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  原田 正治さん 「弟を殺した彼と、僕」
 2005年6月25日

  1,事件の概要

 愛知県から来ました原田と申します。広島を訪れるのは四回目です。皆様とお会いできたことを本当にうれしく思っています。
 僕の弟が殺された事件は二十年前のことですから、ご記憶は薄いかと思いますので、まず事件の概要をかいつまんでお話ししたいと思います。

 事件があったのは1983年の1月24日のことです。僕は四人兄弟の長男なんですが、運送会社で働いていた一番末っ子の弟が、愛知県から大阪のほうへ出かける仕事をもらいまして、23日の夜遅くに出かけたんです。ところが、24日の早朝に交通事故でなくなったという連絡が入りました。

 そういうことで、弟は交通事故で死んだんだと信じていたわけなんですけど、それから一年三ヵ月たった1984年5月、実は保険金殺人だったということがわかり、三人が逮捕されました。主犯は弟が勤めていた運送会社の社長であるH君でした。彼は僕よりも三つ年下ですから、その時には三十三、四だったです。運送会社の手伝いをしていたI君が共犯で、さらにもう一人、共犯がいました。

 事件の被害者は三人です。一人目は保険金目当てで殺したけど、保険金をもらうのに失敗してしまった。二人目は弟、三人目はヤミ金融の人です。彼らは三人を殺したわけです。
 H君とI君は死刑の判決を受けて、すでに執行されています。I君が死刑を執行されたのが1998年11月、そしてH君は1993年に死刑が確定し、2001年12月27日、年末ぎりぎりに執行されました。
 これが事件の概要です。

  2,死刑問題との関わり

 事件が発覚してからは、どうすることもできない状況の中に放り込まれて、何かと落ち着かないし、そうすると家の中はどうしても暗くなるわけです。僕も気持ちがイライラしてたのか、無理してたためか、仕事中に事故を起こして怪我をし、指を切断したこともありました。
 こうしたことが重なったため、宗教の勧誘があり、妻は入信しました。僕も行きたくないのに、引っぱり出されて連れて行かれたこともあります。しかし、僕はぴんと来なかったんで、入らなかった。

 裁判には毎回、傍聴に行ってました。裁判は平日に行われるから、会社を休んで行くわけですよ。小さな会社ですからね、休むとまわりに迷惑をかけてしまうんです。それで、会社からはよくブツブツ言われました。「まだ裁判やってるのか。早く終わらないのか」なんて、よく言われたもんです。
 その会社もすでに辞め、三年ほど前にはとうとう妻と別れて一人になっちゃったんですよ。

 H君が僕の人生を狂わせたと言っても過言ではないと思ってます。毎日の生活が思うようにいかない、いろんなことですごくイライラしていた時は、「お前がこんな事件を起こさなかったら、俺の人生はもっと違ったものになっていた。普通の平凡な生活を送れたのに」と思ったりもしました。すべてがH君のせいとは言わないですけど、その一因はあると思ってます。

 H君は借金の返済を迫られて事件を起こしたわけですが、弟を殺して手にした保険金だけでは借金を返すには足らない。それで、うちへ来て仏壇に手を合わせ、そうして「お金を貸してくれ」と頼んできたことがあったんです。その金額は二百万円ぐらいです。サラリーマンとしては大きな金額なんですよ。結局そのお金は、H君が逮捕されたので戻ってこないままです。

 そういうこともありましたから、どうしてもH君のことを考えざるを得ない。弟を殺しておいて、なおかつ僕たちを騙してお金を巻き上げて、僕の人生を滅茶苦茶にしたんだから、正直言って今でも許せない。

 だけど、加害者サイドの家族や親族、奥さんとか子どもさんなんかも本当に大変なんですよ。H君の家族も犠牲者です。H君のお姉さんは事件が発覚してまもなく自殺しているんです。そして94年には、H君の息子さんも二十歳で自殺しています。

 そういうことで、H君たちが犯した事件の被害者は三人だけじゃないわけです。自殺した息子さんとお姉さんも間接的に殺している。ということは、五人殺しちゃってる。
 だから、僕はH君を弁護するつもりは全くないんです。今でも、もしも目の前にH君がいたら殺してやりたいぐらいの気持ちなんですよ。死刑になっても当たり前だと思ってます。死刑で本当に問題が解決できるのならね。

