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  山本 宏子さん 
   「相談を通して思うこと ―人との出会い―」

                             
 2003年10月25日

 山本と申します。保健センターで相談員をしています。主に家庭の問題について相談を受けています。
 主人のおばあちゃんが亡くなったことを機に、外に出ようかなということで、40歳からこの仕事につき、17年目に入ってます。

 もともと福祉の仕事をしたいなと思っいて、大学でも社会福祉を学んだんですが、そもそものきっかけは、私自身、父親嫌いだったとか、小学校の時代にとてもいやな先生がいたということがあります。
 その先生には、今から思えばセクハラということになるんでしょうか、べたべたされたり、肩を触られた隙に何となく触られたりとか、そういったいやな思いをしました。けれども、そういうことって親とかまわりにもなかなか言えないですよね。

 子供っていうのは、自分に意志がありながら、相手に伝える手段があんまりないんですよ。言葉も知らないし、親に言えば親が心配するだろうしって思ったりして、自分の気持ちをちゃんと語れないというところがありますでしょ。
 そういうことで、人の気持ちを聞く仕事ができたらいいなという気持ちがずっとあって、それは大きくなってまとめたらこういうことになるんですけど、たまたま機会を得て相談という仕事が得られたのは幸せだなと思います。

 私自身、振り返ってみると、父親がとても厳しかったというのが、今の仕事に大変役に立っているなと常々感じています。
 もっと理解のある父親のもとに生まれてたら幸せだったのになあとか、取っかえられるもんなら代わってほしいなという思いもあったですね。
 父とは性格的に似ていたということもあって、すごい反発してました。厳しかったですね、叩くというんじゃないんですが。まず言葉づかいは敬語を使わなくちゃいけないでしょ。何か言われたら、すかさず「はい」と返事して、何ごともすぐにしないといけないでしょ。時間にちょっとでも遅れると怒られる。ものすごく厳格だったのはまわりでも有名でしたから。

 父は私にとって大きな壁でした。とにかく高校で一生懸命勉強して、絶対父親のところから出ていくぞという思いがあって、そういう意味ではがんばってきたなというものが自分の中にあります。

 けれども、私という人間が育ったのは、厳しい親という壁があったからで、その壁を乗り越すということが自分なりの励みになったんだなと、年を経て、自分が親になり、子育てをして、親の思いというものが伝わった時に、人間が育っていく中で壁というものがどうしても必要なんじゃないかなとわかったような気がします。そして、あらためて感謝という、そういう気持ちになれたっていうことがあります。

 今のような理解ある親が、必ずしも子供にとっていい親とも言えないなあと思いますね。そこのバランスですよ。厳格だけがいいとも思わないし。友達関係的な親がいい親とか、先生だって友達感覚のような先生がいいとかいう風潮になってますけど、それでほんとに人が育つのかなというのは、私自身の中で感じますね。


 私の相談の中の大きなテーマは、家族という問題です。お子さんの問題を考えた時に、家族の中で話がなかなかスムーズに伝わらないということがあります。親子がお互いに一生懸命さを持っているんだけど、お子さんの気持ちも親の気持ちもどこかでずれていってしまう。我々はそれをよくボタンのかけ違えと言ってます。
 親がよかれと思っても、子供にとっては余計なお節介だったりするわけで、そういったものをどういう形で気づいていくかということですね。

 私は皆さんのお話を聞きながら、「お子さんの気持ちはどうなんですかね」と尋ねるたりするわけです。親の感情をすぐにぶつける前に、お子さんはどう思ってるんかねっていうふうに、まずは子供の立場で考えてほしいなっていう、そういう合いの手を入れるのが、私の仕事の一部分です。

 お互いの思っている感情や、置かれている環境はずいぶん違うんですけど、何が目的でお話しするのかなという、お互いの目的、たとえばお母さんがお子さんの非行で悩んでおられたら、子供がなんとか立ち直ってほしいという目標があって、それをどういうふうに考えていくかねっていうところで話をしていくことになります。

 ご相談はお母さんの場合が多いんですが、相談に来られる人はわりと問題意識なり、目的意識なりがあるから、どういうふうにして進みますかっていう話ができやすいですね。そしてお話を聞く中で、人間としてお互いがぶつかり合い、真剣に正直に自分を出していくことがあります。

