青草民人の「私はどうして真宗にはまったか」

         


             

青草民人の宗教遍歴 青草民人の真宗入門

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 そんなことから原点の仏教にかえりたいと思いました。仕事も僧侶になることを諦め、現代で僧侶の役目をするなら教育者であろうと、教師への道を選びました。

 学生時代になると、空海のことを学術的に調べるようになり、また他の仏教についても学ぶようになりました。

 私の好きだった女の子が鎌倉出身ということもあってか、よく鎌倉の寺を一人で散策しました。いろいろな宗派の寺を巡り、仏教の世界に少しでも近づこうとしました。

 だけどもそれは歴史が好きだったからのことで、学生時代は宗教から離れていたのかもしれませんね。

 小学校に就職してからは、教育のことが中心だったので、宗教はあまり意識しなくなりました。青春まっただ中なので女の子のことぐらいしか考えていなかったのでしょうか。

 そのころから釣りを趣味にしていまして、家内と結婚してからも二人で釣りに行ったりしていました。

 ちょうど29歳のときに長男が生まれて、好きな釣りにも行けず、本を読む機会が増えました。そして仏教の関係の本を読み直したりしました。

 絵を描くことにも興味を持つようになりました。最初は風景を描いていましたが、私は墨彩画を描くので、仏画に興味をもち、写仏を始めました。そのうち写経もするようになり、「般若経」や三部経を書写しました。

 またお寺めぐりを始めました。朱印帳を持っていろいろ行きましたね。

 ちょうど仏教ブームが始まるころでしたか。仏教に再び興味を持ち出したのはそのころだと思います。

 きっかけといえば、息子が生まれたことでしょうが、お釈迦様のような深い悩みからというわけではないので、お恥ずかしい限りです。

 ただ、なかなか子どもに恵まれなかったので、いのちをいただいたという感慨はあったと思います。釣りをすることを殺生だと感じるようにもなりました。

 今思うと、仏教に深く関わるようになったのが29歳、お釈迦様が出家されたのと同じ歳でした。親鸞聖人が法然聖人の門にはいられた歳と同じです。ただの偶然ですが。


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 実はお寺めぐりをするようになったり、写経をするようになったのはきっかけがあります。

 平成9年の3月に教え子をなくしたんです。あのときのショックが原因で、いろいろと思うところがあって、お寺をまわろうとか、写経をしようとか、仏画を描こうとかと思ったのです。

 あの子の死に接していなかったら、お寺に興味を持つこともなかったかもしれませんね。子供がなくなるというのを目の当たりにしたのは初めてでしたし、その子の数奇な運命を考えると、死は納得できるものではありませんでした。

 その子は3年生の終わりに交通事故に遭い、車にひかれながらも一命を取りとめ、奇跡的に生還しました。しかし引っ越した先の学校でいじめに遭い、ふたたび越境して私の小学校に戻ってきました。ところが2週間ほどで卒業という矢先、風邪をこじらせて再入院。呼吸器に異常をきたして、あっという間の出来事でした。

 大きな事故を乗り越え、つらい目に耐えてきたのに、彼女に与えられたものは死だったのです。

 そんな無常な死に様を目の当たりにしたことは、教師としてとてもショックでした。人間のはかなさを深く感じたのです。

 古寺巡礼も写経も写仏も仏教へのとば口を求めていたにすぎないのでしょう。宗派にとらわれずに、仏教そのものに触れていきたいと考えたのです。今ふうにいうと仏教による癒しでしょうね。

 新興宗教やキリスト経に惹かれることはありませんでしたね。お釈迦様を心のよりどころにしていましたから。


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 真宗に関わるようになったのは、今から7年前、35歳の時です。真宗本廟で帰敬式を受けました。所属寺もなく、私個人で受けました。

 古寺を巡るようになって、何度か京都に行くようになりました。お東さんは両親の御先祖様が納骨されているところだぐらいの感覚でした。両親の故郷には親戚のいざこざなどで何年も帰っていませんでしたから、墓参りのつもりで寄るようにしていました。まあ、京都の観光をかねて回っていたのは事実です。

 ただ、あちこちのお寺を歩いているうちに、次第に自分にもっとも縁のあるのは真宗大谷派の東本願寺というお寺なんだなということが感じられるようになってきました。

 これは神秘的な感覚なので言葉でうまく言えませんが、死んだばあちゃんが「なまんだぶなまんだぶ」と称えていたことを思い出しながら、阿弥陀堂の阿弥陀様の前に座っていると、なんか落ち着くんですよね。我が家に帰ってきたような感覚。

 それまで阿弥陀様は知っていましたが、どんな教えなのかも知りませんでした。そういえば、おじさんの葬式でもお大師さんのお札は戻ってきたけど、真宗の教えってどういうことなんだろうと思うようになりました。こんなに大きなお堂のまん中にいる親鸞聖人ってどんな人なんだろうって。いろいろ興味が出てきました。

 今までの自分の感覚で考えていた仏教とは何か違ったものを御本山で感じました。広く民衆を包み込むような包容力というのでしょうか。そこに結集する人々の力というのがあの毛綱やお堂の広さから感じました。自分が求めていた教えはこれかもしれないと思いましたね。

 帰り際、参拝接待所のところに「真宗門徒は帰敬式を受けましょう」という看板がありました。いろいろ聞いたりして、3回目に京都へ行く前に、真宗には帰敬式というのがあって、お剃刀を受けると法名をもらって門徒になれるということを知りました。

 法名=仏弟子=お坊さん。そんな感覚で平成10年の1月28日(旧暦では11月でしょうか)、ちょうど親鸞聖人の御命日の日に帰敬式を受けました。

 参拝接待所では変なのが来たと思ったでしょうね。所属寺はないし、「どうして受けるのか」と問われて、「とりあえず先祖供養のため」なんて答えるんですから。でも、真宗の門徒になりたいということをなんとか聞いてもらえて、その日の帰敬式を受けることができました。

 真宗の門徒になったという自己満足は持てましたね。まだまだ真宗のことはわからずに、なんとなく真宗の門徒になったという時期でした。

 そしてそのあとに、あの私の本当の意味での回心体験となる転勤が4月に待っていたのです。

  つづく