一周年に思うこと


このサイトをはじめてから無事一年が過ぎた
多くの人がそうであるように
行き当たりばったりというか
”とにかく始めてみました”状態でオープンしたが
2月ごろからだいたいスタイルが落ち着いてきたように思う

初めのうちは壁紙やアイコンなどの素材をたくさん使って
なるべく華やかに装うことに重きをおいていたが
それもだんだんあきてきて
表紙も今のような感じに落ち着いた
バラの美しい写真のページが充実する一方で
肥料つくりのページも広がり
こちらではカビの写真とか
あまりうるわしくない画像が中心となっているが
わたしにとってはとても重要な研究資料となっている

結局わたしには華やかなイメージより
もっと現実的でシンプルな感じの方が似合っているのだと
改めて思うのだった

それはわたしの生き方と言うか
生活スタイルそのものが”華やか”からは遠いもので
わたしのやることはすべて
現実と密着した中での
ちょっとした”あがき”のようなものなのだろうと思う

先日
娘が学校から帰ってくるなり
「今日先生に残されて叱られた」と
興奮しながら自分の言い分を述べ始めた

最近の学校では
わたしが小学生の頃あたりまえだった遊びが
ほとんど禁止になっている
グランドに線を引いて友だち同士が引っ張り合いをする
あれは確か「陣取りゲーム」と言ったと思うが
そういうものは”危険”とのことで
やってはいけないことになっているらしい

あれもダメこれもダメと
次々楽しい遊びが禁止になることで
娘は非常に怒っている
その日残されて叱られたのは
ダメといわれている遊びを
10人以上が集まってやっていることを
ある子どもが告げ口したことで発覚したためで
そういう同級生に対してもまた腹を立てていた

確かに今の子どもたちは可哀想だなと思う
しかし
こうなったのは学校のせいでも先生のせいでもない
親が悪いのだ
ちょっと子どもが怪我をしたといっては学校に文句をいい
常に学校の管理責任を追及する
それに対して学校側は次々予防線を張るしかない

こういう現状について娘に説明しながら
「ねえ、児童が勝手な事をしたために
先生が責任を取らされるのは大変な事だとは思わない?」
というと
思い出したように最近見た出来事を話し始めた

ある低学年の子どもが
学校の大きなガラス扉を何度もけっていたら
ガラスが割れてその子は怪我をした
すると親がやってきて学校に文句を言ったのだという

「あれはおかしかったよ
反対に親があやまってガラスを弁償するのがあたりまえじゃん」
そう興奮して話す娘に
「間違ったことが当たり前になっている今の学校で
少しでもみんなが協力しないと
もう学校はとんでもないことになるでしょう?」
と続けると
うんうんと納得したようだった

全国的に学校が荒れている
先生も本当は子どもたちをもっとのびのびと遊ばせてやりたいのに
理想と現実は大きく異なる

じゃあこの先学校には何の希望もないからと
悲観的になって過ごすのはもったいない
何かもっと他に出来る遊びがあるんじゃないか
この限られた状況の中で
みんなが楽しむにはどうしたらいいんだろう
そう考えて別の道を模索するのが
前向きな生き方というもの

イラク戦争のときに
戦時下でも子どもたちが路地で遊んでいる姿が報道されていた
あの生きるか死ぬかの緊迫した中でも
ちゃんとそこに楽しみを持っている
すごいなぁ・・・

その後娘は
「また新しい遊びを見つけたよ」
と言っていた
「先生に迷惑をかけるようなことじゃないからね」
と笑う

わたしもこの一年
常に”新しい遊び”を探しては試行錯誤を繰り返してきた
こうしてHPを始めたおかげで
色んな分野の”達人たち”からのアドバイスやヒントをもらい
行き詰まりながらもいつも助けられてきた
こんなに色んなことに挑戦した年は
今までなかったと思う
そして
自分ひとりでやっていたのでは
なかなか思うように事は運ばなかったはずだと
古くからの友人から
HPを通じて知り合った方々に至るまで
たくさんのみなさんに感謝せずにはいられない

これからも更に新しい挑戦を続けながら
今置かれた現実の中で目いっぱい楽しみ
それが何かのお役に立てることもあるかもしれないので
記録として残していきたいと思う


(夏に切花を挿し木して仮の名前を”白玉”とつけたミニバラ)

無事こうして2年目に入ることができましたことを感謝いたします(礼)




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