 今とっても困っている難しい問題は、児童虐待ということです。先般も名古屋で本当に思いがけない事件が起きました。まわりが知っていたり、大人がいても、子供の命を守っていくことが難しい状況です。

 じゃあ、仕事としてやっていて私たちに何ができるかといえば、そのお母さんやお父さんなりに困っている問題を、ただ責めるんじゃなくて、何か理由があるだろうし、思いもあるだろうから、その思いをちゃんと聞くっていうことです。

 けれども、人の思いを聞くっていっても、最初から語ってくれるわけじゃないですし、どういう形でその人の心の琴線に触れるかということがあります。
 私自身を通して、自分が過去にいろんな人との出会いを持ってきたこととか、自分が苦労したこととか、そういうちょっとした体験を通して、お父さんお母さんなりの悩みに触れていくんだなと思っています。

 だけど、体験だけではお話がなかなかうまく進まないし、そのお父さんお母さんの思いに私自身が感情的に流されたりすることも、実際あります。時には、私自身の心のバランスをとったり、自分の浄化作用ができないと、一緒に話に流されてしまって、思わぬ方向に行ってしまうというような、怖い場面になってしまうこともあります。
 また、そうしてお話を聞き、一緒に悩み、考える中で、私が言ったことのために命を危うくするということだってあるんです。

 たとえば、家庭内暴力の相談で、どうするかねっていうことから、「じゃ、お母さんが負けずにここで壁になってがんばって、どんなことがあっても踏ん張ってやってみたら」って言ったら、本当にお母さんがやられてしまって、大けがをしたことだってあります。
 同じことを言ってうまくいく家庭もあるし、逆に大きなことになってしまうこともある。そういう怖さがあります。問題の背景がなかなか見えないところで言ったことが、はたしてそれでほんとによかったのかなという反省をくり返しながら、常々自分の気持ちの中で怖さと戦いながらやっております。

 児童虐待の問題ですが、主にはお母さんからの相談になってくるんですけど、根本のところに虐待しているお母さん自身が一番身近だった両親からの愛情を得られなかったということがあって、大きくなった時に、起きあがりこぼしの根っこのように、何があっても自分を保つという、心の重しになるようなものというのが作れていないということがあります。

 世の中っていうのは、自分にとって難しい場面なり、苦しい場面なりがあるし、人との関係で傷つくことがたくさんあるけど、そこから立ち上がることができず、転げたまんまなかなか立ち上がれないということがあるんですね。

 相談に来られる方たちは親子関係の問題を抱えているわけですけど、しかし今、親子関係を作り直すいいチャンスをもらったということでもあるんです。だから、困るとか逃げるっていうことでなくて、今しなくちゃならんことは、今やってやろうじゃないかっていうことになればいいなと思ってます。

 児童虐待のお母さんの場合だったら、自分が親から暴力受けたり、食べさせてもらえなかったり、悲しい、つらい目に遭ってきてるもんだから、お子さんが言うことを聞かないからと叩いたり、ひどい時は顔を水につけてみたり、外に出してみたり、裸にしてみたり、そういうことをどうしてもしてしまうことになるんです。
 けれども、そんな中でどうにかして少しでも変わっていく、たとえば何回もやってたけども、それが回数が減っていくというふうになればいいなと。

 子供を育てる中で自分の過去を振り返り、自分を取り戻していくということ、それはつらい作業ですので、そういった時に一緒に話をしながら、少し元気を取り戻してくれればいいなと思っています。お話を聞いていくのはつらいけどもね。
 マラソンの場合でも、一人で走るよりは伴走者がいればちょっとでも気楽に行けるという、そういう形で、前へ出るというより伴走者として共に歩けたらいいなと。相談員というのはそういう黒子的な存在なんです。

 ご本人自身の問題であるわけだから、最終的には人の助けを借りないで、自分で考えていけるというところまで、お母さんが育ってくれたらいいなと思ってます。
 朝顔で言えば、我々は竹のつっかい棒のようなものなんですね。朝顔っていうのは自分で花を咲かせて伸びていくんですけど、ちょっと添え木的なものがあれば倒れないですむわけです。

 そこらの立場を常にわきまえて、引っぱっていくんじゃなくて、いろんな話す機会なりを作って、相談の中で自分をぶつけながら育っていってほしい。そういったことを常に頭におきながら話を聞いてます。


