「生まれ変わり生きがい論」批判 2 |
1,科学的に証明されたという嘘 『生きがいの創造』で飯田史彦は 「本書は、「死後の生命」や「生まれ変わり」のしくみに関する科学的研究の成果」 であり、 「できるだけ学術的かつ客観的な立場を守るために、名の通った大学の教官、博士号を持つ研究者や臨床医の研究を中心に引用しています。」 と言ってます。 しかしながら飯田史彦も大学の教官ですから、「生まれ変わり生きがい論」は科学と無縁だし、死後の世界を科学的に解明することは現時点では不可能だということはわかっているはずです。つまり意識してこういう嘘をついているわけです。 そして、 「死後の生命は存在しないことは永遠に実証できない」 とも言っています。 たしかに死後の生を否定することはできません。しかし、死後の生命が存在することも永遠に実証できません。そして検証できない例をいくらあげても、それでは証明にはなりません。自分に都合のいい半面しか言わないわけで、こういうところが飯田史彦のずるいところです。 もっとも前世の記憶が本当かどうかは、歴史的事実と照らし合わせれば簡単にわかるはずです。ところが不思議なことに、そうした科学的検証作業を前世療法家はしていないようです。 飯田史彦があくまでも科学性を主張するのはどうしてかというと、多くの人には宗教に対する抵抗感があり、宗教色があれば広く受け入れられないため、科学的装いをこらし、教授や博士という肩書きで権威付けているわけです。 もちろん、大学の教官や博士号を持つ研究者の研究がすべて正しいわけではありません。間違いもあります。けれども読者はこういう肩書きに弱いことを、飯田史彦はちゃんと知っているんですね。 冒頭に紹介したサイトでも、 「著者は福島大学経済学部助教授であり、出版社も信頼のある松下幸之助のPHP出版であることを考えれば、うさんくさい同種の本とは一線を画している良書であると言えるでしょう。」 と書いてますから。 しかし飯田史彦本人は本の内容が科学的でなければ、客観性もないし、論理的にもつじつまが合わないことを承知しています。ですから、 「本書は「わかりやすさ」と「人々に希望を与える内容」を心がけていますので、本書の細部を批判することは、いくらでも可能です。」 と逃げを打ち、そして、 「「死後の生命」や「生まれ変わり」が本当にあるのかどうかという「真理」については、私自身も、「いずれ死ねばわかることでしょう」とお答えすることしかできません。私は「真理」には関心がなく、生きがい感の向上という「現象」にこそ、関心を抱いています。」 と話をそらします。 死んだらどうなるのかについては関心がない、生きがい感の向上のための手段として生まれ変わりを主張しているだけのことだ、というのも「科学的な研究の成果」と言っているわりにはいい加減な話です。 ところが飯田史彦の説く生きがいがこれまた大問題のしろものです。 飯田史彦はどういう研究をしていたかというと、 「もともと私は、「人間の価値観」をキーワードとして、企業の革新を、経営者や上司による、一種の「望ましいマインドコントロール」としてとらえようとしたのです。」 と語っています。 自分の望む方向に人を巧みに誘導して、自分の言いなりにするのがマインド・コントロールです。 飯田史彦は経営者側に立ち、企業の生産性を高めるために、従業員の生きがい、働きがいを与えることでマインド・コントロールをするという研究していたわけです。 それはどういうものかというと、 ・苦しいことがあっても、自分の課題だと思って、文句を言わずにじっと我慢して会社のために働こう。 ・いろんなことがあったけど、苦労を通して多くのことを学んだんだから、過去を振り返らずにもっと前向きに生きよう。 この生きがいは上から授ける生きがいであって、自分で求め、見出していく生きがいではありません。 「生まれ変わり生きがい論」も同じ流れにあります。成長するということは、国や会社に従順な人間になり、社会のために役立つ人になるということです。だからこそ船井幸雄が『生きがいの創造』を推薦したわけでしょう。 現実の問題に目をつむり、現実を見なくなることによって自己満足が与えられる生きがいですし、そうした生きがいは奴隷の幸福を生み出すものにすぎません。 『金日成のパレード』という映画を見まして、奴隷の幸福のいい例が北朝鮮だと感じました。 |
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