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「三つの出会い―阿難・韋提希・阿闍世」 第2回
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2001年10月13日 |
第2回「私の人生と真宗の教え」
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今回、第二回ということでお話しさせていただきます。第一回の講座は八月でしたから夏の真っ盛りだったんですが、もう秋の装いとなっております。
季節は間違いなく移り変わっておりますし、時間も経っておるわけですが、私たちの日常は毎日の繰り返しという感じがあります。ですが、その生活そのものに大変いろんなことが起こっていて、そして特に代表的なのが、9月11日に起こったアメリカでの同時多発テロから始まる一連の現在における世界の動きかと思います。
武力による無差別殺人というテロに対して、今度は同じように武力で報復するという一つの答えを出していくわけです。「武力には武力で」という答えが、決して物事の解決にならないということを、我々は薄々知っています。「目には目を、歯に歯を」という形で、「武力には武力」をということをしても、それが決して解決を生んでこなかったのが、人類の長い歴史かと思います。
しかしながら、どうしても我々はとりあえず答えを出してしまいます。その結果、「武力には武力を」という答えを出すわけですが、それではまた新たなる武力による報復を生むことになります。ですから、それは本当の答えにはならないんです。
ではどうしたらいいのか、という問いが残ります。実はそれこそが、人類に共通する問いだと思います。武力という答えで全部押さえ込むよりも、武力では解決できないからどうしたらいいのかという問いを共にしていくことができるならば、もっと別の知恵が出てくるのではないかと思います。そういう意味で、武力という答えを万能にせずに、武力で解決してこなかったという歴史をふまえ、そうではない解決の仕方がないのだろうかという問いを、人類が共有していけたらと思うことです。
今日は「私の人生と真宗の教え」というテーマになっております。前回、最後のところで、真宗の教えが私たちの人生に何を問いかけておるのだろうかという点から、お葬式の時に唱和する『和讃』のお話をいたしました。
もちろん仏教や真宗がお葬式のためだけのものではないわけですが、多くの場合、お葬式や法事というものがお寺とか仏教との接点となっておるかと思います。そのお葬式の中で、もし私と真宗が出会っていくとするならば、どういうことなんだろうかということで、その『和讃』を見てみたわけです。
親しい、身近に、一緒に生きておった人が亡くなられたその葬儀にあたって私たちは、
本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし
という『和讃』を歌って葬儀が営まれます。
お葬式というのは近しい人が亡くなられたということですから、その死に対して大きな悲しみを我々は味わいますし、深い痛みを持ちます。その方が私にとって大切であればあるほど、悲しみは大きいでしょうし、痛みは深いことだと思います。それは多分、亡くなられた方から悲しみの大きさに匹敵する大きなものを、痛みの深さに匹敵する深いものを贈られていた、いただいていたということがあるんだろうと思います。そういう意味で、亡くなられたことを通してあらためて、悲しみの大きさや痛みの深さを手がかりとして、もう一度その方に出会い直していくということが始まるのがお葬式だと思います。
では、どこで出会い直していくのかということですが、悲しみの中で我々は涙を流します。その流す涙の半分近くが後悔の涙ではないかと思います。充分看病され、充分尽くされて亡くなったということがあるにしても、「あの時ああすればよかった」「この時こうしてあげればよかった」ということを思うのが普通の人情だと思いますね。ですから、流す涙の半分くらいは後悔かもしれません。
そういう思いは人間の温かさですし、人情だと思います。十分看病した、十分なことをしたのだからこれでさっぱりと、そういうわけにはいきません。残ります。残りますから、今度はせめてこうしてやりたい、ああしてやりたい、ということがあって、こうしてやればいいかな、ああしてやればいいかな、ということがまた出てきます。しかしながら亡くなられたということは、ああしてやりたい、こうしてやりたいということを思うことはたくさんあっても、しかしもう手が届かなくなったということが、亡くなられたという事実が持つ厳しさです。それはやはり、死という別れの持っている厳粛な事実だと思います。
それは逆にいいますと、亡くなられた方についてはもう何をする必要がなくなったということだと思います。そしてむしろ、残っている者にやることがあると思います。それが先ほど言いました、悲しみの大きさや、痛みの深さを手がかりとして、その方ともう一度出会い直していくということではないかと思います。そしてその時に、その方の人生を受け止め、学ぶということを通して、私は私の人生をどう生きていくのかという問題に対面する大事な学びが、そこから始まっていくのではないかと思います。
亡くなられたという事実からも大切なことを教えられます。私もまた必ず死すべき命を生きているわけです。限りのある命を生きているわけです。命は何回も繰り返すことはできません。一回きりのことです。そして、その人生は代理がきかないということがあります。誰かの代わりに生きてやることもできませんし、代わりに死んでもらうこともできません。
ですから、一回きりの限りのある、代理がきかない人生を、あなたはどう生きるのかということが、亡くなられた方が亡くなられたという事実を通して残された最後の贈り物だと思うんです。人生をどう生きるのかということを、亡くなられた方の生きる姿を通して、私たちはもう一度学び直していく。そこに出会い直していくということがあるのだと思います。そのことがないと、どうしても、せめてああしてやりたい、こうしてやりたいという思いが残りますから、それを引きずってしまい、後はその自分の思いの中で亡くなった方をもてあそぶということが始まってしまいます。
