善玉と悪玉
最近ある洗剤メーカーのCMで
タオルをくわえた赤ちゃんが出てくるのがある
赤ちゃんはこうして何でも口に入れるから
衣類やタオルはこの漂白剤入り除菌洗剤で
しっかり洗いましょうというわけだ
このCMを見ながら
タオルのばい菌がどうのと心配する前に
その漂白剤とかが口に入る方がよっぽど悪いのではないか
と考えるのはわたしだけだろうか?
”抗菌グッズ”が市場に出回るようになった頃から
日本人の清潔観念はかなり度を越していると思う
子どもの算数ドリルにまで”抗菌”と書いてあるのには呆れたが
では抗菌の為にいかなる手段がとられているのかは
実際のところ不明だし
効果がいつまで続くのかもわかってはいない
じゃあ何のための”抗菌”なのか
それはずばり
神経質な人を満足させる単なる”気休め”だろう
数年前
『手を洗うのがやめられない』という本を読んだことがある
清潔にこだわるがあまり
いくら手を洗ってもきれいになった気がしない
こういう人は重症になると
手のひらに本来見えるはずのないばい菌が見えるようになるらしい
これは明らかに本人の思い込みが起こす神経症状なのだが
ここまでいくと正常にもどるのは難しいと言われている
娘は学校の文化祭でおにぎりをにぎる時
まず消毒薬で手をびしょびしょにすることを気持ち悪がっていた
できたおにぎりの上からまた更に消毒のスプレー剤を噴霧するのだとか
「あれ食べたくないよぉ〜〜〜」
そういう娘の気持ちはよくわかる
でもそうしないと気がすまない人も世の中にはいる
公共の場での衛生管理は特に厳しいから
仕方ないのだと娘には教える
家でいつも味噌やパンをつくり
時には発酵肥料を部屋に持ち込んで作っているわたしにとって
微生物は実に身近な存在だ
あるものは人間が作ることのできない旨味成分を作り出し
あるものは体内に住み着いて健康維持を図ってくれる
またあるものは病原菌のような悪玉菌をやっつけてくれる
この大事な菌たちをどう育て養っていくのか
日頃そのことが頭の中でかなりのパーセンテージを占めているので
”除菌”という言葉はわたしには
悪玉菌のみならず善玉菌さえも殺してしまう可能性を秘めた
嫌な響きを持っているのだ
子どもたちがまだ赤ちゃんの頃には
今ほどまでには除菌除菌とは言われておらず
むしろ抵抗力をつけるために畳をなめるくらいがちょうどいいなど
そんな”おばあちゃんの知恵”みたいな言葉が大事にされていた
あの頃息子は畳どころか
いつの間にかトイレのスリッパまでくわえていたが
特に病気になることもなかった(笑)
深刻な伝染病はほとんど撲滅しているこの国に
必死になって除菌しなくては危険なほどの菌が
そんなに周りにうようよしているのだろうか?
わたしは除菌と書いてあるものほど何か特別なものが入っていて
それがかえって害になる恐れがあると考え
あえて買わないようにしている
善玉菌も悪玉菌も上手に付き合って
人間の側が抵抗力をつける必要がある
だいたい菌に善玉とか悪玉とかレッテルを貼るのは人間の側の都合であって
菌はみんなそれぞれ同じように精一杯生きて自分の使命を全うしている
自分に都合の悪いものは
周りからことごとく排除しようとするのは
人間の悪い癖だと思う
居心地の悪い学校
気に入らない上司のいる会社
あれもこれも悪いといって次々やめていたのではきりがない
わたしのこれまでの経験では
こういって居場所を次々変える人は
たいていがいつまでも安住の地が得られない
はなはだしい人になると
自分以外はみんな悪だと言う
そういう人こそみんなにとって迷惑な悪玉であることに
本人は気づかない
いやな目に会うと人はだんだん強くなる
そうなったらしめたもの
かつて自分にとって悪玉と思えた人も
時を経ると善玉に変わることもある
人は人を殺す病原菌ほどの力はないが
人のために人が死ぬこともあるし
死ぬほどの目にあってそれがその後の生きる力を生み出す場合もある
そうなると何が善で何が悪なのか
全ては結局良かったのだ
そう思えたら人生はいつもしあわせ
今日はこれからお風呂に入ってバラの実で作った石けんを使う
香料を入れていないのでちょっと妙なにおいがするのだが
そんなことは気にしない〜
もちろん除菌の効果などない
だから安心して楽しめる。。
<目次 次へ>