1 なぜ予言は当たるのか
予言や奇跡などの種明かしをしても、信じ込んでいる人は耳を傾けようとはしません。
予言はなぜ当たるのか、なぜ予言を信じるのか、だますテクニックやだまされる側の予言を信じる心理は、インチキ宗教・悪徳商法・迷信にはまってしまう心理と共通しています。
『トンデモ超常現象99の真相』に、ノストラダムスについて山本弘さんはこう書いています。
「ノストラダムスは決して無能な人間ではなかった。彼は確かに天才であり、自分の予言がはずれないよう巧妙に計算し、工夫をこらしていた」
・第一のテクニック 「とにかくたくさん予言すること」
ノストラダムスの『百詩篇集』には全部で942篇もの四行詩が収録されています。そのほか『予兆集』には141篇。
「これだけいろいろなことが書かれてあれば、歴史上のどれかの事件が、どれかの詩と符合することは、ほとんど必然といえる」
・第二のテクニック 「当たり前のことを予言すること」
「ノストラダムスの予言の多くは、「独裁者が現れる」「戦争が起きる」「疫病が発生する」「重要人物が死ぬ」といった、いつの時代、どこの国でも起こりそうな内容ばかりなのである」
・第三のテクニック 「期限を明確にしないこと」
「彼の予言には、その事件が起きる年をちゃんと記載したものはほとんどないのだ。(略)「○○年に起きる」とはっきり書いてしまうと、その年が過ぎてしまったら、はずれたことが誰の目にも明らかになってしまう。
逆にいえば、期限を指定しない予言はいつまでたってもはずれないわけで、はずれないかぎりは予言者としての名声に傷がつくこともない」
・第四のテクニック 「どうにでも解釈できるようにあいまいに書くこと」
「ノストラダムスの詩はとにかく難解である。意味ありげな地名や占星術用語、辞書に載っていない不可解な語句が頻出する。だから訳者の解釈によって、どんなふうにでも訳せてしまう」
多くの予言はこの四つのテクニックを組み合わせています。ノストラダムスのテクニックを手がかりとして考えてみましょう。
①とにかくたくさん予言する
多くの占い師たちが今年の事件、出来事をたくさん予言します。一つぐらい当たっても不思議ではありません。
②当たり前のことを予言する
株は上がるか下がるかです。地震や台風などの天災は毎年どこかで起こります。
当たり前のことをたくさん予言すれば、必ずいくつかは当たります。
バーナム効果といって、誰にも当てはまる言い方があります。たとえばこんな文章です。
・あなたは他人から好かれ、賞賛されたいと願っています。
・あなたは自分自身に対して批判的な傾向があります。
・あなたにはまだ利用されていない能力があります。
・あなたには性格的に弱点もありますが、たいていそれを補うことができます。
・あなたは現在、性的な適応に関する問題を抱えています。
・あなたは外面は自律的で、自己管理しているように見えますが、内面的には心配性で、不安定な傾向もあります。
・時々、あなたは自分の決断や行動が正しかったのかどうか深刻に悩むことがあります。
・あなたはある程度の変化と多様性を好み、禁止や限定を加えられると不満を覚えます。
・あなたは、自分自身の頭で物事を考え、証拠不十分な他人の発言をそのまま受け入れたりしないという自信があります。
つまり、「明日の天気は晴れか曇りか雨か雪です」という天気予報みたいなものです。あるいは、「さいころを振ったら、必ず1から6までの数字が出ます」というような。必ず当たりますが、少しも意味がありません。
誰にでも当てはまる言い方というのはいろいろあって、「あなたは男の人で悩んでますね」と女性に言います。「男の人」とは恋人、夫、父親、上司、近所の人、ストーカーなどなどすべて当てはまりますし、悩みといっても、片思いから浮気、金銭問題、人間関係のもつれなど、いろんな悩みがあります。ですから、ほとんどの女性は心当たりがあるでしょう。
あるいは、20代の女性のほぼ十数人に1人が中絶しているそうですし、妊娠10回のうち1回は流産するそうです。自分が中絶してなくても、先祖や親戚がしているかもしれません。となると、「水子が苦しんでいる」と言われると、多くの人がドキッとするわけです。
あるいは「子供の頃、生き物を飼っていませんでしたか」と尋ねます。生き物ですから、犬、猫、鳥、金魚などなんでもいいのです。たいていの家では生き物を飼っていたことがあるでしょう。
