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  髙坂朝人さん
 「自分と未来は変えられる」
 
2025年7月3日
 1 非行少年は変わることができるか

 こんにちは、再非行防止サポートセンター愛知の髙坂朝人と言います。11年前にもこちらに来させていただき、また今日もご招待いただいて感謝しています。Y君と二人で来させてもらいました。二人とも少年院に入ったことがありまして、保護司の方にお世話になったんですけど、今は犯罪をせずに社会で生活させてもらってます。今日は自分たちの経験や今している再非行防止活動について話したいと思います。よろしくお願いします。

 「自分と未来は変えられる」という講題はすごい大切にしてる考え方であり、言葉でもあります。再非行を減らし、笑顔を増やしたいというのは、自分が生きてる限り一生取り組むと決めてることです。

 皆さんに一つ質問をさせていただきます。どれが正しいとかっていうのはないんですけども、非行をやった少年について、次の三つのうち一番近いと思う考えを選んで手をあげてください。

①非行少年は、変われない
②非行少年は、変われる人と、変われない人がいる
③非行少年は、変われる

 僕は話をさせてもらう時に、いつもこの質問をしてるんです。大学の授業では、①で手をあげる人が何人かいます。保護司会とか少年院の先生だと②をあげる方が多いです。③に手をあげた方が多かったことが一回だけあったんです。それは、ケニアの保護観察官の人たちが研修で日本に来られた時、JICA(国際協力機構)で話させてもらったんです。ケニアは非行少年がものすごく多いそうなんですけど、ほとんどの人が「非行少年は変われる」に手をあげたのにはびっくりしました。

 僕自身、悪いことばっかりしてた十代の時に同じ質問されたら、迷いなく①と答えたと思うんです。自分は変われないと思ってましたし、少年院は本来は更生教育を受けるための場所なんですけど、少年院に入った先輩たち見てたら、よりパワーアップして悪くなって出てくるので、非行した人間が変わることはないと思ってたんです。今はどんな人も変わることができると信じたいです。

 2 NPO法人再非行防止サポートセンター愛知

 現在、四二歳です。現在、KOSE株式会社の代表取締役をしています。KOSE株式会社は、障害福祉サービスのグループホーム、就労継続支援B型事業所、相談支援事業所を経営しています。僕も他のメンバーと一緒に現場に出ているんです。四十歳で保護司になり、篤志面接委員を四一歳から始めています。娘が二人いて、上の子は高校三年生、下の子は中学校一年生です。

 25歳の時から介護の仕事しながら、再非行・再犯を減らす活動をして17年になるんです。一番最初は、子供が好きだったんで、小児ガンとかで長期入院してる子供たちと関わるボランティア団体を自分で調べ、そこに一人で行くのは勇気がいったんですけど、関わるようになりました。それから、非行した少年が僕みたいになってほしくないと思って、非行少年の更生ボランティア団体である、セカンドチャンス!、愛知県BBS連盟、東海・「非行」と向き合う親たちの会に入り、非行少年と関わるボランティア活動をするようになったんです。

 セカンドチャンス!は、まっとうに生きたいと願っている少年院出院者の自助グループで、全国ネットワークの団体です。BBSは「Big Brothers and Sisters Movement」の略で、昭和22年からある全国組織です。18歳以上の人が入会して、非行少年のお兄さん、お姉さんという役割で友だちになろうという「ともだち活動」をしています。非行と向き合う親たちの会は、我が子の非行で悩んでいる親が集まって、思いを共感して分かち合う団体です。これも全国組織です。

 こうした活動をしていろんな知り合いがどんどん増えていくと、非行少年ともっと関わりたい、再非行・再犯を減らしたいという気持ちが強くなっていき、2014年に仲間とNPO法人再非行防止サポートセンター愛知を設立したんです。略して再サポと言ってます。

 ① NPO法人再非行防止サポートセンター愛知

 スタッフは男性6名、女性11名です。非行経験がある人、子供が非行経験のある人、保護司、医療職、福祉職、弁護士、自営業、教誨師といった人たちです。全員が有償ボランティアで、みんなそれぞれ本業を持ってて、再サポが本業の人は僕も含めて誰もいません。

 最初のうちは事務局の人がいろんな助成金をもらって活動したんですけど、その事務局の人が「助成金は助走金だ。いつまでも助成金に頼ってはいけない」ということを言われ、現在では助成金はいただいていません。

