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死刑もやはり人を殺すことですから、死刑の執行を見たならば、あるいは自分が死刑に関わったら、おそらくほとんどの人は死刑に疑問を持つことでしょう。
実際に死刑を執行する拘置所や刑務所に勤務する刑務官はその時にどのように感じ、何を思うのでしょうか。
どんな形であれ人の命を奪うことは、自分の中の大切な部分を捨てるごとになります。いくら仕事だから仕方がないと思っても、割り切ってしまうことは難しいのではないでしょうか。
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死刑執行人は洋の東西を問わず差別されていました。
フランツ・シュミット『ある首切り役人の日記』は、1573年から1617年までニュルンベルクで死刑執行人を勤めたフランツ・シュミットの日記です。
死刑執行の方法は、剣による斬首刑、綱による絞首刑、車による車裂きの刑、溺死刑です。車裂きの刑とは、死刑囚の手足、腰、胸などを打ち砕いて、それから車輪の上にくくりつけて死ぬまで放置するという刑罰です。
死刑執行人は体罰も科しており、体罰の方法は笞打ち刑が主で、両頬への烙印押し、さらし者、指の切り落とし、耳そぎでした。
刑の執行にたずさわるだけでなく、皮剥ぎ人でもあり、便壺の清掃、ハンセン氏病者の駆逐、野犬の撲殺および売春婦の監督が所管事項で、召使いにさせていました。
「死刑執行人とは社会からも教会からも排除された「名誉なき」者であった」
死刑執行人の家に生まれると市民生活を排除され、手工業者のツンフト(ギルド)に入れてもらえないので職を受け継ぐほかなく、また結婚も同業者の間でしかできなかったのです。また、教会の埋葬を拒否されることもしばしばありました。
そして、市民が死刑執行人と接触すれば、市民は名誉を失うことになったのです。
「1546年、バーゼルである手工業者が自殺したが、酔って死刑執行人と乾杯したのが原因であった」
「1590年、オッペンハイムで一大工が「名誉を失った」と宣告された.なぜなら 彼が死刑執行人の剣に手を触れたからであった」
安達正勝『死刑執行人サンソン』は、まずフランスのベチュヌという町の死刑執行人について書かれてあります。
「この町の処刑人は市街地に住むことが許されなかった。町はずれの一軒家に住み、そこが処刑人の家だということがだれにでもすぐわかるように、家全体が赤く塗られていた。娘がいる場合は、家の正面にその旨の掲示をしなければならなかった。普通の家の息子が間違えて処刑人の娘と結婚することのないように」
「街で処刑人を見かけると、人々は嫌悪の念もあらわにめをそむけ、身体が接触しないようによけて通る。たとえ間接的であろうとも物理的接触を避けようとして、商店が処刑人の家族にものを売るのを拒否することもあった。不浄の金は受け取れない、と」
チベット仏教でも死刑執行人を差別しているようです。
ラマ・ケツン・サンポ師は、真理への入口へたどりつくための十の条件の四番目に「汚らしい行為に手を染めないでいられる。死刑執行人や娼婦などに生まれついたら、本人が望むと否とにかかわらず、誤った行為を重ねて真理からそっぽを向くことになってしまう」(『虹の階梯』)と語っています。
自分から望んで娼婦になる人はいないでしょうに、無茶な話です。
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日本も事情は同じです。
石井良助『江戸の刑罰』によると、小伝馬町の牢屋を代々管理していた石出帯刀は差別されていました。
「囚獄は与力の格式で、町奉行の支配に属し、役高は三百俵である。不祥の役人として登城も許されず、他の旗本と交際もしない。その縁組みも武士に求めがたく、代々村名主などと結んだという」
「牢屋同心の株の値段は、ふつうの御家人のそれに比べてかなり安かったようである。身元も、湯屋の三助とか、煙管の羅宇のすげ替などの類が多かったという」
そして、処刑のときに罪人の身体を押さえる役をするのは非人です。
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なぜ死刑執行人が嫌われるのでしょうか。
1,人を殺す仕事だから
2,ケガレ
この二点ではないかと思います。
では、軍人も人を殺すのが仕事ですが、どうして軍人は差別されないのでしょうか。
軍人は戦争で何人もの人を殺しても、賞賛されこそすれ、人殺しと罵倒されることはありません。ところが、国家の命令で刑を執行する死刑執行人は不正なことをしているわけではないのに、人間扱いされないのです。
