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 和田 稠さん「くにのいのり」

2000年8月4日 

  1
 皆さん、こんにちは。大変な暑さの中をようお参りなさいました。何をどういうふうにお話しようか、皆さん方の前におりながら一向にまとまらんのです。困っておるんです。

 先ほど皆さん方とご一緒に「念仏(ねんぶつ)、念法(ねんぽう)、念僧(ねんそう)」という三(さん)帰(き)依(え)の言葉をいただきました。これで十分なので、これで帰らせてもろうてもいいんです。我々真宗の門徒は「念仏、念法、念僧」を念仏一つに集約しています。

 私らが人間として生まれたのはなぜか。何しに生まれてきたのか。今日、ここへすでに身が運ばれておる。一体何しに来たのか。そうあらためて問われると、何だかわからんのですね。人間とは変なものです。

 特にこのごろ思うんですけれども、一般の社会ではいろんな施設がございます。市民会館とか文化会館とか公民館とか病院とか駅とか役所とか、それらへ行く人は家を出る時からちゃんと目的がはっきりしておる。汽車の切符を買う時は駅へまいります。今日は終わってすぐに帰りますんで、私も昨日、往復切符を大聖寺の駅で買ってきました。二、三日前には市の一斉検診があって、近くの会館へ行って検診を受けました。みなはっきりしています。ところが、一番はっきりせんのはお寺ですね。「何しに来たのか」と問われると、「さてな」と。

 私もこういう衣を着ていますが、私は九つの時に親鸞聖人にあやかって夏休みの八月に得(とく)度(ど)をいたしました。それからずっと教団の中でお育てをいただいてきたわけです。けれども、「お前、何のためにお寺におるんや」と聞かれると、何かわかったようでわからんのですね。そういうことは一般の施設ではないと思うんです。デパートへ行って、「私は何しに来たんやろ」と、そんなこと考える人はありません。

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 8月6日は広島に原爆が投下された日でございます。そして今、非(ひ)核(かく)非(ひ)戦(せん)の法要が勤まりました。ここは真宗の寺院であり、集まってこられたのはみな真宗のご門徒です。

 非核非戦の集まりを毎年繰り返しやっておるのは、別に真宗の門徒だけではないですね。8月になりますと、全国でいろんな団体、いろんな地域の人がいろんな催しと言いますか、行事をいたしております。その中で、私たち真宗門徒はあえて非核非戦としてずっとやってきた。一体、真宗と戦争とはどういう関わりがあるのか。

 戦争は国家が行うものですね。個人的なケンカは戦争とは言いません。戦争と言ったら必ず国家が行うんです。私たちは国民ですね。日本国民です。戦後にできた日本国憲法でも、その前文に「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」という文章があります。皆さん方はこれをどういうふうにお考えになるんでしょうか。私はずっとこのことに引っかかっておるんです。

 ご存じのように、アメリカのリンカーン大統領のゲティスバーグ演説宣言に「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉があります。この言葉が日本国憲法の前文に生かされているわけです。ところが、「people」が「国民」に変わっておるんです。

 はっきり言いますと、ヨーロッパにおけるような市民が日本にはいない。いきなり変な言い方をしますがね、日本では国民しかいない。そして、ここに集まりました皆さん真宗門徒も、私を含めて全部日本国民です。

 同朋会運動が始まって四十年近く経ちます。あらためて親鸞聖人にお遇(あ)いして、そして名実共に真宗門徒にさせていただこうということから、同朋会運動が始まったと思います。そういうご縁でたぐっていきますと、私がこうして今日この広島へ来る遠い遠いご縁があるわけです。

 ところが、同朋会運動が始まった時に、「真宗門徒一人(いちにん)もなし」と言われました。どうして真宗門徒が一人もいないのか。真宗十派と言いまして、東西本願寺その他、全部あげれば何百万、何千万という真宗門徒がいらっしゃるはずです。けれども、「真宗門徒一人もなし」とはどういうことか。真宗門徒は一体どこに行ったのか。

 こういう話をしようとすると、言葉が一つひとつやっかいなことになるんです。同じ日本語だけれども通じ合うことがなくなってきたんですね。言葉ということが今の私にとっては非常に大変な問題になっとるんです。

 真宗門徒がいないということは、私たち全部が日本国民になってしまったと、こう言えばいいかと思うんです。全部日本国民になった。真宗門徒はいないと。どうでしょうな。いつからそういうことになったのか。

 だいたい日本国民というのは明治になって初めてできたんです。小学校の教科書で、

大日本、大日本、神のみすえの天皇陛下、我ら国民七千万を、わが子のように、おぼしめされる

と僕らは習いました。日本国という国ができたのも明治になってから、国民というものができたのも明治になってからです。

 はるかそれ以前から真宗門徒はたくさんいたんです。しかも、それは日本はおろか、インド、中国、韓国、アジア全域に真宗門徒が続々と生まれてきたんです。皆さんご存じのことで今さら言うまでもありませんが、『正信偈(しょうしんげ)』にあります七高僧(しちこうそう)、親鸞聖人が「三朝(さんちょう)浄土(じょうど)の大(たい)師(し)等(とう)」と言ってらっしゃいます龍(りゅう)樹(じゅ)菩(ぼ)薩(さつ)、天親(てんじん)菩(ぼ)薩(さつ)、曇鸞(どんらん)、道綽、(どうしゃく)善導(ぜんどう)、源信(げんしん)、源(げん)空(くう)の七人の高僧方をはじめとして、インドから、中国から、チベットから、韓国から、そして日本と、日本国民なんかができるはるか昔から真宗門徒がいっぱいいらっしゃった。それで私らも真宗門徒になることができた。

 ところが、真宗を名乗っておるけれども、真宗の寺は一か寺もない。真宗門徒は一人(いちにん)もいない。こういうことを四十年前に同朋会運動で言わねばならなかった。というのも、実質的に真宗門徒が明治以後、それから特に今度の戦争が終わってから、全部日本国民になったしまったからです。このことは僕ら自身の大事な問題であり、そして教団の問題であると同時に、国の問題でしょう。

