「生まれ変わり生きがい論」批判 3

 2,現実問題に目をつぶってしまう

 自分の責任で苦が生じることはありますし、苦難によって人は成長することもあります。あるいは、振り返ってみて、あのおかげでと思うこともあります。だからといって、苦によって人間は成長すると単純に言い切っていいものでしょうか。

実家の父は、私や母・家族にとってはただ怖い存在であり、母を一生泣かせ、子供たちには怒鳴ったり、暴力をふるったりで、小さい頃受けた仕打ちが、私の人生に大きく災いしているとずっと思っていましたし、そんな父に愛情など感じたことはありませんでした。
 しかし、あの父があっての自分であり、自立心が育ったことも、忍耐力をつちかったのも、父によって勉強させられた結果だったのかと思った瞬間、父を許せるような気がいたしました。


 こうした考えには問題がないわけではありませんが、こうした形で今さらどうしようもない過去のこと、暴力をふるう父親を受け入れることもあります。

 だからといって、時間がたって、冷静に振り返る余裕が生まれたならばともかく、苦しみのただ中にある人に
すばらしく高度な試験問題に挑戦している、勇気にあふれたチャレンジャーなのです。今回の人生で、その問題に挑戦することを選んだのは、あなた自身であり、だれのせいでもありません
とおだてるべきでしょうか。
 まして、あらゆる苦難は成長のために自分が選んだ、あるいは前世の行為の結果なんだと言い、すべてを個人の責任にしてしまうことは大いに問題です。

 たとえば、先に紹介したように、夫の暴力に苦しむ女性が、これも自分で選択した試練だ、耐えられない試練はない、と考えて、夫の暴力を耐えるべきでしょうか。
 あるいは、世界中には飢えている人、戦争で苦しむ地域、医療を受けられない人が多いわけですが、彼らは飽食の日本人よりも困難な課題を選んだチャレンジャーだと言うのでしょうか。もしもそうならば、彼らは自ら求めてり困難な人生を選んで生まれてきたのだから、そうした境遇にあることは自業自得ということになります。
 栄養失調で死にかけている人、親から虐待されている子ども、そうした生命の危機を常に感じながら生きている人に、「誰のせいでもない、自分の責任だ」と言うとしたら、その人はあまりにも無神経としか言いようがありません。

 インドのカースト制という差別制度も同じような考えです。インドの輪廻思想、業思想がカースト制を肯定する基盤となっています。
 なぜならば、前世の行いによって現在の境遇が決まったんだから、不平不満を言うべきではない、と言っているからです。さらには、黙ってしいたげられ、耐えていたら、来世では今よりよい境遇に生まれる、とも説きます。
 これは支配者が自分の都合のいいように支配するためのおとぎ話にすぎません。

 そもそも貧困、差別、飢餓、戦争などで苦しむことは、個人の責任ではありません。国や社会の問題です。
 「生まれ変わり生きがい論」は、国や社会が解決すべき問題を個人の問題にして責任の所在をすり替え、抗議の口をふさぎ、現実から目をそむけさせ、現在の自分の境遇を仕方ないものとあきらめさせようとすることになります。

 個人的な問題でも同様です。

重い精神病や肉体的な障害などのように、深刻な問題を持つことは、進歩のしるしである。こうした重荷を背負うことを選んだ人は、たいへん強い魂の持ち主だ。なぜなら、もっとも大きな成長の機会が与えられるからである。」

 飯田史彦は励ましているつもりでしょうが、そんなことを本気で信じているのでしょうか。
 児童虐待はどうでしょうか。親から虐待され、時には殺されてしまう、そうした苦しみを自分から選ぶものでしょうか。あるいは拷問、強姦などを経験することも進歩のしるしなのでしょうか。飯田史彦はそうしたことも「だれのせいでもありません」と言うのでしょうか。
 そして、もしそうした犯罪の被害者になることが自分で選んだ試練なら、加害者は私の成長のためにわざわざ手伝ってくれたわけですから、加害者に感謝しなくてはいけないことになります。

 そもそも、世界には成長を促す以上の苦しみがあふれているように思います。戦争、飢餓、貧困で苦しむ人のほうが圧倒的に多いということをどう考えればいいのでしょうか。
 成長のためにわざわざ苦しい人生を選ぶ優れたチャレンジャーが多いということでしょうか。
 おまけに、成長のためにより困難な課題を選ぶというのなら、成長するにしたがって課題はより困難なものになるわけです。となると、世の中はどんどん悪くなるわけですし、人はもっともっと苦しまなくてはならないことになります。これが世界の成長ということなんでしょうか。

 さすがに飯田史彦もそこまで言うつもりはないらしく、飯田史彦は『
ブレイクスルー思考』で、魂の成長という解釈(ご都合主義的解釈)では説明できない重すぎる苦難については、ブラックボックスに入れるとよい勧めています。わからないことは考えずにそのままおいておきなさいというわけです。
 これは思考停止です。現実を見るな、何も考えるな、ということです。しかし、都合の悪いことには目をつむるならば、今を生きることをおろそかにすることになります。
 
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