|
「三つの出会い―阿難・韋提希・阿闍世」 第7回 |
2003年7月10日(水) |
第7回 「真実に生まれ現実を生きる」
1
おはようございます。てっきり台風が来るんだと思って傘を持ってきましたが、今のところ必要ないみたいですね。
台風も自分のいる場所を中心に考えますから、台風がよけたとか、それたとか言います。天気予報は東京中心に言いますから、関東の方へ行かないと、台風がそれて直撃を免れましたと言います。でも、関東をそれたら東北などへ行くわけですから、そちらの人は直撃されているんです。しかし、そこのところは見えないわけです。
実は今日中に名古屋まで帰らないといけないんですが、新幹線が止まってしまっているという連絡が来まして、困ったなと思っているところです。そのように台風でさえ自分を中心に考えていきます。
私たちがいつも自分を中心にすえて物事を見ていくことが、私たちの上にいろんな問題を作ってくるし、またそういう私たちが作っておる社会を大きく歪めることになります。
そういうことを私たちにきちんと知らせ、歪みや偏りをただすことを、教えをもって示されたのがお釈迦さまだと言っていいかと思います。
今日はお釈迦さまの誕生の意味というところから、ご一緒に考えてまいりたいと思います。
私たちがよりどころとしております『仏説無量寿経』、一般的には『大経』と申しますが、そのお経の最初の方にお釈迦さまの生涯のすがたが描かれています。そこからお経が始まっているわけですね。お釈迦さまの誕生の部分を読んでみます。
かの天宮を捨てて、母胎に降す。右脇より生じて七歩を行ず。(略)声を挙げて自ら称う。「吾当に世において無上尊となるべし」と。
このようにお釈迦さまの誕生の意味を伝えています。
お釈迦さまのお母さんである摩耶夫人のおなかに宿る前に、兜率天という所におられたんだというところから、その記述が始まります。
天宮というのは天のことです。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六つのあり方を六道と申しますけれども、仏教では六道という迷いの世界の中に天も入っています。
兜率天という所は、次に仏さまになってこの世に誕生される方が、その前にいろいろ準備をしたり、修行をしたり、説法をしたりする場所です。今現在、兜率天におられるのは弥勒菩薩で、五十六億七千万年経つと、この世に仏陀としてお生まれになるのだいうことが、お経に出ています。
そして、お釈迦さまがお生まれになる前にも、七人の仏さまがおられた、それを過去七仏と言います。七人じゃなくて、もっとたくさんおられたという説もあります。
じゃあ、何年ごろに、どこの国にいたんですか、ということになりますけれども、そういう意味ではないんです。過去に七人の仏さまがおられ、そしてお釈迦さまがお生まれになり、次には弥勒菩薩がお生まれになるんだと、そういう形で仏法の永遠性、普遍性を表現しています。歴史的にいつごろのことかという話ではありません。五十六億七千万年先といったら、地球があるかどうかわからないような話です。
これはインド人の考える広大な永遠性が背景にあって、そういう言葉が出ているわけですから、実体的に考えるとずいぶんおかしな話になります。
大事なことは、お釈迦さまは天を捨てて、この世にお生まれになった方だと説かれてあることです。すごくうまくいって、絶好調の時を有頂天と言います。これ以上いいことはない、すべて順調にいっているというのが天です。そして自分が要求したこと、欲しいと思ったことのすべてがかなう。そういうものが天という形で表現されているわけです。
ところが、すべての要求がかなって、順調にうまくいっていて、何にも文句のつけようがないのですから、もうそれでよさそうな気がします。しかし、そういう世界にいると、うまくいっていることが消えてしまわないか、順調でなくなったりしないかと、不安になります。そういう不安におびえるのが天という世界だいうことです。
つまり、すべて自分の思い通りになっているけれども、うまくいっていることがどこかで崩れないかという不安を抱える。そして、何もかもうまくいって楽しくて、快適さを満喫しているんだけれども、自分の身体が衰えたらそれを満喫できなくなりはしないかと、そういう不安を持つのが天だと言われています。
これはなかなかやっかいなことなんです。すべてが満たされた者の不満ということですから。あと何が欲しいの、ということなわけです。
すべてが満たされていながら不安を抱えているのは、現代の日本に住んでいる私たちがかなり近いかもしれませんね。かつてから考えれば、ものが非常に豊かになったし、快適で便利になった。しかし、この快適な便利さを満喫できなくなったらどうしようかというので、健康が一番だということになって、健康ブームが起こっているわけです。
私たちは、あれがあったらとか、こうなったらとか、子どもがこうだったらとか、家がこんなふうだったらと、さまざまな要求を持っています。それがすべてかなっても問題が残るということを示しているのが、天という問題です。
私たちは、これがあったらもうあとは何にも言うことはないと言って、要求を満たしていくことを願っていきます。そういう方向で頑張って、問題がなくなることを目指していくわけです。しかし、そういう所を捨てて誕生されたのがお釈迦さまなんだと、お経に出てくるわけです。お釈迦さまはそういうことでは何にも解決しないんだというので、天という世界を捨てられたわけです。
ここで私たちとお釈迦さまとがすれ違うんです。お釈迦さまが捨てたものを私たちは求めているわけです。そのため、捨てたお釈迦さまの教えと、お釈迦さまが捨てたものが欲しいと言って頑張る私たちの間に、すれ違いが起こっているということを、こういう形でお経は教えているわけです。