 でも、それと死刑ということとは違うんです。ちょっと考えてみたいなあという思いがあるんです。よくよく考えてみたいなと思っています。

 この事件が起きるまでは、僕は死刑のことなんて全く考えてもみなかったですね。それまでは死刑は当然だと。まさか自分の家の中でこんな事件が起きるなんて夢にも思ってなかったし。だから、死刑のことをあれこれ言われても興味もなかったし、わからなかったんじゃないかと思いますね。我が身に降りかかってきたからこそ、こんなことを考えるようになったわけです。

 僕が当事者となって初めてわかったことは、死刑になってH君が死んでしまったらホッとするのかなあと考えた時に、死刑では決して終わりにならないということなんです。

 僕はH君の公判には毎回傍聴に行ったわけですけど、法廷の場では真実が全く出てこないという気がして仕方なかったんです。事件のことをもっともっと知りたい。なんでうちの弟が死ななければならなかったのか。なんで弟を殺す気になったのか。いろんなことを聞きたいわけですよ。真実を知りたいわけです。

 H君が逮捕されてから、何度も手紙が来るんですね。全部で百数十通の手紙をもらったけど、最初のうちは手紙を読まずにみんな捨ててた。
 その手紙を読むようになり、たまに返事を書いたりしていくうちに、H君の弁護士や支援者との交流ができてき、そうしてH君といろんな話をしたいなと思うようになったんです。

 H君からの手紙には必ず「ごめんなさい」「申し訳ない」という言葉がつづってあるんですけど、直接言ってほしいわけです。面会して、直接その言葉を聞きたいわけです。心を開いて話をしたい。本当のことを知りたい。

 そんな思いで面会に行きました。1993年の8月、暑い時でした。名古屋拘置所を訪れて、H君に会ったんです。彼はその時にはまだ死刑が確定する前で、未決だったんで、すんなり会えました。
 通常、逮捕され、死刑判決を受けても、判決が確定する前であれば、誰でも会えるんです。門が開かれているわけですね。だけども、死刑が確定したら、家族以外の誰とももう会えないというのが現状なんです。そういうシステムなんですよ。

 それで、1993年9月、最高裁の判決が出る前に、「死刑にしないでほしい」という上申書を最高裁に出したんです。もしも彼が死刑になれば、面会ができなくなるからです。ところが、93年10月に最高裁の確定判決が出ました。そしたら、もう会えなくなっちゃったんです。

 どうして死刑が確定したら面会できないかですけど、法務省の通達というのがあるんです。昭和38年に制定されたものです。通達というのは法律じゃありませんから、罰則はありません。

 本来、死刑確定者との面会は各拘置所所長の裁量権です。2001年5月にも法務省を訪れまして、高村法務大臣と会って、H君の死刑執行をしないでほしい、面会させてくれという要望を、上申書と嘆願書を添えて申し出たんです。
 その時に大臣は、「これは法務省の管轄と違う。大臣の指示で面会させることはできないんだ」と言ってました。通達によって各拘置所所長が独自の判断で決めるということなんです。独自と言っても、全国の拘置所横並びなんですけど。

 面会を求める被害者がいるんだ、被害者の権利として面会するのが何でいけないのか、おかしいじゃないか。そういうことを訴えたんです。しかし、残念ながらその年の暮れに、H君は死刑を執行されました。

 通達には何で面会させないかという理由が書いてあります。

「拘置中、死刑確定者が罪を自覚し、精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるよう配慮さるべきことは刑政上当然の要請であるか、その処遇に当たり、情の安定を害するおそれのある交通も、また、制約されなければならないところである。」

 つまり、なぜ面会できないかというと、「本人の心情の安定を害するおそれ」があるからということなんです。拘置所側からすると、面会させると受刑者の気持ちが不安定になるおそれがあると言うんです。
 要するに、死刑確定者はもはや死しかないですから、おとなしく死んでいってもらわないといけない。「精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるよう配慮」しなければいけない。第三者が面会して、受刑者に希望を持たせたり、夢を持たせりすることによって、気持ちを高揚させたり、逆に沈ませたりさせたりすると、心情が不安定になるというわけです。そういうことで、死刑確定者については面会させないということになっているんです。