カール・ポパー「何でも説明できてしまう考えにいかがわしさを感じるのは健全である」
③期限を明確にしない
芸能人が結婚した時に、「いつか破局がおとずれる」と予言をすれば、はずれることはありません。
破局が離婚か死別か、あるいは別の何かかは言ってません。しかも、日時を限定していないのですら、50年後に破局がおとずれるかもしれません。そのころにはみんな忘れています。
④どうにでも解釈できるようにあいまいに書く
予言はあいまいな言い方をします。「悲惨な出来事が起こる」というように。後づけで解釈すれば当たったように感じます。人は曖昧な言葉や漠然とした言い方をされると、自分に当てはまる意味だけを思い浮かべて、当たったと思い込みます。そして、当たった部分は印象が強いので記憶に残ります。
それとか、「あなたのお父さんは死んでいませんね」という文章もそうです。「お父さんが死んでしまってもういない」という意味ですし、「お父さんは死んではいない」というようにも受け取れます。
⑤ そう思ってしまうとそうなる
占星術や血液型性格判断で、「あなたは○○を好みます」とか「あなたの性格は○○です」などと言われと、自分でもそうなんだと思ってしまいがちです。
それで、「日常生活ではものすごくおおざっぱなんです。B型ですから」と言ったりします。
2 なぜ予言を信じるのか
① はずれた予言は誰も覚えていないが、当たった予言は忘れない
はずれた予言は誰も覚えていませんが、当たった予言は忘れないものです。たとえば、夢は毎晩見ますが、朝になると忘れてしまいます。だけど、たまたま夢に出てきた人から電話をもらうと、予知夢かと思うのも同じ理屈です。
そして、予言はいい予言よりも悪い予言のほうが多いですが、悪い予言がはずれて文句を言う人はいません。
福田定良「占いとは、当たるのではなく、思い当たるものである」
あちこちで紹介されている有名なサギの方法だそうです。
まず、64人の人に
「明日、○○社の株は上がる」
と言い、別の64人には逆に
「明日、○○社の株は下がる」
と告げます。株の値段は上がるか下がるかですから、どちらか一方の群は必ず予想が当ります。
そして次の日には、当たったほうの64人をさらに32人ずつの二群に分け、同じようにそれぞれに「明日、○○株は上がる」「下がる」と教え、それを一週間繰り返すと、128人中1人は「一週間続けて株の変動を当てたすごい占い師(競馬の予想屋でもいいです)がいる!」と、サギ師をすっかり信用するようになってしまうというわけです。
「手かざしで病気が治る」というのも同じで、手かざしで治ったことは忘れず、誰彼となく吹聴します。もっとも、手かざしで本当に治ったのかどうかはわかりません。治ったような気がしただけなのか、自然に治ったのか、別の原因で治ったのか、治ったと思っただけで本当は治っていないのか、実際のところはわかりません。
治らなかったら、「今やめたら無駄になる」「信心が足りない」「神があなたに試練を与えた」などと言えばOKです。
② 権威に弱い
占い師や霊能力者がテレビや新聞で紹介されたり、博士や大学教授の肩書きを持つ人や有名人がほめたりすると、本物かと思って、その予言者や霊能者を信用します。
マスコミや文化人だからといって信用できるわけではありません。
3 終末論
① 終末の予言
この世の終わりが来るという予言は何度も唱えられています。キリスト教はイエスの再臨を説きますから、今でも終末を待ち望む人もいるぐらいです。もっとも、今のところ終末の予言はすべてはずれていますが。
終末思想はアメとムチの一種です。終末が来て人類は滅亡するぞと脅す、そして信者だけは生き残る、もしくは天国に生まれるという救いを与える。インチキ宗教によくある手です。
1999年に人類が滅亡するというノストラダムスの予言を信じた人もいます。2012年人類滅亡説というのもあり、マヤ文明で用いられていた暦が2012年に終わるから、というものです。
逆に2012年はアセンション(人間もしくは世界そのものが高次元の存在へと変化すること)の年だと主張する人もいます。
アセンションとはWikipediaによると、「ニューエイジ、新興宗教などにおいて、人間もしくは世界そのものが高次元の存在へと変化すること」です。
