H17.1.16-17湯田温泉に泊りふくを食べる

JRで広島・新山口経由で湯田温泉駅に14:21着。
ホテル松政にチェックイン後中原中也記念館を見学、高田公園を散策。

高田公園は明治の元勲井上馨の生家跡に作られた公園で井上公園とも呼ばれているそうです。
公園内には七卿の碑、山頭火句碑「ほろほろ酔ってこの葉ふる」という自筆を写したものがあります。
又、井上馨像、中原中也詩碑、大正6年に造られた瓢箪池等があります。
ホテルの隣に観光バスの案内所があり、そこで翌日の「おいでませ山口号」秋芳洞・関門海峡コースを予約しました。湯田温泉→仙崎→秋芳洞→下関→新山口駅のコースで8時30分発−17時40分着の予定です。

夜は松政ふく特別プランのふくを楽しみました。又、ひれ焼酎なるものを始めていただきました。ひれ酒の日本酒の代わりに焼酎を入れた物で、25度の焼酎を生で飲むので、湯割りを愛飲している身にはきつい感じでしたがおいしく戴けました。

翌日は前記コースを総勢6人(他は東京及び京都から来たカップル)でマイクロバスで廻りました。仙崎は風が強く海は荒れており青海島周りの遊覧コースは欠航とのことでした。秋芳洞は20年位訪問したことがないため、随分内部が変わっていました。見学通路はコンクリートの立派な道が出来、安全柵も完備しており、途中何箇所かには音声ガイド設備ができていました。又、以前はエレベーターによる出口のみでしたが、更に奥まった所に黒谷口?が出来ており、温度変化を避けるため及び外部からの植物の種等が入らないようにするため、二重のタイマー駆動自動開閉扉が設置されていました。
下関は昨年同時期にふぐを食べに来た時に観光したため、他の人たちは門司に渡るとか行ってましたが、我々は昼食に「ふくじら定食」−ふくとくじらをミックスした和食−を食べ、くじらの土産を買って新下関経由新幹線で帰呉しました。

中原中也記念館
夭折の詩人−中原中也−の業績と生涯に
関する資料を展示しています。
中原中也は明治40年山口市湯田温泉に生まれ
小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平等と交流があり
詩人としての通を歩むと同時に、フランス詩の翻訳
も手がけた人で、昭和13年鎌倉で30年の生涯を
とじたそうです。
この碑は記念館の前に建てられており、後面の木
は、中也の生まれた時からあるものです。
高田公園(別名井上公園)にある井上 馨像
この公園は明治の元勲 井上 馨の生家跡に
作られた公園です。
本像の他、七卿の像、中原中也詩碑、山頭火句碑等が
設置されています。
今回宿泊したホテル松政の玄関前にある石灯篭
ここが記念写真がとられる場所であるとの女将の言に
従って、女将にとってもらった写真です。
長門市仙崎にある金子みすず記念館の入り口に
なっている金子文英堂
みすずが子供の頃、金子家は仙崎で書店を営んでいた
そうです。
この入り口より入ると、中は最近再現された
金子みすずの生家になっています。
そこにはみすずの部屋も再現されています。
金子みすずは「幻の童謡詩人」と称され、日本童謡
の黎明期、大正末期に彗星のごとく現れた人物
だそうです。
仙崎で生を受け、26歳でこの世を去った詩人で
死後昭和57年に彼女の遺稿集「三冊の手帳」が
見つかったそうです。
仙崎港
向こうに見えるコンベア−は秋吉台より仙崎まで
19Kmの住友セメントの石灰輸送用コンベアーです。
中央部に見える船は石灰輸送用の住友セメントの
専用船です。
この日は風が強かったため、白波が立っていました。
そのため、青海島遊覧船も欠航でした。
秋吉台を望む。
今回ほど秋吉台を詳細に見たことはありません。
バスのドライバーが知識を持っていたため、随分
貴重な話が聞けました。
秋芳洞入り口の記念碑
秋芳洞入り口
橋・欄干が良く整備されている。
下は秋芳洞内部から流れる川で、かなりの水量が
ありました。
この後、洞内で撮影しましたが、広いためフラッシュが
届かず、暗い写真となりましたので掲載を諦めました。

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