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 私は講題を決めてくれと言われて、「くにのいのり」としました。この言葉にある重大な、とてもうまく言い切れないような問題を、皆さん方と一緒に考えてみたいと思っておるんです。

 一番具体的にわかりやすい問題を言いましょうか。今日、お勤めで表白が(ひょうびゃく)読まれました。それには「我が国の総理大臣の神の国発言が物議をかもしましたことは記憶に新しいところです」とあるんです。その総理大臣というのは、私と同じ石川県の真宗門徒の有力なお家の総領である森喜朗首相のことです。

 森さんは先祖代々の真宗門徒です。真宗門徒だとみな思っているんです。こないだ森さんのお手次のお寺へ行って話をしました。そこの住職は、森さんのお家のお内仏の報恩講に毎年お参りをしとるとおっしゃるんです。形の上から見れば真宗門徒です。

 ところが、森さんは「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国である」とおっしゃった。これが大問題になりました。こんな問題が出てくると、その問題が私自身の問題になって、えらいことになってしまうんです。

 しかも、真宗門徒である森さんがそういう発言をしたということを、地元の真宗の人たちが問題にした。そしたら、大谷派の宗務総長はその発言に対して書簡を出した。これは皆さんご存じですか。森さんの発言は戦前の国家神道に再び帰っていこうという、そういう意識が強く全面に出ておる。真宗門徒としてあるまじき発言である。こう言って、みんないきりたっておるんですね。

 神の国とは何か。はっきり言えば、天皇という生ける神によって統治される神国日本ということだ。そういう考えが我々の年代の者にはすぐ頭に浮かぶわけです。日本が神の国だということは、我々が小学校へ入る時から徹底的に教えられましたから。

 日本国は神国である。なぜか。天皇生ける神、現人神(あらひとがみ)であるから、その現人神が起こされた戦争はただの侵略戦争ではない。正義の戦争である。神聖な使命を帯びた、神のご意志によるところの戦争である。だから、これを聖戦と言う。

 森さんの「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国である」という発言を耳にしますと、我々の年代の者の身体にしみこんでおるこうした言葉が再び掘り起こされてくるんです。

一心一向に弥陀をたのみたてまつりて、そのほか余の仏菩薩諸神等にもこころをかけず

と蓮如上人の『御(お)文(ふみ)』にあります。まして、神(じん)祇(ぎ)不(ふ)拝(はい)といって、神々を拝んだりしない。それで、同朋会運動を始めてから、家にある神棚をおろす人たちがあっちにもこっちにも出てきました。そして、神道と浄土真宗は一緒になるべきものではないと、こういう批判が同時に起きているわけです。こういう話をしますと、おそらく皆さん方の中でも賛否両論あるのでないかと思います。

 私は森さんが「神の国発言」をされたのは決して不思議だとは思いませんね。あれが北陸の平均的な真宗門徒の正直な言葉だと私は思うとります。真宗門徒と言いますけれども、北陸の真宗門徒はたくさんの神さんに守られてですね、そして神さんを阿弥陀さまと一緒にして毎日毎日「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称え、「おかげさまで」「ありがたい」と喜んどります。別に、森さんだけが特別なこと言うたわけではありません。それをなんでああいうふうに一生懸命に攻撃するのかなあと。

 こんなことを言うと、今までの和田とは違うてしもうた、和田もいつの間にやら保守反動になったと、そんなことまで言われます。どうでしょうね。こんなこと言うて皆さんに失礼ですけど、「私は真宗門徒である」という明確な意志決定がございますか。「私は真宗門徒です」と言えるものがありますかね。

 僕はクリスチャンのお友達がたくさんおりますけどね、クリスチャンの人はみんな「私はキリスト者です」と、はっきりおっしゃいますよ。そのへんがちょっと違いますね。

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 私の寺では毎年夏期講習会を三日間泊まり込みでやっとるんです。北海道、青森から鹿児島までいろんな方が来られます。約40人ほどが寺の本堂に雑魚寝をして、夜遅くまで話をしていらっしゃいます。

 東京の豊島岡教会という教会の牧師をしていらっしゃる金纓(きむよん)さんとおっしゃる、韓国の方ですけど、日本の人と結婚をなさってて、私といろんなことで親しくしている人がいます。去年でしたか、金さんに私の寺の夏期講習会に来てもらい、一日お話をしてもらいました。

 金さんはどんな話をしようかというので、最近の問題を頭に入れて、それに関連するような「価値と価格」という題を出されたんです。私は「そんな題じゃダメだ」と言ったんですよ。
「じゃ何を話したらいい」
「あなたのクリスチャンとしての信心を話してくれ」
「そうですか。それで楽になりました」
 そういうことで、金さんにクリスチャンとしての信仰を語っていただいたんです。

 私も東京の金さんの教会へぜひ来てくれと言われて行きました。「なに話すんや」と尋ねたら、「真宗門徒のご信心を話してください」とおっしゃったから、「よかろう」というので行ったんです。

 金さんが去年の夏期講習においでになった時に、非常に熱心なクリスチャンの人が3人参加されました。若い男の人と中年の女の人です。その男の人は金さんと前から親しい方なんです。

 その男性が、お寺の夏期講習で真宗の話を聞いて非常によかったと言われ、「それで私も決心がつきました」と言われたんですね。どういう決心かというと、その人は教会の日曜礼拝には何年来出てですね、牧師さんのお話をずっと聞いてきた。自分はクリスチャンだと思っておるけれども、洗礼を受けて本当のクリスチャンになろうという、そこまでの決心がつかなかった。

 ところが、「今度こちらのお寺へ来て真宗のお話を聞いたら、やっと決心がつきました。帰ったらすぐ洗礼を受けます」と言われたわけです。僕はね、「いやあ、それはめでたいなあ。よかろう」ちゅうて祝福したんです。
 僕は真宗というのはそんなんだと思うんですよ。真宗ちゅうのは。