 現代の家族は核家族になっているということがあって、どうしても母親が一人閉じこもりがちになり、孤独になっていくということがあります。子育てというのはとても大きな事業ですから、一人の力で行き詰まった状態の時に、我々のような窓口が開かれておりますから、そういう窓口を尋ねられればと思います。電話でも直接来られての相談でも、まずなんとか第一歩、風は通ります。けれど、窓口がなかなか見つからない場合に、大きな事件になっていくように感じます。

 名古屋の事件では、保育園とかから通告はあったようですけども、なかなか現実は俊敏な動きにつながらないというところで、尊い命がまた一つ消えていったというのが現実です。
 今回、名古屋の児童相談所が責められる立場にはなりましたけど、子供については親権が大きな力がありまして、子供が生命の危機に瀕しているとか、身体に傷があって虐待があるとか、そういった状況であっても、その子供さんを親から引き離すことがとても難しいわけです。

 アメリカでは、そういう通告があって親にまかせられないということになると、子供は親から引き離して、施設なり、里親なりに預けたりしますけど、日本の場合は伝統的な親子関係というものが強く残ってて、親の力が絶対ですので、そこらからお子さんを安全に預かるということが難しい現実になってます。今の日本では、自分の意思を言えない子供の人権を守ってやれないのが現状です。

 けれども、児童虐待防止条例というのができまして、平成12年11月からどうしてもという時には、警察の力を借りてでも子供は親から引き離そうという、制度は一応できました。


 児童憲章の中には、子供の人権を守るという意味で、前文に大きな項目が三条あります。
「児童は人として尊ばれる」
「児童は社会の一員として重んぜられる」
「児童はよい環境の中で育てられる」

 こういう大きな項目が掲げられているんです。
 我々が育った時代から比べると、今の子供ってとても住みにくい時代に生きているなと思いますね。ですから、個人的な努力だけではなかなかどうすることもできないところがあります。社会全体で、ということですね。
 家族の中だけで子供を育てるのは難しいので、地域でという声がしきりにあがっています。やはり安全に身のまわりで遊べる、そういう環境ができるととてもいいなって思います。けれども、公園というのが意外と死角というか、いろんな事件が起きやすいということがありますし、そういう作られた場よりも、身近な目の届く範囲の場が、これから地域の中でできるといいんじゃないかなというふうに思ってます。

 森田ゆりさんという児童虐待専門の方、アメリカで学習された方がおられます。その方が児童憲章の前文と同じような内容なんですけど「自信、安心、自由」ということを言っておられます。
「人間が生きるためになくてはならない人権を、心のレベルで分かりやすく言うと三つあります。『安心して生きるという権利』。それから『自分に対して自信を持って生きる権利』。そして三つ目は『自分で選んで生きていくという自由』。この三つがないと生きるのが非常に困難になる。」
 このことを「自信が持てるような環境、安心できるような環境、自由のある環境」、そういうふうに言ってもいいかと思います。

 このようなことをみんなが念頭に入れながら子供を見てやれればいいし、家族の中でいさかいがあった時に目標ということで、このことを頭に入れておくといいのかなと思います。


 私が扱っている問題は虐待の問題ばかりでなくて、非行の問題とか、不登校のお子さんの問題とかもあります。

 先日、うれしいご報告をいただいたんですけど、あるお母さんと足かけ5年ぐらいかけてずっと話をしてきたお子さんのことなんです。

 転校をきっかけに息子さんが中2から不登校になって、不登校から非行、バイクの無免とか、女の子と夜遊びとかがあったんです。
 そこで、何が問題だったかと言えば、お父さんとの関係なんですね。思春期における男の子とお父さんとの葛藤って、なかなか乗り越えがたい大きな山になる場合が往々にしてあります。A君の場合は、お父さんもお母さんも自分の思春期をとてもスムーズにおくってこられたんです。ですから、親との葛藤という争いをしたことがない、経験のないご両親なんです。
 A君がちょっとなんか言おうものなら、お父さんが「まだ子供の分際で親にそんなことを言っちゃいかん」とかいうふうに、頭ごなしに怒ったりするもんだから、親子関係の溝がだんだん深くなっていったわけです。
 結局、A君が、自分がこの家にいたんではとてもじゃないけどつぶされてしまうと思って、じいちゃん、ばあちゃんの家に行って、そこから高校に行きたいという最後の決断をしたんです。そして、親元から離れて、自分なりに飛び立って、新しい生活をスタートさせたんです。