人間が求める方向は方向が違うんだと知らせるために、天を捨てて、この世に生まれたのがお釈迦さまという方なんですと、そういうことをお経では表現するわけです。実際に天とはどこにあるんですか、上空何メートルぐらいですか、そういう話ではないんです。
その後に、お釈迦さまが生まれてすぐに七歩歩いたということが書かれています。文字通り受け取ると、お釈迦さまという人は普通の人とは違うんだ、だから生まれてすぐに歩けたんだ、ということになります。
しかし、もちろん生まれたばかりの赤ちゃんが歩いたりはしません。動物の赤ちゃんは生まれて一時間ぐらいで立ち上がります。それは外敵に襲われたらおしまいですから、誕生してできるだけ早く立つのが自然の摂理に合うわけです。しかし、人間は未熟な状態で生まれてきます。お釈迦さまといえどもそうです。
七歩歩くということは、迷いの世界である六道を一歩超えることによって、世界が開くということが人間の上に起こることを知らせるために、この世に生まれた人がお釈迦さまなんだ、ということを表現しています。
そしてその後で、今度は生まれたばかりなのにもうしゃべるわけです。
声を挙げて自ら称う。「吾当に世において無上尊となるべし」と。
お釈迦さまはこのようにしゃべられたということになっています。これももちろん、生まれたばかりの赤ちゃんが、たとえ後に仏陀になる人であっても、しゃべったりはしません。そういう表現で、お釈迦さまが生まれた意味をお経は語っているわけです。
「吾当に世において無上尊となるべし」ということを、他の仏伝では「天上天下唯我独尊」と言われたとあります。意味は同じです。
「我独り」ということは、私だけが尊いということではなく、独りにして尊いと。何かによったり、こういう生まれだからとか、こういう組織に属しているからとか、知識や能力があるからとか、社会的地位があるから尊いのではなくて、人は裸のままで、独りにして尊いんだと。それはなぜかというと、迷いを一歩超える世界が誰の上にも開く、そのことが確かめられる存在として、人は独りで、裸のままで尊いのだ。そういういのちの事実を伝えるためにこの世に生まれたのが、この人なんだ、ということから、お釈迦さまの伝記が始まっていくわけです。
そのことを受けて、親鸞聖人は『正信偈』に、
如来、世に興出したまうゆえは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり。
五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
と書かれています。
この如来とはお釈迦さまのことです。お釈迦さまが世に生まれられたのはなぜかというと、ただ弥陀の本願海を説くためだと、親鸞聖人は言われるわけです。
つまり、人間が本願の世界に目覚めることができる、そのことにおいて人は尊いのだと、このことを我々に知らせるためにこの世に生まれた方だと。そういうふうに親鸞聖人は我々に言葉を残してくださっています。だからこそ、お釈迦さまの真実の言葉を信ずるべきなんだ、信じなければならないのだと、『正信偈』に説かれています。
このようにしてお釈迦さまの誕生の意味が語られます。
2
この後に『大経』では、阿難というお弟子とお釈迦さまが出会うところへと続きます。
私は浄土真宗の教えには三つの出会いがポイントになっていると思います。一つはお釈迦さまと阿難との出会いです。
もう一つはお釈迦さまと韋提希との出会いです。韋提希が仏陀としてのお釈迦さまに出会っていくことが、王舎城の事件を通して起こります。
そして三つ目は、王舎城のもう一人の主人公と言ってもいい阿闍世とお釈迦さまの出会いです。頻婆娑羅王を幽閉し、結局は死なせてしまいます。そして自分の母親である韋提希をも殺そうとする王子阿闍世。その阿闍世がその後お釈迦さまと出会っていきます。この三つの出会いを通して開かれてきた教えが浄土真宗だと言っていいかと、私は思います。このことを注意して大事にされたのが親鸞聖人です。
今日はまず阿難とお釈迦さまの出会いという点から見てみたいと思います。その出会いについては、親鸞聖人がお作りになった『和讃』によってご一緒に見ていくことができます。
尊者阿難 座よりたち
世尊の威光を 贍仰し
生希有心と おどろかし
未曾見とぞ あやしみし
如来の光瑞 希有にして
阿難はなはだ こころよく
如是之義と とえりしに
出世の本意 あらわせり
このように阿難とお釈迦さまの出会いを歌にしてくださっています。ここを基点にして読んでみたいと思います。
阿難とお釈迦さまが出会ったと言いましたが、向こうからお釈迦さまが歩いてきて、こちらから阿難が歩いてきて、ばったり出会って、初めまして、と言ったわけじゃないんです。
先に話しました三つの出会いとも、初めましてと言って出会ったんじゃないんです。もともとお互いに知っていたわけです。ゴータマ・シッダルタという、いろんなことを知っている、みんなから尊敬されているえらい人だということは知っていたわけです。
しかし、真実を私たちに知らせるために生まれ、この世界のありさまに目を覚まし、私たちに教えている仏陀という意味では、お釈迦さまに出会っていないんです、阿難も韋提希も阿闍世も。そこのところが問題だったんです。
特に阿難という人はお釈迦さまの十大弟子の一人です。舎利弗や目蓮、お釈迦さまの息子の羅?羅も十大弟子です。阿難は十人の有名なお弟子の一人なんですが、一番最後まで悟りを開けなかった人だと言われています。
阿難はいつもお釈迦さまの身の回りの世話をしながら、一緒に旅をしていたわけですから、お釈迦さまのお話を一番たくさん聞いた人なんです。そして、なおかつお釈迦さまとは従兄弟でした。血のつながりがあって、側近として側にいつもいて、たくさん話を聞いた人なんです。ところが仏陀としてのお釈迦さまに出会えなかったという問題を、阿難は持っていました。