 金光教の方もうちの夏期講習にいらっしゃったんです。女性の方です。その人が帰ってから、金光教の機関紙に投稿なさった。「こういうことを書きました」と、機関紙を私のところに送ってきた。

 投稿なさった文章にどういうことが書いてあるかというと、「生まれて初めて北陸の真宗のお寺へ行って、真宗のお話を聞きました。私は今まで金光教の教会で親神(おやがみ)さま」、教祖の方を親神と言うんですね、「親神さまのお言葉を毎週聞いておりましたけれども、真宗のお寺へ行って真宗のお話を聞いたら、今まで思いもかけなかった親神さまのお言葉の深さがしみじみと知られることになりました。だから、もっともっと真宗のお話を聞きたいと思います」と、こういうことが書かれてある。「よかったねえ」と祝福をしました。

 どうでしょうか。「そんなに真宗がよかったら、金光教をやめてうちの門徒になれ」と、そんなこと言う必要がないんです。私は真宗とはそんなもんだと思っとるんです。

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 ところが、どうも一般には、うちの家は真宗や、向かいのうちは日蓮宗や、あれは創価学会やと言うて、相手の世界を認めない。真宗教団がいつの間にか一つのセクトになっていませんか。セクトになれば、親鸞聖人のお言葉が必ず「これは絶対である」というイデオロギーになってしまうんです。教えの言葉が自分の立場を絶対化するところの教条主義、イデオロギーになるんですね。

 そうすると、森さんの発言なんかは全然受け入れることができない。真宗は神(じん)祇(ぎ)不(ふ)拝(はい)である。神とか霊などは拝まないのが真宗である。それを真宗門徒であり、しかも総理大臣をやっとる者が「日本は天皇を中心にした神の国である」ととんでもないことを言う。ああいうことは許せない。こういうことになるんです。

 真宗はそんなんでしょうかね。そうだとすると、森さんはとても助からんことになりますね。真宗門徒にあるまじきことを言うとるんですから、とても助からん。

 ところが、僕らが親鸞聖人から聞かされておるのはそうじゃない。一人でも助からん者がおったら私は仏にはなりますまい、お浄土という世界は十方衆生を一人も残らず摂取するんだと誓われた。老少男女貴賎を問わず、教養のある者もない者も、民族が違おうが国家が違おうが、宗教が違おうが、すべて通じ合う世界が開かれてくる。それを真宗と言うんだと。

 あれはダメだ、これはダメだと言うとったら、真宗がやせ細ってしまう。特殊なセクトになる。こういうことではないんでしょうかね。いつからそういうことになったんでしょうか。こういうことを私は皆さん方と一緒に考えてみたいと思うんです。私は、真宗とはこういうものだと解説したり、解釈したりするつもりは毛頭ございません。真宗を解釈したってはじまらんのです。解釈になったら生きた真宗がどこかへ行っちまうんです。

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 このごろ気になりますことは、同朋会運動が始まりましてから、聞法会、学習会、研修会と、いろいろ名前は違っても、日本中各地で毎日のように親鸞聖人の教えを学ぶ集まりがあります。テキストもできております。一番はじめには『自己と社会』というテキストがありました。そして、『観無量寿経』(かんむりょうじゅきょう)のテキスト、『宗祖親鸞聖人』。みんな一斉にテキストで真宗を学んで、本当の真宗門徒になろうとしとるわけです。ところが私は、これは真宗の教養講座と違うんかなあと、そんな感じがするんですよ。どうも気になるんです。

 我々の学び方の問題です。そういうのを三年五年と続けてやっとりますと、真宗というのは、なるほどそういう宗教か、お念仏とはこういうことなのか、お浄土へ往生するということはそうなのか、話はわかった。しかし、話はわかったけど、お浄土へ生まれる者は一人もいない。お浄土には誰もいない。こういうことになりませんか。学べば学ぶほど物知りになるんです。どうですかね。

 こないだ蓮如(れんにょ)上人の御(ご)遠(えん)忌(き)がつとまりました。ご存じのように、『蓮如上人御一代記聞書』に「心得たと思うは、心得ぬなり」という有名なお言葉があります。「わしはわかった」と、「わし」というものがつく限り、何もわかっていない。真宗というのを自分のものさしに合わせて理解しただけや。

 どうでしょうなあ。真宗、真宗と言っとるけど、実は自分の持っとるものさしを言うとるんです。そして、そのものさしに合うと、今日はいいお話やった。ものさしに合わんと、なんもありがとうなかった。そうすると、初めから「聞く」ということがないんですね。今日まで自分の作り上げたものさしをしっかり握りしめて、それが壊れたら大変やと。

 すると、いつの間にか親鸞聖人のお言葉よりも、自分のものさしのほうが大事になってくるんです。それじゃちょっと具合が悪いから、今度は無理して、親鸞聖人が私のものさしを守っておってくださると、親鸞聖人まで守り神にしてしまう。そういうことになりませんか。真宗がそういう宗教だったら全く魅力がないでしょう。全然魅力がありませんねえ。

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 今日お参りになった方を見ますと、比較的若い人がちらほらおられますけど、中年以上の方が多いですね。今年の夏期講習は7月29日から31日にあって、終わったばかりです。夏期講習はもう50年ほど続いておるんです。だから、世代交代が激しくてね、寺に集まって泊まり込んでいる人はほとんど孫みたいな世代になりました。お年寄りの方がだんだんと見えなくなりましたね。次々とお浄土へ行かれた。こういう言い方も問題ですけどね。

 私の年まで生きておりますと、もう先輩の人がほとんどいらっしゃいません。大谷派の宗門の中でも、同僚の人たちも少なくなりました。私よりも若い人たちの方も次々と亡くなられる。すると、みんなどう言うかというと、「浄土がだんだんにぎやかになって、娑婆がだんだん寂しなります」と、そういうことを言うんです。