2012年に地球がフォトン・ベルトに突入し、人類は肉体的・精神的に高次元へとレベルアップすると主張する人たちがいます。
こういう与太話を本気で信じている人がいるのは不思議です。
予言の多くは日時をはっきりと断言しません。しかし、終末の予言の場合は「○年○月○日にこの世の終わりが来る」と、はっきり日時を明言することもあります。予言者の言葉を信じる信者の中には、終末に備えて財産を処分したり、仕事を辞める、畑を耕さないといった人がいます。
言うまでもないことですが、終末の予言は当然のことながらすべてはずれています。エホバの証人は1843年、1874年、1878年、1881年、1910年、1914年、1918年、1920年、1925年、そして1975年と、何度も終末の予言をしては、見事にはずれています。にもかかわらず、エホバの証人はいまだに活発な活動をしているのだから大したものです。年代の計算ミス、信仰を試した、祈りが届いて危機が回避された、などという言いわけを信じるわけです。どうしてでしょうか。
② 予言がはずれると、逆に信者の活動は活発になる
L・フェスティンガー他『予言がはずれるとき』によると、予言がはずれても信者はかえって熱狂し、活発に布教活動するようになるそうです。
「予言がはずれた後、かえって布教活動が活発になり、結果として信者が増大して大きな教団となっていくという現象は、これまでの宗教史上でも数多く観察されてきたのであり、キリスト教でさえもその事例に数えられる、と著者たちは考えている」
イエスがメシアだと信じた人たちが、イエスの処刑後に布教活動に出かけたことも、同じパターンかもしれません。なぜなら、「ユダヤ教のどの部族も、苦悩するメシアというものをかつて考えたことがなかった」からです。イエスの十字架上の死は予言の失敗か、それとも予言の成就でしょうか。
『予言がはずれるとき』(1956年刊)は「明確になされた予言が実際にはずれた後、このグループの布教活動が全体的に以前より活発化するという、理論的に予測された逆説的な現象を実証しようという研究の報告」です。
キーチ夫人という女性が「12月21日に大洪水が起きて、アメリカの大部分が水没する」という予言をします。この予言を取り上げた新聞記事を読んだフェスティンガーたちは、先の理論が実際に当てはまるかどうか、予言がはずれた時の信者たちの心理状況はどうか、といったことを観察するために、キーチ夫人のグループに接触します。
キーチ夫人はある日、自動書記をするようになります。最初は死んだ父の霊だったのが、次第に高次の霊(宇宙人)が現れてきます。そして、大洪水が起き、少数の人が空飛ぶ円盤によって他の惑星(高次の世界)に連れて行かれる、という予言するのです。キーチ夫人(というか宇宙人)の教えはニューエイジそのものです。
携挙といって、正しいキリスト教徒だけが神によって天に引き上げられるという考えがあります。ところが、イエスによってではなく、宇宙人が天に引き上げてくれると考える人たちが、アメリカには少なからずいるそうです。
霊に憑依されたかのように、手が勝手に動き出して文章を綴るという自動書記は珍しいことではありません。天理教の中山みき、大本の出口なお、幸福の科学の大川隆法たちも最初は自動書記をしています。
キーチ夫人の予言がはずれてしまい、洪水は起きないし、宇宙人はやって来ない。洪水の前に空飛ぶ円盤がやってくると大まじめに信じて、寒さにふるえながら空飛ぶ円盤を待っていたキーチ夫人たちはくじけることなく、その後も活発に活動します。
「キーチ夫人が受信したメッセージは間違っていなかったが、同志たちの篤い信仰にクラリオン星人が感動し、その信仰に免じてレーク・シティの破壊を思い止まった。まさに神の御名によって救われ、地球上にはじめて神のみ業が示されたのだ」
そして、キーチ夫人の教団は『予言がはずれるとき』が出版されてから30年以上たっても活動を続け、数千名の会員がいるそうです。
ということで、フェスティンガーたちの予言に関する理論は証明されたわけです。
③ 予言がはずれても信じつづけるのはなぜか
L・フェスティンガーの「認知的不協和の理論」とはどういう理論か、訳者の解説によると、二つの認知要素AとBが不協和な関係にある時、調和のとれた状態に近づけようとする動機づけが生み出されるということです。