 家から離れたい、親に干渉されるのはいやだということがあって、自分の道を自分で選んだということです。今まではなんでもかんでも親にコントロールされて、こうしなさいと言われ、道を外れることを許されなかったA君だけども、今度ばかりは自分が選んで、その高校には自分から行くと言ったわけですね。よく高校に入れたなあと思うんですが、家庭教師に来てもらって勉強はぼつぼつやっていたようです。

 子供自身が自分で自分の道を選択できるというところまで成長したということ、そして親も子供にまかせなくちゃいかんということ、そういう親子の変化ができたというのがよかったのかなと思ってます。
 今、A君は高3になったんですが、高1まではバイクの無免で警察に捕まったりして、お父さんが謝りに行くという、そういう事態が続いていて、中途退学になるかなということもあったんです。なんとか高2ぐらいから持ち直して、この前もお母さんから「おおよそ大学の推薦が決まりそうなんですよ」という連絡をいただいたところです。

 お父さんはご自分が真面目だったから、この子がよそ道へそれて、ちょっと乱暴したり、夜遊びしたりするのを、「人間としてのクズだ」というふうにすぐにけなしていたんですけど、警察の呼び出しがあった時などには、必ずお父さんは親の責任として警察に一緒に行って話を聞いてきたりとか、迷惑をかけた家には謝りに行ったりとか、親としてやらなきゃならんことはしっかりやってこられたんです。
 A君は反発していたものがあったんですけど、いつしかお父さんがやってくれる行いを通して気づいたことがあったのか、最近は週に一回ぐらい、土日に帰ってくるそうです。今までは家にも寄りつかなかったんだけども、なんとか家に帰ってきて、家族でそろって過ごせる家庭にやっとなれたと、お母さんが言っておられました。この子が自分の居場所をやっと家の中に見つけられるようになったんでしょうね、5年近くもかかったけど、そういう月日の中で待ってれば解決できることになるんですねって、しみじみ先般もお話したことです。

 A君自身も親子の葛藤を通して優しくなれたし、気づかいができる人間になったなと。それと、やりたい放題やって、知らんわとなんでも責任を親に向けていたのに、生徒会とかクラブいったところにも顔を出して、みんなのために何かしようかっていう思いも生まれたようです。自分の行為に責任を負えるような人間になっていって、大人になる道をちょっとずつ作り上げているのかなあっていうことも感じます。

 苦労をするとか、回り道をすることが人生にはあるんだけども、苦労っていうことは人間にとって必要なことなんじゃないかなと思います。
 ただ、迷ったり、苦労したりしていて、一人では耐えられない時には、家族が支えになったり、家族も迷っているなら、我々のような相談の窓口がありますから、ちょっと利用してもらいながら、ぐるっと一回りして、またもとの家族というところにまとまってくれれば、一番願わしいことかなと思ってます。


 私の好きな言葉に心理学者の河合隼雄という方が言われているコンステレーションという言葉があります。
 家族というのは、バラバラになったり、何をしてもうまくいかない、本当にどうしようもなくなるといった時があって、そこを通り抜けて、歯車がかみ合い家族がまとまっていく姿があります。このまとまった姿を天体の星座にたとえて、コンステレーションと河合さんは表現されています。

 星は散らばっているので、一つ一つの星がバラバラに見えます。けれど、ふっと星座という形でまとまって見えたりもします。
 家族というのはバラバラの時もあるけど、星座のように大きな形でまとまる時もあるんだなと。家族は常にまとまってなくちゃいけないということでもないですし、ふくらんだり、縮んだり、そういう状態をへながら、家族というのはつかず離れずやっていくんだなと感じます。

 皆さんもそれぞれご家族がおありでしょうし、私も結婚以来、主人の母と35年ぐらい一緒に過ごしてますけど、家族というのはいいことばかりでないし、かといって悪いことばかりでもないですね。
 何かの参考になればということで、お話しさせていただきました。