 何を言うとる。お浄土はにぎやかになったり寂しなったりするところではない。時代がどのように変わろうが、社会がどのように変わろうが。お浄土は増えもせず減りもせん。お浄土へ行く人が多くなったから、娑婆で生きとる者が少のうなった。とんでもない。そんなこと聖典のどこにも書いてない。

 どこにも書いてないことを本気で言うとるのか。みんな「そや、そや」と言うとる。そして、何かそういうことが真宗に関わる話題のようになっとります。親鸞聖人はそんなことを言ってらっしゃらないですね。どういうことなんかね。

 親鸞聖人のお手紙をちょっと読んでみます。

なによりも、こぞことし、老少男女おおくのひとびとのしにあいて候うらんことこそ、あわれにそうらえ。

 今から八百年前のことです。飢饉が起き、戦争が起き、去年、今年とたくさんの人が次々に亡くなっていった。親鸞聖人より約20歳年上の鴨(かもの)長明と(ちょうめい)いう人が書いた『方丈記(ほうじょうき)』を読みますと、養和の飢饉(1181年~1182年)では京の町で何万という人が死に、悪臭が満ち満ちていたと書かれています。ですから、災害があったり、流行病がはやったりしますと、もう大勢が死んでいったんでしょう。それで、あの人も亡くなった、この人も亡くなったと、みんなが言う。

 しかし、親鸞聖人は、

ただし、生死(しょうじ)無常(むじょう)のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。

と書かれています。生死無常はお釈迦さまの言葉では諸行無常ですが、一切のものは自然現象から人事現象から、そう言っている私自身から、瞬時として止(とど)まることはない。変わり続けておる。現代の言葉で言えばそういうことです。

 臨終になって初めて死がやってくるのではない。なぜか。死ぬべきものとして生まれてきた。だから、僕らは成長して年老いていくけれども、一息一息(ひといきひといき)、死につつあるんです。臨終になって初めて、死が突然やってくるんではない。

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 私の声は聞きとりにくいでしょう。変な声になりました。私は若い時にはボーカルをやってましてね、実に自分でもほれぼれとするような張りのあるバリトンでした。京都、大阪、神戸あたりのいろんな会館やステージへ何百回となく立ちました。そういう声がお聞きのような声になっとるんです。急にそうなったんではありません。一息一息、死につつあるんですね。耳は半分以上死んどります。目もおかしいです。どんどん死んでおるんです。

 生きておるということと死んでおるということを離して考えることはできないんです。それなのに、我々は生と死とを概念として分け、そして生をいかに充実するか、死をどのように処理するか、そんなことばっかりやっとるでしょ。

 断末魔の苦しみなんて言葉があります。昔は、死というとどんなひどい苦しみだろうかと思うだけで、ぞっとした。しかし、このごろは断末魔の苦しみはあまりありません。お医者さんに任しておけば安らかにさせてもらえます。すべてではありませんが、死ぬ際の苦痛の問題はかなり解決されたんです。

 お母さんが赤ちゃんを産む時には、障子の桟(さん)が見えなくなるほどのひどい苦しみだと聞いとります。そんなご苦労なのかなと思うけど、このごろは無痛分娩というのがあるそうですね。今は生をいかに苦しみのない、快活で健康で便利で快適なものにするか、それが人間に生まれた目的やちゅうことになっとる。

 それから、死はこれを避けることができません。ここにおる人たちのうち、半分以上の人は5、6年たつと姿を隠してしまいます。けれども、死というものはどんなものもみなパーになりますからね、なるべく考えないようにする。そのために、自分の関心をしょっちゅうかき回すことで、心を一つところに集中しない。

 そうすると、死を感じないままで生きて、感じないままである日、忽念(こつねん)として死がやってくる。何の準備もなく、何の心がけもないのに、ある時に突如として死がやってきます。こんな悲惨なことはないですね。

 生と死とは分けてはならないものです。それなのに、ただ頭の中で分けて、そして生を充実し、死をなるべく排除する。それが人間の賢明な生き方であるということが現代の常識になっとるんです。僕らの生活がそうなってますね。

 ところが、生きつつあることが同時に死につつあることである。死につつあることがまた新しく生きつつあるということである。それを無常と言います。親鸞さまは「生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう」、何も別に驚くべきことではないとお手紙に書かれています。何を驚いているのか。初めから決まっとるんだ。それをみな驚く。しかし、驚くべきことではないんだと。

 蓮如さまはこの親鸞さまのお手紙をご覧になったに違いないです。それで蓮如さまのお手紙の中に全く同じようなことが書かれています。「疫癘(えきれい)の御(お)文(ふみ)」がそうです。

当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生まれはじめしよりしてさだまれる定業な(じょうごう)り。

 はやり病いがおきてたくさんの人が死んでいる。しかし、病気によって死ぬのではない。死ぬべき者として生まれてきたんだ。病気で死んだ。戦争で死んだ。交通事故で死んだ。そんなことは何も死の原因ではない。原因は生まれたということである。

 我々はこんな簡単なことを忘れてしまっとるんですね。新聞の死亡欄を見ても、「誰々が八十何才で死亡。心筋梗塞」と、死因が書いてあります。そんなものは死の原因ではない。本当の原因は生まれたということだとはっきりしとるですねえ。

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 こういうことを聞くとびっくりしませんか。僕らはいかにけったいな常識の上で毎日生きとるかちゅうことです。あの人が死んだ、この人が死んだ、何で死んだんだと驚いておるが、驚くべきことではない。なぜ驚くべきでないことを驚き、本当に驚かねばならんことを驚かないのか。こういうことなんですね。

 そんなら本当に驚くべきことちゅうのはなんや。それは「私はどこから来て、どこへ行くのか」「何で人間に生まれてきたのか」「今ここにこうしておるということはどういう意味があるのか」、そういうことがはっきりしないまんまで生涯を終わらねばならん。これこそ驚かねばならんことですね。そう思いませんか。

