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小説の中から
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相手を言い負かして幸せになるのは自分だけだ。 伊坂幸太郎『魔王』
〈笑み〉の反対語は何だろう。愛の反対語が憎しみではないのと同じように、これもまた〈悲しみ〉ではないような気がした。〈怒り〉でもない。 宮部みゆき『ソロモンの偽証』
個性って違うのよね。そんなの当たり前の話なのに、学校のなかにまとめて放り込まれていると、忘れちゃう。先生たちだってそうなんじゃないかな。何かこう、大ざっぱにくくっちゃって。 宮部みゆき『ソロモンの偽証』
会場のあちらこちらから嗚咽がもれる。なぜこんなことで涙を流すのか、こんな言葉の何がそんなにありがたいのか、居心地の悪さとともに、腹立たしさを覚えていた。
結局のところ、彼らは自分の生活史に、教祖の言葉を当てはめるのだ。集合写真を渡されたとき、まず最初に自分の顔を探す。それと同じことだ。教祖の語る一般論の中から、まさに自分一人のケースに当てはまる言葉を探し、自らの境遇にあらためて涙する。 篠田節子『仮想儀礼』
だれだって、日常ばかりが連続しているなかにいると、時折は非日常へ逃げていく。旅をするのもそうだ。ただし、帰るところがあるから安心して旅に出るのだ。帰るところのない旅なら、旅が日常になる。それは、日常から非日常への脱出なんていっておれない。祭もそうだ。毎日が祭では祭でなくなる。 富岡多恵子『波うつ土地』
ぼくたちは、「友だちのたくさんいる子供は、いい子供」という幻想を刷り込まれている。友だちを一人でも多くつくることを、ぼくたちは無意識のうちに強いられているのではないか。ひとりぼっちを恐れる気持ちは、この時代を生きる誰にでも、ある。 重松清『隣人』
神様ってのは、決して拝んだり頼んだりするもんじゃねえ。いつも貧乏な人間のそばにいて、いてくれるだけで生きる望みをつないでくれる。ありがてえ、かわいいものだ。 浅田次郎『蒼穹の昴』
いつか、今の自分じゃない何かになれるって思ってんでしょ?
自分は自分にしかなれない。痛くてカッコ悪い今の自分を、理想の自分に近づけることしかできない。みんなそれをわかってるから、痛くてカッコ悪くたってがんばるんだよ。
ダサくてカッコ悪い今の自分の姿で、これでもかってくらいに悪あがきするしかないんだよ。 朝井リョウ『何者』
けっこう家の中が殺伐としとったんやけど、そんな中で本読んでたら、なんやろう、この世の中にこんな世界があるんか、て驚いて。家の中で本開いているだけやのに、一気に別の世界に行けるやん。本だけやない。音楽も、映画もそうやねん。今俺がおる世界以外にも、世界があるって思える。 西加奈子『サラバ!』
朝は7時に起き、質素な朝食を食べ、部屋の掃除をした。毎日掃除していると、綺麗なままだろうと思っていても、確実にどこか汚れていた。部屋の隅には綿埃がたまり、トイレの便器には染みがつき、風呂場には毛が溜まった。僕は静かに、自分が生きていることを思った。 毎日、僕は何かしらのものを排出していた。
西加奈子『サラバ!』
長年仕事を共にしてきた仲間のことになると、こいつのことはなんでも知っていると思い込みがちだが、実はなにも知らないのだ。そしてある日、事故か事件か病気か死が降ってわいたときに、ようやくそのことに気づく。それまで抱いてきたイメージは、たまたま入手した断片的な情報に基づいたものでしかなかったと思い知らされる。 ピエール・ルメートル『その女アレックス』
感謝の謝は謝罪の謝。 荻原浩『オイアウエ漂流記』
ぼくには不思議だった。女の子たちは、かわいい。おしゃれだ。いつもたのしそうにはじけている。カッコいい男子を見つけては、追いかけまわしてもいる。簡単にいうと、みんななんの悩みもないように見えるのだ。それでもひとりひとりは心のなかで、明るくて元気でかわいい女の子の役を演じ続けることに、ほとほと疲れ切っているみたいだ。 石田衣良『6TEEN』
なにせ自分の顔は誰にも選べない。それは親や生まれる時代や健康な肉体を選べないのと同じだ。でもね、自分が与えられたものにぶつぶつ文句をいいながら、なんとかごまかしごまかし生きていく。そういうのが人生の醍醐味だと、ぼくは思う。 石田衣良『6TEEN』
忘れないことと、ときどき思いだすこと。それが生きている人間が死んでしまった人間にできる数すくないことだ。 石田衣良『6TEEN』
世の中から、思い違いというものだけ除いたら、ずいぶん人間の苦労は少なくなるがなあ。 吉川英治『宮本武蔵』
「おれを信じてくれ」
「その言葉嫌いなんですよね。前からずっと」
「自分で言ったことはないのか」
「いや。ありますよ。だからあてにならないって知ってるんです」 コーマック・マッカーシー『血と暴力の国』
ふたりの人に会う。ひとりは老人、ひとりは若者。そしてふたり並んで歩きながら、たがいになんの話題も見つけられずにいる場合、わたしには、それが父と子であることがわかるのだ。 M・デュ・ガール『チボー家の人々』
今日、こわがらずに家を出ていけるのは、迷子にならない保証や困った事態にならない確信があるからじゃない。何かすてきなことや人にきっと会える。困ったときにきっとだれか助けてくれる。そう思うことができるから、なんとか今日も明日も、出かけていけるんじゃないか。大げさにいえば、生きていかれるんじゃないか。 角田光代『ひそやかな花園』
