時代は変わる
「明日は音楽で”ヘイジュード”の歌のテストがあるよ」
と息子が言う
この前の期末試験では
『”ヘイジュード”を作曲したグループの名前は?』
『そのグループの人数は?』
『グループのメンバーを全員書きなさい』
『”ヘイジュード”は誰に捧げられた曲か』
『そのグループの知っている曲を2曲書きなさい』
という問題が出たといっていた
そう、”そのグループ”とはビートルズだが
いまや音楽の教科書に彼らの曲が載り
こういうテスト問題も採用される時代なのだ
わたしが息子くらいの時にはロックが大好きだったが
当時ロックは”不良の音楽”で
ビートルズだってその仲間だったわけだから
このような時代がこようとは全く予想もしなかった
で、息子はビートルズのメンバーでジョージ・ハリスンだけ書けなかったそうで
また他の曲名もわからなかったようだ
なんだ、わたしなら満点なのになぁ〜(笑)
さて
早いもので今年もあと一ヶ月を残すばかりとなった
クリスマスの準備が一応なんとか進んでいる中で
気になっていることがもうひとつある
それはボサボサに茂っているつる薔薇を剪定し
きれいに誘引する作業のこと
”つる薔薇を壁面にはわせたい”
そう夢見てはじめた薔薇栽培だが
最初の計画ではほとんど自分でできるものと考えていた
しかし
わたしはつる薔薇の本当の恐ろしさをまだ知らなかった
それを今日はつくづく思い知らされる
今年は幸いにもまだ暖かい日が続いている
こういう気候の中でさっさと作業をすませておきたいものだ
そう思って朝から突如剪定作業を開始する
高いところの作業をする時だけ夫にちょっと手伝ってもらえたら・・・
というわけで夫もかりだされる
「さほど手はとらないようにできるはずだからちょっとだけね」
そう言いながら。。。
壁にくっついている時からかなりな茂り方だとは思っていたが
こうして枝をばさーっと下ろしてみると
一体どこから手をつけたものやら・・・としばし呆然
枝数は昨年の何倍もにふくれあがっている
はしごをささえる時だけ手伝ってもらう予定の夫も
見かねて枝を分けたり切り取った枝葉をきざんだりと
ずっと付き合ってくれる
向こうでは母も枝を運んでせっせと刻んでいる
あらら、自分でできると思っていたのに
結局みんなを巻き込んでしまったなぁ・・・
こうして無事再び枝が壁に誘引されるまでに
3時間もかかってしまった
ついでに続いて他の箇所の作業も行う
この作業も3時間かかった
何しろ高所の作業ではあるし
足元はコンクリートだが斜めに傾斜している
誰かが支えてくれなければ怖くてやってられない
大きなはしごを少しずつ何度もずらしながらの作業
一方では
わたしが剪定枝を捨てずに堆肥にしたいため
まだ母がせっせと刻み作業をやっている
おかげで気になっていた箇所の誘引剪定作業は一気に終了したが
はじめに自分ひとりでやっていた箇所の時間を足して
のべ7時間の作業となった
これがもし本当に自分ひとりでやるのなら
時間だけ考えてもまず3日はかかるだろう
そして今回この”自分ひとりで”という計画は
実に無謀なことであったことをつくづく知る
わたしは頭で簡単に考えては
うん、これくらいならわたしにもできそうよね〜と見切り発車するのだが
それは思わぬ事態を招く
要するに自分をかなり過信しているところがあるので
はじめは”できる”と思っていても
時の流れと共に事態は事情は常に変化していくものだということを
今回は考えさせられている
母がまだもう少し若い頃には
「わたしは子どもに負担を負わせないように一人で生活するから」
とよく言っていたが
祖母がなくなって本当にひとりになったら寂しくなってしまった
親との同居がどういうものであるかをよく知る母は
せめて自分の時は何とかひとりでがんばっていこうと思ったのだが
自分でも知らないうちにどんどん年をとっていて
いざとなると色々な不安もでてくるようになった
結局うちで一緒に暮らすようになって
「昔は勇ましいことを言っていたけどね」
と苦笑する
そう、誰でもはじめは勇ましいものだ
でも時代は常に流れている
確実に年もとる
何が何でも自分は人に迷惑をかけずに生きていくんだと意固地にならなくても
できることは頑張って
甘えるところは甘えて
それでいいんじゃないかと思う
やれやれ、かくいうわたしも今日はさすがに疲れてしまった
やっぱり確実に年を取っている(苦笑)
あまりとんでもないことに手を出さないようにしないといけないなあ・・
まあつる薔薇のことはもうどうしようもないので
これからもご協力を願うしかない
それにしてもうちはみんなバラが好きで良かった
今つくづくそう思う
感謝感謝
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