介護時代のこと


脳こうそくなど、後遺症が残る病気は
一旦入院すると
回復してもリハビリがあり
その入院期間は最低3週間はかかる

義父母の場合、目が全く見えないので
入院には常時付き添いが必要だった
何度も入院をするうちに
夫と交代で寝泊りしながら
病室で繰り広げられる様々な人間模様を見てきたことは
貴重な体験だったと思っている

集中治療室を出ると
あとはいつも6人部屋に入っていた
うまく端のベッドにしてもらえればいいのだが
たいてい空くのは真ん中で
ベッドとベッドの狭い隙間に
小さな付き添い用ベッドを持ち込んで寝る
小柄な私でも寝にくいのだから
夫は「足が出る」と言っていた

夜になると
眠れない患者さんがごそごそやり始める
たいていがお年寄りだったが
かなり手のかかる人でも付き添いがいないので
それを止める人がいない

ビニールをガサガサガサ
缶をひっくり返してがっしゃーん!
あちらのベッドからは「うるさいっ!」の声

また何かモゴモゴやっている
今度はどさっと落ちる音
何が落ちたのだろう?
時折ガサ・・ガサ・・という

気になったので見に行ってみたら
おばあさんがベッドから逆さまに落ちかかって
そのアタマが下においてあったゴミ箱に
すっぽりはまっている(驚愕)

これは大変と看護婦さんを呼び
いっしょに引き上げたら
おばあさんはベッドの周りを全部柵でおおわれて
夜中にごそごそしないようにと叱られていた

病院での付き添いが大変なのは
ゆっくり眠れないと言った理由よりも
人間関係の難しさが大きい
しばし一緒に暮らすようなものだから
できるだけ気持ちよく過ごしたいと気を使うが
それぞれ状況も違うので
なかなか上手くはいかない

初めての入院の時
義母は同室の中で唯一の寝たきりで
医師から「この手はもう動きません」と言われていた
それでも少しづつ動かすうちに奇跡的に動くようになり
わたし達はそれを喜び合った

しかし
隣の患者さんにはそれが面白くなかった
歩けはしても病状が思わしくないのでイライラしている
その人のところには
お見舞いの人もほとんど来ない
いつも24時間体制でつきっきりの様子を見ることは
彼女にとっては辛い事だったのだろう
何度かいやみも言われたが
それも仕方のない事だった

患者さんも色々な人がいたが
介護人も様々だった

90を過ぎた母親を看るために毎日やってくる娘(とは言っても70歳くらい)
その介護暦は相当年季が入っているようで
手馴れたものだったが
母親が寝巻きを汚しているといつも
お尻をバチバチたたきながら怒っていた
その様子に
同室の患者さんは心を痛めていた
母親に対する吐き捨てるような言葉使い
聞いているとこちらが固まってしまう

義母が亡くなって
代わりに義父が倒れて入院した時
あの母娘はどうなったのかと看護婦さんに聞いてみた
どうやら
あれから2ヵ月後に母親は亡くなったらしい
では一人残った70の娘さん(?)はどうなったのかな・・

介護が「期間限定」なら誰でも頑張れるだろう
しかし
それは1年2年、人によっては10年20年と続いていく
その期間
平常心を保っていろというのは土台無理な話
この母娘の間にどのような葛藤があったか
それは他人がどうのこうのと批判する問題ではない

娘はいつも怒っていた
母親はいつも黙っていた
それでもこの娘は毎日毎日病院へ通ってきて
一生懸命母親の世話をしていた
これだけの事が誰にでもできるかといえば
そうではないだろう
この年まで長年付き合ってきた苦労は
他人にはわからない

わたしはテレビのワイドショー番組が好きではない
あれは他人の不幸を
自分とは縁のない事と思っている人が喜ぶものだろう
世の中に起きる事件は
誰の身にも起こりうる

長年親の介護を自宅で続けていると
それを知った人はわたしを良い人のように誉めてくれるが
なにがなにが
わたしは当時
この苦労から逃げる事ばかりを考えており
ちょうど夫が胃がんで入院した頃がもうノイローゼ状態のピークで
このまま夫が死んだら
わたしはこの家から逃出すことができると思ったりしたのだから
とても誉められたものではない

こんな事はできれば忘れてしまいたい
だが
わたしは色々な出来事を通して学んだ
なるべく人を悪く思わないこと
できることは協力することなどを
いつも念頭においているので
たまに「良い人」と勘違いをされる事がある
もしわたしが昔の事を封印してしまったら
きっと自分でも本当に「良い人」と勘違いしてしまうかもしれない
わたしの中には今でも”自己中心”の本性がある
現在は穏やかな生活をさせてもらっているので
その本性があまり目立たないですんでいるだけの事
状況が変わればいつ変身するかわかったものではない

97歳の姑を看取ったお嫁さん(70過ぎだが)に
私は「長い間ご苦労さまでした」
と声をかけた
すると彼女は
「最後は自分が病気になってしまって
姑を病院に入れてしまったから
看たことにはなりませんよ」
と言った

この人は長い間ずっと家で姑を介護してきたのに
何で病院に入れたことで”看た”事にならないのだろう
この心情はあまりに悲しい

人は表面的なことだけを見て評価を下すが
そこにはそれぞれの事情もあることは
加味されないものだろうか

テレビのCMで
「がんばらない介護を」
とうたっている
でも介護は頑張らないとできない
それはもう戦いに等しい
病人との戦いだけでなく
世間との戦いであり
自分との戦いでもある

介護保険制度は
あくまでも「お金」が中心のもので
介護者の心の問題には何の役にも立たない

病人が亡くなったあと
多くの介護者は
「もっと良くしてあげればよかった」
と言うが
じゃあ今同じ事態になったら以前よりも良くできるかと言えば
そうはいかないだろう
できないからこそしなかったのだから
それはその時の精一杯だったはず

それが仮に
傍目には”ずさんな介護”であったとしても
そこにはもっと寛容な目が向けられてもいいのではないか

何か手助けをといいながら
実はあれこれ介護者に注文したり指図するような
”うるさい小姑”にだけはならないで欲しい
これが介護者を一番悩ませる
だがこの”小姑”は
良い事をしているつもりなのだから困ったものだ

励ましてくれなくていいから
優しい言葉も要らないから
黙っていてくれさえすれば
介護者は神経を病まずにすむ

そういう”協力”の仕方もある



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