 それはわかってたんですけど、とにかく行ってやろうじゃないかということで、拘置所を訪れました。それが94年4月でした。死刑が確定してるんで本来会えないのに、どういうわけか会わせてくれました。僕が面会を許可されたということは、異例中の異例なんです。

 どうして拘置所が認めたかというと、まずそれまで手紙のやりとりがあったということです。そして、彼の反省する態度、そして償う気持ちがある。そうしたいろんなものを考慮し、心情の安定を害さないという約束をして、面会させてもらいました。

 その後、三回、全部で通算四回、面会しました。そうした中で、死刑という問題を考えてみたいなという気持ちになっていったわけです。

  3,被害者の苦しみ

 昨年、2004年8月に『弟を殺した彼と、僕。』という本を出させてもらって、その中でも書いたんですが、弟の事件が起きたのは二十年も前のことなのに、それでも今でもまだまだ我々は苦しんでいるんです。そして、事件を起こした加害者の家族も苦しんでいる。

 極悪人は死んで当たり前だ、死んで罪を償うのが一番良いんだ、よくそう言われます。じゃ、我々、残された被害者遺族は加害者が死刑になって気持ちが本当にすっきりするのかというと、そうじゃないんです。当事者としては、死刑になったからといってすっきりするもんじゃない。一生、事件のことがトラウマとなって生きていかないといけない。これが現実です。もしも死刑になってすっきりするんだったら、何でもっと早く執行が行われないのかと思いますね。

 だけど、そういった被害者たちの声はマスコミに全く登場してこない。あるのは、事件に関係のない人たちの「死刑になって当たり前だ」という声だけなんです。
 裁判では、「被害者感情」とか「国民感情」という言葉が使われて、死刑判決が下ります。そして、執行があった時にもその言葉が言われます。そして、それで事件が終わったんだということになるんです。だけど、そう思うのは事件に関係のない人だけです。

 肉親を亡くされた人たちはどういう形であれ、心の傷はいつまでも残るんです。それを少しでもわかってもらいたい。ところが、わかろうとする気持ちを持っている人が少ない。

 わかったようなことを言いながら人の命をもてあそんでいるのが、今の裁判の場であり、マスコミなんです。そういうことがわかんないまま、何が国民感情か、被害者感情かと思うんですね。
 そして、国民感情、被害者感情と言う人にかぎって、自分はそういう事件には遭遇しないんだと思い込んでいます。僕自身もこんなことになるとは夢にも思ってなかったから、そのことはよくわかるんですよ。
 そして、第三者的な目で物事を見てるから、本当に被害者の気持ちを受け入れてくれる受け皿がないと思うんです。被害者救済問題についても、その窓口さえもわからない状況です。

 こんなこともありました。弟は交通事故で死んだということだったので保険金がおりました。ところが、実は殺人事件だとわかったとたんに、保険会社の人がやって来て、「交通事故だから保険金が出たんだが、殺人だと保険はおりない。だからお金を返してほしい」と言われたんです。

 だけど、お金はないんです、全部使ったわけじゃないけど。でも、返さないと不当利得、不当にお金を取ったということで、罪になるんですよ。
 僕が騙したわけではない。交通事故だというので警察の書類を添えて出したら、保険金がおりてきた。不当でも何でもないんです。それを返してくれと言われても、全額は返せないわけですよ。弁護士や町役場に相談に行きましたが、どうにもならない。しかし、とにかくお金を返さないといけないので、必死でお金を作り、こまかいお金をかき集めて返しました。
 お金をだまし取られ、借金までこしらえてしまった。どうしたらいいのと言いたくなります。

 国からおりる犯罪被害者給付金といっても、ごくわずかです。葬式の費用がやっとくらいのお金です。我々被害者はどこからも助けを得られないまま。

 このことをたとえで説明しますと、被害者は平穏な生活の中から、加害者やその家族と一緒にがけの下に突き落とされる。で、「助けてくれ」と、がけの上に向かって声をあげる。ところが、「死刑は当たり前なんだ。なくちゃいけない」と言う人たちは、誰一人として下にいる我々に手を差し伸べてくれない。手を差し伸べようとする感覚さえない。そして、加害者を死刑にして、これで終わったと思っている。我々はがけの下に放り出されたまま。
 僕はそういう感じがするんです。これ、どういうことかなあと、つくづく思うんです。