インドの気候には雨季と乾季があります。雨季の暑い時には、気温がだいたい50℃ぐらいになります。そして雨がよく降ります。40℃や50℃を体験された方に聞きますと、そういう時はさすがのインド人も外を歩かないんだそうですね。30分動いたら、一時間休まないとおれない。そういう時期が雨季です。
お釈迦さまの弟子たちは、普段は三人一組ぐらいでお釈迦さまの教えを布教しに、インド各地を回っていました。ところが雨季になりますと、みんなが集まって学習会を開きます。雨期には川が氾濫しますし、道路もぬかるんで歩けません。そして暑くて、外を歩くわけにはいきません。
それでみんなが集まって、二ヵ月間ほどお釈迦さまのもとで集中した学習会が開かれました。それを安居と言います。祇園精舎とか竹林精舎というのは安居が開かれた場所です。祇園精舎では二十四回の安居が開かれたという記録があります。この習慣は日本の仏教界にも伝わっていて、現在でもその時期に夏安居という学習会が行われます。
安居の時期以外には、お釈迦さまもお説教をしながら各地を歩かれます。布教の旅にずっと従っていたのが阿難ですから、いつも隣にいたんですね。ところが、隣にいる人が仏陀、目覚めた人なんだということを、阿難は知らずにいたわけです。うかつと言えばうかつな話です。
隣の人とはなかなか出会えないということがあります。結婚して長年連れ添っていても、こんな人とは思わなかったという言葉が出ます。私もよく、あなたはそんな人とは思いませんでしたと、言われます。どんなつもりでいたんですかと聞くと、火に油を注ぐことになりますから、黙って、すみませんとしか言えませんけれども。
隣にいる人ともなかなか出会えないということが、実際にありますね。それが阿難の場合はお釈迦さまですし、自分も弟子のつもりなんですから、かなりピントがはずれていたわけです。
『大経』では、ある時にお釈迦さまが光り輝いて見えた、光顔巍巍としていたと出てきます。阿難はびっくりします。あなたは光の人でしたかと。
お釈迦さまが超能力を発揮してピカピカ光っていたというようなことではないんです。
光とは、そのはたらきに会うことによって明るくなって、明らかになって、わかるということがあります。そのはたらきを光と我々は表現するわけです。電気でもそうですね。真っ暗闇の部屋に入って、電気をつけると、光が照らして自分がわかります。
お釈迦さまの本当のはたらき、教えに触れて、阿難に初めて明らかとなることがあったわけです。それで、あなたは光の人だったんですねと、あらためてお釈迦さまに出会い直すわけです。
そして阿難は座をけって立ち上がった、というところからお経が説かれます。そこのところを「尊者阿難座よりたち」と親鸞聖人は歌にしておられるわけです。
阿難が自分の座をけって立ち上がったということは、それまで阿難はお釈迦さまの隣にいながら、お釈迦さまに甘えて座り込んでいたということです。
一つは血のつながりへの甘えがあります。お釈迦さまは血を分けた従兄弟としての自分を、いつも特別に見ていてくれるはずだとか、まわりからもそう見られたりしていると思っていたんでしょう。
私たちは、つながりといっても薄いものであっても、著名な方が出ると、あの人とはちょっとした親戚なんですと言ったりします。そういう意識が阿難にもあって、お釈迦さまと血のつながりがあるという甘えがあったかと思うんです。
お釈迦さまの仏教教団では血のつながりを基本的に配慮しません。お釈迦さまの子どもである羅?羅という方が出家して弟子となります。しかし、羅?羅はゴータマ・ブッダの実子だからと、何か特別な配慮をしたということは一切ありません。ただ、羅?羅自身はまわりから仏陀釈尊の息子だと見られることを意識しますから、自分自身を余計に厳しく律していきます。それで羅?羅は持律堅固第一といって、戒律を守ることが一番だったと伝えられています。
けれども阿難は血のつながりに甘えたところがあったと思うんですね。そしてなおかつ、いつも側に側近として仕えていますから、みんなが先生と仰ぐ人と一番近しく、昵懇であるということで、その人の権威を借りるとか、権威の下に隠れ、昵懇であることをどこかで誇っていくということがあったんでしょう。
私たちも有名な先生とか著名な方だと、血のつながりがなくても、あの先生と私は親しいのだ、親しく一緒に酒を飲んで話をしたとか、そういうことを何となく誇らしく思ったり、いばったりすることがあります。それでその先生の話された教えをわかった気になることがあります。大きな落とし穴です。
人間的に親しいということと、その先生の教えがうなずけることとは別問題なんです。けれども、いつの間にか昵懇なんだという意識の中に埋没して、わかっていると錯覚してしまいます。どうも阿難という人はそういうことがあったんだと思うんですね。
インド最大の国家であったマガダ国やコーサラ国の王様や、あるいは祇園精舎を寄付した当時有数の富豪であったスダッタといった、世の中の地位ある人が、お釈迦さまを慕い、敬い、教えを聞いています。そういうお釈迦さまの知識や名声、社会的地位にあこがれ、そしてこの人にすがっていれば自分も何とかなるんじゃないかという意識で、お釈迦さまの話を聞いていたということがあるかと思います。
血のつながりへの甘え、そして側近であることへのおごり、そしてこの人に従っていればきっと何か自分にも利益の配当があるのではというような、お釈迦さまにぶら下がっていくという、そういう意識の中に座り込んでいたのが阿難かと思うんです。
お釈迦さまが阿難に特別の配慮をはらうということになれば、お釈迦さまの慈悲や智慧が偏りを持ち、歪みを持つことになります。釈尊の慈悲とは血のつながりがあるからとか、いつもそばにいて仕えてくれているからとか、親しいからということで、特別な配慮をされることはありません。あらゆる人に同じように真実の教えを伝えていくのが、釈尊の仕事ですし、愛情です。しかし、そのその教えを聞きながら、阿難は平等普遍の仏陀に気がつかなかったわけです。
