My Way


受験が近くなってから
息子がよく「マイウェイ」を弾いている
昨年の今ごろはあのサビの部分が上手く弾けなくて
そこにくるといつもつまづいていたのが
いつの間にか弾けるようになっている事に気づく

ひとつの山を越えたんだな・・・
そう思いながら
これからもそうしていくつもの山に挑んでいくのだろうと
受験の事も含めて
将来について時々考えている

以前、塾の先生から
「中学受験は親の熱心がものをいうが
高校受験は本人の熱心がないと通用しない」
といわれた事がある
この先生は入塾の第一条件に”本人のやる気”を求めていた
だから途中で息子も何度か
「やる気のないやつはやめろ」
と叱られたものだ

自分なりに一生懸命やっていても
どうしてもそこを乗り越えられない事がある
こういう時の道は
”やる”か”やめる”か二つに一つ
そこでやめてしまったら当然進歩はないわけだが
あきらめずにやり続けたら
不思議と次の日には山を越えている時もあった

何かにつまずく時
自分ではそれをどうしようもない大きな山と思っていても
案外小さなことだったりもするわけで
人生の岐路に立たされた時には
それを冷静に見極める事が重要になる

息子は3年間ここの塾で
人生に必要な事をずいぶん教えてもらった
受験は決して人生のゴールではなく
単なる節目だから
ずっとずっと先まで見据えながら
自分の道をしっかり歩んでいくようにと

塾というのはもちろん勉強のためにあるのだが
実はこういった生き方について教えてもらえた事が
親としては一番嬉しいことだった
何かと目先の事ばかりが優先されるこの世の中では
他の人のことが気になって
自分は自分と割り切って生きるのが難しい

かつてわたしは
”エリート校”と呼ばれる私立中学校に在学していた
わたしの父は開業医だったので
その当時も、また今でも
ほとんどの開業医の子どもがそうであるように
わたしも当然のように中学受験を経験した
でもわたしには何の目的も志もなく
「中学受験は親の熱心がものをいう」
という塾の先生の言葉のごとく
ただ親が用意してくれた環境の中で
何となく塾に通い
教えられるまま勉強を詰め込んだ
そうして幸か不幸か学校には合格したけれど
そこで息切れしてしまい
その後はろくに勉強しなかった

いや、これはわたしに限った事ではなく
多くの子どもたちが合格をゴールと思っていたので
入学と同時に目標を失ってしまっていたのだった
一体わたしは何のために努力しているのだろう
漠然としたものでも良いから
何か希望や目的があったら
そこに向かって進む事ができる
でも、まだ心の育っていない小学生では
そこまで考えて受験する子は非常に少ない

中学校の3年間
わたしは特に道をはずすような事はなかったが
ろくすっぽ勉強しなかったので
3年になった頃には成績は最悪状態だった
これで今受験しろといわれたらきっとどこにも通りそうもないなあ・・
そんなことを自分でも考えていたのを覚えている

だから今の息子を見ていると
少なくとも当時のわたしよりはずっとずっと偉く思える
いや、あの頃のわたしがあまりにバカだったというべきだろうか
でもそんな”名前だけのエリートもどき”が
実は有名校には結構いる
それが
「親の熱心」が通用する中学受験の世界の落とし穴なのだ

しかし高1の時父が亡くなって
はじめてわたしは自分の道というものを真剣に考えるようになった
3年も遊んでしまったブランクはどうしようもないが
まだ何かやれるかもしれない
というか、やらなくてはどうするんだと

何不自由なかった時代には何もしなかったのに
不自由になってからは本当に努力する事を覚えた
幸せだった頃には幸せと思わず
不幸せになって幸せを知った
父が元気な間に
もうちょっとマシな成績を見せていたら
きっと喜んだだろうになあ・・・と
今でも申し訳なく思う

当然のことながら
有名校に合格しても
幸せな将来は決して約束されはしないし
落ちこぼれていく子どもを
学校は救ってくれない
それは学校側が間違っているのではなくて
はいあがろうとする努力をしない子どもが間違っているのだ
上手くいかない時には人のせいにして逃げたくもなるが
自分の人生は自分の責任で生きるべきだろう

以前
父の友人の言葉を聞いて
わたしはとても感動したことがある
あの時代まだ大学へ進学する人が少なかった中
しかも家が決して裕福だったわけでもない状況下で
国立大学の医学部に入学して後に外科医となったとき
「自分のように国立大学出身の者は
国のお金で勉強させてもらったのだから
国のために(人のために)役に立つ医者になって
恩返しをしなくてはならない」
と思ったとのこと

考えてみれば当たり前の事だが
わたしはそれまで
国立大学に入学すれば親にかかる負担が少ない分
親孝行な子どもだと思う程度で
そんな風に考えた事がなかった

そういえば父もずっと
「町医者の使命」ということを大事にしていて
この田舎町で貢献するべく
救急外来を続けていた
家のことは母にまかせっきりで
子どもの事などあまり頭の中にはなく
あるのはいつも入院している重症患者さんのこと
たまの休みは寝ているかゴルフに行っている
最近の”マイホームパパ”とは全く無縁の存在だった

でも
本当にいい仕事をして世の中に貢献しようと思ったら
家庭の事まで考えていられないのは当然だと思うし
両立を要求するのは間違いだとわたしは考えている
時々テレビで
お父さんが仕事ばかりしていて
お休みの日にも遊んでくれないので
子どもが寂しがって精神的に不安定になっている
といった事が取り上げられているが
これはちょっとおかしいと思う
なぜなら
同じような状況の子どもはたくさんいるが
みんなが精神的不安定になるわけではないし
小さい時から
”うちはこういう家、よそはまたよそのこと”
と教えておけば
そんなものだと思うようになり、あきらめもする



この写真は
息子が作った”極小折鶴”をわかりやすいように拡大したものだ
左の紙は実物は1センチ四方で
それを折ったのが右のツル
これはピンセットなどの道具を一切使わずに
指先だけで折ってある
息子はいつも深爪にしているので
爪も使っていない

小さい時から折り紙が好きで
そのうちだんだん小さいものを作るようになり
多分2年位前にこの大きさまで作れるようになったと思う
小さなツルを折れるから何になるというものでもないが
指先に神経を集中させて
短時間で一気に仕上げる仕事に
息子は向いているのだと思う
色んな分野の技術職には
手先の器用さを求められるものが多い
なりたいと思う職業も自分の心の中にはあるらしいが
何になるとしても
その技術を世の中の役に立つ事に生かして欲しいものだ

親は時々自分の道と子どもの道を重ねようとする
かつての自分の夢を子どもで実現させようとするのがその典型
でも
親と子どもは血はつながっていても
持って生まれたものが全く違う
だから親の計画通りに子どもがなることは少ない

子どもたちにはそれぞれの道があり未来がある
大人にもまたこの先ずっと続く道がある
やってることは色々違っても
「思いやり」とか「助け合い」などの”心”を接点として
家族がつながっていたらいいなあと思う




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