H19.1.24-25萩旅行

 4年前からの年中行事になったふぐ旅行も4回目で今回は萩への旅行を企画、ちなみに過去でかけたのは、下関・湯田・門司である。
1月24日12:15発の呉線快速(実際は呉駅に早く着きすぎたため12:01発の鈍行に変更)に乗り広島発13:07発のこだま725で厚狭駅に14:12到着。
ここからが苦難の始まりで、美祢線で長門市に行く予定であったが、月1回の美祢線全線休止しての修理日にあたっており、電車がない。
駅員に相談してもなかなか良いアイデアが出なかったが、新山口に戻れば東萩駅までの特急バスがあるという情報で、即新山口に引返す。
このとき一気に天候が悪化して雹が降り始めたのには参った。
当初計画では16:12東萩着がバスで行くと途中の遅れも重なって18時前となる。
 ふぐを食べさせる宿「萩八景雁嶋別荘」に到着する。この宿は萩八景北門屋敷の別荘として建てられた宿で、北門屋敷は皇太子ご夫妻も宿泊されたそうである。
早速温泉の大浴場で汗を流し、ふぐ料理に舌鼓を打つ。過去3回のものと比べれば最高であった。
 25日は東萩駅前より市内観光バスで萩市内を見学。バスが来る前の悪い予感が的中し、当日のお客はわれわれ二人で38人乗り観光バスを借り切ることとなった。
若い時に松本市から名古屋までの2日間の遊覧バスを予約した時に、乗客がわれわれ二人でバスがタクシーに変わり、ガイド付きのタクシー遊覧をしたことが思い出された。
市内観光はバスに乗っているより歩く工程が大部分でガイドさんの案内で3人での歩行観光となった。
二人であったことも影響して4時間半のコースが3時間で終わったのでバスガイドから紹介してもらった「萩心海」で生簀の魚を食べる。
イカ刺しとあわびで一杯やったがなかなかのものであった。
ここからが又大変で、14:23東萩発の山陰線列車まで2時間の待ちとなり、土産物屋を見て歩くが客はわれわれ以外はいない。ホテルのレストランでコーヒーを飲もうとするが、すでにホテルが閉鎖されているとのこと。喫茶店を見つけてそこで時間をつぶす。その間お客は一人もなし。萩市が本当に寂れたのだと実感する。
市内観光中にもお客の姿hまばらであった。
 予定とおりの列車で山陰線・美祢線・山陽新幹線・呉線経由で18:36呉駅着。今回の旅行は待ち時間の多いものとなった。
写真

萩八景雁嶋別荘の外観ー右の低い建屋が別荘で
現在はレストラン、左の5階建てがホテル
東萩駅ー駅舎は立派であるが人の姿がまばらである。
この写真は午前9時前の状態
東光寺の山門ー黄檗宗のため山門の作り方が
日本寺院とは違うようである
東光寺境内に約200基並ぶ灯篭、殉死者の代わりに立てられたもので、3・5・7・9・11代の毛利家当主に準じた人である。尚、偶数代の殿様のものは大照院にある。 松陰神社の鳥居。宇部興産の寄進であり当時の
岸首相自筆の書額がかかっている。
この奥には佐藤首相の自筆の石碑がある。
松下村塾
指月山の毛利氏居城、正面左が本丸跡で再現の話が出たそうであるが、最終的には石垣のみを残すことになったとか。高い山が指月山。 石彫公園、石製の各種モニュメントが置かれている。 萩焼の登り窯ー左端が正面でまきを入れるようになっている。写真で見える穴が製品搬入搬出用で
中に作品が段積されている。
萩城下町で左右に旧宅が並んでいる。
庭にはたいてい橙が植えられている。風致保存地区のため改修にはすべて国の許可がいるそうである。
木戸孝允旧宅 右の白い壁が菊田家の白壁で内部の敷地は2,000坪あるそうである。
塀は道路を歩いてもなかなか端まで達しない程長い。

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