ある時初めて、その事実に阿難は触れたわけです。そしてびっくりして立ち上がりました。それまでは何とかうまいことをして、この人にすがっていこうと思っていた阿難の意識を粉砕するような教えに出会うわけです。それで驚いて「世尊の威光を贍仰し」と。贍仰とは仰ぐということです。人間は自分を遙かに超える大きなものに出会えば、ああ、と感動して仰ぐしかないんです。そういうことが阿難に起こったわけです。
そして「生希有心」と。希有というのはめったに起こらない、ほとんどあり得ないという意味です。人間にほとんどあり得ない心が初めて阿難の上に起こったということです。初めて真面目にこの人の言うことを聞いてみようと思ったんですね。それまでは利用しようという意識の中で聞いていたのが、その意識を捨てて、全面的にこの人の言うことを信頼し、聞いていこうと、そういう心が阿難に起こったわけです。
そして「未曾有見」というのは、いまだかつて見ないという意味です。今までこの人が本当に平等で普遍な愛情をもって、人間が偏り、歪むことをただしていく智慧の世界を教える仏陀という人だということを知らなかった。今初めてこの人の、お釈迦さまの存在の意義を知った。初めてあなたに出会えました。そういうことが、いまだかつて見なかったという、阿難の述懐だと思うんですね。
と同時に、お釈迦さまが信頼すべき教えの世界を伝えに来た仏陀という人だということに初めて出会ったということは、お釈迦さまに出会うことを通して、今まで何年も隣にいて、旅をしながら、仏陀としてのお釈迦さまに出会わなかった自分自身に気がつくいたことでもあります。
そしてさらに、仏陀としてのお釈迦さまに今まで出会えなかったのは、私の方に原因があったんだと。お釈迦さまが不親切だったのではなくて、血のつながりであるとか、昵懇であるとか、それにすがっていこうという意識を持ってお釈迦さまを見ていたために出会えなかったわけですから、私の方に原因があったんだという私の事実にも、阿難は出会っているわけです。そして出会うことによって、お釈迦さまの名声に甘えて座り込んでいた、その座をけって立ち上げるわけです。自分の足で立つわけです。驚いて自分の足で立った自分にも出会っているんです。
ですから「いまだかつて見ず」というのは、単にお釈迦さまという人に初めて出会ったということだけではなくて、そのことを通して今まで教えに出会えていなかった自分自身と、教えに出会えなかった暗さは私に原因があったということ、そして甘えて座り込んでいた座をびっくりして立ち上がり、自分の足で初めて立った自分に出会っているわけですね。
このように、阿難はお釈迦さまに出会うことを通して、たくさんの自分の事実に出会っているわけです。
実は如来に出会う、真宗に会うというのは、自分に会うことです。そのことを阿難とお釈迦さまの出会いを通して教えてあるわけです。
仏教を学ぶということは、人が知らない、わけのわからない不思議なことがわかるということではなくて、自分に出会っていくということですと。自分に出会って初めて自分が自分で立つということですと。立っていける場所が開くということですと。そういうことを阿難が座をけって立ち上がったということで、我々に示してあるわけです。
そしてお釈迦さまに質問します。初めて自分が感じた正直な質問をつくろわずにするわけです。なぜあなたは仏陀なんですか、と聞くんですね。
するとお釈迦さまはその質問をしたことについて、誰かがそういう質問をしろと教えたのか、自分で思ったのか、と阿難に聞くわけです。
つまり、今まで阿難は自分のかしこさやよく聞いていることを誇り、ある意味のこざかしさをもって質問していたのかもしれませんね。こういうことを質問するとお釈迦さまはほめるよと、誰かに教えてもらって質問したんですかと、こんな言い方ではありませんが、そういう質問を逆に釈尊がしているんですね。
すると阿難は、いいえ、自分でこのことをどうしてもあなたに尋ねたいと思ったんですと、あなたが仏陀として目覚めた世界、あなたがあなたであるということはどういうことなのですかと、私は初めてあなたの教えに触れて、今自分にびっくりして立ち上がったんですと、そして、あなたがあなたであるいわれを聞きたいんですと、これは私の一番聞きたかったことだと、今私は気がつきましたと。このように質問するわけです。
そうすると、お釈迦さまは阿難のその答えに喜んで、それでは私が仏陀であるというのはどういうことか、そのいわれを語りましょうということで、阿弥陀仏の本願を説かれるわけです。
つまり、仏陀とは何に目覚めたか、私は阿弥陀仏の本願に目覚めて仏陀となったんだと、そしてあなたは今そのことにようやく気がついて、一番大事な質問をしたんですね、とお釈迦さまは答えられます。お釈迦さまは阿難がその質問をするのをずっと待っていたわけです。それが仏陀の愛情です。
そういう形で阿難とお釈迦さまが出会い、そして説かれたのが阿弥陀仏の本願です。
私たちも阿難のようにお釈迦さまや親鸞聖人の言葉を通して、阿弥陀仏の本願の世界をいただいていくわけです。それはとりもなおさず、自分自身に出会っていくことです。我々に先立って、このことをお釈迦さまと阿難が示してくださったわけです。そして、これが真宗という教えの一番大事な基点となるすがたではないかと思うことです。
そうしたお釈迦さまの意義を踏まえた上で、王舎城の物語のもう一人の主人公である阿闍世とお釈迦さまとの出会いについて触れていきたいと思います。
3
王舎城の物語といいますのは、インド最大のマガダ国という国に、仏教を敬う頻婆娑羅という王様と王妃の韋提希という方がおられ、その間に阿闍世という王子がいたんです。阿闍世は若い、優秀な王子ですから、国のあり方、方針をめぐって、頻婆娑羅と多少の意見の食い違いがあったんですね。
