Good Times Bad Times


わたしも一応牧師の端くれなので
夫が留守の時には
礼拝のお説教をする機会がある

聖書の中には
「お気に入りのみことば」がいくつかあって
それらはいつ開いても
そぉだよねぇ・・・とわたしをうならせる
そのひとつが伝道の書7章にある

「順境の日には楽しめ
逆境の日には考えよ
神は人に将来どういうことがあるかを
知らせないために
彼とこれとを等しく造られたのである」(14節)

私の家族が教会へ行くようになったのは
父親が亡くなったのがきっかけだった
それから7年後
わたしはこの教会に嫁として住むことになった
その一年後には東京の神学校にいた

2年間単身で在学後
帰ってきたとたんに
同居していた義父の叔母がボケた
まだ子供のオムツもかえたことがないときに
大人のオムツをかえる身となった

最初の子供は流産
悪戦苦闘の介護の日々
翌年
やっと初めての子供が生まれた
大人のオムツに比べて
赤ちゃんのオムツはなんと小さい事だろう

この子が4ヶ月の時に
叔母は亡くなった
ちょうど息子がこれから動き始めて
目が離せなくなるという頃だった

やんちゃな息子が一歳になった時
義母が脳梗塞で倒れた
翌年にもまた倒れて入院
義父と同じく目の見えない義母にとって
手足の不自由が伴う事は
普通の人にくらべて何倍も不便な事だった

義母が二度目に倒れた時
わたしは第二子を妊娠していた
翌年
待望の女の子が生まれた

その翌年には
夫が胃がんで切除手術を受けた
当時3歳の息子は
その状況を察したのか
「おとうさん、帰ってきてよ」と
病院へ行く父親に声をかけた

娘が保育園に入った年
義母は三度目の脳梗塞で意識不明となった
物言わぬ人を相手の自宅介護の日々
5ヵ月後
義母は召された

告別式の翌日
今度は義父が脳内出血で倒れた
この前まで往診に来て下さっていた医師が
病院でばったり出会って驚いていた
以前と変わらぬ介護の日々
初めに叔母がボケてから
8年が過ぎていた

義父はこの教会の主任牧師であったから
それを夫と代替わりするに当たって
一部の人がそれを良しとしなかった
確執はずっと続いた
義父が二度目に倒れてからは
その確執もますますひどくなった

子供たちがずっと楽しみにしていた
北海道行きが近づいていた
しかし
義父の状態はだんだん悪くなっていた
いつまた倒れるかもしれない
それでも予定は無事実行する事が出来た
子ども達は大いに楽しんだ
その後まもなく義父はほとんど動けなくなり
息子の10歳の誕生日の翌日
天に召されていった

こうして
12年に及ぶ介護の日々は終りを告げた

教会内の確執は相変わらず続いていた
いつも問題と隣り合わせの毎日
それでも
長年の願いであった
改築工事が実現する事になった
雨漏りの心配や
いつ抜けるかわからない床への不安も
すべてが一度に解消された
それはただただ有り難い事だった

小さかった子ども達も成長し
戦力となるまでになった
もう半ばあきらめかけていた娘の中耳炎は完治し
大好きなプールにも遠慮なくもぐれるようになった
喘息の発作がひどかった息子も
もうほとんど症状はでなくなった

思い起こすのはどうしても不幸な出来事ばかりだが
その次々たたみかけるような災いの合間にも
必ず楽しみや喜びがあった

そして
災いの起こるタイミングは
いつも絶妙にコントロールされていて
それらが一度にいくつも重なる事はなかった
少しずつ時がずれていたから
いつも何とかなってきた

昔はいつも
苦労のない「安泰」な日々を夢見ていた
でも
そういうものは待っていても来るものではないから
今の暮らしの中に楽しみを見つけることにした

When times are good, be happy
but when times are bad, consider

世の中は「不況」だというけれど
いったいどこが不況なの?と思う
みんなぜいたくに慣れてしまっている
お金がなければ使わないように暮らす
こんなのは当たり前のこと

そして多少余裕ができたらゆっくり楽しく暮らす
先で困らないようにと一生懸命準備をしても
その準備のために今を楽しむことができないなら
本末転倒というものだろう

明日は何が起こるかわからない
だから不安なのではなく
だから楽しみがある

災いにあうと人は
「神さまなんかいない」と言う
でも
神さまは本当にいる
もしいなければ
うちはとっくの昔にアウトです



<目次     次へ>