(A君の場合はうまくいったけど、そうはいかない場合もあるんじゃないですか)
 非行の子というのは結構いい形でいく場合が多いんですね、エネルギーがあるから。
 ただ、押しつけるとだんだん子供って反対のほうにいってしまうんかなって感じますし、実際目にするんです。親とか世間とかの考えだけで子供を見てしまいがちですよね。だけど、その子はその子の人生があるから、そうよねって、まず受け入れることから始めないと。否定することから始まったら、どんどん袂を分かっていってしまうかなと。

(しかし、A君のお父さんは「クズ」というようなことを言ってます)
 そういう戦いがあったからA君は問題を起こしたんですよ。けれども、問題を起こすというのは事態を変化させるにはいいきっかけなんです。
 それをきっかけとつかまえてとらえるか、いやいや、絶対自分が正しい、子供のほうが悪いという歩み寄りをしないか、です。
 親自身が自分の足元を見ることによって、逆に子供が気がつくことがあります。親が変われば子供は変わるという、それは短絡的な考えかもしれませんけども、どこかで変わらないと変化は生まれないと思うんですよ。

 A君の家はお父さんも徐々に変わられましたね。あんな奴はだめだと言ってたんですけど、離れたことで子供を見る目が変わったんですね。
 そうは言っても、あの子は二年間不登校だったにもかかわらず高校に行くまでがんばったじゃないかって認めたこともあるだろうし、自分たちのところを離れてでも、じいちゃん、ばあちゃんに甘えながらでも、問題を起こしながらでも、学校は続けたいという願いを持ってたじゃないかということもあったでしょうね。
 お父さんはA君と離れたからこそ、徐々によい変化を認めることができ、A君を受け入れられるようになったんだと思います。

 ヤマアラシ家族という表現があるんですが、ヤマアラシはトゲがあるから、近づきすぎるとトゲがたってお互いを傷つけあう。けど、離れると寂しい。そこでいいバランス、いい距離を保つことによって、お互いが争わないで穏やかに生活することができる。相手がほどよく見える距離をとることが大事なのかなと。

 当然ながら、相談を受けてもすべてがうまくいくわけではないんですよ。申し訳ないな、でもこれも人生だと思う時もあります。

(立ち直るのは家族がきっかけですか)
 家族ばっかりでもないと思いますよ。本人自身の問題と出会いだと思います。
 どういう出会いをするか。出会いは人との出会いもあるだろうし、本との出会いもある。音楽との出会い、宗教との出会いもあるだろうし。
 本人がそういうつかめるものに出会うチャンスがどこにあるかということがあると思うんですね。それには、出会いに気づくということが大切になるんです。自分が何らか問題意識なり、悩みがないと気づきませんよね。だから、問題があるということは大事なことだと思うんです。悩むということも大事なことです。

 相談を受けながらも、続かずに中断することもあります。出会った短い時間の中で、人はそんなにすぐに変わっていけるものではありません。すなわち、即問題解決には到りません。

 ただ、様々な問題を生じた時に、子供は自分の全存在をかけてぶつかってきます。そんな時、吐き出されたすさまじいエネルギーをまわりの大人がいかに受け止めていくか。壁のように立ちはだかり、己の未熟さと世の中には限界があることを厳しく教えることも大切です。一方では、親子間ではどんなに問題を起こしても見捨てることなく、ちゃんと見守り、応援しているよというサインも送り届けてほしい。言うべきこと、やるべきことをやり、あとは時間をかけて待てる親に。

 人という字が示すように、人間同士、お互い支え合って生きています。そこには必ず関係性、あるいはコミュニケーションが生まれてきます。たとえば会話にしても、話す人と聞く人の役割があります。上手にバランスをとらないと会話はスムーズには進みません。

 私は相談員の仕事をしていますから、ほとんどが聞き役です。一緒に問題解決に向け歩み始めますが、目指すところは問題それ自体の解決でもないようです。徐々に生き方の回路が増え、自己決定が楽になり、そして毎日の生活が少しずつ生きやすくなっているように思います。

 来訪者の方が相談という出会いを通し、束の間ではあっても止まり木として心を休められ、元気を取り戻して再スタートされることを願うと同時に、一方では私自身、多くの方々との出会いを通し、わがままで勝ち気だった私自身が今はずいぶん忍耐強く、柔軟な自分に変わってきたことに気づきます。

 人は人との出会いを通し、自分を築き上げていく。これからも「人生は邂逅である」という言葉を大事にしていきたいと思います。

(2003年10月25日に行われましたひろの会でのお話をまとめたものです)