そして、阿闍世が尊敬していたのはお釈迦さまの弟子だった提婆達多という、阿難の兄弟だと言われている、やはりお釈迦さまの従兄弟です。
提婆が阿難をけしかけます。今からは若い者の時代だと、頻婆娑羅を廃してあなたが王になり、私が仏陀釈尊を殺して、仏教教団のリーダーになろうと誘うわけです。なかなかふんぎりがつかない阿闍世は提婆に、あなたが生まれる時に頻婆娑羅と韋提希はあなたを殺そうとしたんですよということを知らされて、ついに踏み切ります。
その時に提婆は、国中のものがある占いを知っている、それは頻婆娑羅と韋提希との間に生まれてくる王子は成長した暁には父王に反逆するという占いなんだ、その占いを恐れて、生まれる時に二人は阿闍世を殺そうとしたんだと、そう提婆は話します。
そのことを聞いて阿闍世は絶望するわけです。みんなが私のことを期待し、敬っていてくれる、そしてみんなが私のことを大事にしてくれている、そう思っていたら、裏へ回ったらさんざんなことを言われていたわけですから、誰も信用ができなくなったわけですね。それでクーデターを起こしたわけです。
そして頻婆娑羅王を幽閉します。すると韋提希がそっと食べ物や飲み物を牢屋に差し入れするんです。それを知った阿闍世は激怒して母親を殺そうとします。しかし家来に止められたものですから、韋提希は殺さずに幽閉します。
韋提希が嘆き悲しむところへお釈迦さまが現れて、あらためてお釈迦さまと韋提希が出会っていく。それが王舎城の物語の前半部分です。
お釈迦さまが危険を顧みずに韋提希に会いに来ます。お釈迦さまも命をねらわれていました。提婆達多と阿闍世が組んでクーデターを起こしたわけで、頻婆娑羅を幽閉しましたから、今度はお釈迦さまが狙われる番です。それでお釈迦さまも危ないんです。それにもかかわらず、苦悩する韋提希のところへ来られます。
お釈迦さまのそうした愛情に触れた韋提希は、お釈迦さまが示してくださった深い愛情をもって現実に関わる、そういう立場に私も立ちたいと思う、ということで、阿弥陀仏の浄土に生まれたいと願うわけです。そのようにして韋提希はお釈迦さまと出会っていきます。
問題はそこで終わりません。阿闍世の問題が残っています。
後半は『涅槃経』というお経に引き継がれています。
親鸞聖人は後半部分を『教行信証』という書物の「信巻」、信心を明らかにする巻に、韋提希の救いを確認した後で、『涅槃経』のその部分をほとんど引用しておられます。ですから親鸞聖人は王舎城の物語全体を見通して問題をたずねておられたと思うんです。
韋提希が食べ物を差し入れることができなくなったので、頻婆娑羅は真っ暗な牢の中で食べ物もなく、衰弱して死んでいきます。父である頻婆娑羅の死を聞いた阿闍世は牢へ行き、遺体を見ます。そこから『涅槃経』のその部分が始まります。
父親の遺体を見た阿闍世はそこで後悔しはじめるんです。大変なことをしてしまった、私は罪のない人を殺したんだと、阿闍世は殺したという事実に出会ってびっくりしたわけですね。それで大変後悔して苦しみだすわけです。
その苦しみが阿闍世を病気にします。心から出た病気だと言ってもいいです。熱を発して、その熱が体中に瘡を作り、膿が出て、異臭が漂ったと、お経にあります。
病気と膿が出てくるくさりのにおいのために、誰も近づけません。唯一、韋提希が何とかしなければいけないと、一生懸命薬をぬったりして看病します。自分を殺そうとした息子ですが、お釈迦さまに出会った韋提希は、息子を見捨てず寄りそって、必死で看病します。その母親の姿を見て、阿闍世は病気がもっと重くなります。
マガダ国の大臣たちが何とかしなければと、これは心が病んで身が病気になっているのですから、その心を癒すためにこの先生の話を聞いてください、そうすればあなたの悩みはすっきり解消して、病気は治りますよと、阿闍世に真面目に勧めます。それが六師外道の教えといわれるものです。
六師外道とはその当時のインドの六人の思想家です。この教えを親鸞聖人は非常に丁寧に見ておられます。実は六師外道の教えは、私たちがいろんな問題に出会った時、いろんな苦しみを感じた時に、自分や他人に言ってきかせるような話なんです。三つのパターンに分けられます。
一,水に流しましょう。・・・・・・・・・・・・無かったことにしましょう論
二,仕方がないことです。・・・・・・・・・・いつでも多少の犠牲はつきもの論
三,みんながやっていることです。・・・赤信号みんなで渡れば怖くない論
阿闍世は、自分は罪のない父親を殺した、父親は仏教を真面目に聞いていた正法の人だった、こういうことをしたものは地獄に堕ちると聞いている、ということで、地獄に堕ちるという恐怖に恐れおののいて、病がどんどん深くなります。それに対して六人の先生はいろんなことを言います。
地獄に堕ちるとあなたは言いますが、地獄に行って帰ってきた人がいるんですか、そんなことは気にしなくていいんですとか、そういう言い方をします。
これは「水に流しましょう」ということです。つまり、地獄に行って帰ってきた者はいません、あまり苦しむとますます苦しくなるばかりですから、いつまでもクヨクヨせず、いい加減に水に流して、なかったこととして忘れたらどうですか。そう言う六師外道が何人かいます。
こういう考えを私たちもよくします。いろいろあったけれど、水に流してこれからは、というのが日本人は好きです。水に流すというのは、日本のような地形に住んでいると考えるわけです。川の流れが速いですから、いらないゴミを全部ポイと捨てては、川がさっと流していきます。目の前から消えてなくなれば、なくなったことにできるわけです。非常に都合がいいというか、横着というか、いらないものは捨てて流してしまえばいいと。いろいろあったけれど、過去のことも水に流してと。
