息子のこと


11月11日に息子は14歳になった

この息子の前に第一子を妊娠したが
残念ながら流産してしまっていたから
息子が無事生まれた時は
それはそれは嬉しかった

子どもは親に似るものだが
ここまで育ててきて
どうもわたしと息子とは全然似ていないような気がする
いや、顔は結構似ているといわれるが
わたしが言うのは内面のこと

生まれて8ヶ月
はいはいをするようになった頃
玄関までやってきた彼は
靴の並んだ20センチほど下の”たたき”へ降りようと
まずのぞきこんだ
それからおもむろにその小さな手を出し
指先までピッと伸ばして、たたきへおろす
そうして何度かさわった後
今度は向きを変え
そぉーっと足を伸ばし
たたきへそろりと後ろ向きに下りた

ほぉ〜・・あれは高さを測っていたのだろうか?

赤ちゃんとは何とも面白い事をするものだ
と感心したが
その後生まれた娘は
同じ場面で躊躇することなく一気に突進し
たたきへ落ちて泣いた

あれれ?赤ちゃんとは皆同じ事をするのではないのか?

この時改めて実感する
小さな赤ん坊にもちゃんと「個性」があるのだと

その後まだ歩かない頃
みかんを箱ごと頂いておいていたら
取っ手用の穴から
小さな手を入れてみかんの皮をむいては
中味を食べている・・・(びっくり)

またある時には
翌日の行事用に包んであったお饅頭の箱を開け
うれしそうにかぶりついているところを発見(唖然)

いつも目を輝かせてはきょろきょろしている彼に
わたしはいつも次の「事件」の気配を感じていた

3歳の頃
親が何かしていると
興味深そうに側へ来てはよくじっとながめていた
ちょうどいい
お手伝いさせてやろう
そう思って
「ティッシュを2枚とって来てね」とたのんだ
すぐにとりに行く息子
しかし使ってみると2枚では足らなかったので
「もう2枚とって来て」というと
今度はティッシュを箱ごと持ってきた

次に
使い終えたティッシュをだして
「これ捨ててきてね」とたのんだ
すぐに捨てに行く
さらにもう一度同じ事をたのんだ
すると今度は
ゴミ箱を持ってきた

わたしはその時悟った
この子は何度も同じ事をやらされる事に
予防線を張っている
これはけっして「勤勉な人間」にはならないだろう

保育園の頃は
よく「発明」をしていた
もちろん作るものは年齢相応のものだが
とにかく「いかに楽をするか」が
彼の発想の中に常にあった

小学校に入ってから
エレクトーンを習い始める
小さいころから音楽が好きで
テレビの子ども番組で聞いた「トルコ行進曲」に憧れて
いつかこの曲を弾くのが夢だった

習い事については
親にはそれぞれの考え方がある
一度習い始めたらそう簡単にやめるものではない
大方はそうだろうか
しかしわたしはそうとばかりは思わない
特に音楽はその字の通り楽しくなければつまらない
やめたくなったらいつでもやめていいよ
そう息子に言った

ところが意に反して
息子はそれから中学1年の終わりまでやめなかった
もちろんその間には何度か挫折はあったが
わたしと同じく
「音楽はたのしむもの」をモットーとする先生が
いつも支えてくださった
この先生のお蔭で
息子は5年生の時に
憧れの「トルコ行進曲」をずっと簡単なバージョンにして
発表会で弾かせてもらった
このことは彼にとって大きな励みになった

その後ピアノにかわり
さらに音楽への関心が深まる
小学校卒業までは
よく音楽室でピアノを弾いて過ごした

冬になるとつきもののマラソンは
息子の大の不得意だ
小さいころから喘息があるので特にきつい
マラソン大会の頃になると
結局は毎年熱を出して欠席していた
唯一6年生の時が最初で最後の参加となった

これは後に息子が告白した事だが
マラソン大会の前になると
いつもお風呂で水を浴びてわざと風邪をひいていたのだという(驚)
しかし最後の6年生の時には
もう身体が丈夫になっていて
この手が使えなかったらしい(苦笑)
こういうことをする人がいると聞いたことはあっても
まさか自分の息子がやっているなどとは
考えた事もなかった
もう時効なので叱らなかった(笑)

見かけは大人しそうだが
父親の
「いいか、一つ殴られたら三つ殴り返せよ」
との言葉を忠実に守り(苦笑)
今までイジメにあったことはない

中学に入学してからは吹奏楽部に入った
学校中で一番忙しいところだ
忙しいところに在籍しているほど
高校入試に有利だとの声も聞く
しかし
その部ももうすぐ3年生が引退して自分達が中心になる
そんな時にやめた
親としては「内申書」が脳裏をかすめる
それでも本人がどうしてもやめるというのを
父親はとめようとはしなかった
もちろんわたしもそれに順ずる

わたしは子どもの頃
自分で選択する時には
いつも無難な道を選んできた
少し我慢してでも有利な方にあわせる
それが賢い生き方だと思っていた
だが息子には全然そんなつもりがない

「音楽は楽しくなければ意味がない」
これはわたしが息子に言ってきた事だ
楽しくない部活をやめるのは
息子にとっては当然の事だった

やめた後は、またピアノを習い始めた
今は「マイウェイ」を弾きながら
自分でひたっている(笑)

そのほかにも
大好きなプラモデル作りや
父親から廻ってくる航空関係の本を読んだり
色々と趣味に忙しい
本人は時間が足らないと思っている

来年は受験生だが
きっと今と同じような生活をしているのだろう
「もうすこし勉強したら」
その言葉がのどまで出かかっているが
すでに自分の道を歩んでいる息子に
その言葉は余計なのだと
わたし自身に言い聞かせている

わたしが中学生になった時から
わたしの母も勉強のことをうるさく言わなくなった
それはわたしにとって非常に有難い事だった

結局親ができる事は
社会の秩序や道徳を教えることだけなのだと思う
もうさんざん言い聞かせてきた
これからは信用してやらなくては

それでもやはり心配だから
「飛行機を操縦したい」という夢は
あまりありがたくない
わたしにはもっと度胸をつける必要がありそうだ
お祈りの課題は多い(笑)



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