亡くなられた方に何をしてやったらいいかといっても、何もできないわけですから、自分の想像とイメージと思いだけで勝手なことをしだします。亡くなったおじいちゃんはお酒が好きだったから、せめて死んでからは思いっきり飲んでもらおうと、よくお内仏にお酒が飾ってあったりします。たばこが好きだった人はたばこが飾ってあります。中には丁寧にたばこに火までつけてあったりするもんですから、けむくて困ったりとか、そういうことになります。
しかし、お酒を飾ったり、好物の物を飾ったりしていても、減ってることはないはずです。これまた減ってたら大変です。誰が食べたんだということになりますから。減ってることはないわけです。
自分でやってあげた、あげた、という、こちらの勝手な満足だけが残っていくわけです。それは自分の満足のために亡くなった人を使っていくことになります。決してそれは正しい姿ではないと思うんですね。
そういうものはどうも食べられそうにないとわかってきますと、亡くなられた方の食べ物はお経だから、せめてお経をあげてもらえば、ということが出てきます。お経が亡くなった方の食べる物かというと、前回お経というのは我々の姿を映し出す鏡のようなものだということでお話ししましたけれども、残念ながらお経というのは、ここは甘いとか、ここは酸っぱいとかいうことは書いてありません。食べ物ではありませんから、お経を食べるということはないわけです。全部自分の勝手な思いの中でやっていきます。
追善供養ということがありますね。善を追い足してやるという意味です。亡くなったおじいさんは死んでからどこに行ったのかわかりませんが、いいところというのがあって、いいところに行くためには善を積んでいなければ行けないと。しかし、どうもおじいさんは善が足りなかったような気がすると。これも想像なんですね。気がするということですから。それで、善が足りないといいところに行けないので、生きて残っている者がこちらで善を積んで、亡くなった人に送ってあげげようというのが追善供養です。
じゃ何が善なのかということですが、それがわかりませんから、お坊さんに来てもらってお経でもあげてもらったら善になるのではないかと考えまして、お経をあげてもらいます。そしてそれを送って、今まで積み重ねた善にそれを加えたら、どこかいいところに行けるんだろうと、こういうことになってきます。全部想像の話です。
そうやってお経あげて善を送っても、届いたという返事は来ません。宅急便と違いますから、送り状もありませんし、ありがとうという返事が来るわけでもないですね。それはもう全くこちらの勝手な想像になってしまいます。
そのように、亡くなられた方を自己満足の気分の中でもてあそんでいく姿が見えないということが問題なんです。私たちは亡くなられた方を通して、むしろ私の人生が問われているということの前に立たせていただくことが大事なことなんだと思います。
そういう意味で、あらためてお葬式を通して、限りがある一回きりの、代理のきかない人生、命をどういう形で生きるのか、空しく過ぎるということになっていないかという問いが与えられていると。そしてここに空しく終わらない道がありますと。そう教えてくださる親鸞聖人の『和讃』をみんなで歌って、自分がどうなっているのかということが問われていくと。そして亡くなられた方のお命を通して、そういう問題を訪ねていくということが、私たちの唯一できる大事なつとめではないかと思います。そしてそのことが何より大切なことだと思うことです。
それで「空過」という言葉で、空しく過ぎるということをお話したわけですが、空しく過ぎるとは一体どういうことなのかということを、今日はご一緒に考えたいと思ってきました。
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私たちの人生は多くの場面で、準備とか段取りに多くの時間や意識をさいています。それはどういうことかと言うと、子どもたちは早期教育という言葉がはやるように、将来のための準備として勉強にせき立てられています。親も子どもためを考え、子どもの将来の準備と自分の老後の準備に心を奪われることが多くあります。
今は小学校に入る前にひらがなの読み書きができるというようなことが、ある意味では必要になっています。本当は学校の側がひらがなの読み書きができなくても大丈夫ですよと説明会で言ってくださるんですが、実際はなかなかそういうわけにはいかなくて、ほとんどの子は読み書きができます。ですから、うちの子だけ読み書きができないとなると、かなり親は焦ります。私の長男は今年小学校一年に入ったんですが、実は私、焦りました。それで体験談としてお話しするんですが、学校で大丈夫だと言われてましたから真に受けていたんですね。そしたら他の親の方に聞いたら、皆できるんだと言われて驚きましたけど、遅かったですから、もう仕方がないということで、そのまま学校に行っています。つまり小学校に入学する前に、一応読み書きができるというようなことをしなくてはいけないという準備が始まっているわけです。
もっと言うと、毎日のように早期教育ということので、いろんな会社から学習教材を買わないかと電話もしょっちゅうかかってきます。小学校に入る前から英語を始めないとか言われたりするんです。お宅のお子さんは三歳で決まりますと言われますと、親はうろたえてしまいます。そういう形で、そういうことをまわりからも言われて、早く準備を始めなければということになります。
そして小学校へ入ると楽しいわけですけれど、高学年になっていくと学習塾とか英語塾へ入らなければということが出てきます。中学生になると英語が始まりますし、数学もとても親が教えられません。それで塾へ行って補わないといけない。それで次は高校受験ですから、塾へ行ったりして準備が始まります。
私は愛知県豊田市にも推進養成講座に行っているのですが、豊田ではやはりこの時間にあるんです。終わると九時になります。それからちょっとスタッフの方と次回の打ち合わせをして、豊田を出るのが九時半くらいになります。名古屋まで帰ってホテルに泊まるんですが、豊田に九時半に出る電車にまだ小学高学年と思われる子たちが何人も乗ってきます。塾の帰りです。もちろん中学生くらいの子も帰ってきます。
また、仕事で遅くなって高山に最終の特急で十時を過ぎに帰ることもあるんですが、高山の駅の前に中学生や高校生がいっぱいいます。駅の前に予備校や塾があり、そこが十時くらいに終わるんですね。みんな親が車で迎えに来ます。
大変だなと思うんですが、そういう形で中学、高校で子どもたちは、次のステップのための準備にかなり追われています。親も子どもの準備につき合って、次のための準備と段取りに追われていきます。そのことが悪いというわけではないんですが、そういう形で私たちは動いていきます。