 ハンセン病患者や人種差別、部落差別といった差別の問題、あるいは学校の教育の問題、すべてにおいてそうです。社会からはみ出されてしまった人たちに手を差し伸べようとしない。周囲を見渡すと、いろんな問題は全部がつながっているように思うんです。

  4,被害者の救いと、加害者の償い

 池田小学校の事件の宅間守君は反省も謝罪もしていないと、マスコミ報道で言われていますが、実際はそうではないと、奥さんや弁護士の人などから聞いています。

 人間、変わり得るんじゃないかなという気がしています。矯正施設の人や保護司さん、そういったいろんな人も頑張っています。反省しないということはないと思うんですね。

 どういうことが償いになるのか、僕にはよくわかりません。死刑囚にどういう償いができるかといいますと、大したことなんてできないんですよ。三畳か四畳の狭い部屋に一日中いるような生活をしているわけだし、制約は多い。お金で償うといっても、H君はお金がなかったから保険金殺人をしたわけだし、それでも足りないから僕のところに借りに来たわけです。

 じゃ、何ができるか。いろんな作業をしたり、社会に貢献していく方法もあるかもしれない。加害者のそういう気持ちが被害者に伝われば、償いになるし、癒しになる。だから、どういう償いをするかは本人にまかせるしかない。

 H君は、逮捕されてしばらくの間は自暴自棄になっていたそうなんです。それをいろんな形で指導されたのが、第一審と第二審を担当された国選弁護士の青木という方です。青木弁護士はクリスチャンで、それでH君も洗礼を受けるまでになった。

 H君はいろんな形で罪の償いをしたと思います。拘置所の中でただただ反省する。いろんな作業をする。手紙を書く。そして絵を描く。これも一つの償いだと思うんです。
 獄中生活、約十七年の間に描き続けた絵が約三千枚あり、そのうち約一割が僕の手元にあります。その絵というのは黒のボールペン一本で描いているんです。
 そんなに上手とは思いませんけど、でも多少なりともだんだんと上手になったかなとは感じます。そして、彼が描いた絵を見た時に、少しは反省のつもりで描いているんだなあと、絵の中に罪を償うという意識は見えるんじゃないかなと、僕は思ってるんです。そして、反省の気持ちから僕の所に送ってきてくれてたんだなあと。そんなH君の気持ちは買いたいと思ってます。彼の絵の中に彼の気持ちが表現され、努力しているという気持ちがわかりさえすれば、僕の癒しになるかもしれない。

 H君が反省したかどうか、どういうことを考えたのかということは、正直言ってわかりません。H君は死と対面していますから、可能性としては自分を見つめ、反省する機会を得られたんじゃないかなとは思います。だけど、反省がどれくらいのものなのか。表面だけか、それはわからないですよ。でも気持ちだけは買いたいなと。そのように自分で納得しているんです。

 でも、その償いも、死刑の執行をされたら、まるっきりできなくなるわけです。そのあたりにも死刑についての問題があると思うんです。執行があったら、何もなくなる。本当にゼロになっちゃう。死刑囚の人たちは矯正するなんてことは不可能だからこそ、死刑の判決が下されたわけです。でも、死刑の執行ということでは罪の償いはできない。

 じゃ、死刑の代わりにどういう刑罰がいいのか。最近言われている終身刑にして、いろんな形で罪のつぐないを彼ら自身が見つけて償うというのも、一つのやり方じゃないかなと思います。


  5,なぜ面会なのか

 今、僕が考えている結論というのは面会ということです。人の心というのはマニュアルだけでは動かない。だからこそ、必要なのは面会だと思うんです。会って初めて、その人の心がわかったり、いろんな事実がわかったりするわけです。いろんな話をすることによって、ある程度の癒しというのが出てくるんじゃないかなと思っているんです。
 そういう意味で、僕は対話がすごく大事だなと思います。人の心と心が触れ合うのは対話しかないと思ってますから。