 私らの生涯は何のためにあるのか。こうしておっても刻々として時は過ぎていく。そして、一番大事なことがはっきりしないまんまで生涯を終わってしまう。生涯を終わったらどうなりますか。何十年も聴聞しておる人に「あんたら必ず死ぬが、死んだらどうなる」と聞くんです。すると、みんな黙ってます。わかっとるんです。どうわかっとるか。死んだらお骨と灰になる。これ常識ですよ。「死んだらお浄土へ参らせてもらいます」、そんなこと言う人、一人もおりません。

 今までお浄土の話を聞いとっただけです。話を聞いとっただけやから、どうにもなりません。真宗の話を聞こうが聞くまいが、わかろうがわかるまいが、死んだら骨と灰になる、みんなそう思うとるんですよ。

 お浄土を仮に知っているとしても、「命が終わってからお浄土で救ってもらえるんだ」と言います。それじゃ娑婆からお浄土へ引っ越したみたいなもんや。お浄土やと思うていても娑婆とあんまり変わらん。わざわざ苦労して行かんでもええ。そういうことになります。もし親鸞聖人という方が出てくださらなかったら、我々ほとんどの人間はそれで終わりますね。

 人間に生まれたということはどういうことなのか。何のために生まれてきたのか。どこからどこへ行くのか。そんなことあんまり話題にならんでしょう。井戸端会議でおしゃべりしてて、「私らどこから来たんじゃろうねえ」と、そんなことが話題になりますか。

 死んだらどうなるのか。わからん。そんなら過去のことはわかっとるかというと、これもわからん。僕らがわかるちゅうのは記憶しておることだけです。母親の身体から出てきた時の記憶がありますか。全然覚えてないですね。まして十(と)月(つき)十日(とおか)、お母さんのお腹の中におった時の記憶なんかない。記憶のないことはなかったことにするんです。そこで過去と断絶をします。

 生まれる前もわからず、命が終わった後もわからず、過去も未来もわからん者が、現在だけはわかっとると思うとるんです。これも変なことですね。過去もわからず、未来もわからず、それでどうして現在だけわかるんですか。

 わしはわかっとる。誰に言われんでもわかっとる。皆そう思っとる。どうわかっとるか。「人間というのはこんなもんや」とわかっとるんです。「娑婆というのはこんなもんや」とわかっとるんです。真宗の話を聞いても、「ああ、そんな話か」とわかっとるんです。全部そうなっとる。

 自分のものさし以外のことは全然受けつけません。いかに我々が狭い世界に生きて、しかもそのことを驚きもせず、不思議にも思わず、そして「人間というのはこんなもんや。娑婆はこんなもんや」と思っとる。万事、自己中心です。そこに問題があるんです。

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 私は1916年、大正5年生まれですから、今年84才です。子供のころは明治時代の雰囲気の中で育ちました。明治は日本の近代だなんて言いますけど、大嘘です。我々の子供のころは、北陸の田舎では貨幣経済が生活の中にほとんど入っておりませんでした。現金がなくても半年は何でも買えました。ほとんどのことは自給自足で、着物も草履も全部自分たちで作ったですねえ。そして、みんな貧しいながら生き生きしてました。

 なんだろうとこのごろ思うんですよ。皆さん方を見ておっても、みんな栄養たっぷりで、ぶくぶく太って、まことにめでたいようです。けれども、輝いた顔があんまり見えませんね。ところが、発展途上国の人たち、たしかに豊かとは言えない生活であっても、子供の目が生き生きとして輝いておる。

 それに対して、日本では糖尿病の子供が増えたと、そんなことが言われてますね。日本の子供はいい身体してますが、目の張りがありません。私は生きておるんだという精気を感ずることができませんね。これは一体どういうことでしょうか。どこかおかしいですね。

 それはですね、一番大事なことを我々が見失ってしまっておる。驚くべきことを驚かない。驚く必要のないことを話題にして、何か変わったことがないか、変わったことがないかと探しています。だったら、変わったことをそれほど望んでおるのかというと、全く反対に、「お変わりもございませんか」「別に」「ああ、それはおめでたいことで」と。何を言うとるんやらさっぱりわからないですね。変わらないのがめでたいと言うておるのに、「何か変わったことないか」と求めておる。

 それは「我、今ここにあり」という、自分が現にここに生きておるという実感がないんです。それじゃ生きておる幽霊みたいなもんや。それは、現在がはっきりしないから過去もわからず、未来もわからんからでしょう。

 我々が生きておるということは、歴史的存在であり、同時に社会的存在であるということです。ということは、過去と未来は現在によって決まる。過去がはっきりするのは現在がはっきりするからです。現在によって過去が今の私にとってかけがえのない意味を持っておったんだとわかる。現在がはっきりすれば、未来は当然開かれてくるんです。

 ところが我々は、一番大事な現在というものを確かめることなしに、過去と未来ばかりを語っておるんです。これは個人だけのことではありません。最近の国会の予算委員会の質疑応答を見ておりますと、全部そうです。国も国民も同じですね。本当に大事なことをみんな驚かない。そして、予想されたことだけを大事にしています。どうしてこういうことになったのか。

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 非核非戦というと、当然、核ということが問題になるんですけれども、戦争とか核とかは、実は国家という問題なんです。我々は自分のことばっかり考える。国家をどうするかという大事な大事な選挙の時に、自分の利害だけで投票してます。国家というものを考えたことがないんです。

 これは面白いですね。私らの子供の時は逆に国家のことばかり教えられたんです。国家というものは最高に価値がある。大いなる国家の目的のために自分の存在全部をそこに投げ入れよ。そのことは具体的には「国家のためにいつでも死ね」ということです。「これが日本人に生まれた最大の感動であり、生きがいである」と教えていたんです。今の若い人にそんなこと言っても実感がないでしょうなあ。

海ゆかば 水漬くかばね
山行かば 草むすかばね
大君のへにこそ死なめ 顧み(かえり)はせじ

 人間としてのもっとも充実した生き方というものを僕らはたたき込まれた。僕なんかも典型的な愛国少年でした。そういう時代社会の中で、私どもは明治以後の典型的な日本国民になっていった。