 関わってきた子たちは170名を超えてます。逮捕されたり少年院に入った少年や青年の面会や文通といった施設内サポートを行なっています。サポート中に逮捕された人は約一割です。

 罪を犯した人のサポートで大切にしていることは主に二つあって、一つは、逮捕された人が留置場とか鑑別所、少年院、拘置所、刑務所にいるうちから、できるだけ面会に通ったり文通したりして、コミュニケーションを取っていきながら社会で関わるという流れを大切にしてます。塀の中だけで関わるとか、社会だけで関わるんだと、関係性作りが難しいと思ってるので、中でも外でも関わることを大切にしているんです。もう一つは、一緒にご飯を食べることです。関わってる子たちと食事をする機会はすごい大切だと思っています。

 他に気をつけていることは、塀の中にいる時も社会復帰後も同じ人が関わる。罪を犯した本人だけでなく、保護者もサポートする。障害があってもサポートを行う。罪を犯した経験のあるスタッフと、経験のないスタッフがチームになる。再犯しても、面会、文通、サポートを続ける。サポートが終わっても細く長く関わる。そういったことを心がけています。

 ② あかねこ

 保護者には、面談や「あかねこ」という親の会でサポートします。犯罪をした人の家族も孤独、孤立になりがちなんです。それではよくないので、月に一回なんですけど、親が安心して何でも話せる居場所として「あかねこ」を作りました。誰に責められることなく本音が話せ、ちゃんと秘密も守られる。そうして、人の体験を聞きながら明日の活力を見い出し、子供との向き合い方を見つけていく。スタッフにも自分の子供が少年院に入ったという人もいます。

 3 「KANADEホーム」と「One Heart」

 こういう活動をやればやるほどいろんな課題にぶち当たって、非行と犯罪を減らすためにはこんな取り組みが必要だ、こういう関わり方をしないといけない、こういう制度を作らないと、と思うようになりました。じゃあ、そういうのを作ろうということで、2018年に設立したのが「KANADEホーム」、二〇二〇年に設立したのが「One Heart」です。罪を犯した障害のある人の住まいと日中をサポートをしています。

 ① グループホーム「KANADEホーム」
 グループホーム「KANADEホーム」は三階建ての元社員寮を借りてます。一階がリビングになって、二階に三人、三階に三人住んでいて、ちょっと離れたとこにも二人が住んでるので、定員8人です。部屋はアパートの一室のようなので、プライベート空間が確保されてるんです。このグループホームに住んでる人はみんな何かしら障害があって、逮捕歴のある人がとても多いです。

 ② 就労継続支援B型事業所「One Heart」
 一般就労が続けばいいんですけども、障害があったりすると、どうしても一般就労を続けるのも大変なので、近くで就労継続支援B型事業所を始めたんです。事業所での作業内容は、弁当作り、昼食作り、畑、内職などです。今十九人が訓練をしながら自立を目指しています。

 ③ 自立準備ホーム

 少年院にいる子たちの二割から三割は親元以外に帰るんです。少年院や刑務所を出ることになったけど、事情があって親元に帰ることのできないなどで、頼れる家族もいないし、住むところがない人が、社会に帰ってきた日からホームレスになるわけにはいきません。そういう場合は保護観察所で、全国102か所ある更生保護施設か、現在、全国に五七〇ほど登録されてる自立準備ホームなどを探してくれます。

 再サポでは、保護観察所から委託されると自立準備ホームで引き受けたり、障害福祉サービスのグループホームで引き受けて生活支援などをしています。親元に帰った少年たちには在宅サポートもします。一時保護委託は、児童相談所から紹介された少年・少女を引き受けて、住まいを用意することです。住むところを用意して関わってる子は男子、女子含めて22人です。

 再サポの自立準備ホームは九室ですけど、原則一つのアパートに1Kを一室借りるので、九か所に点在しているんです。平日の食事は就労支援B型の事業所で障害がある人と職員が一緒に作っている弁当を届けています。僕の妻もここで働いてます。 自立準備ホームに住むことが決まれば、半年ほどの間は家賃も光熱費も食費もかからないので、生活基盤を立て直して、仕事ができる人は仕事をして貯金を貯め、アパートを借りる。精神疾患とかで働くことが難しい場合は、福祉にきちんとつなげて支援を受けることをしてます。