何をやったら幸せになれるかなんて誰も分からない。お好きなように、と指示されるのって、逆につらいと思うんだよね。みんな正解を知りたいんだよ。せめてヒントを欲しがってる。でも、実際にはね、人生全般にはそういうものってないでしょ。だから、誰かに『この修行をすれば幸せになりますよ』とか『これを我慢すれば、幸福になりますよ』とか言われると、すごく楽な気分になると思うんだよね。でも、結局さ、そういうのに頼らず、頭を掻き毟って、悩みながら生きていくしかないんだと、わたしは思う。 伊坂幸太郎『砂漠』
人間はいつも狐を嫌ってきたが、それはおそらく狐が人間に少し似すぎているからだろうな。狐は食うために狩りをするが、自分だけの楽しみのために殺すこともできるんだ。 フィリップ・クローデル『ブロデックの報告書』
大切に育てるということは「大切なもの」を与えてやるのではなく、その「大切なもの」を失った時にどうやってそれを乗り越えるか、その強さを教えてやることなのではないかと思う。 吉田修一『横道世之介』
しあわせかふしあわせか…それが人生でいちばん大事なことでしょうか? 真実を知ることは、これもちがった意味でのしあわせじゃないでしょうか。 アイラ・レヴィン『この完全な世界』
しあわせを感じられるってのは、同時に不幸を感じることができるてことにもなるんだ。 アイラ・レヴィン『この完全な世界』
人生にはふたつの悲劇がある。ひとつは望んだものが手に入らぬこと。今ひとつはそれを手に入れてしまうことだ。 オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』
われわれは失敗から学ぶが、成功からは学ばないのだ。 ブラム・ストーカー『ドラキュラ』
人は時に、健気に生きているだけで、誰かを救っていることがある。 東野圭吾『容疑者Xの献身』
人のことばっかり気にしてるのは、自分のことがいちばん気になるからやん。 柴崎友香『きょうのできごと』
肉親のいかがわしいことはかくしていたいのが人情だ。かくせるものなら永遠にかくしておきたい。しかし、かくしとおしたところで、それはお父さん以外は知らないことであっても、お父さんひとりは知っていることだ。できるなら、お父さんも知らないことにしていたいのだ。しかし、そんなことができるわけがない。 丹羽文雄『有情』
自分で自分を裁くのは高慢だ。本当に謙虚な人間なら、他人をも裁きはしないし、自分を裁くこともしないだろう。 山本周五郎『虚空遍歴』
人間はみんな自己主張をし、自己弁護するものらしい。自分では公平であると信じながらね。それでもどうにか折り合ってゆけるんだから、世間はうまくできているものさ。 山本周五郎『虚空遍歴』
朝になればペテロには悩みと恥がます。人目はないが身を恥じる、犯した罪を思いつつ。我が恥じらいは人目にかぎらず、天地のほか人の見ない誤ちだが、ひとり恥じるので。 セルバンテス『ドン・キホーテ』
誰でも人に認められたいって、いったでしょ。一番大切なことは、まず自分で自分を認めることだと思うのね。まっすぐに見なきゃダメなのよ。代わりを求めてもいけないと思うの。背は低いけど、勉強ができるとか、顔がいいとか、マイナスを埋めるようなことを求めはじめると、結局、自分に嘘をついて、ごまかそうとしちゃうのよ。だからあるがままの自分を見つめることが、自分を認めるってことだと思うの。 鳴海章『風花』
自分のことを話すのって、気持ちがいいの。自分がいかに苦労してきたのかを他人に話すのはね、自分が注目され、認められている気分になるでしょ。だからね、気をつけなきゃいけないのよ。 鳴海章『風花』
自分のことばかり話すなんて、少しは恥ずかしいと思わなきゃね。本当は、自分のことなんか話しちゃいけない。相手の話が聞けなくなちゃうでしょ。 鳴海章『風花』
本当のことを言うことで、本当のことを言う相手を持つことで、お前はこの世に生きて来たことを肯定しようとしている。自分の人生に意義を見出そうとしている。本当のことを平気で言える相手もなかったとしたら、お前はこれまでの長い一生を、何のために生きて来たか判らないことになるからな。 井上靖『化石』
人間は、何か目当てがないと生きて行けないのだ。 井上靖『化石』
お前の父親や母親は、この世の中に、人間が及ばない力のあるものの存在を信じて、それに頭を下げることによって、無力な自分を、心平らかに生きさせようとしたのだ。 井上靖『化石』
人間の幸せというものは、しみじみと、心の底から、ああ、いま、自分は生きているということを感じることだな。そうすれば、自分のまわりのものが、草でも、木でも、風でも、陽の光でも、みんな違ったものに見えて来る。 井上靖『化石』
人間のやることに結末などはつけられないのだ。いつだって、中途半端なのだ。しかし、それでいいではないか。そもそも結末をつけようというのが、おこがましい限りだ。 井上靖『化石』
なにかの形でハンディを背負っている人間が生きやすいようにできていなければ文明国とは言えまい。 宮部みゆき『竜は眠る』
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