一年間、いろいろ人に意地悪なことをしたり、悪口を言ったり、さんざんなことをやって、そして忘年会で一年間のことを忘れて水に流し、大晦日の晩が過ぎると、さあ新しく正月を迎えたから、もう心機一転、過去のことはなかったことにして、新しい気持ちでと。毎年毎年そうやっているわけです。
非常に便利で都合がいいわけです。そうやって自分の問題を完全に流してなかったことにしてすませてしまいます。そして、薄っぺらなことになっていくわけです。自分の事実をきちんと深めた重厚さを失って、一年経っては流す、一ヵ月で流すと、そういうふうに全部流してすませてしまうんですね。
大陸のようなゆるやかな地形だと、川もどちらからどちらへ流れているかわからないようなゆっくりとした流れですから、ゴミを川に放ったら、そこにいつまでも漂ってしまい、消えたりはしません。ですから水に流すという発想はないんです。
それから二番目は、仕方がないことだということです。古い王はいつか新しい王に取って代わられるんだとか、そういう運命なんですとか、国の政治には犠牲がつきものですですというようなことを言うわけです。犠牲にされる人を無視した話なんですが、そういうことはあることです、仕方のないことですと言うんです。
これも我々はやるんです。一年経ったら水に流して心機一転、お正月からまき直すんですが、過去のことがいろいろ言われると、昔は仕方がなかったんだと言って、自分を正当化します。
三番目は、みんながやっていることです、ということです。何人かの王様の名前をあげて、あの王様もこの王様も、あっちもこっちも、みんな父親を殺したんですから、あなただけが悪いわけじゃありません、みんなやってるんです。こういうふうに言います。あるいは、火が木を焼いても火に罪はないとか、刀が人を切っても刀に罪はないようなものであって、あなたには罪はありませんとか、いろんなことを言って、阿闍世の苦しみを消そうとするわけです。
みんながやっていることですから、あなただけがそんなに苦しまなくても、ということも私たちはよく言います。みんながやっているということに弱いわけです。みんながやっていることを自分もやれば間違いないと思って私たちは生きていますから、そういう所に落ち着くんですね。
この春に筑紫哲也さんが高山に来られた時に、こういう話をされてました。民族性ということがありますが、その民族性を揶揄するジョークがヨーロッパではありますと紹介されました。
タイタニック号が氷山にぶつかって沈もうとする時に、みんながボートに乗って非難すると。しかしボートの定員よりオーバーして、誰かが海に飛び込まないといけない。それで最初にイギリス人に、あなたをジェントルマンと見込んでお願いしたいんですが、海に飛び込んでいただけませんかと言うと、イギリス人は騎士とか紳士とかには弱いですから、わかりましたと言って飛び込む。次にアメリカ人には、あなたのスポーツマンシップに訴えてと言うと、スポーツをする者の公正な精神に生きようとするアメリカ人は、スポーツマンシップに訴えられると弱いですから飛び込むと。ドイツ人には、船長の命令ですと言うと、飛び込むんですね。厳格で規律を重んじるということなんですかねえ。ロシア人には、飛び込んでいただけた暁には勲章がもらえますと言うと飛び込むとかあります。そして日本人には、皆さん飛び込まれたようですよ、と言うと飛び込む。
このように言っておられました。つまり、みんながということだったら、それならいいんだろうと正当化するわけです。それが日本人だと思われているようですと,筑紫さんは話されていました。
六師外道の何人かはそれと同じことを言うわけです。みんながやっているのだからあなただけがそんなに悩まなくても、と言うわけです。
私たちはそのように屁理屈に近いような理屈までつけて、自分の苦しみや悩みを消していきます。そして苦しみや悩みを感じないようにしていくわけです。そしてやったことを正当化します。私たちは日頃やっていることの中には、かなりこれが多いわけです。そのようにして、大切な問題に出会いながら、ごまかし、出会っていなかったことが、私たちにはたくさんあるんじゃないかと思います。
六師外道の説をまとめて言うと、他の者に責任を転嫁しながら、その苦しみを消したり感じない、感じる必要がないんだと正当化する方へ持っていきます。そういうことを六師外道は勧めます。
阿闍世は実際に父親を殺していますから、それではごまかしきれません。それで、六師外道の話を聞けば聞くほど苦しみます。最後に耆婆というお医者さんで、阿闍世の従兄弟といわれている方が来ます。この耆婆という人は仏弟子です。耆婆はこう言います。
大王、安くんぞ眠ることを得んや、不や。
あなたは眠れないでしょう、と言うわけです。やったことに驚き、後悔し始めた阿闍世に思い出されるのは、いかに頻婆娑羅が自分を愛してくれていたか、自分を慈しんでくれたかということです。そして、父王がやろうとしていた国づくりの理念がわかりかけてきましたから、後悔でいっぱいになっています。それで苦しんで眠れないわけです。
その阿闍世に耆婆は眠れないでしょうと言うわけです。他の六師は、あまりくよくよしなさんな、あまり悩むと余計に悩みが深まるだけですよ、と言うんですが、耆婆はそうは言いません。眠れないでしょう、眠れないのが当たり前だ、あなたは眠れないようなことをしたんだと、そうはっきり言うわけです。
そのように言うことで、耆婆は阿闍世の苦しみに共感しているんです。このことが大事なんです。私たちは人が悩んだり苦しんだりする時に、あんまり苦しまずに、悩まずにというふうに言ってしまいます。実はそれは冷たいものの言い方です。それは本当に苦悩する人に、そうですねえ、あなたの苦しみ悩みは当然です、大事なことに直面しているんですね、というようには共感していないんです。
耆婆が共感してくれたことで阿闍世は自分の苦しみを語り、最後に、
いかんぞ当に安穏に眠ることを得べきや。
と。本当に眠れない、どうしたらいいのだろうかと言います。