 アメリカが原子爆弾を落としたことはたしかに世界の問題ですし、二度と再び繰り返してはならん重大な問題です。けれども、ことは単にアメリカばかりの問題ではありません。日本も原子爆弾をアメリカよりも一足先に作ろうというので、必死になって研究し、実験をしとったんですね。そういうことはご存じでしょう。有名な仁科博士という方が中心になりまして、一日でもアメリカよりも早く原子爆弾を作らなきゃいかんというので、国を挙げて研究しておったんです。ただ、それが間に合わなかったというだけで、もし日本が先に原爆を完成させていたら、アメリカがやったのと同じことをしとったに違いないんです。

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 国家とは一体何なのか。これも皆さん方と考えたいんですが、私どもがものを考える時には、「国家とは何か」「真宗とは何か」「人間とは何か」ということを前に置いて、我々の考えの対象にするんですよ。ものを考える時に、なるべく自分というものを問題にしないで、客観的に観察をするんです。

 僕らの考え方は全部そうなってますね。だから、真宗の話を聞いても、「お浄土とは何か」「仏とは何か」「救いとはどうなることか」、みなそういうことばっかり言います。「自分が」とか「自分にとっては」ということが抜けておるんです。

 そういう自分が本当に生まれてよかったという実感を持てる、そういう実人生を生きる主体になっておるかどうか。どうしてもそうなりたいか、なりたくないか、そういう要求と決断の問題です。こういうことが充分に考えられていない。「お浄土という世界はお経にこう書いてある。親鸞さまがこうおっしゃっておる」と説明して、それで話がわかってもダメなんですよ。

 では、どうしてもお浄土に生まれたいのか、生まれたくないのか、それともどうでもよいのか。命ある間にこれこそ間違いないという確かな世界にどうしても生まれたい。もし生まれないまんまで生涯を終わったら、こんな悲惨なことはない。だから、どうしても往生したい。そういう願いがなければ、どれほど往生の話をしとっても意味がありません。ただ、特殊な専門語の意味を理解したという物知りが増えるだけです。教養で私どもの人生が根本的に変わるということはありません。

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 こないだ本山から出た同朋会運動の報告書を読みました。今まで、お寺というものは死んでからお経をあげてもらう場所やと思うとったが、そうじゃなくて、仏教のお話を聞く場所やということがわかっただけでも意味があると書いてあった。なるほど、そういうことも言えるかもしらん。お寺は仏教のいろんな話を聞いて、物知りになって教養がつく。そういうとこやったとわかったんでしょう。

 念仏の道場というところはね、教養をつける場所でないんです。反対ですよ。教養などは全く間に合わんということが知られるところを道場と言うんです。人間は話が理解できたぐらいで安心できるものではない。我々が身につけたり、学校で習った教養ぐらいでは生きる本当の力にもならず、感動にもならん。

 生きるということは感動するということです。驚くということです。毎日驚く。この驚くということが生活感覚の一番ビビットな生きておる証拠ですよ。人間に生まれたということはね、腹一杯驚きたいんです。驚きのない世界は退屈です。驚くものに出遇いたいんです。

 驚きたいですか。驚きたくないですか。あんまり驚くようなことがあるとイヤですか。どうでしょう。驚くということは常に新鮮な感覚で生きるちゅうことです。北陸の昔の浄土真宗のご門徒は仏法を聞くと、同じことを何べん聞いても、「それは初事(はつごと)でございます」「今日は初事を聞きました」と、みなそうおっしゃってたんです。

 先ほど話したクリスチャンの青年でも、洗礼を受けるかどうか心が決まらなんだのが、真宗の話を初めて聞いて、「洗礼を受けることに決めました」と言われた。これが驚きですよ。僕らはそういう新鮮な驚きを忘れてしまったんでしょう。それがないから、生きておるのか死んでおるのかまるでわからん。

 毎日、退屈至極。みんな退屈しきった顔をしてますね。あれだけでわかります、僕らの生活全体が。すると、退屈をまぎらわさなきゃいけませんから、光と音とでかき回すんですよ。寝る時までも光でいっぱいにしとる。人間だけが遅うまで起きとるんかと思うと、街路樹まで電気をいっぱいつけて寝させんのですね。とんでもない世界を作ってかき回しとるんです。

 驚くというのはどういうことかというと、僕らの常識とか教養とかいった身につけたものが、そこに生きておる自分の世界が破れることです。崩壊することです。今まで身につけた常識がもう何の魅力もなくなってしまう。自分の世界が毎日開かれ、破られてくる。そのことが新鮮なんでしょう。そやないですか。

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 仏法を聞いて自分の世界を安全無事に守ってもらうのが宗教だと長いこと勘違いしとったんです。とんでもない話です。だいたい日本で宗教といえば全部守ってもらうことです。ご先祖であれ、神であれ、仏であれ、全部守ってくれる。守ってもらうほど素晴らしい生活をしとりますか。はっきり言ったらエゴイズムの固まりでしょう。他人はどうでもいい。自分さえ満足すればいい。そうして、自分の世界をしっかり守っていく。そういうふうに自分を守ってもらったらどうなりますか。とんでもない話になります。

 宗教というのはね、守ってもらったらダメなんです。今まで確かだと思っていた常識も教養も、せっかく手に入れて作り上げた信仰も、現実にぶつかると全部間に合わない。みんな壊れてしまう。実はそのことが大事なんです。

 信仰というのは壁を塗るように自分の世界を上塗りし、上塗りして、守っていくもんじゃないんですよ。それだったら退屈至極な人生になります。毎日毎日それが破られていったらどうですか。もう新鮮ですね。

 自分のことを言うと何ですけども、僕はこの年になって、どこへ行っても自分が取り残されてしまったような感じがするんですよ。先輩も友人ももうほとんどいない。日本中どこへ行っても息子か孫みたいな人ばっかりです。