サンソン家は六代にわたってパリの死刑執行人を務めた家で、斬首刑だけでなく、絞首刑や車裂きの刑、そして笞打ちや焼き鏝の刑まで担当していました。
サンソン家4代目、シャルル=アンリ・サンソン(フランス革命前後の当主、ルイ16世たちを処刑した)が若いころ、レストランに入ったら、ある侯爵夫人からテーブルに招かれ、一緒に食事をしました。ところが、あとでサンソンの職業を知っておびえた侯爵夫人は高等法院に訴えたのです。
弁護士は誰もサンソンの弁護を引き受けなかったために、自分で弁論をしました。弁論の中にこういうことを書いています。
「私は判事の皆さまの命令に従って行動しているにすぎず、もし私の職務に何らかの非難されるべき点があるとすれば、それは皆様方の責任に帰せられるべきものでありましょう。と申しますのも、法の精神によれば、犯罪を命じる者はそれを実行する者よりも罪が重いとされているからであります」
「軍人に、あなたの職業は何かとたずねていただきたい。私と同じように、人を殺すことだと答えるでしょう。それだからといって、軍人を避けようとする人はいませんし、一緒に食事して名誉を汚されたと思う人もいません。軍人において誉められることが、なぜ私の職業では嫌悪の的になるのでありましょうか?」
「軍人が殺すのは無実の人、義務を果たしている人ですが、私が殺すのは犯罪人だけであり、無辜の人、義務を果たしている人は、何ら私を恐れる必要はないからであります」
他人を殺したら、悪逆非道とののしられるのに、政治家や軍人が「人を殺せ」と命じることが称賛さえされるのは不思議です。
オウム真理教の代表代行をしていた村岡達子は「人を殺したら罰せられる。でも戦争で大量の人を殺したら褒められる。当たり前のことと普通は思うのかもしれないけれど、でも子供の頃からずっと、大人になってもまだ、この疑問が頭から離れなかった」と語っています。(森達也『A3』)
ケガレということですが、処刑には死と血のケガレがつきものです。そして死刑は、汚れた存在である犯罪者を殺すという二重の汚れた行為だから、死刑執行人は差別されるのかもしれません。
死刑執行人の一族を差別し、社会から排斥する一方で、処刑は見せ物として楽しまれていました。『死刑執行人サンソン』に次のように書かれています。
「人々にとっては、処刑を見物することは、スポーツ観戦や観劇と同じように、一種の気晴らしでしかなかった。半分お祭り気分で処刑台の周囲に詰めかけてきた人々の中を、事件について書かれたパンフレットを売る人、食べ物や飲み物を売る人が声を張り上げて動き回っていたのであり、人々は友人知人とわいわい騒ぎながら、今か今かと処刑がはじまるのを待ち受けていたのであった」
「処刑が開始されると、これでもか、これでもかと次々に加えられる残虐行為を人々は固唾を呑んで見守るのであった」
ルイ15世を暗殺しようとしたダミアンが八つ裂きの刑(両手足を四頭の馬に結びつけられ、手足をちぎるという刑)に処せられたときも、「処刑場を取り囲む建物の窓には法外な値段がつき、着飾った貴婦人たちが歓談しながら特等席から処刑の模様を見物していた」
『死刑執行人サンソン』によると、カサノヴァ『回顧録』にダミアンの処刑を見物しながら性行為にふけっていた人がいると書かれてあるそうです。
「男は、窓枠に肘をついて処刑を見物する×××夫人の後ろにぴったりと張りつき、スカートをまくり上げて延々二時間もの間励んだのであった。すぐ横に、この夫人の姪とカサノヴァがいたというのに」
処刑は残酷趣味を堪能させてくれるショーだったのです。
自分から処刑したいと思う人はいません。命令され、仕方なく殺すわけです。サンソン家6代目アンリ=クレマン・サンソンは『サンソン家回想録』の中で死刑廃止を訴えています。その理由の一つは、死刑の執行は非常な精神的負担になるということです。
「死刑執行人は普通の人間には耐えられないような重荷を背負って職務に遂行してきたということ、人を処刑台の上で処刑するのはそれほど重い責務なのであって、命がけなのだ、ということである」(安達正勝『死刑執行人サンソン』)
『死刑執行人サンソン』に、フランス革命時、ギロチンの処刑を見ていた男が処刑を手伝い、その場で急死したエピソードが紹介されています。死刑を執行するということはそれほどの負担を与えるのです。
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死刑を執行する拘置所や刑務所に勤務する刑務官はその時にどのように感じ、何を思うのでしょうか。大塚公子『死刑執行人の苦悩』から引用します。
「刑務官には執行当日の朝立ち会いを命ずる。前日に知らせるとみんな休んでしまうからだ」