 自分が生まれ育った場所、地域で立ち直ることが難しい人がいます。僕も犯罪をやめたいと思った時に、広島で立ち直る自信がなかったので、住む場所を変え、関わる人間関係も変えたんですけど、半グレとかトクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)とかのしがらみで更生が難しい子たちは、県外へ行って今までの人間関係を全部断ち切って立ち直ることもするんです。

 その場合、何も知らない土地に一人で行くのはすごい大変なことだと僕も実感してるので、全国にある更生を支援する民間団体がお互いが連携して、こういう子がいるのでそちらで引き受けてもらえないかとか、逆に他県の子が愛知県に来たりとか、そういう取り組みもやらせてもらってます。

 ④ 日本自立準備ホーム協議会

 日本自立準備ホーム協議会を2022年に設立しました。現在、全国の自立準備ホームの事業者76団体が加盟しています。研修会・勉強会・講演会の開催、罪を犯した人で住まいのない人の引受先の自立準備ホームを探す、法務省保護局との定期意見交換などといった活動をしています。

 4 少年たちに伝えたいこと

 少年院で少年たちに話をさせてもらう時に、少年たちに伝えたいことが三つあるんです、
①「自死にならない」ように、逃げる
 命が、一番大切
②「再犯にならない」ように、逃げる
 逃げることは、最大の勇気
③「変わる」ために、犯罪性のない信頼できる人からは、逃げない
 自分と未来は変えられる。でも一人では変えられない

 自分で命を断ってしまう子供がいるんです。少年院から社会に帰ってきたら、仕事や学校、親子関係と大変なことがたくさんあります。もちろん、頑張ったり辛抱しないといけないんですけど、頑張りすぎてしんどくなり、死んだほうが楽だとまで追い込まれる人もいます。だったら、仕事をやめたほうがいいし、学校だって退学すればいい。立ち止まり、ちょっと時間を置いて再スタートすればいいだけのことなんです。立ち止まると、まわりからは頑張ってないと言わるかもしれないですけど、死んだら更生もできなくなってしまうので。本当にしんどい時は休む、立ち止まる。何よりも自分の命を大切にしてほしい、と言ってます。

 それから、再非行・再犯をしないためには逃げる。非行仲間から逃げれば犯罪しなくてすみます。だけど、非行仲間から逃げるとか仲間と縁を切るのはなんかダサい、かっこ悪いと思いがちなんです。僕も暴力団から逃げるのはダサいなと思ってたんです。でも、よく考えてみると、そんな時は勇気を出すタイミングなので、少年たちにそういう場面になったら逃げてほしいと伝えています。

 最後に、変わるために逃げないでほしいこともあるんです。お金がなかったり住むところがなくて困った時に、夜の世界の人に相談すれば仕事もお金もすぐに用意してくれ、住むところやご飯も準備してくれると思う。トラブルがあったら、反社会勢力の人たちに相談すれば、魔法のようにあっという間に相手と話をつけてくれて一気に解決する。そういうことはあるんですけど、犯罪性のある人たちを頼ると、悪い関係性ができてしまい、何かやってくれと言われたら断れない。ただのトラブルも余計にこんがらがってしまう。

 犯罪性のない信頼できる人に相談すると、耳の痛いことを言われるかもしれない。立ち直っていくための支援は手続きを踏んでいかないといけないこともあって、今日すぐという即効性がなかったりして、面倒くさいと思うかもしれない。でも、これからの長い人生を考え、自分らしく生きて幸せになる、被害者の人を増やさない、そのためには絶対に犯罪性のない信頼できる大人の人たちからは逃げないでほしいと伝えるようにしています。
 長くなりましたけど、これで終わらせてもらいます。