 日本の国では、年をとることが非常に悲惨なことであり、哀れなことであり、悲しいことであるという、そういうことになってますね。今では老人介護の問題が盛んに言われていますけど、とにかく年をとるということは、哀れで悲しい悲惨なことだということになってます。しかし、そうではないでしょう。

 別に負け惜しみに言うわけではないし、自己主張をしたいわけでもないんだけど、このごろ僕は、年をとるということは毎日初体験ばっかりすることだと、ほんとに実感しとるんです。今まで80代のことを考えることさえできませんでした。だいたいね、年寄りは若い時の思い出がありますから、まだうっすらと若い世界がわかるんです。ところが、若い人は年寄りのことが絶対わかりません。体験したことがないんですからね。予想しとるだけでしょ。

 いよいよ年とってごらんなさいよ、今まで思いもかけなかった初体験ばかりです。目というのは見えるのが当たり前だと思っていたのが見えない。人の言っていることが聞こえない。こんな生まれて初めての経験をするんです。びっくりするしかないですよ。今まで自分のものさしに合わして生きとったのが、現実は全然ものさしに合わない。そしたら、ものさしのほうを取り替えにゃいかんでしょ。そんなことも年とって、やっとわかるんです。

 皆さん方は年とることをどう思ってらっしゃるか知らんけども、年とることが悲惨なことで、悲しいことになるのか。毎日毎日、初体験、初体験の驚きなるのか。今からその選びが大事だと思うんですね。

 親鸞聖人は九十才の生涯最後の日まで驚き、驚き、驚き続けていった方です。こんなお手紙があるんです。

目もみえず候う。なにごともみなわすれて候ううえに、ひとなどにあきらかにもうすべき身にもあらず候う。

 90近くになった。目も見えない。何もかも忘れてしまった。このように書かれています。

 今まで体験したことがない日々が来るんです。目が見えないことも初体験です。そうすると、見えた時には見えなかった世界が見えてくるということが始まるんです。見えていた時には気のつかなかったことが、びっくりすることが始まるんです。

 年をとると物忘れがひどくなるというけれども、私なんかも今ここに置いた物がもうない。なんか意地の悪い小悪魔がおってね、片っ端からどこかへ隠してしまうんです。それを探すのにへとへとになります。皆さんも年とるとわかります。みんなそうなるんです。

 だけど、そういうこともあるけれどもね、親鸞さまが「なにごともみなわすれて候う」とおっしゃるのはどういうことか。「なにごともみなわすれて候う」というのは、今ここに置いたはずの物が見えんという、そんな簡単なことじゃないんです。

 親鸞聖人はそれまで一生懸命学問をし、心の工夫をし、悪戦苦闘をして、そして多くの先輩方から感銘する言葉をたくさんいただいた。それが『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)に一つひとつ引かれております。龍樹(りゅうじゅ)菩(ぼ)薩(さつ)の言葉、天親(てんじん)菩(ぼ)薩(さつ)の言葉、曇(どん)鸞(らん)大(だい)師(し)の言葉がずうっと引用されています。毎日そうした言葉を繰り返し繰り返し確かめ、生きてきたつもりでおったけれども、このごろはその大事な大事な言葉すら出てこない。あれほど大事にして、生きる力とし、生きる喜びとし、生きる頼りとしてきた、珠玉のような大事な大事な言葉すら出てこない。みな忘れた。

 僕はそういうことに違いないと思うんですよ。他人様にいかにも知ったつもりで高僧方の言葉を説教してきた。けれども、その大事なことを全部忘れてしまった。だから、あらためて「ひとなどにあきらかにもうすべき身にもあらず候う」、そのような身になったという我が身の発見をされたんです。どうでしょう。哀れなことですかねえ。

 何もかもなくなったのか。なくなりゃせん。現にこうして生きつつ死につつ生きておる。その私を日に日に新たに生かしめておるものは何か。これを親鸞さまの言葉で言いますと、あらゆる場に合いそうな言葉を全部忘れてしまい、後には念仏のみが残った。こういうことをおっしゃってるんだと思うんですよ。すると今度は念仏とは何かということです。

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 浄土真宗というのは念仏です。我々はその念仏まで頭で理解して知識にしてしまうんです。それはもはや念仏でありません。我々に対して、我々のありのままの事実を言い当て、照らし、我々のあり方全体を常に問い続けてくる。そのはたらきを親鸞さまは浄土とおっしゃるのです。

 浄土というのは国土です。清浄なる国土。それで浄土と言うんです。我々の生きておる世界を娑婆と言います。だから、死んでから行くのをお浄土やと、浄土真宗の方はそういうふうに思いこんできたんです。そうじゃない。

 安田理深先生という、亡くなられて早十年近く経ちますがね、その方の全集に載らなかったものを編集して出ております。こないだ配本がありました。浄土に関する安田先生の論文を集めたものです。それに、浄土と書いて、その下に「ハイマート」とある。ハイマートとは何か。ドイツ語です。ふるさとという意味です。

 ふるさとというのは何か。そこで生まれ、そこで育ち、そこで言葉を覚え、そこで人間としての資質を養い、そして一生懸命に生きて、また帰っていくところがふるさとです。我々はふるさとを一人ひとり持っています。その事実に合わせて、お浄土というものをハイマートと言われた。

 ここは安芸の国ですね。すると皆さん方のふるさとは安芸の国です。私のふるさとは加賀の国。昔はみな国と言った。国がふるさとだった。だから、お国言葉がある。言葉が違うんです。言うならば文化が違うんです。異文化です。日本は単一民族やと教えられてきたけれども、実際は文化が違います。

 私はあちらこちらへ行きますが、津軽の国、青森とですね、薩摩の国、鹿児島とでは全く言葉が違います。文化が全然違います。人間が違えば国が違う。ここにおられる人は一人一人違った国を生きているんです。