やがて大学へ入ります。もちろん就職される方もありますが、大学へたくさん入っています。ところが残念なことに、大学に何のために入ったのかはっきりしない人が大半なんですね。いい大学に入ることが大事だと言われるんですが、何のために、何をしに大学へ行くということがないままに、大学へ入るということだけが目的で来ていますから、入ったら目的を失ってしまうんです。ですから、日本の大学生はほとんど遊びます。見事に遊びますね。それも大事だとは思いますけれども、遊びます。
そして大学三年くらいになると、就職のことがあります。今は就職もそう簡単ではありませんから、就職の準備が始まります。大学では就職課というのがあって、求職情報とか出しています。それを見ながら会社訪問とかするわけですが、そういう準備が始まっていきます。
このように、三歳くらいからずっと、次のため、次があるからということで、準備を積み重ねていって、やっと終わったと思ったら、就職のための準備をすると。そして就職しても、普通は大学出たばかりの人はほとんど働き手としては役に立ちませんから、今度は企業が働けるようにする準備の学習をさせます。手厚いことがなされるわけです。
そして一応働いていると、親の方が焦るからかもしれませんが、結婚の準備が始まります。これはかなり親がかりで結婚して、結婚すると子どもができます。そして、先ほど言ったように、「三歳で決まりますよ」と言われるわけですから、今度は子どもの準備にずっとつき合っていく。
そういう形できて、そろそろ子どもの準備から手が放れていきます。子どもの方が親から離れていきます。親の方はいつまでもつき合いたいかもしれませんが、子どもの方が嫌います。自立しますから。
子どもから手が放れて、子どもの準備とか段取りに追われなくなると、気がつくともう定年間近になっています。定年後はどうしようかという形で、定年後の準備が始まります。
そして老後ということになり、老後の準備をすると。それで老後の準備をしたら、後は悠々自適と暮らせればいいわけですけども、なかなかそういうわけにもいきません。いろんなことが考えられて、次の準備をします。準備の段取りをする形で生きてきていますから、準備することがないというと、することがなくて手持ちぶさたになって、後は自分の葬式や墓の準備をするようなことにまでなっていくわけです。
そういう形で、人生のほとんどを準備や段取りに追われていくことになります。
私の友人で大阪で住職をしている方がお参りに行ったら、そこの中学生の娘さんが今から塾に行くんだと言って、「お寺さん、私が何のために塾へ行くかわかっていますか」と聞いたんだそうです。答えようがありませんから、「高校の受験があるから、そのために行くんですか」と答えたら、「私が今塾に行くのは、よりよい老後を迎えるためです」と、こういうふうに言ったというんですね。
つまり、親もまわりも社会も、いい高校に入って、いい大学に入って、いい会社に就職すれば、将来も安定して、老後も安心だからと、その中学生の少女にそう人生を語るわけです。人生とはそういうことだと。それで、塾へ行って勉強するのはとどまるところ、よりよい老後を迎えるためだと、そのように見通していくわけです。
そうかと思うと、お寺でいろんな方がお茶を飲みながら話しておられた時、話題は年金の使い道になりました。年金をもらっている方が多かったので、年金の使い道が話題になったんですが、いろんなことを言われていました。孫に何か買ってやるとか、旅行に行くとか、自分の楽しみのことも言われましたが、ある方が「私は年金を老後のために貯金する」と言われました。その方は八十過ぎてなんです。老後というのはいつからなんでしょうね。
中学生も八十過ぎの人も皆、老後のために勉強をして貯金をするというのが、現在の日本の生き方なんですね。もちろん将来設計の安定した見通しがないという社会不安が影響しているとは思いますが、中学生の女の子も八十を過ぎた老人も、共に老後を心配して、準備や段取りを重ねていくと、そういう生き方になっているのかと思います。
そういう準備と段取りをずっとしてきて、一度も、今私が生きているという、本番に立つという意識に立つことのないまま、準備と段取りをして、気がついたら終わっていたと。そういう生き方になっているのではないかと思うんです。
準備と段取りが悪いわけではありませんが、それに多くの時間と意識がさかれてしまい、今を生きるという「今」がはっきりないまま、いつも次の時間の、明日の、来年の、これから先の私の姿を思い浮かべて、その先の姿の後ろ姿を追いかけるような形で、前のめりになって生きています。少しも、今、生きているという、そこに立つことがないまま、前のめりになって、結局、準備と段取りに追われていく。
そして、準備と段取りはいろいろしたと。そして準備と段取りのよさを他の人と比べっこして、あの人よりは準備はうまくできている、あの人よりは段取りがうまくいっているといばってみたり、あの人にはかなわない、あの人の準備の仕方は用意周到だとうらやんだりしている。しかしながら、一度も、今私が生きているということに立たないまま、いつも先の自分の姿の後ろ姿を追いかけて、気がついたら終わっていたと。そういうことが空過ということではないかと思います。
もちろん、こうなっていこうとか、こういうことをしていかなければいけないとかいった、予定や目標や目的があって、準備や段取りをするわけです。しかし、本当に予定というものが立って、その通りになるのかという問題ですね。
皆さんの中で、自分で予定し、自分で段取りをして生まれてきた人はいないでしょう。それができるなら、もうちょっといい所に、もうちょっといい姿格好で生まれてきます。気がついたらもう生まれてたわけですから、準備や段取りをして生まれたわけではないんです。
終わりもそうです。準備や段取りをして予定通りに死ぬなんてことはありません。準備や段取りをしなかったら死なずにすむかというと、そういうことはありませんから、準備や段取り通りにはいきません。
先ほど言いましたが、もう他にすることがないものですから、お葬式やお墓の準備までする方がこのごろ多いですね。私の出たお葬式ですが、亡くなられた方が全部段取りをこと細かく書いておられました。お葬式の挨拶をテープに吹き込んでおられまして、本人の希望ですからと、本人の挨拶のテープが流れるわけです。しかしちょっとおかしかったのは、その方はもう少し早く亡くなるつもりだったんですかね、だいぶ前に書かれたらしくて、ちょっと現在の状況とは変わっていて、段取りとは少し違ってしまったんですね。お葬式の写真はどこどこに頼んで作ってもらうとか、そういうことも書いてあったんですが、だいぶ時間が経っているものですから、その写真屋さんは仕事を辞めておられて、写真を作ることができなかったりしました。
