には浄土真宗のお寺があります。ご縁があって私が多磨全生園に行くようになったのは24年前のことです。特に関心があったわけではなくて、たまたま「行かないか」と誘われて行ったんです。そのころ、多磨全生園の真宗報恩会には150人くらいの会員がおられました。その方々が大歓迎してくださったんです。それで毎月通うようになりました。

 私は親鸞聖人の教えを伝えるという名目で行っているわけですけど、そんなことはとてもできません。逆に、皆さん方から生きた教えを聞かせてもらっています。
 たとえば、全生園には私の母と同い年の方がいて、私は「全生園の母」と呼んでいるんです。その方は京都の生まれで、16歳の時に発病して、親元から無理矢理引き離され、療養所で名前を変えて生活するようになったんです。
 20年ほど前にその方がこうおっしゃいました。「今は科学は進歩して、お月様まで行けるようになった。だけど、京都の肉親に会えない。それがつらいです」と言って、涙をポロポロこぼされたんです。愕然としましたね。今もなお故郷に帰れない、そういう人が今もこの日本にいるわけです。
 今は、こっそりとですけれども、墓参りに行けるようになりました。だけど、大手を振っては帰れないんです。なぜか。人々の偏見があるからです。あそこの家の者はハンセン病だと知られたら、家族はその土地におれなくなります。そういう現実が今もあるんです。

 そういう生活を強いられてきた方々が、親鸞聖人のことを慕っておられます。ハンセン病の方々が「いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり」とおっしゃる親鸞聖人が私の宗祖なんだと言われるんです。踏まれ、けられ、声をあげても見向きもされない仕打ちを受けていた人たちが、「われらなり」と呼びかけてくださる親鸞聖人の教えを尋ねていこうとされた。それは親鸞聖人に温もりを感じられたんだろうと思います。人間は暖かさがないと生きていけません。親鸞聖人は暖かさを与えてくださっているんですね。

 多磨全生園の真宗ご門徒に古くから歌い継がれてきた「親鸞さまは懐かしい」という題の賛歌をご紹介します。七番まである歌詞の五番と七番です。

「闇にさまよう我らをば み胸にしっかといだきしめ
 光に帰れと示します 親鸞さまは懐かしい」

「嵐、茨地踏み越えて ただ真実の白道を
歩み続けしわが父の 親鸞さまは懐かしい 」

 「闇にさまよう」というのは夜道に迷うということではありません。自分のモノサシ、たとえば自分の理想像を勝手に作って、まわりの人をそのモノサシに当てて、お前はダメだと言ってしまう。親は理想の子ども像を持っていますから、自分の子どもにもうちょっと勉強しろと、自分のモノサシを押しつけてしまいます。
 だけど、光が当たっていないですから、その理想像が自分のモノサシにすぎないとはわかっていません。相手のためを思って言ってるんだという正しさがあると、自分のモノサシが見えてこない。これを闇と言うんです。

 私たちの中にはたくさんの闇があります。私たちの人生に、心が波打つ嵐が時には訪れます。また、茨が足にからみついて歩けないこともあります。そんな時には、何のために生きているのかわからなくなります。

 しかし、どう生きていいかわからない時に、ふと目を前に向けると、白い道を私よりも先に歩いている人がいる。それが親鸞聖人なんだ。親鸞聖人は闇にさまよう私に、光に、仏の教えに帰ろう、見えなかった世界があるんだと示してくださる方です。そうして、嵐や茨地を踏み越えて、真実の道を歩むことができるようになるんです。

 親しい人と死に別れて、自責の念や怒りや虚しさでどうしたらいいかわからない中で、自分と同じ苦しみを抱えている人が私の一歩前を歩いているのがふと見えてくる。そういう時に、生きている力が与えられます。親鸞聖人は私に先立って歩いている方の一人なんです。

 私はこの「親鸞さまは懐かしい」という歌は多磨全生園の真宗報恩会の人たちだけでなく、この世を生きている私たちが聞くべき親鸞聖人の声だと思います。
 親鸞聖人は言葉となって今なお生きています。いろんな悩みを抱えて生きている私たちを導いてくださり、暖かさを与えてくださっている。そうしたことを大切な方を亡くされた人やハンセン病の方に教えられています。どうもありがとうございました。
(2010年8月3日に行われました盆法要でのお話をまとめたものです)