 仏教の言葉で言えば、これを境界と(きょうがい)言います。世界というのは地理的物理的概念ではございません。その人の生きておる世界です。境界が違う。たとえば、何十年来夫婦生活をしておっても、世界が違う。そういうことがあるでしょう。それで、ちょっとトラブルが起きると、「こんな人とは思わなんだ」と言う。わかったつもりでおったが、何にもわかっておらなんだ。いかに世界が違うか。しかも、違うということをはっきりさせなかった。お互いがごまかし、甘やかしてきた。何となしに一緒やと思ってきた。そうして、世界が違ったまんまで生涯を終わっていく。それに耐えられない。

 人間の究極の要求は何かというと、文化が違った者の魂が響き合う、言葉が響き合うような一つの世界を共に生きたいという、これが一番深い人間の要求です。今、私がその要求に生きる者となるということを、親鸞さまは往生とおっしゃっているんです。

 往生とは、何か我々の現実の世界とは違った世界へ向かって行き、そこへ行き着くことじゃないんです。文字通り生き続け生まれ続ける。私が生まれ続け生き続けていく、終わりのない大きなはたらきの中に、そのはたらきを我として生きておる。それを往生という証を(しょう)生きる身になったと、私の言葉で言うとそういうことになります。

 往生というのは、これから未来に始まるんじゃなくて、毎日毎日が生まれ、生まれ続け、生き、生き続ける。その終わりのない躍動する生を一息一息生きる身となった。それを往生という証をいただいたと、こういうふうに親鸞聖人はおっしゃるのでございます。

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 国家とは何か。国家の行うことがすべて正しいのか。こういう一番大事なことがはっきりしないと、国家を見る目が曇ってしまいます。そういうことが非核非戦の中で一番大事なことだと私は思います。

 非核非戦。核を作り出しているのは国家であり、その国家を支えておるのは我々一人ひとりです。何も核の問題が一人歩きするわけではありません。それを進めておるのは国家である。その国家を一人ひとりが支持しておるのである。問題はそこまで行かないとはっきりしない。少なくとも、真宗門徒の非核非戦運動というものは、そういうことを一人ひとりの上において明らかにしていくことが大きな問題であろうと思うんです。

 核に対して反対する。これは当たり前の話です。しかし、我々はそれだけではない。このあいだ、京都で東西本願寺の有志が平和行進というものをやりました。私も若い人たちと一緒になって横断幕を持ちまして、京都の市内をデモしてきました。「戦争反対。靖国国家護持反対。市民の皆さま、市内の皆さま」と言って歩くんです。

 その歩くということについて、いろんな問題が起きてくるわけです。そういう問題を限りなくいただいていくことが生きとる証拠じゃないですか。答えを出して問題をみな片づけることが人生ではないんです。

 我々は宗教というと勘違いしとるんです。何か困ったこと、悩みがあると答えを出してもらって、そして安心したい。世の中の多くの宗教が、あなたの苦しみ悩みを取り除きます、幸せを授けます、こういうことを言いますが、あれは人間を人間でなくしてしまうんです。それは人間が死んでしまうということです。日本人の宗教心が麻痺してしまっているんです。何が宗教やら、何が日常の生活やら、区別がつかんようになっとる。

 だから、本当に何を願っておるのかがわからない。これでいいのか。夫婦というのはこれでいいのか。親子というのはこれでいいのか。私自身はこれでいいのか。人間である限り次々と疑問が湧いてきます。その疑問が苦悩になります。

 生きることについて何の疑問もなく、何の苦悩もない者。それは人間ではありません。ロボットです。苦悩をなくしたら救われる必要がなくなります。問題がなくなったら、もはやそこには人間はおりません。ただロボットが息をしとるだけです。そういう者になりたいのか。苦悩をなくすだけの宗教で満足できるか。

 私の中に真実に生きたいという深い要求が起きてくる。それを親鸞聖人は如来の本願と教えてくださいます。苦しみや疑問を取り除くのが宗教ではないんです。人間に生まれたということは苦悩とする者として生まれたということです。

 人間は答えを与えられたぐらいでは安心できない。人間はどういう時に生き生きとした生きる喜びと感動を感ずるかというと、どこまでも限りない大きな問いをいただき続けていく時です。その時に生きる喜びと感動を生むんでしょう。

 親鸞聖人に我々が学ぶということは、決してできあがった答えを拝借することではない。我々が今までの生涯に思いもよらなかった問題をいただくということでしょう。それを後生の一大事というんです。我々の先輩たちは「後生の一大事に夜明けができたか。後生の一大事が明らかにならん限り、そのまま死んだら取り返しがつかんぞ」、そういうことを子供のころから言われてきました。

 平和の意志表示は誰でもやります。社会党の人も共産党の人もします。しかし、原爆反対という大事なことでも、日本では一つになれんのですね。二つに分かれてしまう。そういう現実があるでしょう。

 そういうことをあらためて我々自身の生き方に関する問題として深めていくと、そのことが真宗に学ぶことであろうと思うんです。そこに新しい生が、瞬時としてとどまることのない、深まり続け広がり続け、その代わり自分の今までしっかり握っていた古い世界が壊れ続け、破られ続ける。そこにオギャーと日々新たに生まれる。我々も南無阿弥陀仏と生まれ続ける。そういう往生という境界をいただくんだと。こういうことを非核非戦の法要を一つの大きな縁として思います。

 生きて再び皆さん方にお会いすることはおそらくなかろうと思います。私の最晩年にこういう貴重な時を与えてくださった。これが私の驚きであり、感動ですよ。そういう生き生きとした時を皆さん方と共に生きたい。それは天親菩薩が「普く(あまね)もろもろの衆生と共に、安楽国に往生せん」とおっしゃるように、私一個人に限らず、いのちを生きる全人類に流れておる大きな要求でございましょう。その究極的な要求を宗教心というのです。そういうことを親鸞聖人を通して毎日毎日あらためて確認させていただくことが大事であろうと思います。時間が来ました。申し上げていたらきりがありませんから、これで終わります。
(2000(平成12)年8月4日に極楽寺で行われた山陽教区非核非戦法要でのお話をまとめたものです)