 対談

髙坂 Y君に話してもらいたいと思います。まず自己紹介から。
Y はじめまして。Yと申します。よろしくお願いします。
髙坂 年齢や今の職業を。
Y はい。24歳で、介護士をやってます。少年院を出て6年ぐらい経ちまして、更生したかどうかわかんないですけど、自分では更生したと思ってます。
髙坂 親や家庭環境はどう。
Y 僕は四人兄弟なんですけど、みんな児童養護施設で育てられたんです。3歳の時に特別養子縁組を組んだ親のもとに行きました。今の親に対しては特に何も思ったことはないし、本当の親に会いたいとも思わないです。親が原因で非行に走ったとは自分では考えてないです。
髙坂 非行をやった年齢とか、なんで非行をやるようになったか、話せる範囲で。
Y あまり覚えてないんですけど、不良になりたくて不良になったわけではなく、小学校一年生からちょっとおかしかった部分はあったと思います。たとえば、学校にお菓子を持ってってみんなに配ったりとか、授業中にふらふら歩いたりとかっていう話は、自分では覚えてないんですけど、親に聞いてます。落ち着きがない子供だったと思います。
 小学校四年生の時、友達と遊んでてタバコを拾ったんですね。新品の。タバコの吸い方なんて知らなかったですけど、みんなとふざけて火をつけて吸ってみたりだとか、お酒を買って飲んだりとかっていうのが始まりなんじゃないのかなって思います。
髙坂 最初に警察にお世話になった年齢や内容は?
Y 警察にお世話になったのは中学校一年生だったと思います。何をやったのかはあんまり覚えてないんです。一番最初の犯罪は万引きだと思うんです。小学校の時に、コンビニとかスーパーで万引きをしてたのは覚えてます。家庭環境のせいにするのはだめだと思うんですけど、うちはすごい貧乏で。小学校までは裕福ではないにしろ、ある程度は恵まれた生活を送ってたと思います。ところが、リーマンショックとか東日本大震災だとかで親が職を失って、生活が苦しくなったあたりから非行に走ったんじゃないのかなって思ってます。
髙坂 電気が止まったりしたん?
Y ガスが止まったりとかありました。
髙坂 食べるものや学校で必要なものも充分あるわけではなかった。
Y そうですね。
髙坂 何を万引きしてたの。
Y お菓子とかご飯とか。
髙坂 食べるものはあんまりなかったから?
Y というより、まわりの子はお小遣いでお菓子を買ってたのに、自分はお小遣いがなかったので。
髙坂 警察に最初に逮捕されたのはいつ?
Y 中学に上がったぐらいだと思います。
髙坂 何やったの。
Y 最初は暴走かなんかで。
髙坂 鑑別所に行かなかったの。
Y その時は保護観察でした。
髙坂 保護観察になってお世話になった保護司さんとの関わりで覚えてることある?
Y 特になくて。当時、暴走族に入ってたんです。保護司さんに会いに行く日は決めるんですけど、あんまり行かなかったと思います。
髙坂 保護司さんのところにちゃんと行かった感じ?
Y そうですね。保護司さんが仲間とのたまり場に迎えに来ていただいた覚えはあるんですよ。
髙坂 保護司さんがたまり場に来てくれたの。
Y はい。呼びに来てくれたことは覚えてます。
髙坂 それで素直に行くようになったん?
Y 行かなかったです。保護観察中にまた捕まって、少年院に入ったんです。
髙坂 そうか。それは何歳の時?
Y 十六歳だったと思います。
髙坂 髙校は行ってないの。
Y 行ってないです。
髙坂 仕事はしとった?
Y はい、現場仕事を。
髙坂 少年院に行く時の逮捕は何で?
Y 窃盗です。
髙坂 じゃあ、地元に非行仲間というか、友達とか先輩とかいっぱいおったんじゃね。
Y はい。そうです。
髙坂 薬物は?
Y 大麻をやったことあるぐらいです。
髙坂 逮捕になって、そのまま少年院に送致。
Y はい。
髙坂 その時、親はどうだったの。
Y 当時の記憶はあんまりないんですけど、捕まった当初は親の気持ちとか全く考えてなかったと思います。
髙坂 少年院にどれぐらい入ってたの。
Y 一年と二か月ぐらいです。
髙坂 少年院の中のことで覚えとること、よかったこととか嫌だったことは?