それに、段取り通りに葬式できたかできないか、確かめようと思っても残念ながら確かめる自分がいないわけですから、どうなっているかわかりませんし、段取り通りにいかなかったと怒ろうと思っても、怒る自分がいないんですから、任せるより仕方がないんです。
準備や段取りをすることは、長い習慣になっていますから、もうそこから離れられないということがあるわけです。
あるテレビでお葬式のことについて特集をしていましたが、中年のご婦人の方が、私の父や母は日本の昔ながらの伝統を重んじる人ですから、父や母のお葬式はいわゆる伝統的な習慣にのっとったやり方で出したいと思います、と言っておられました。自分のお葬式はもうごく質素に、親しい友達が集まってくれて送ってくれればいいですと、そうおっしゃっていました。
そうだろうなと思って聞いていました。しかし、父や母の葬式は伝統的なやり方で出してやりたいと言いますけれども、自分のお葬式の方が先になるかもしれないですね。先のことはわからないわけですから。予定通りにはいきません。私の葬式はごく質素に友達が送ってくれればと言っても、しかし意に反して長生きして、気がついたら親しい友達が先に死んでいたということもあるわけです。葬式だって予定通りに行きません。ですから、人生の最初と最後はほとんど予定の通りには動いていないんです。準備や段取りがきかない形にあるわけです。
では、その途中は準備や段取りがうまくいってるかというと、もう皆さんの方が人生経験豊富なんですから、私なんかが言うまでもなく、準備や段取りが間に合わなかったり、予定通りにいかないことが人生の事実でしょう。まさかと思うようなことが起こったり、準備や段取りをしてもそれが全く有効でなかったり、意味をなさなかったりとする連続が、人生というものの姿です。
しかしながら、予定通りにいくことを私たちは大前提にして生きています。自分の予定した通りにいくはずだと。それを前提に生きていきます。
そして、予定通りにいくことは善いことだけれども、予定通りいかないことは悪いことだと。確かに、予定通りにならないと、驚いたり、しまったと思ったりして慌てふためくわけですから、あまりいいことだという感じはしません。
が、予定通りにいくことがよいことで、いかないことは悪いことだと、そういう形で人生を見てしまいますから、なぜ予定通りいかないのかということが、我々にとってはどうしても嘆きとなりますし、時には恨みとなります。なぜ私ばっかりとか、なぜ我が家だけがこんなことが続くのかという形で、嘆きと恨みを生んでいきます。そして予定通りいかないことの原因を探し、そして原因を退治して、予定通りにいくようにしようと考えるわけです。そういうふうに、私たちは人生というのを見て動いていきます。
そこに非常に大きな問題があるのだと、そしてその問題は我々の上にどのように出てくるのかということをきちんと見たのが、仏教という教えかと思います。予定通りいくことがすべてだという形で、人生を見、生きていると。そこに思わぬ問題をはらんでくるということを見てきたのが仏教です。
3
前回お話ししましたけれども、このテキストの『現代の聖典』は、『観無量寿経』というお経の最初のほうの部分がテキストになっています。そこには王舎城の物語が出てきます。
インドのマガダ国に頻婆娑羅王と王妃の韋提希がいて、その間に一人息子の阿闍世がいました。その息子がクーデターを起こしたわけです。そして、父である王を牢獄につないで自分が王様になります。そしてお母さんも殺そうとします。しかし家臣に止められて殺すことはせず、お母さんも牢獄につなぎます。
非常に仲のよい、順調にいっていた家族に見えたんですけれども、息子さんがクーデターを起こし、反逆していくことで崩壊していく事件が、題材として取り扱われています。
今日は、なぜ息子の阿闍世がお父さんに反逆してクーデターを起こすに至ったかという前段階の話を通して、頻婆娑羅王の姿に私たちの問題をたずねていきたいと思います。
その前段階の部分は、実は『観無量寿経』にはありません。先回お話ししました善導大師という方が、こういうことがその事件の背景にあるんだということを書いておられます。それをもとにして、お経の言葉では難しい、わかりにくいということがありますから、『現代の聖典』では物語風に脚色したものが付録として付いています。
78ページを開けてみてください。少し読んでみます。釈尊というのはお釈迦様のことです。
釈尊の晩年の時のことです。ガンジス河からほど遠くないところにマガダ国という大国がありました。王舎城はこの国の首都で、釈尊はここでたくさんの説法をされました。マガダ国の王であった頻婆娑羅は熱心な信者で、夫人の韋提希と共によくみ教えを聞いていました。
ところで、この二人には久しく子どもがなく、頻婆娑羅王はほうぼうの神々に祈願していましたが、なかなか世継ぎを授かりません。あるとき占師を呼び寄せて尋ねてみると、
「近くの山に住んでいる仙人が三年先に死んで、あなたの子となって、生まれてくるでしょう。」
と予言しました。家来に調べさせてみると、それらしい仙人がいることがわかりました。歳の若くない王は、占師の予言した三年の月日が待てません。そこで王は使いを出し、仙人にわけを話して、すぐ死んでくれないかと頼みました。仙人は、
「いくら王さまの仰せでも、それはできません。三年後に寿命がきたら死ぬことにしましょう。」
と断りました。使いが城に帰ってこのことを頻婆娑羅王に伝えると、王は、
「わたしはこの国の王だ。国中のすべてのものは王のものだ。その国王であるわたしが頭を下げて頼んでいるのに、その懇願を聞き入れぬとは何事だ」
と怒りました。そして、その使いに向かって、
「よいか、もう一度行って頼んで来い。それでも断るようなら、かまわぬから殺してしまえ。そうすればわが子となって生まれてくるだろう。」
と命じました。使いはふたたび仙人のところへ行って王の言葉を伝えました。しかし仙人はやはり聞き入れません。しかたなく使いの者は王の言いつけどおり仙人を殺してしまいます。仙人は、
「王はひとに命じて私を殺させた。わたしも王の子として生まれ変わったら、この仕返しに、ひとに命じて王を殺させよう。」