阿闍世の苦しみを共感して受け止める耆婆に出会って初めて、阿闍世は心を開きます。こんなに苦しいんだと。そして自分の孤独感を語ります。国中の者が自分を期待して敬ってくれていると思っていたら、陰に回っていろんなことを言っていた、それで絶望的な孤独感に陥ったと。それでも自分をわかってくれていると思っていた母親の韋提希までが自分を裏切ったと。それで自暴自棄になってしまった。そして今度は頻婆娑羅の遺体を見て、後悔にさいなまれたと。阿闍世は孤独地獄に堕ちてしまっている感じなんですね。
王舎城の物語のビデオを制作しました。インドでのロケが終わり、ちょっとしたパーティーをした時に、阿闍世の役をやったインド人の俳優さんが、彼は阿闍世という立場をよく理解して役作りをしましたが、一番難しかったのは、阿闍世が韋提希にまで裏切られて陥った孤独感をどう表現するかに苦労したことだと話していました。もちろん、私は孤独ですとか言ったりはせず、表情などで孤独感を表そうとしたんだと言っていました。
その役者さんがクランクアップした時点で、俺はどうなるんだと言うわけです。阿闍世はどうなるんだと。阿闍世はこのままでは救われないじゃないかと。韋提希はお釈迦さまに出会えてよかったけれど、阿闍世はどうなるんだと聞いてきたんです。
後で担当者が『涅槃経』というお経に、阿闍世が苦しみだして病気にかかり、その病気を通してお釈迦さまに出会っていくことが書かれていると説明したそうです。
阿闍世は初めて苦しみの中から耆婆という人を頼りにして、心がすこしずつ開いていきます。そこで耆婆は、あなたは本当に自分のしたことについて恥じ入って、深く懺悔しておられますが、それが人というものですと。これがなかったら人ではないんです、畜生ですと。
善いかな、善いかな、王、罪を作すといえども、心に重悔を生じて慚愧を懐けり。
無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。
このようにして耆婆は阿闍世の苦悩を大事な苦悩として受けとめていきます。そして阿闍世にもその苦悩を受けとめさせようとするわけです。忘れなさい、感じるのをやめなさいと言ってるんじゃないんです。あなたの苦悩は人として当然の苦悩だと、その苦悩を大事にしなさいと、尊いことですという言い方で、阿闍世の苦悩全体に共感し、受けとめていこうとします。
すると、空から声が聞こえてきたと、お経に出てきます。私はあなたの父の頻婆娑羅だと、虚空の声が言うわけです。そして、あなたは耆婆に従ってお釈迦さまの所へ行きなさいと勧めます。
それを聞いて阿闍世は失神して倒れてしまいます。つまり、父の頻婆娑羅を殺したにもかかわらず、殺された父が愛情をもって釈尊のもとへ行けと勧めてくださった、その愛情に触れて、阿闍世は自分のやったことに恥じ入り、慚愧心の頂点に達して倒れてしまうわけです。
このようにして苦悩を抱えた阿闍世が歩んでいきます。そして苦悩の中で、看病する韋提希の愛情に触れ、共感してくれる友だちの耆婆に出会い、そして殺されてもなお阿闍世の身を案じ、お釈迦さまのもとへ行けと言葉をかける頻婆娑羅の愛情に出会い直していくんです。苦悩したことが阿闍世にさまざまな者に出会わせていきます。そこまできて、お釈迦さまの言葉が出てきます。
前にも申しましたが、この出来事はお釈迦さまの晩年のことです。後の記録が正しければ、お釈迦さまはこの時72,3歳、もう少しいっておられるかもしれません。2500年前のインドですから、70歳を過ぎていればいつ死んでもおかしくないですね。
しかしお釈迦さまは「阿闍世王の為に涅槃に入らず」と言われます。阿闍世が私の所へやってくるんだ、阿闍世に会うまでは死ねないということです。阿闍世の苦悩を受けとめ、阿闍世と出会い直すまでは、私はこの身をしまえないと、そう言われて阿闍世を待ちます。
その時、お釈迦さまは月愛三昧という三昧の境地に入られたとお経に書いてあります。月愛三昧とは何かというと、月明かりがヒントだと思います。闇夜に方向を見失って、真っ暗闇になった時に、月明かりが見えれば、自分の歩んでいく方向が見えます。月明かりというのは太陽の光ほどまぶしくはありませんが、月明かりが道を照らし、行く場所を照らしてくれるという優しい光ですね。月愛三昧とはそういう意味だと思います。
つまり、お釈迦さまは阿闍世を待つという形で、阿闍世の行くべき道を指し示されたわけです。行き場所を失って孤独の中に陥っていた阿闍世に、初めて自分の居場所が見えてきたことが、月愛三昧の意味だと思います。
お釈迦さまが月愛三昧に入られたことによって、阿闍世の膿が消えたと経典に書いてあります。もうどこにもおれないし、どこにも行き場所がないし、誰も自分のことをわかってくれない、そういう苦しみ、そしてしたことへの後悔。それで瘡から膿が出て異臭を放っていたわけですが、それが消えたと書いてあります。
つまり、阿闍世が自分に共感する人と出会いを通して、自分を受けとめ、自分の生きる方向と居場所を見出したことで、阿闍世の身の瘡が取れたということなんですね。
つまり、居場所を失ってどこにもおれない、誰も私を受けとめてくれない、それで病んでいた者が、月明かりで居場所や方向が見つかることで明るさが出てき、そのことが阿闍世をすこしずつ立ち直らせるきっかけになった。そういうことを膿までが出ていた瘡が取れたという表現で、経典が私たちに知らせているんだと思います。
ところが阿闍世は、父親を殺した者は地獄に絶対に堕ちると恐れていますので、お釈迦さまに会わせる顔がないと、行くのをかなり逡巡します。とてもお釈迦さまにまみえることのできる人間じゃないんだ、こんな罪深い者は仏陀如来には会えないんだと、自分で自分を決めつけ、自分をおとしめているんです。