Y そうですね。自分が悪いことして少年院に入ったわけなんですけど、反省の気持ちっていうのが一切ないわけで、早く時間が過ぎないかなとずっと思ってて、とにかく退屈でした。心に響くような言葉をもらったとかはなかったです。
髙坂 お父さんとお母さん、少年院にどれぐらいの頻度で来てくれてたの。
Y 一か月に一回は必ず会いに来て話をしました。
髙坂 少年院から社会に帰る時に、親元に戻るって話はなかった?
Y なかったですね。親元に戻るとよくないっていう判断をされた記憶があります。
髙坂 よくないというのは、非行仲間が多いからか、それともお父さんとお母さんがこれ以上はしんどいので引き受けなかったのか、どういうことだった?
Y たぶん両方だと思います。
髙坂 少年院から出ても住むところがないという状況だったよね。住むところがない院生がいると、少年院の先生から連絡があって面会に行くんです。その時に会ったよね。
Y はい。
髙坂 覚えてる?
Y すいません。全然覚えてなくて。
髙坂 少年院から出院するには住むところが必要になります。刑務所の場合は仮釈放と満期出所があって、満期出所の人は何月何日と決まってて、住むところがなくても出所の日には絶対出されてしまう。暴力団事務所に行きますと言ってても、絶対出されるルールになってるんです。
 だけど、少年院の場合は九九%以上が仮退院です。地方更生保護委員会や保護観察所が許可する身元引受人、帰住地が少年院にいるうちから決まってないと出院できないんですね。家庭裁判所で少年院送致と言われて、11か月ぐらいの標準教育期間だとしても、帰るところが見つからない人は少年院の在院が伸びてしまう。そういうルールになってるので、少年院の先生たちは帰住先を探してくれるんです。
 社会に帰ったのは何歳だった?
Y 18歳になる前でした。
髙坂 少年院におるうちに、住むところは再サポの自立準備ホームに決まったじゃん。仕事は少年院にいる時に話し合ってたの。
Y 職業に関してはハローワークの方が来てくださったり、就労担当の方と話したりしました。特にやりたいこともなくて、なんで介護にしたのかはあんまり覚えてないんですけど、仕事がないと生活できないと考えたので、とりあえず何か働こうっていう気持ちで介護にしたんだと思います。
髙坂 少年院に入る前は建設業の現場仕事をやってた。
Y はい。
髙坂 現場仕事は選択肢に入れなかった?
Y 現場仕事をしている方を否定するつもりはないんですけど、現場仕事っていうと、柄の悪い、怖い人がいっぱいいるっていうイメージだったんで、あんまり考えなかったですね。
髙坂 少年院の中で就労支援を受けて、介護の会社を探してもらったのね。
Y はい。
髙坂 少年院在院中に面接来てくれた?
Y はい、面接を受けました。
髙坂 指に入れ墨が入ってるじゃん。これは言われんかったん?
Y これぐらいならいいよってことで。
髙坂 じゃあ、出たらおいでよ、みたいな。
Y はい、そうですね。
髙坂 少年院在院中に、出院後の住まいは自立準備ホームに決まり、就職先も有料老人ホームでの雇用が決まったんですね。
 社会での生活がスタートしたのは十八歳になる前?。
Y そうです。
髙坂 24四歳なんで、六年前にスタートしたのね。生活で困ったり悩んだことある?
Y 半年間っていう期間があったんで、最初は半年もあればお金を貯めて、独り立ちできるって思ってたんです。だけど、半年っていうのはすごい短くてですね、独り立ちする資金を貯める余裕はあったはずなんですけど、自分の心が弱いせいで貯金ができなくて、という失敗がありました。
髙坂 更生保護施設や自立準備ホームは最大で半年ほど住めて、その間は家賃も光熱費も食費もかからない。国費からお金が出るんです。なので、働いて得た給料は自分の生活費、遊興費、貯金にできるんです。
 仕事はちゃんと続いてたもんね。
Y はい。
髙坂 給料は手取りで月どれぐらいあったの。
Y 12月に出院したんですけど、最初の三か月は20万ないぐらいで、四月から正社員にさせていただいて、手取りで20万円前後になったと思います。
髙坂 家賃も光熱費も食費もかからないで、20万円の収入がある。それを何に使ったの。
Y ゲームの課金ですとか。
髙坂 スマホゲームの課金ね。