こう言い残して、こと切れたのです。
まさにその日の夜、韋提希夫人は身ごもりました。その知らせに喜んだ王は、夜明けにさっそく占師を呼び、お腹の子の将来を占わせました。占師は、
「男の子がお生まれになり、立派な世継ぎとなられます。ただし、成長の後には王に危害を加えることでしょう。」
と言いました。待望の世継ぎが生まれるという予言は王にとって嬉しいものでした。しかし一方で、いつか自分は害されるかも知れないという不安で、心は穏やかではありません。はじめのうちは体面をおもんばかって「私は恐れたりしない。この子にすべてを継がせる」と強がりを言っていた王も、とうとうその不安に耐えきれなくなりました。ここで夫人に、出産のときに子どもをこっそり高殿から産み落としてはどうか、そうすればわたしの不安の種も無くなるし、子殺しが表沙汰になることもなかろうと、もちかけました。夫人は迷い悩みましたが、王に反対すれば、愛情を失ってしまうと思い、いわれる通りにしてしまいました。しかし、生み落とされた子どもは、指を一本けがしただけでたすかったのです。
ここまでにしておきます。こういう背景があるわけです。
この出生の秘密を息子の阿闍世王子が知るところとなって、反逆が行われるという物語です。
この物語の問題を整理しておきますと、一つは、予定した通りには世継ぎに恵まれない王の焦りです。王様というのは国を治めること大事ですけれど、それと同じくらい自分の後継者をきちんと決めて、育てるというのが王様の大事な務めなんですね。ところが世継ぎの子どもが生まれないということがありますから、これはもう頻婆娑羅王にとっては弱点です。それで、その弱点を何とか消さなくてはいけないと焦ります。早く子どもが生まれるようにと焦るわけです。
焦って、なぜ子どもが生まれないんだろうと、原因を占いで尋ねたり、いろんなものに祈って、そして予定通り子どもが生まれるように願いを立てていきます。そういう形で焦る王の姿がそこに出てきます。
そしてその原因を聞くと、生まれ変わってくる予定の仙人がまだ死にませんからと言うわけです。三年後に死ぬことになっていますと言うんですけれど、王様は待てないわけです。それで、仙人にちょっと早めに死んでくれと頼むわけですね。
そんなことは聞けるものではありませんから、仙人は断ります。ところが頻婆娑羅王は、自分の描いた予定を中心に置き、自分の都合のために仙人を殺させます。
予定通りにいくことが善だからと、自分の立てた予定を中心にして、ありとあらゆるものを予定通りにいくための手段と道具にして、命さえも奪ってかまわない。そういう、王だからこの国のものは何でも私の自由になるという、非常に自分中心で、予定を貫くためには人の命も命と思わない、そんなう頻婆娑羅王の姿がそこに出ています。
それでその仙人を殺すわけですが、するとその仙人は殺される時に、王の子どもとして生まれ変わったら王を殺してやると言うわけです。
子どもに殺されるということは自分の人生の予定には当然入っていませんから、そんなことになったら大変だということで、今度は仙人を殺したことの報いを恐れ、自分の予定が狂うことを恐れて、せっかく生まれてくる我が子を殺そうとするわけです。
予定通りにいくことがすべてで、予定通りやることが大事だと。そして、予定通りにいくためにお祈りしなさい、予定通りいかないということは何か原因があるんだから、それを退治しなさいと。このことを裏打ちするような宗教があるわけですね。占い師が持っている宗教です。そういう宗教があります。
そういう宗教に頻婆娑羅王は信じていますから、予定通りいくことがすべてになっています。それで、予定通りにいかないとなると仙人を殺しますし、我が子さえ殺そうとする。そういう姿が頻婆娑羅王の姿に映されています。
つまり、予定通りいくことを中心とすると、こういう形で私の人生がいくはずだと自分の立てた予定や考え、段取り、そういうものを中心において、そのためにはあらゆるものが犠牲になっても仕方がない、そういう王の姿がここに出ています。
これは今のイスラム原理主義も同じです。教えが純粋であるためには少々人が犠牲になってもかまわないということですね。本来宗教というのは、人間をして人間らしさを回復していくものですが、教えが純粋であるためには人は多少犠牲になっても仕方がないと、教えが純粋であることの方が大事になってくるんです。本来回復するはずの人間性よりも。
原理主義というのはマホメッドが生まれた七世紀の時代の通りにすることなんですね。今、二十一世紀ですから、七世紀の昔の通りにするというのはかなり無理があります。ですから無理矢理になっているわけです。
では、アメリカはそうではないかと言うと、そうでもないんですね。片方がイスラム原理主義なら、アメリカは市場経済原理主義です。市場が拡大し、金融市場が素早く機能して動くことがすべてだと。そして拡大していったら、ついてこられない弱小企業や痛みを伴う人が多少あっても仕方がないという形で、アメリカ市場経済原理主義が世界を席巻しようとするわけです。
こうなるとイスラム原理主義もアメリカの市場経済原理主義も同じです。そこで、多少人が犠牲になっても仕方がないと、人を人とも、命を命とも思わない形で両方がぶつかり合います。その結果、無差別殺人が行われてきました。そういうことが現在の姿ではないかと思います。
貿易センタービルというのは市場経済原理の中心拠点だったんですね。あそこを中心に一日に百兆円近いお金が世界を駆けめぐって動いていたわけです。そういうものの中心拠点だったんです。
ちょっと変なことを言いますと、岐阜県の大垣に大垣共立銀行という銀行があるんですけれど、その銀行の人もあそこで仕事をしてたんですね。小さな地方銀行がなんであんなところにいるんだろうと思ったんですが、ボーナスを預けませんかと自転車に乗って走っているのかというと、そうではないんですね。金融の市場ですから、あそこへ行ってお金を動かすということが大事なんです。ですから、あそこへ日本の銀行家たちがみんな集まっていたわけです。そういうところだったんです。
そこをイスラム原理主義の青年がテロしたと。まさに人間の主義と主義のぶつかり合いという形ですね。ここで人が犠牲になっても仕方がない、自分たちの予定や主義を貫くためには、人間が犠牲になっても、命が犠牲になってもいいんだと、そこまで来ているわけです。形は違いますけれども、頻婆娑羅王もそのように動いたわけです。