それでも耆婆が行きましょうと勧めるものですから、阿闍世は一象に乗って行こうと言います。耆婆と同じ象に乗って行こうと言うわけです。どうしてかというと、得道の人と行けば地獄に堕ちないと言われていますから、耆婆に一緒に行ってくれと頼むわけです。それほど大王である阿闍世の気が弱っていたんです。
耆婆は寄りそって一緒に象に乗り、お釈迦さまの所へ行きます。堕ちるのなら一緒に堕ちようと、最後まで付き合い寄りそってくれるくれるのが真の友人ということなのでしょう。
そうしてやってきた阿闍世にお釈迦さまはこう言われます。
云何ぞ説きて定んで地獄に入ると言わん。
とか、
もし汝父を殺して当に罪あるべくば、我等諸仏また罪ましますべし。もし諸仏世尊、罪を得たまうことなくば、汝独り云何ぞ罪を得んや。
と言われます。
なんであなたは、自分だけ地獄に堕ちると言うんだと、なんであなただけが罪があると言うんだと、こういう言い方をされるわけです。
つまり、あなたがしたこと、あなたが抱えている問題や苦悩は、あなた一人が地獄へ堕ちればすむ問題なのか、あなたが死んでわびればすむ問題なのか、死んでわびても元には戻らないんだ、それを身勝手にも自分が地獄に堕ちたり、死んだりすれば問題が解決すると思っていながら、またその一方で、地獄に堕ちることを恐れているじゃないか、あなたの問題は決してあなた一人の問題ではないんだ、と言われたわけです。
そして、あなたが父親を殺す罪を犯すことになったのは、頻婆娑羅にも原因があっただろうし、韋提希にもあったし、そばにいた私にも原因があったんだと。自分が罪を全部かぶって地獄に堕ちれば、問題がきれいになくなると思っているのかと言われます。
一見すると、六師外道の言い方とかなり似ているんですけれども、その言葉を通して、阿闍世の存在の深さとか広さを知らせようとされたわけです。
あなたが死んでお詫びをすると言って、もしも死んだり、地獄に堕ちたりしたら、あなたを必死になって看病した韋提希はどうなるんだと、あなたがクーデターを起こしてまで奪った国をどうするんだと、一人で苦しんでいるつもりになっているけれども、あなたの抱えている問題はそれですむ問題なのかと。ちょっと厳しい言い方になりますが、そういう意味を含んだ言葉なんです。
それで阿闍世は気がつくわけです。自分の思いを通すために頻婆娑羅を殺し、そして、しまったと思ったら、今度は自分が地獄に堕ちればいいんだと思っていると。つまり、自分の理想や自分の都合のためには邪魔なものは父親でも殺すし、それに失敗したら、今度は自分で自分を殺したり、地獄に堕ちればすむ問題だと思っていた、そういう身勝手さが私を動かしていたことに気がついていくわけですね。
つまり、邪魔なものは消す、それで何か問題が起きれば、私一人が責任を負って仕事を辞めればいい、それで問題が解決するように思っている、そういう身勝手さがある。しかし、そういう身勝手さによって息子が父親を殺すという痛ましい事件を起こす。それが人間の問題なんだと。
最後に阿闍世は、
世尊、もし我審かによく衆生のもろもろの悪心を破壊せば、我常に阿鼻地獄に在りて、無量劫の中にもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もって苦とせず。
あるいは、
我悪知識に遇うて、 三世の罪を造作せり。
いま仏前にして悔ゆ、 願わくは後にまた造ることなからん。
と言います。こういう言い方で、私を動かしていたのは自分の身勝手さだったと、しかしその私を支える形で、広い深い形で、実はさまざまな関わりの上に私があったと知らされた。そして、そのことに目を覚ましてみれば、私が私の身勝手さを中心に動くことによって、たいへん痛ましいことを私が起こしたことに気づいた。そのことを自分と関わりのあるすべての人たちに知らせていく仕事が私にはあるんだと教えられたというわけです。
それは単に死んでお詫びをするよりもつらいですね。あいつは親を殺した人間だと一生言われ続けるわけですから。しかし、非常につらいけれども、その苦悩を背負って、自分の間違いをごまかさず、自分の失敗を人に伝え、伝えることを通してみんなにも目を覚ましてもらおう、一緒に目を覚ましていこう、そして自分の間違いに目を覚ますことを通して、仏さまの教えを聞いていこう、そういう仏教の道があるんだ、そのことに自分の生涯を尽くしていこうという阿闍世に変わっていったわけです。
そして全面的に阿闍世の苦悩を受けとめ、阿闍世を立ち直らせたお釈迦さまがそこにいるわけです。阿闍世はお釈迦さまと出会い直して、そういう阿闍世に変わって、自分の生涯を全うしていきます。
後に阿闍世は仏教を大事にする王様になります。お釈迦さまが亡くなった後で、弟子たちが集まってお釈迦さまの説教を整理する結集という第一回目の集まりが行われました。お釈迦さまはこういうことを言われた、ああいうことを言われたと整理する、この集まりを開くためには大変な費用がいります。阿闍世はその結集を開催する王様になります。
このように苦悩をごまかしたり、ないものにしたり、感じないようにするんじゃなくて、その苦悩が引き起こされた根っこには、私たち自身が持っている歪みや偏りや身勝手さがあったんだと。それに気がつかずに動くことによって、人間は大変悲惨なもっとすごい歪みや偏りを築いてしまう。
教えを通してそのことに共に目を覚まそうと呼びかける、それが阿闍世の救いだと、経典に載っていますし、そのことを非常に大事にされたのが親鸞聖人です。私たちの救われていく姿を阿闍世を通して丁寧に語っておられるのが、親鸞聖人だと思うんですね。そうしたことを学びながら、真宗門徒の使命ということが呼び起こされていけばということを思っておることです。
時間がなくて十分なことは申せませんでしたが、時間がきておりますので、ここまでにさせていただきます。ありがとうございました。
(2003(平成14)年7月10日(水)に法正寺で行われました安芸南組推進員研修会でのお話をまとめたものです)
|
|