Y はい。百万円ぐらい使いました。
髙坂 最近の子はお金を手にしたら、すぐスマホのゲームにどんどん課金して、ガチャといってキャラクターやアイテムを手に入れるためにお金をつぎ込んでるんです。
Y あと、ギャンブルですね。
髙坂 何のギャンブル?
Y パチンコとか。
髙坂 夜、タクシーで自立準備ホームに帰ってきたの覚えてる?
Y 覚えてないです。
髙坂 電車に乗って帰ればいいのにと思った時もある。ヴィトンの財布買ったじゃん。
Y そうですね。
髙坂 頑張って貯金したらいいんですけど、何にお金を使うか、その優先順位に問題があって、半年経ったけどお金が貯まらないと。
 それからは?
Y 今も相変わらず貯金できてないんです。
髙坂 自立準備ホームで生活しながら仕事して、家賃を払ってたね。
Y はい。
髙坂 三年ぐらいおった?
Y 二年ぐらいですね。
髙坂 自立準備ホームの期間が終わった後は、家賃2万7千円、光熱費1万円と食費を払って、自立準備ホームに住み、仕事を続けてたんです。少年院を出た子たちは仕事が続かないことが多くて、同じ仕事がずっと続いてる子はほとんどいないんですね。みんな転職してしまう。びっくりするのは、彼の場合、少年院で決めた仕事が六年間続いていて、一回も転職せずにいることなんです。
 それはどうして?
Y 生活のためっていうのもあるんですけど、捕まる前に働いてた会社の社長さんがすごい怖い人で、寝坊して昼過ぎに起きても来るだけ来いっていうふうだったんですね。そのおかげっていうと何なんですけど、そのことは大事にしようと思ってて、どんだけ寝坊しても、たとえば朝七時からの出勤の日なのに、ゲームをずっとしてて起きれなくて、12時に目が覚めても絶対に出勤するって心がけてるんです。一回も無断で休んだことないです。
髙坂 なるほど。寝坊しても必ず行くんだという社長さんの教えを今も守っていると。朝寝坊したら職場に電話しにくくて電話しない。そしたら無断欠勤になってしまい、次の日も電話しにくいので、そのままずるずる休んでやめてしまう子は多いです。
Y はい。そのままやめてくんです。
髙坂 じゃ、その社長さんの教えは大切なポイントかもしれんね。
Y はい。寝坊しても、必ずちゃんと職場に電話して、すぐに行くと。
髙坂 他に仕事を続ける秘訣は?
Y 普通の人になりたかったんです。少年院の最後のころに思ってたことで、社会に出たら普通の社会人として生活する、町を歩いている人の一人になるっていうのをずっとイメージして働いてます。
髙坂 少年院に入る前に一緒に犯罪やっとった人たちがおるじゃん。その非行仲間との関係は?
Y 一回も会ってないです。実家には何回か来たみたいですけど。
髙坂 また会いたいなと思わなかったの。
Y 更生するためには、と言うとおこがましいんですけど、犯罪を再びやらないためには会ったらだめだっていうのがあったんです。
髙坂 少年院を出て、再犯しそうだなという危ない時はなかった?
Y なかったと思います。
髙坂 それはなんでだと思う?
Y よくわからないです。
髙坂 ずっと再犯せずにやっとるね。
Y 自分を分析すると、再犯しなかったのは環境ですかね。犯罪とは無縁の人たちと一緒に働いて、職場で出会った彼女と付き合ったりして、犯罪に一切関わらない生活をしていたので、犯罪をしようっていう考えに至らないというか、そんな感じですね。
髙坂 少年院を出た後、親との関係は変わった?
Y 少年院に入る前からあんまり家に帰ることがなかったんです。今も一定の距離をとってはいるんです。だけど、最近は一緒にご飯を行ったりとかするようになりました。
髙坂 介護の仕事をしながら資格を取ったり、役職についたりしとるね。
Y はい、介護福祉士を三年目で取って、今年から施設の主任をやらせてもらってます。
髙坂 少年院に入る前の保護司さんのこと、あんまり覚えてないってことだったけど、少年院を出た後の保護司さんとは?
Y 少年院を出た後も保護司さんにはすごい迷惑かけたと思ってます。約束の時間に行かなかったことが何回かあったりしたので。
髙坂 最後の質問だけど、非行少年が立ち直るために必要なことって何だと思う?
Y 環境ですね。環境が人を変えると思います。