「死刑の執行に当たって直接手を下す刑務官には「特殊勤務手当」が出る。即日支払いである。飲み代にすっかり使い果たしてしまうのがほとんどであるという。手当で足りずに自腹を切つて深夜まで飲み歩く刑務官も珍しくない。けれども、死刑執行のことは同僚にも話せず、家族にもむろん話せない」
「死刑の立ち会いは、何度経験しても憤れて平気になるということは決してない。立ち会いの回数が多くなればなるほど、自分という人間が尋常な世間人とはかけはなれた、一種卑しい人間でもあるような、いいようのない気分ばかりが募る」
鳩山邦夫元法務大臣は、ベルトコンベアー式というか、自動的に客観的に執行したらいいと言いましたが、死刑の執行はそんなお手軽なものではないのです。
死刑囚へのアンケートをまとめた『命の灯を消さないで』に、匿名男性B死刑囚がこういうことを書いています。
「まったく関係のない拘置所の職員たちが人殺しをさせられてしまうのです。職員らだって、何の恨みもない人間を獄中から引っ張り出し、首に縄をかける仕事が楽しいはずがありません。みんな心の中では、裁判官や法務大臣に対して「あんたらが責任をもって殺ってくれ!!」、きっとそう叫んでいると思います。お偉方は、汚い仕事だけを下の者に押しつけて、自分たちはいつも責任を回避できる高みで見物していることを、いまいましく思っている職員は多いと思います」
黄奕善死刑囚も同じ趣旨のことを書いています。
「執行について
法務大臣が人を殺す(死刑を執行する)たびに、必ずと言っていいほど、「法律があって法治国家だから、正義のために、凶悪犯罪を犯した人の死刑は執行しなくちゃいけない。まさに正義のためと私は思ってる。だからどんなに苦しくても責任を果たそうと思ってやってきた」などと、このようなコメントを出すのです。
正義のためって、本当は違うでしょう。一つは法務大臣のうしろには、死刑囚の人権など全く顧みない死刑執行を支持する多くの市民がいることだと思います。もう一つは、世間に注目させて、ほめられますとすぐさまにその調子に乗って、もっと受けようとして権力を振るって約二カ月に一度の殺人を強行したのだと、私は確信を持って言えます。
どんなに苦しくても責任を果たすべきだと思ってやってきたとおっしゃってますが、本当にそう思っているのならば、権力を振るって若い刑務官に二~三万円の日当を払ってやらせないで、自ら死刑執行のボタンを押すべきではないでしょうか。ましてや、自らも死刑囚の資料を精査して、間違いないんだと自信をもって決めたのだから、死刑執行の命令書に判子を押す勇気がある権力者は、執行のボタンを押す勇気もあるはずです。これが本当の正義かつどんなに苦しくても責任を果たしたと言えると思います。
一方、死刑判決を言い渡した裁判官等にも同じことを言いたいと思います。裁判官等は自分たちが下した判決はあたかも完全無欠のようです。もし自分たちが下した死刑判決に全く誤判や誤認等がないという自信があるのならば、自ら死刑判決を言い渡した死刑囚の刑が執行される時、自分たちの手で執行ボタンを押すべきだと思います。と言いますのは、自分たちが被告人に死を望んでいて、死刑を言い渡しておきながら、刑務官に殺人をやらせるのは、卑怯者のすることです」
正論だと思ます。法務大臣、裁判官に加えて、死刑を求刑した検事もぜひ。
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死刑判決を下す裁判官も苦しみます。
瀬達哉『裁判官も人間である』に、死刑判決を起案する裁判官は、人が人を裁くことのいい知れない重責を背負い続けなければならないとあります。死刑判決を起案する過程で精神に変調をきたす裁判官もいます。
「元裁判官「死刑を宣告する日は朝から極度に神経が張り詰め、法廷に入るドアノブに手をかけた時は、できることなら逃げ出しもしたかった」
原田國男さんは死刑判決を出す苦しみを『裁判の非情と人情』に書いています。
「死刑の言渡しは、正当な刑罰の適用であって、国家による殺人などではないということはよくわかるが、やはり、心情としては、殺人そのものであり、法律上許されるとはいっても、殺害行為に違いはない。
目の前にいる被告人の、首に脈打つ血管を絞めることになるのかと思うと、気持ちが重くなるのも事実である。言渡しの前の晩は、よく眠れないことがある。ネクタイも黒目のものにするという人もいる。そうなると、ネクタイの色で死刑かどうかがわかってしまいそうであるが、それほど神経質になるのである。(略)
裁判官でもこれほどプレッシャーを感じる重大な判断に、裁判員がかかわるのであるから、その精神的負担は大変なものである」
素人の裁判員はどういう気持ちでいるのでしょうか。まして、死刑判決を出した後、冤罪だとわかったらどう思うのでしょうか。
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