 先ほども言いましたように、正直言ってH君は憎いんです。弟を殺しておいて、我々を騙し、僕の人生を大きく狂わせて、そして死んでいった奴ですからね、憎いです。憎いからこそ、いろんな話をしたいわけです。話をすることによって、この憤りを彼にぶつけたいんです。

 僕はH君と向かい合って話し合うことができました。でも、数回の面会でお互いがどこまでわかり合えるのかというと、わかりうるとは思えません。

 僕が初めて拘置所の門をくぐって、H君に面会した時、「ぼろくそに言ってやろう。どういうふうに言ってやろうか」という気持ちで行ったんです。言いたいことはいっぱいあったんですけど、それがまとまらない。拘置所に生まれて初めて行ったんで、何だか怖いという気持ちがあったんでしょうね。僕は気が小さいですから。
 そして、面会室の扉を開けて彼と対面したわけです。彼はそれまで十年ぐらい拘置所で生活しているわけですから、死刑とかいろんなことについての知識は豊富だし、勉強もしている。僕は全く無知。彼は慣れているせいか、余裕綽々なんです。僕は心臓がぱくぱくしっぱなし。笑顔で「ありがとうございます。ごめんなさい」なんて言われちゃうと、僕はもう言葉は出ないんですよ。憎い、憎い、何か一言言ってやりたい、自分の思いをぶつけたい、そういう僕の思いなんて、どっかに行っちゃったんです。おまけに刑務官が横に座っているから、こんなこと話していいのかと気になる。だけど、何かほっとしたような気持ちになりました。

 そういう出発点から回数を重ねて話をしていくうちに、自分の癒しもH君との面会から出てくるだろうと思うようになったわけです。

 面会をしてH君と対話をすることによって、僕は事件の真相を知りたい。そして、彼の考えを知りたいし、被害者遺族としての気持ちをぶつけたい。
 被害者のこんな気持ち、考え方、感情を受け入れてくれ、意見を聞くれることが必要じゃないかなと。加害者と面会したいという被害者の権利を守ってほしい。そして、被害者と加害者とが直接向かい合って対話できるシステムを作り上げることが、司法の本当のあり方じゃないかなと思うんです。

 門が開かれてあれば、いろんな人が訪れて話をすることができる。言葉のキャッチボールができる。

 ハワード・ゼアという人が修復的司法ということを言っています。今までは応報的な考えで加害者に刑罰が科せられる一方、被害者は置き去りにされてきた。そこで、加害者、被害者、その家族、そして地域住民が直接に話し合う場を第三者が提供し、対話を通じて損害を回復していくという方法が修復的司法です。各人の切実な声を聞くことから、被害者の救済、加害者の更生といったことをねらっているわけです。

 この修復的司法の原点は、僕の解釈だと言葉のキャッチボールです。相手の顔を見、表情を見て、相手から伝わってくる熱を感じ取って、そうして話し合う。その中で、初めて人の心がわかると思うんです。手紙を何百通もらっても、紙の上にどれだけの感情があるかといったら、感情なんかわかりはしないんです。

 言葉のキャッチボールをしていく中で、死刑はあっていいものか、なくさなくちゃいけないのか、死刑の可否という問題も浮かび上がってくるような気がしてならないんです。
 ところが、国はそういった声をはねのけて、被害者感情という言葉を使い、お前の変わりに俺が仇を討ってやったんだと言っている。

 裁判というのは、疑わしきは罰せずですから、被告は無罪だと推定した上で審理されるはずです。これは本来の裁判のあり方じゃないかなと思うんです。無罪だと推定し、審理をされていく中で、検事が有罪だと証明していく。
 そのように裁判を進めていくのが本来なのに、現状では違うような気がしてならない。殺人事件だと有罪が先に決まってる。だから、被告が無罪を証明していかないといけない。特に、死刑判決が下されるような事件に関してはそうですね。

 何がそうさせてるのかというと、裁判そのものが被害者感情とか国民感情に左右されちゃってる。死刑判決に関してはすごくそんなふうに感じます。
 被害者感情と言いながら、はたして被害者の気持ちがわかっているのか、被害者の感情はどこでわかるのか、と言いたくなります。被害者である僕の感情、思いは無視されてしまっているわけですから。