 質疑応答

司会 質問のある方、お願いします。
質問1 少年院にいる時に心に響くことはなかったと言われてたんですけど、それ以降に心に響く言葉があったら教えてください。
Y 難しい質問ですね。心に響く質問……。あんまりなくて。少年院で心に響く言葉はなかったって言ったんですけど、少年院の先生が言われた「お前は他力本願だ」っていう言葉だけは覚えてるんです。すぐ誰かのせいにしてしまったり、人に頼ろうとした時に、先生の言葉を思い出します。それで何か変わるとは思ってないんですけど頭によぎります。

司会 他力本願というのは人に頼るという意味ではないんですけどね。その他ありませんか。
質問2 環境が大事と言われましたけど、人との関係のことでしょうか。話せる人がいるとか仲間がいる。誰かいることなんかなと思ったんですけど。
Y はい、人ってのは一人では何もできなくて、仲間がいることでいろんなことができるんだと思います。でも、仲間といってもいろいろで、一人になることも大切で、不良仲間とは関わらないと決めて一定期間離れていると、悪いことしようって思うことがなかったんですね。環境というか、つき合う人ですね。

質問3 受刑者や保護観察の対象者に、今までのつき合いを切れるかと聞くと、たいていの人は難しいとかできないと答えるんですね。なぜ悪い仲間との関係が切れないかというと、切ってしまったら一人になる。新しい関係を一から作らなければならない。それが難しいだろうし、独りぼっちになりたくないんだと思うんです。親しい人を新しく作るのは難しくなかったですか。
Y ぶっちゃけ言うと、今では友達って言える人は一人か二人だと思います。最初のころは休みに誰かと遊びに行くことはなくて、一人でいましたね。新しい関係を一から築くっていうのはすごい難しいことだと思います。一人になってしまう怖さもあるんですけど、なんとかなると思います。

質問4 今までの悪い関係を断ち切ることができない人が多い中で、どういうサポートがいいか、もしあれば教えてください。
髙坂 孤独・孤立から再犯する人がいます。少年院などで話してても、犯罪仲間と縁切ったら独りぼっちになることをみんな気にするんです。だったら新しい人間関係を作るればいいということが一つ。
 それと、今まで出会ってきた人たちの中には犯罪性のない人が必ずいるんですよ。小学校や中学校の同級生とか、以前お世話になった保護司さんや弁護士さん、調査官といった人がいるので、自分からそういう人たちに電話をして挨拶に行くのも一つのやり方だと思います。
 僕は知らない土地に行って新しい人間関係を作っていったのは、人が立ち直るためには人とのつながりが必要だからなんです。間違った人とつながると余計悪くなっちゃうんですけど。家族や仕事仲間だけでは足りないかなと僕は思ってて、犯罪性がない人との関係や居場所を再サポで作っていったんですね。
 なので、少年たちに言ってるのは新しい人間関係を作るということです。それには、ジムに行く、地域のスポーツクラブに入る、ボランティア団体に入るとか、やり方はいろいろあると話してます。そういう時は、勇気を振り絞って一人で行ってほしい。そうしたら新しい関係ができることもあると伝えているんです。そうやって関わる人が変われば、自分の価値観もちょっと変わっていくと思ってるので、そういうことに挑戦してほしいという話はさせてもらってます。
Y さっきの髙坂さんのお話に逃げる勇気ってあったんですけど、僕も逃げることが大事だと思っています。家に来たのは、そのころ僕がすごい怖がってた先輩で、ヤクザよりたちの悪い、半グレって言われるグループの人もいたんです。
 そういう人たちから逃げる勇気が大事で、その人たちに会ってしまったらどうしようっていう時に、いつも考えるのは、知らない人のふりをすることなんですね。一回会ったことがあるんですよ。三、四年ぐらい前なんですけど、パチンコ屋の喫煙所で目の前に姿を見かけた時に、やばいと思ったんですね。もう目を合わさず、知らない人の振りをして。関わらないっていう勇気が大事だと思います。