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予定通りにするために、準備や段取りに我々は追われていきます。そして、予定通りにいくことがすべてで、予定通りにいくことが大事なことだ。予定通りにいくことが善だで、予定通りにいかないことは悪だ。そして予定通りにいかないのは何か原因があるんだ。このように我々は動いていきます。
そういう私たちの動き方、私たちが持っている構造、そういうものを仏教では「魔」と言います。「魔」というのはインドの言語では「マーラー」と言って、これを中国人は「奪命」と翻訳します。命を奪うと。人間を動かして、潤いある豊かな命を奪っていくものを「魔」と言うんですね。
「マーラー」とは元々インドではペストのことです。病気ですね。まさに命を奪うものです。
魔というのはどういうことかと言うと、弱点をなくすことです。私たちの弱点をついて、その弱点を襲うわけです。そして襲うことを通して、弱点をこうすればなくせますよと誘うわけです。そういうものを仏教では魔と言います。弱点をついてそしてこうすれば弱点がなくなりますよ、と我々に誘うわけです。
頻婆娑羅王にとっては、子どもがないということが弱点なんです。王様としては非常に優れた人で、当時いくつもの国があった中で、マガダ国を最大の国にします。ところが世継ぎがないというのは弱点なんです。ですから焦るわけです。それで占いに頼ったわけです。そうすると、仙人が生まれ変わるんだと言われ、それでは仙人を殺せばいいんだと頻婆娑羅王は動くんですね。
弱点をついて、弱点をなくせる道があると誘うわけです。
偶然そういうことがあるのではなくて、魔に誘われるということは、同時に、私の方に弱点を嫌がって弱点をなくしたいという意識があるから、魔に誘われるわけです。そういう意識がなければ誘われないんですけれども、私の方にもこの魔に呼応する意識があるんです。弱点を嫌って弱点をなくして生きたいというものも含めて、仏教では魔と言います。誘う者も誘われていく方も持っている意識構造も含めて魔です。
この人間の魔という構造を使って、宗教という装いを持ったたくさんのことが行われています。
2→□→4
4→□→8
□はブラックボックスといって、中身は何だかわからない箱です。小学校の算数の時間にこういうのをやるんです。
「数字の2を入れましたよ。そしたら4が出てきました。この箱の中には何が入っていますか?」と聞きます。この段階ではまだわかりません。「次に4を入れてやります。そしたら8が出てきました。この中に何が入っていますか?」と聞けば、「ここの中には×2という仕組みが入っています」と答えが出ます。
そういうことを勉強するんです。関数というもののもっとも初歩の勉強の仕方です。算数でこういうことをやるわけです。
これと同じことで考えると、「お守を持っていると事故に遭いません」とか、「お祓いを受けると病気になりません」、「この壺を買って床の間に飾っておくと、お金が儲かります」というようなことを、霊感商法などでやっているんです。
お守を持っている→□→無事故
お祓いを受ける →□→無病
壺を買って床の間に飾っておく→□→金が儲かる
このブラックボックスの中にはどんな仕組みが入っているかわかりますか。わからないところがミソなんです。
こういう流れで考えたり、使われている時は、私たちはわりと冷静でいますし、丸ごとそんなことは信じません。お守りを自動車につけてるから絶対に事故に遭わないからと、無謀な運転したりしないでしょう。何やっても事故にならない、大丈夫だと言って、ものすごいスピードで走る人はいませんね。
お守りをつけてて事故に遭った場合、お守りがきかなかったじゃないかと言って、お寺や神社に文句を言いに行く人はちょっといません。お祓いを受けても事故に遭ったという場合に、効き目はなかったではないかと裁判を起こす人もいないわけです。裁判を起こしたらおもしろいとは思いますが、笑われると思います。
そのように、お守りを持っていたら絶対無事故であるとか、お祓いを受けたら風邪をひかないとか、そんなことは思わないですね。でも、世の習いとして一応やっているわけです。お正月に今年の無病息災を願ってお祓いを受けたと。しかし寒かったもんで帰り道に風邪ひいたと。効き目がなかったじゃないかと怒ったりはしません。
ところがこういうものはなくならないし、こういうものから我々はなかなか離れられないのは、こういう流れで使われるのではないからです。逆に使われるからです。
事故を起こした人に、「お守り持ってるか」と聞きます。たまたまお守りを持っていなかったとすると、「ほら見ろ」と言い、お守り持ってたら、「あっ、そこの神社のダメ。あんまり効かないんや」という形で使うわけです。「事故起こしたのか。乗る前にお祓い受けたか」、「いや、忙しくて行ってる暇がなかった」、「だからだよ」と言うわけです。
病気でもお金でもそうです。「お金の件でどうも仕事がうまくいかない」、「だから言ったでしょう。壺を買いなさいって」というような形で使われ、我々はこれにひっかかっていきます。
霊感商法なんか、何であんなことに人がひっかかるんだろうかと思いますが、こういう構造で使われているはずです。つまり、事故とか病気とか仕事がうまくいかないというのは弱点です。弱点をついて「これがあれば弱点がなくせますよ」と誘われますから、壺みたいなものを手にするわけだし、こういうものから離れられなくなるわけです。丸ごと信じているわけではないわけですけどね、普通は。
そういうものが魔ですね。魔という形の宗教性があるわけです。それの日本の代表的なものが霊の宗教です。仏教は霊を説く宗教ではありません。しかし、霊というものを説く宗教は多いです。人間は死んだら霊になるという場合、魔の構造からいくといくと、こういうことが起こってきます。
自分にとっておもしろくないこと、嫌なこと、それを早くなくしたい、そういうことがあります。弱点ですね。そういう時に「なんで私ばっかり」とか「なんで我が家ばっかりこんな目に遭うんだ」と、予定通りいかないことを恨みます。呪います。そういう時に、誰かに八つ当たりしたいと。「あいつが悪いからだ」「こいつが悪いからだ」という形で誰かに八つ当たりしたいです。おもしろくないですから。
八つ当たりをもう少し丁寧に言うと、責任転嫁です。「あんなことがあったから」とか、「あの人がいたばっかりに」と責任を転嫁したいということが出てきます。