 そんなことで、こちらの主張は全部退けられて、あとに残るのは何かやるせない気持ちだけです。事件は書類上では終わったかもしれないけど、僕の中では一生終わらない。

  6,これからしたいこと

 基本的に、僕は死刑は絶対反対です。一家皆殺しとかの残虐な事件、あるいは麻原彰晃とかも死刑にしないのかと、よく聞かれます。僕はきっぱりと「よくない」と答えます。

 法律によって死刑の執行が行われる。これは国家ぐるみの殺人です。そして、実際に死刑を執行するのは刑務官です。刑務官は仕事とはいえ、人を殺さなくてはいけない。そういう問題があります。

 あるいは、拘置所には教誨師がいます。教誨師の役目は何ぞやということを考えた時に、僕の考えですが、宗教者の本来は人を生かすということです。だけど、教誨師はおとなしく死んでいくよう、「精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるよう」指導しなければならない。
 これは規制されちゃってるから仕方ないんですけど、人を生かすための宗教が、殺すための宗教になってる。国のマニュアルどおりのことをやらされてるんです。

 そうしたことを容認している我々にも責任があるかと思うんです。

 でも、死刑制度を改正したり、なくしたりするのは、現状では難しいと思います。容易なことじゃないですよ。ですから、僕が今できることは何かと考えた時に、法改正ということは不可能です。できるのは唯一、死刑が確定したら面会させないという法務省の通達を変えることです。法律の改正より、通達を変えていくほうが我々としては可能性はあると思います。

 死刑が確定している人とは面会しちゃいけないという法務省の通達がある。これはおかしいのではないかということで、制度を変えるよう法務省に求め、いろんなところへ行動を起こしています。そのための署名運動をして、法務省に提出しようという腹づもりが僕にはあります。

 僕以外にも、殺人事件の被害者遺族が加害者の面会に行かれていますし、被害者遺族の中に死刑反対の方が、僕の知る範囲では三、四人おられます。被害者サイドと加害者サイドとが交流されている例もあります。被害者といってもいろんな人がおられるわけで、みなが同じ考えというわけではありません。

 だけど、被害者には表に出たくない気持ちがあるんです。プライバシーの問題、それぞれの生活がありますからね。それに表に出て発言したりすると、ものすごいパッシングがあるんですよ。

 H君の死刑確定判決が出た93年の年末に、東京の渋谷で初めて「死刑はやめてほしい」と自分の意見を言いました。それからは、あちこち引っ張り出されて話をしたりしたので、会社を休んだりもしました。それからいろんな形で、いろんなところから圧力がありますね。
 2000年に世界死刑廃止会議というのがフランスであって、僕も参加したんです。それが原因かどうかわからないんですけど、帰ってきてから無言電話が一日に四十回ぐらいありました。あれにはちょっと閉口しちゃったんですけどね。そういうことがあるので、恐くて死刑反対の声が出せないという状況なんです。

 僕の家族なんかもそうです。H君に関係する人たち、H君の家族・弁護士・キリスト教関係の人たちが、何度か墓参に来てくれました。そして、H君からは命日やお盆にはお金が送られてきました。五千円か一万円ぐらいなんですが、線香代だと言って送ってくるんです。
 そうしたことやら、僕も母に「死刑になってもどういうことないよなあ」と話したりするんで、母も考えるようになって、死刑に対して否定的ではないけれども、肯定でもない。どちらかというと、死刑はよくないなという感じに変わってきました。

 しかし、母や兄弟はこうしたことにはあまり触れたくないわけです。テレビや新聞に僕が出ると、うちは田舎ですから、みんな見るんです。そうすると噂になるんですよ。あまり感心しないというので、事件のことや死刑問題には触れたくないというのがあるわけです。

 「良い被害者」と「悪い被害者」とがあるんです。仏壇に手を合わせ、冥福を祈り、黙って悲しみに耐えていく犯罪被害者が「良い被害者」なんです。「悪い被害者」というのは、表に出て、声を出し、国に文句を言い、自分の主張していく人です。さしずめ僕なんか悪い被害者なんでしょうね。僕みたいに声を出す被害者は異常なんです。直接面と向かって言われたこともありました。