たとえば、「タバコを吸っている」(認知要素A)と「タバコが有害であることを知っている」(認知要素B)とは不協和を生じている。タバコをやめれば不協和は解消される。
しかし、タバコをやめられない場合、Bを変える、つまり「タバコは有害ではない」というふうに認知を変えなければならない。そこで、タバコ有害説を論じる情報を避けるなどする。
しかし、タバコ有害説は広く認められているから、Bを変えるのは難しい。そうなると、不協和を低減する別の戦略を考え出さなければならない。たとえば、タバコを吸おうと吸うまいと、人間は必ず死ぬものだと考えたりする。たとえば、喫煙はリラックスさせる効果があるといった、タバコの効用を付け加える。
・キーチ夫人のグループの場合
A 予言を含む教えを確信している
B 予言は完全にはずれ、否定しようがない
不協和な状態ですが、信念に深くコミットしている人(仕事を辞める、家財を売り払うなど)ほど信念を捨てることが難しいから、どちらも変えるわけにはいかない。では、どうするか。
予言がはずれても、なおも信念を信奉する人がいることが、信念にとって協和的要素になる。だから、同じ信念を抱く人を増やし、協和的要素をより多く得るために布教活動が活発化する。
その結果として信者が増えれば、予言失敗の正当化を含めて、自分のまわりには現実を同じように見る人ばかりになり、信念が客観的現実に転じる。こうして、予言のはずれによっては、もはや信念が揺らぐことがなくなる。
多くの人々によって非合理的信念が信じられ、客観的には誤った現実が受け入れられるのは、こういう心理が働くからです。
④ 応用編
2007年、橋下徹弁護士が光市事件の弁護団に懲戒請求を煽り立てたことがありました。
「懲戒請求を1万、2万とか10万人とか、この番組見てる人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださったらですね、弁護士会のほうとしても処分出さないわけにはいかないですよ」
懲戒請求した人は、橋下徹弁護士が「ぜひね、全国の人ね、あの弁護団に対してもし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求かけてもらいたいんですよ」と言うのをテレビで見て、その通りだというので、懲戒請求をしたわけでしょう。
ところが、橋下徹弁護士は自分のブログで、「今回の弁護団の主張が荒唐無稽であること、あまりにもふざけた内容であること、この点については批判はしません」と書いています。弁護団の主張を批判しないと書いているわけです。
では、弁護団はなにゆえ懲戒事由にあたると言っているのかというと、「一言で言えば、説明義務違反、被害者に対して、国民に対してのね。一審・二審で全く主張していなかった、新たな主張をなぜ差し戻し審で主張することになったのか。第一に被害者への、そして第二に裁判制度という制度の享受者である国民への説明を怠っている」と説明しています。
こんな理由で懲戒処分にはならないそうです。
多くの人は懲戒請求とは署名運動のようなものと理解しているのではないでしょうか。
しかしながら、橋下徹弁護士を提訴した弁護士の広報担当をしている弁護士によると、「『懲戒請求』は刑事事件で言えば、告訴・告発に当たるものです。だから、数の問題ではないし、しかも報道を根拠にして、署名活動のように懲戒請求することを扇動することは理解に苦しみます」ということです。
おまけに橋下徹弁護士は、自身は懲戒処分請求していないことを問われ、「時間と労力がかかる。弁護士である僕というより大多数の国民がどう思うかが非常に重要」と述べています。懲戒請求するのは「時間と労力がかかる」とは橋下徹弁護士は説明していないと思います。
このように橋下徹弁護士の言動には問題が多々ありますが、それにもかかわらず擁護する声のほうが大きいようです。橋下徹弁護士が懲戒請求についてちゃんと説明していないこと、自身が懲戒請求をしていないことについてどうして怒らないのでしょうか。
これも「認知的不協和の理論」で説明できるように思います。自分が間違っていた、だまされていたということを素直に認めるのは難しいです。
|