そういう心を持っている人に、霊の宗教は祟る霊というものを紹介するんです。八つ当たりしたい、誰かに責任転嫁したい、もうこんな現実は嫌だ、この現実を誰かに投げつけてやりたいと、そういう思いにかられる人には、祟る霊を紹介します。祟る霊というのは、霊というものが生きている者に八つ当たりしているということでしょう。八つ当たりしたい人には八つ当たりしている霊を紹介するんです。
それは祟る霊があったからだと。それが原因だと。これを何とか処理すれば弱点がなくなりますよと誘うわけです。
では逆に、家族は仲がいいし、健康だし、仕事もうまくいっていると。すべて順風満帆、順調にいっている。そういう人に祟る霊を紹介しても意味はありません。「いや、今のところうまくいっていますから、気にしません」ということになります。
順調にいっている人は、この順風満帆の航海がずっとこのまま続けばいいなと思います。この順調さを守っていきたい、そう思ってる人には祟る霊ではなく、守る霊が紹介されます。
「あなたが今、うまくいっているのは守護霊がついているからです」とか言います。「この守護霊を大事にしないと来年あたり危ないですよ」とか、こう言われれば、そうかなあと思って守護霊を大事にします。そして、「守護霊はこの壺に宿っていますから、壺を家の床の間に置いて」となるわけです。
ですから、今の状態を守りたいという要求を持っている人には守る霊を、八つ当たりしたい人には八つ当たりする祟る霊を紹介するんです。その人の欲に応じてその霊を紹介しますから、はずれることはありません。ということは、よく当たるということです。
問題なのは、弱点をなくせるものだ、人生は予定通りにいくんだ、そうならないのは他が悪いんだ、そのように考えていく私たちの構造が欲を持っているということです。そしてその欲にあった霊が紹介されるわけです。
ですから、もう大体わかりますね。霊というものは何か。私たちの欲望の影です。自分の欲望の影が霊となって、そしてそれを守らなければとか、それを大事にしなければとか、それを処理しなければならないとなるわけです。自分の欲望で霊を作って、その霊に踊らされ、コントロールされるというのが、霊の宗教というものの構造になります。
まさに魔です。誘うわけです。そして私たちの方にも、それに誘われていく弱点、予定通りにいかないことは悪いことだ、私は間違っていない、私の予定を邪魔するやつが悪いんだと、そういう意識構造があって、これに依っていくわけです。
そういう魔というものに呼応していく私たちの意識構造を、親鸞聖人は罪福信と教えてくださいます。罪というのは自分にとって弱点です。罪になるもの、それを全部他人か外にやりたい。福というのは自分の予定通りになること、自分の思い通りになること、都合のいいこと、利用できるもの、それが全部福です。
罪になるもの、弱点になるものは全部人に投げつけ、自分にとって都合のいいものだけ自分に集まってこいと、そういう我々の宗教心という形を取った魔の意識を罪福信と言われるかと思います。
この罪福信という心を持っていますから、魔に誘われます。予定通りにいくことがすべてになっていますから、ありとあらゆるものを利用し、人の命も利用し、いらなくなればポイと捨てる。そういうことを私の欲を中心にやっているわけです。
まさに頻婆娑羅王はそういうことをやったんですね。仙人の命を自分の予定通りにするために奪う。今度は子どもが自分の予定を狂わせるということを聞いて、子どもを殺しにかかる。まさにわがままいっぱい、罪福信いっぱいの頻婆娑羅王の姿が私たちに問いかけています。そういうことが頻婆娑羅王の姿を通して教えられているかと思います。
親鸞聖人はこうした宗教性を、
異学というは、聖道外道におもむきて、余行を修し、余仏を念ず、吉日良辰をえらび、占相祭祀をこのむものなり。これは外道なり。
と言われています。これは『一念多念文意』にある親鸞聖人のお言葉です。
「これは外道なり」という言葉は、仏教ではありませんということです。人間を人間にしていく道ではありませんと批判されます。
自分の都合の悪いこと、描いた予定通りいかないことをすべて他の責任にして、自分を中心にして生きようとしている私に、その誤りを知らせ、自分の姿に目を覚まさせて、予定で描いた人生ではなく、今ある人生の事実に立たせようとするのが真宗です。
先ほど、今を失っていると言いました。そういう話をすると、ではこれから今を生きるということにしましょう、それにはどうしたらいいですか、ということになってしまうんです。そしてまた、今を生きるための準備と段取りをするわけです。
我々は今を生きるためにはどうしたらいいかと、また今を生きるということは先に置いていきます。今を失っているということに気がつく時がないんです。それ以外に今はないんです。また考えればまた今が先に行ってしまうんです。
そうではなくて、こういう形で魔になっていた今に目を覚ますんです。私たちが見ようとしなかった今の問題に引き戻してくれる教えを限りなく信頼していくんです。それが真宗の教えだと思います。
今日は頻婆娑羅王の姿を題材にしたわけですが、これは頻婆娑羅王ひとりの問題ではないと思います。頻婆娑羅王の問題が私たちの鏡になっていくことが、教えの大事な意味でないかと思うことです。どうもありがとうございました。
5
今、各班の座談会で出ましたお話をお聞きしたんですが、この時間はまとめの話をすることになっておりますが、各班で話されたことはバラバラですから、まとめるといってもほとんど無理ですし、まとめるべきことでもないと思います。聞かせていただいたことを通して、感想のようなことをお話しして、次回の予告をしたいと思います。
皆さんの曾祖父さん、曾祖母さんの名前を知っておられますか。なかなか出てこないもんですね。私たちが曾祖父さん、曾祖母さんと言うと、今皆さんの頭の中でもお二人のことが浮かびますね。
では、曾祖父さんと曾祖母さんは何人おられるでしょうか。八人です。おじいさんとおばあさんは四人ですね。曾祖父さんと曾祖母さんはそのまた両親ですから八人です。いとこ同士結婚している方があっても六人います。
ところが、意識としてはお二人なんです。曾祖父さんと曾祖母さんの名前を言ってくださいというと、僕もパッとそう考えました。しかし曾祖父さんと曾祖母さんが二人だけしかいなかったら、私は生まれてないわけです。
私を基準にしますと、私から一代前に遡って私の父母、そしてその前がおじいさんとおばあさん、さらにその前と、一代前、二代前という言い方をします。ずっと二人ずつで考えるわけです。ですから、先祖代々とか、先祖を大事にするとか言いますが、その時の先祖というのはワンペアずつ二人です。