 もう一つ僕が考えていることは、犯罪の被害に遭われた人たちの精神的なケアです。いろんな形での救援の問題ですね。
 今の死刑制度の内情を知らない人がかなりいるわけで、たとえば死刑が確定したら家族以外は面会できないというのも、知らない人がほとんどです。
 加害者に何をしようとしても法律の壁が厚くて、我々の手の届かない所、違う世界に行っちゃってますから、どうすることもできないのが現状なんですね。同じように、被害者救援の問題についても、全く知らないという人がいっぱいいるわけです。
 面会と被害者救援をこれからも訴えていきたいと思っています。 

 昨年12月に犯罪被害者等基本法という法案が可決されました。今まで被害者救済といった考え方はほとんどないと言っていいくらいだったんで、制度ができて多少なりとも違ってきたと思います。ですから、犯罪被害者等基本法についてはその姿勢をすごく評価したいなと思ってるんです。
 だけど、問題は中身です。犯罪被害者等基本法は刑事訴訟法の改正と抱き合わせで成立しています。刑事訴訟法改正は厳罰化という問題で話題になってまして、厳罰化するだけですべてが解決できるのかなという思いが、僕にはすごく強いんです。犯罪被害者等基本法が成立したのも、厳罰化を進める一環としてだったら、かなり問題があるなと思っています。

 そういう問題点を皆さんと考えていきながら、死刑制度をより深く考えていけたら最高だなあと考えています。

 それでも「死刑には賛成だよ」という意見があるのは、悪いことじゃないですよ。「いや、俺は死刑には賛成だ。死刑はなくちゃいけない」と言う人がいてもいいんです。そういう考えを絶対に無視しちゃいけない。人はそれぞれ違いますから、それぞれの考え方、思いがあるわけで、尊重すべきです。

 大まかに言いまして、二人殺したなら無期懲役、三人以上殺したら死刑です。だけど、被害者の遺族にとって、一人だけ殺していようが、何人も殺していようが、自分の大切な家族を殺されたということは変わらないんです。死刑にしてほしいという思いはあります。それは当然のことだと思います。
 あるいは、僕の場合は弟ですから、子供を殺された親御さんのお気持ちとは違うでしょう。

 それぞれの事件はみな違うんです。状況は違うし、家族構成も違うし、環境も違うし、生きてきた経過も違う。みんな違う。違ったもん同士を同じ土俵の上で比較するのは全く愚の骨頂なんですね。
 ですから、違う環境の中で育って、いろんな考え方を持つ、それがそれぞれのキャラだと思うんですが、その違いを認め合うことによって、初めて本当の道筋がわかってくるようになるんじゃないかと。

 話をする中で、いろんなことがわかってくる。だけど、ただ単に、「悪いことをしたから、お前は死刑だ」ということでは、ちょっと考える部分があるなと思うんです。

 僕もこういう事件があって、いろんな目に遭ったからこそ、死刑という問題について本当に真剣に考えないといけないと思ったわけです。現実に事件が起きて、初めて考える、というのが現状かと思うんです。そこで考えていただく姿勢というのが大切じゃないでしょうか。

 死刑制度があるから、死刑にしちゃえ、それで事件は終わりだというのでは、あまりにも短絡的な考えじゃないか。死刑制度のことをよく知らないまま、被害者感情、国民感情という言葉を安易に使っていることもそうです。事件が起きた、死刑にしちゃえばそれですむんだ、という考え方では、本当の解決にはならない。

 昨年9月14日に、宅間守君の死刑執行がされました。彼は死刑になりたいというので、ああいった事件を起こした。そして、早く死刑にしろと訴えた。そのために、刑が確定してからあんなに早く執行されたわけです。
 死刑制度があるから、死刑になるのは当たり前と言えばそうなんですけど、あの異例の早さは宅間君の言葉にうまく乗せられたということと、見せしめですね。あんな悪いことをしたんだから、すぐにやっちゃえということなんです。だけどこれで、宅間君の気持ちがどうなのかがわからないままになってしまった。

 そんなことも、いろんな形で考え、そして話し合っていく中で答えの糸口が見出せるんだろうと思います。
 話がうまくないので、まとまらない話なんですが、皆様のご意見やお考えを聞かせていただけたらと思っています。