質問5 就労継続支援B型はものすごく賃金が安い、非人道的な額で、社会と接点を持てるだけで満足しろというようなものだと聞いたことがあるんですが。
髙坂 僕は問題はあるとは思ったことはないんです。うちの就労継続支援B型は九割以上が非行や犯罪やったことがある、障害のある人たちが通ってるとこなんです。一番多い罪名は窃盗です。お金がないと窃盗してしまうことはあると思うんです。
 B型は工賃が一時間200円なんですよ。一日作業時間六時間なので、一日1200円になります。一か月に週五日毎日来て、皆勤賞も合わせると、月に2万8千円から2万9千円ぐらいなんですね。
 その人たちはグループホームの家賃がかかるんです。どうやって家賃を払い、自分のお小遣いで好きなものを万引きをせずに買うかということになるんです。保護者がいる場合は、保護者が家賃などを払ってくれるので、工賃が全部自分のお小遣いになるんですよ。月3万円ぐらいのお小遣いあれば生活できます。だけど、親がいない人は生活保護受けて、生活保護費から家賃とか光熱費、食費を払って、残りが自分のお小遣いになっています。
 他のグループホームとは違うので一概には言えないんですけど、僕らのとこに来てる人たちで、グループホームとB型を使ってる人が月にいくらぐらい自由に使えるかというと、食費、光熱費、家賃とは別で大体6万円ぐらいなんですね。その中で携帯代を5~6千円ぐらい払って、残りのお金で服を買ったり、美容院に行って日用品買ったり、遊びに行ったりするので、万引きとかしなくなっていますね。
 5、6万円では足りない、週一回はキャバクラ行きたいみたいだと、B型じゃなくて、一般就労にチャレンジして、生活保護をやめて月20万円とか稼ぐようになると、キャバクラに行けるようになります。ただし、知的障害とかあって就労が難しい人もいるんですね。そういう場合はステップアップ、毎日練習をしながら次を目指していくことになるんです。なので、就労継続支援B型はそのステップを踏むために必要な制度かなとは思ってます。

質問6 金銭感覚のない人にはどのように対処しているんですか。
髙坂 お金の使い方の指導はしています。その子、その子の状況によって変えていて、本人が納得できて、気づきが少しずつ得られることを大切にしています。

質問7 アルコールや薬物だけでなく、買物やセックス、摂食障害など依存症が少なくないと思いますが、どうされているんでしょうか。
髙坂 精神科などへの病院同行、服薬管理、障害福祉サービスの活用、頑張ることや我慢することよりもストレスを減らすこと、そして本人がほしいものやしたいことを違法にならないよう満たす方法を本人と一緒に考えながら、焦らずに行なっています。

質問8 レジュメに、民法と少年法の改正が書かれていました。世論が厳罰化を求めていることもあって、実名報道が多くなっています。そういう傾向をどう思われますか。
Y 僕も少年法に守られて、実名報道されていないんです。難しいですね。犯罪には大きい小さいがあると思ってて、名古屋市ではタバコのポイ捨ても犯罪になるじゃないですか。でも、殺人も犯罪です。事件によっては実名報道したほうがいいんじゃないのかなって思います。加害者の社会復帰ということもあるでしょうけど、遺族からするとたまったもんじゃないってのは感じます。

質問9 更生を考えた時に実名報道は更生にブレーキをかけると感じるんですけどね。
髙坂 一九九七年に起きた酒鬼薔薇事件の後、2000年に少年法が改正され、刑事処分を受けうる年齢が十六歳以上から十四歳以上に引き下げられ、重大事件は原則として検察官に送致されて刑事裁判を受ける制度が導入されました。それからも少年事件が起こると少年法改正の機運が上がって、四回も少年法が改正されたんです。2022年の少年法改正で、起訴された場合には実名報道してもいいことになりました。
 厳罰化に賛成という意見が多いですけど、非行や犯罪をした人を支援してる側からすると、犯罪者が再犯せずに生きていくためには、罰を厳しくすればいいというのは違うという考えの方もおられるんですね。いくら厳罰化しても犯罪は止められないと、僕も思っています。
 118年ぶりに刑法が改正されて拘禁刑に変わって、刑務所が懲らしめる場所、作業中心の指導から改善更生、教育に力を入れていくようになりました。非行少年や犯罪をした人と関わってる人の意見と、テレビや新聞のみでイメージしてる方たちの声が法律に混ざっているとは思うんです。直接に支援に関わっている方の意見が発信されて、法律が実際の現場に近い運用に近づいていくほうが、非行や犯罪が減ることにつながるんじゃないかなと思ってます。
司会 どうもありがとうございました。以上で終わります。
(2025年7月3日に行われました真宗大谷派山陽四国教区教誨師会・保護司会の研修会でのお話をまとめました)