ところが命の事実としては、曾祖父さんと曾祖母さんは八人おられたはずです。八人いなければ、私は生まれてこないわけですから。さらには、命の事実から言うとこれだけの人数ではなくて、曾祖父さんと曾祖母さんたちと一緒に住んでいた兄弟とかいろいろあるわけですから、私の命を育んできた人たちというのはもっとたくさんいたわけです。
そういうことは全部消去して、二人に集約してしまいます。これは日本の家の思想というものに依っているわけです。
家思想というものは人間の考え方です。家というものを中心にします。家代々という考え方によると、曾祖父さん、曾祖母さんは二人になってしまいます。しかし本来の私たちの命の事実から言ったら、八人いらっしゃるわけです。六人を消してしまっているわけです。
ですから、こういう思想の中で作ったもので先祖という考えが生まれたんです。それを大事にするのが悪いというわけではないですが。
そういう形で、先祖もそうですし、あるいは先ほど言った霊とかでも、私たちの要求や要望、そして我々の構造に合わせて作ってきたものです。そしてそういうものに我々は縛られ、操られているという構造を持っているということを、今日お話したことです。そういう宗教性に我々はかなり取り巻かれています。
先祖は仏さまと神様と両方あっていいじゃないかと、別に両方あって片方じゃないとダメだとか、私は坊さんだから仏さまじゃないとダメだとか、そういう単純な派閥争いのところまで言っているのではなくて、そこに大事な問題があるわけなんです。
我々は自分の欲望や要求で作ったり、構造において出てきたもの、そういうものを宗教という装いの中で扱っているわけです。如来とか仏陀とか真宗の教えというのは、そういう構造に光をあてて、私たちがやっていることの姿を気づかせる。そういうことが仏とか如来とか仏教の教えということの意味ではないかと思うわけです。
いろんなことが人工的に作られています。たとえば、日本人は古来から家に仏壇と神棚を置いて、両方大事にしてきたと言われます。古来とはいつごろのことでしょうか。あるいは、日本人は結婚式は神社、お葬式はお寺で、両方大事にしてきたと言われます。これはいつからでしょうか。
神棚が各家庭に置かれるようになったのは昭和の初めです。国民精神総動員ということの中で行われました。まず明治になってから氏子になれと。それまで氏子という制度もなかったんです。そして国家神道の中で、昭和の初めごろ国民精神総動員ということがあって、その中で各家庭に神棚を置いて神様を大事にするんだということが言われだしました。それが昭和の初めです。ですから古来というのはちょっと語弊があります。
ではお内仏はどうかというと、今のような箱ものの仏壇が各家庭に置かれるようになったのは、江戸時代の中頃だそうです。ですから、これも古来からというのはちょっと無理があるかもしれません。
真宗門徒には別にお名号というものがもっと古くから、それこそ真宗門徒と自覚的に選んだ時からあったとは思いますが、普通の意味でいう仏壇と神棚が昔から日本はあったんだということは、どこかで人工的に作られてきたわけです。
では、神社での結婚式はいつごろからか知っていますか。神式での結婚式を一番最初に行った方は大正天皇です。それまでなかったんです。大正天皇の結婚式は明治の終わりですが、それからみんながやりはじめたかというと、そんなことはないんです。一般の人が神社で結婚式するのは太平洋戦争中からです。本格的に神社で結婚式をやるようになったのは戦後です。
これは私が勝手に言っているじゃありません。明治神宮の人に聞いたんですから間違いないです。それまでは国家神道ですから、神社は国営です。全部国の税金から神社の費用は出ていたんです。それが日本が負けて戦争が終わり、国家神道が解体されて神社は国家からお金が出なくなりました。それで何とかしなければいけなくなって、それで結婚式を始めたら当たったと、明治神宮の方が言っておられました。約五十年ほど前のことです。五十年もやると、大体昔からと言うことになるんです。
こういうものに惑わされる必要はないし、でもそれを知っていればどうということもありませんが、本質的に何が問題なのかということを、我々は教えの上で確かめていかなければならないわけです。
もちろん神様にも非常に古い、いわいるアミニズムという自然崇拝があります。木の神様とか水の神様という、そういう自然の恩恵を受けて我々は生きているんだ、だから水や木や自然を大事にしていく。そういうものを素朴な意味で敬愛するという信仰心は、それこそもう非常に古くからあった素朴な信仰です。
そういうものとは違う、そういう素朴な信仰の上に人工的なものが積み重ねられてきているわけです。政治的に積み重ねられた時もありましたし、私たちの欲が積み重ねてきたこともあったわけです。いろんなものを作ってきたということがあります。
その作ってくるものの元にある構造ですね。ざっと今日お話ししたような、そういう構造の問題を気がつくということが大事だと思います。そういうことを知らせてくるのが真宗の教えでないかと思います。
今日は頻婆娑羅という王様の姿に私たちの問題をたずねてきたわけですが、次回は反逆した息子の阿闍世の方に焦点を向けてみたいと思います。
阿闍世という人は、自分は両親から愛されて生まれてきたんだと、そして愛されて育ち、まわりのみんなからも期待され、祝福された人生を送ってきたんだと思っていたんです。王子ですから。
非常に優秀な人ですから、頻婆娑羅王のあとを継いで、この国を本当に豊かにしていく、指導者になっていくだろうという期待を、みんなからかけられていたんです。そういう期待を一身に担って、それに応える人に育っていたわけです。
ところがある時、彼自身の出生の秘密を知ります。私は祝福されて生まれてきたんではなかったと。逆に両親に殺されそうになって生まれてきたんだと。そして私以外の者はみんなそれを知っていたと。それを私に隠して、表向きは私を祝福していたと。
そういうことを突然知ったらどうなるか。自分が予定していた人生、自信を持っていた自分自身が崩壊してしまうわけです。絶望に落とされて、そしてそういう呪われた自分を嫌い、そして父親に刃をもって向かっていくことが起こります。
そういう阿闍世の姿を通して、私たちの問題を考えていけたらと思います。
(2001年10月13日(土)に法正寺で行われました安芸南組推進員養成講座のお話をまとめたものです)
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