(2005年6月25日に行われたひろの会でのお話をまとめたものです)


付録一

 法務省通達 法務省矯正甲第96号    昭和38年3月15日

死刑確定者の接見及び信書の発受について

 接見及び信書に関する監獄法第9章の規定は、在監者一般につき接見及び信書の発受の許されることを認めているが、これは在監者の接見及び信書の発受を無制限に許すことを認めた趣旨ではなく、条理上各種の在監者につきそれぞれその拘禁の目的に応じてその制限の行われるべきことを基本的な趣旨としているものと解すべきである。
 ところで、死刑確定者には監獄法上被告人に関する特別の規定が存する場合、その準用があるものとされているものの接見又は信書の発受については、同法上被告人に関する特別の規定は存せず、かつ、この点に関する限り、刑事訴訟法上、当事者たる地位を有する被告人とは全くその性格を異にするものというべきであるから、その制限は専らこれを監獄に拘置する目的に照らして行われるべきものと考えられる。
 いうまでもなく、死刑確定者は死刑判決の確定力の効果として、その執行を確保するために拘置され、一般社会とは厳に隔離されるべきものであり、拘置所等における身柄の確保及び社会不安の防止等の見地からする交通の制約は、その当然に受任すべき義務であるとしなければならない。更に拘置中、死刑確定者が罪を自覚し、精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるよう配慮さるべきことは刑政上当然の要請であるから、その処遇に当たり、情の安定を害するおそれのある交通も、また、制約されなければならないところである。
 よって、死刑確定者の接見及び信書の発受につきその拒否を判断するに当たって、左記に該当する場合は、概ね許可を与えないことが相当と思料されるので、右趣旨に則り自今その取扱いに遺憾なきを期せられたい。
 右命によって通達する。
一 本人の身柄の確保を阻害し又は社会一般に不安の念を抱かせるおそれのある場合
二 本人の心情の安定を害するおそれのある場合
三 その他施設の管理運営上支障を生ずる場合


付録二

 遺書

 原田家の皆様には、生涯、癒し得ない悲しみと苦しみを与え、今もって計り知れないご迷惑をお掛けしています事を、ここに改めて謝罪し、お詫び申し上げます。殊に、千代様には、重い悲しみと無念な思いをさせています事を、心からお詫び申し上げます。誠に申し訳ない事を致しました。
 正治様には、憎んでも憎み足りない、この罪深い愚か者に、生きて罪を償わせるべく機会を与えて下さろうとして、深いご理解と、温かいお情けをもって、これまで何度にも渡って、減刑を求める恩赦申請にご協力して頂けましたが、そのご協力の甲斐も無く、本日『死刑執行』によって、強制的にこの世を去らなければならなくなりました。生きて罪を償う事を切にお望み下さった正治様には、そのご期待に応える事が出来なくて、本当に残念で、申し訳なくてなりません。これも僕の至らなさの結果でしょうから、お詫びの言葉もありません。
 正治様には、この許し難い愚か者を、寛大なお気持ちをもって受け容れて下さり、日々、想像以上の温情をもって、被害者と加害者との枠を超えて、心温かく対応と交流が計って頂け、また、明男さんのお墓参りまでも、心良くさせて頂けました事を、重ね重ねお礼申し上げます。この様なご理解あるご恩に与っていながら、そのご恩に何一つとして報いる事も出来ずに、この世を去るのは、誠に心残りであり、未練が残ってなりません。
 また、千代様には、これまで償いらしい償いもさせてもらえていませんので、この事も気掛かりであり、申し訳なくてなりません。
 明男さんには、あの世へ行った時に会わせて頂けると思いますので、その折には、土下座してお詫びし、この世で果せなかった償いもさせて頂く気持ちでいます。
 そして、あの世へ行きましても、千代様始め、正治様、和子奥様、お子様の上に、神様のご加護があり、少しでも穏やかに、お元気で明るい日々をお過ごし頂けますように祈り続けています。
 最後になりますけど、もう一度心からお詫び申し上げ、そしてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。ご無理をなさらないように、末永くお元気でいて下さい。それでは、さようなら。再会の日まで。